怪物と北方水姫の戦いを下から見ていた深海棲艦たちの間から、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが起きた。その声は、北方水姫に届いた。
急いで周囲を確認し、北方棲姫を港湾棲姫、北方棲妹を集積地棲姫めがけて投げる。その直後に、怪物の腕が北方水姫の体をかすめた。
木の枝か何かのように、北方水姫が放物線を描きながら宙を舞う。
艤装を身につけていない状態で、艦娘の攻撃をはるかに超える衝撃を受けたのだ。意識が途切れただけで済めばいいが──
落下予想地点は、浅瀬の中。角度は悪く、勢いはつきすぎている。
戦艦棲姫が、落下予想地点に急ぐ。それでも間にあわないと考えたのか、素早く魔獣の手の上に飛び乗った。
戦艦棲姫のかけ声に合わせて、魔獣が力いっぱいに腕を振りあげる。その勢いで宙を飛んだ戦艦棲姫は、落下する北方水姫と交差しかけたところで体をつかんだ。
双方の軌道が変化して、戦艦棲姫の魔獣が追いつけない位置に落下する。そこには防空棲姫が待ち構えていた。
ラグビー強豪国の代表選手、のような動きだった。
飛んできた戦艦棲姫と北方水姫を受け止めた両手がただ触れているかのように弧を描き、片足を軸に回転して島と反対方向に放り投げる。
その先には、飛行場姫が立っていた。戦艦棲姫と北方水姫に対して背を向けるように右回転し、左手側の滑走路上を滑らせながら持ち上げる。
水を切る石のように、二体の体は外洋へと飛んだ。水しぶきをあげて、海中に沈む。
しばらくして、艤装の力によって戦艦棲姫が水面へと浮かんできた。北方水姫はというと、潜水ソ級が肩に担いで姿を現した。
二人の表情が曇ってないことから、最悪の状況よりもかなりマシであることは察せられた。
その間も怪物は暴れていた。いや、怪物と深海棲艦たちの他にも動きだしたものがあった。
ひきちぎられた怪物の翼。その翼のちぎれた先が奇妙に膨らみ始め、何本もの触手に別れて起き上がった。
まるで胴体が途中で折れたイカのようだ。
「爆撃機隊ヲ発進サセロ! 」
リコリス棲姫が、大声で命令を出した。目の前のありえない光景に息をのんでいた深海棲艦たちは動揺を隠せないままだったが、それでもリコリス棲姫の周囲を護衛する陣形を作り、爆撃機の発進準備を始めた。
準備の整った深海棲艦から、次々と爆撃機が飛び立った。狙いは怪物と、元々は翼だった“何か”だ。
「時間ヲ置イテ、二度三度ト爆弾ヲ叩キ込メ! 煙幕ガワリニシテ栖ニ戻ルゾ! 」
リコリス棲姫の言葉に、深海棲艦たちから安堵とも歓声ともとれる声が起きた。
物資は残り少なく、疲労はたまっていて、戦っている相手はどうすれば倒せるかもわからない怪物だ。こんなわけのわからない奴らなど放っておいて、艦娘相手の戦いに戻ろう──
もしかすると、そのような心理が働いたのかも知れない。単に、これ以上やってられるかという気分になっただけなのかも知れない。
いずれにしても、深海棲艦たちは退却を選んだのだ。
「残ッテイル筏ハ全部持チ帰レヨ! 忘レルナ! 」
この一言に関しては、若干不平の声があがりはしたが。
爆撃機を出撃させた空母、鬼級、姫級を囲んだ深海棲艦たちは、怪物と“何か”を撃ちながら徐々に距離をとる。爆撃機は上空で複数の編隊を組み、順次降下して爆弾を落としていく。
爆発で起きた煙が、何度も怪物と“何か”を覆う。煙幕としての効果があったかは疑問だが、足止めの役にはたった。
もはや怪物と“何か”には目もくれず、深海棲艦たちは海へ、栖へと戻っていった。
- - - ( / ・ ω ・ ) /
「グロスマン」がはるか南の方に去っていくまで、鎮守府側は警戒を解けなかった。あちこちに散らばっていた艦隊の帰還は、その後になった。
全員が戻ってくる頃には、「グロスマン」が鎮守府から離脱する直前に起きた爆発の原因は知れ渡っていた。
「あれはいったい何だったのかしら? 」
と、いう陸奥のつぶやきに、
「いひっ! スゴかったでしょ、あれ! 」
と、口を滑らせた海防艦(名は伏せる)がいたからだ。
まあ、仮に黙っていたところで日振を始めとした大勢が見ているところで色々やらかしているのだから、逃げようもないのだが。
この件について提督は、
「あまり無茶したらダメだよー」
と、叱責したうえで、片づけの頑張り次第では罰を軽くすると決めた。実際、破壊された建物の建て替えや修繕にかなりの時間がかかることは、一目見ただけで予想がついていた。
提督が海防艦たちに厳しい処分を言い渡さなかったのは、もう一つのやらかしのほうに気を取られていたからでもある。
「これ、どうしようかー」
と、困惑したまま見つめる先には、海岸に半ば以上崩れた状態で転がっている巨大な“白いもこもこに身を包んでペンギンのクチバシをつけたカワウソみたいなぬいぐるみ”の姿があった。
海に押し出すには、あまりにも大きすぎ、重すぎる──おまけにその顔は、鎮守府に向いているときた。
「そ、そーですねー。建物の防弾に転用してみましょうかー」
答える工作艦(名は伏せる)の声は、いつもより上ずっていた。提督のほうは、
「んー……とりあえず見られている気がして落ち着かないから、そこから始めようかー」
と、まったく別のことを口にしてから、
「えっと、さっき何か言った? 」
と、聞き返していたが。
翌日、陽も高くなった頃、鎮守府の外れ、森の入口に、山汐丸と大東、日振、貴益の姿があった。
貴益を除く三人は、作業着のような上下を着ている。その姿に違和感を覚える人もいるかも知れないが、これもまた、ここの鎮守府の日常なのだろう。
近くには、半ば草に覆われた建物がある。鎮守府を拡張した際に、資材や道具を保管していた倉庫だ。
何日かまとめて作業するならば、近くに道具を置く場があったほうがいいという理由で建てられ、また使うこともあるだろうという理由で放置されたままになっている。そうした倉庫は、鎮守府の数か所にある。
そのうちの一つがここだ。
「はしごは危ないから、登らないほうがいいですよ」
「大丈夫だって。この大東さんをなめんなよってね」
「いえ、ケガしたら大変ですからやめてください」
提督から倉庫の様子を確認するように頼まれた山汐丸は、挙動不審と言っていいほどに神経質になっていた。今もはしごの前に立って、大東が登ろうとしているのを必死になって止めようとしている。
「大東! 山汐丸さんの言うこと聞きなさい! わがままはダメだよ! 」
日振も、大東の服の裾をつかんで止めようとしている。貴益は貴益で顔をしかめながら、
「まあその、上のほうから匂いがしてるのは間違いないんですよね」
などと言っている。
貴益の言うとおり、倉庫の中には腐敗臭にしては妙に甘ったるい匂いが漂っている。
開け放しになっているにもかかわらずだ。
「どうかしたのですか? 」
森のほうから、突然神州丸の声が聞こえてきた。遠くから走ってきたのか、ずいぶんと息が荒い。
そのそばで、あきつ丸とまるゆが同じように肩で息をしている。
「急に走らないでほしいっす」
少し遅れて到着した占守が、呼吸を整えながら言った。その手には、頭ほどの大きさがある布袋を持っている。
「他の倉庫を調べに行っていたのではなかったのですか? 」
山汐丸が、はしごの下をふさぐように抑えながら言う。
「用を済ませて虫取りの罠も見てきたんです」
まるゆが深呼吸をしながら答えた。
「そうしたら騒ぎ声が聞こえたので、これはマズ……いことがあったのかと思いまして」
あきつ丸も、途中で咳をしながら言う。
「あ……んー」
大東は、後から来た四人の間に視線をさまよわせながら何か言いたげにしているが、どう口にしていいか困り果てているようだ。それを見ていた日振が大東に向いたまま、
「変な匂いがするからと、はしごを登ろうとしていた大東を止めていたんです」
と、答えてからしばらく大東の様子を見て、
「あと、虫取りの罠と袋が気になる……で、あってる? 」
と確認を取ると、大東は首を動かしながら賛意を示した。
「あ。た、確かにそれは山汐丸に任せたほうがいいですね」
「……えっと、たぶんカナブンだと思うっす」
慌て気味に返答した神州丸と声が重なりかけた占守は、神州丸が言い終わるのを待ってから返事をして袋に手を入れた。
取り出したのは──
「あ」
少なくとも、占守はそうしようと意図していたわけではなかった。袋の中にいる虫が、どこまで意図していたかはわからない。
占守の手から滑るように飛び出した虫は、狙いすましたように日振の眉間にはりついた。
大きさは、手のひらの半分ほど。得体の知れない何かが動く様子と感触が、日振に伝わっていた。
しゃっくりをしているような音が、日振の喉からほとばしった。両目から、涙があふれ出した。
占守を始めとした艦娘たちは、ただ呆然と立ちつくしていたわけではない。目の前の状況を理解していたかどうかは別として、動こうとはしていた。
事態の展開のほうが、それよりも速かった。誰一人避ける術を持たないまま、物事は変化を続けていった。
涙と海水は、類似した成分を含んでいる──だからと言って、艤装が展開できるとは限らない。通常ならば、難しいうちに入るであろう。
しかし、この時の日振は完全な錯乱状態に陥っていた。リミッターが外れていた、とも言える。
──どういうわけか、物語においてはこうした状態を想定した誤作動防止装置が機構に組み込まれていない場合が多いように見受けられるが、この世界においてはきちんと対策が施されていた……偶然作動しなかった、という例がなかったと言っているわけではない。
作動はした。だが、故障もした。
技術の問題ではなく、主に作者の都合のよう、である。物語もそろそろ終わろうとしているのだから、多少の強引さが必要となったのであろうか──
あからさまな文字数稼ぎの間に、ほんの一部ではあるが艤装が装着された。機銃の砲身だった。
虫を……と、言うか、狙いすらつけないまま、日振は悲鳴をあげながら発砲した。弾丸はやすやすと天井板を貫き、金属にあたったような鋭い音が響いた。