明日はついに2000ギニーの出走日。ニジンスキーサブトレーナーと作戦の打ち合わせをしているわけだ。それにしても……本当に妙な造りをしているねぇ、こっちのレース場は。
「さて、タキオン。レース場のことは頭に叩き込んであるわね?」
「無論だとも。だが、何度見ても不思議なコースだねぇ。コーナーが一か所しかないとは!」
このニューマーケットレース場は日本のレース場では絶対見ないような造りをしている。なんせ、コースがくの字を逆にしたような形になっているからね。日本でこんなレース場は見たことないし、世界的に見てもこんなレース場は見ないだろう。アスコットもそうだし、イギリスは特にそういうレース場が多いような気がするねぇ。
ニジンスキーサブトレーナーは溜息を吐く。
「ま、日本で生まれ育ったあなたなら不思議に思うかもしれないわね。ワタシも最初はこっちのレース場見た時にはびっくりしたけど」
「そうだろうそうだろう!全く興味が尽きない!……ま、今やるべきことは2000ギニーの対策だ。無駄話になる前に手短に行こうじゃあないかニジンスキーサブトレーナー」
「分かっているなら話は早いわね」
サブトレーナーが作成した資料に目を通す。これには2000ギニーに出走してくるウマ娘達の名前がずらりと並んでいた。
「注目すべきはカルティエ賞の最優秀ジュニア級ウマ娘に選ばれたトゥブーグ、そのトゥブーグと争ったミナルディ。この2人が2000ギニーでも人気を集めているわ」
「ふむふむ……やはりというか、この2人は年の初戦に2000ギニーを選んだというわけか」
これはありがちなことだ。こっちでは日本のようにステップレースを挟むよりもそのまま挑戦することの方が多いらしいからねぇ。
「油断はしないことよタキオン。アンカのように、ポンポン勝てるようなものではないということを理解しなさい」
「いや、さすがにそれは分かっているとも」
なんか、日本にいるであろうアンカ君が抗議の声を上げたような気がするねぇ。実際この場にいたら抗議の声を上げたんだろうが。
レースの打ち合わせが終わり、後は明日の本番を迎えるだけ、だね。
「そうだニジンスキーサブトレーナー。SLRCの4勝目おめでとう。やはり、サブトレーナーは強いねぇ」
「ありがとう。ま、当然ね。まだまだ負けるわけにはいかないわ」
……割と真面目にラムタラ君やダンシングブレーヴ君に勝っているこの人は本当になんなんだろうか?セクレタリアトコーチもそうだが、強さが異次元すぎる。凱旋門賞の敗北は本当に不調だったんだなってことが良く分かるよ。
「それにしても、アンカと対戦する機会が楽しみね……ふふふ」
おっと、やはりというかアンカ君はロックオンされているねぇ。というか、アンカ君は世界中からロックオンされているか。アメリカのセクレタリアトコーチやシアトルスルー君然り、こちらのラムタラ君とニジンスキーサブトレーナー然り、アンカ君は世界中のウマ娘から狙われているねぇ。
「やはり、サブトレーナーもアンカ君との対戦を?」
「勿論よ。ワタシの心を再び燃え上がらせてくれたあの子との対戦、心が躍らないわけないわ」
「毎日のようにここに押しかけてくるデイラミ君もそうだが、本当に世界中から狙われているねぇ」
デイラミ君はほとんど毎日こちらの拠点に押しかけてくる。拒む理由もないしこちらとしてはデイラミ君とのトレーニングができるから願ったり叶ったりな状況なのだが。
「当然よ。あの子に夢中にならない子というのはほとんどいないわ……デイラミで思い出したけれど、あの子の妹、ダラカニもそろそろデビューね」
デイラミ君がここに来る理由は、彼女の妹であるダラカニ君のデビューが近づいているというものだ。
『実は我が妹のダラカニも来年デビューでね!もしよろしければあなた方とトレーニングを共にさせてもらいたい!』
『あ、姉上。さすがに迷惑になるのでは?』
『おっと、そんなもの聞いてみなければわからないだろう?というわけでどうだろうか、ニジンスキー殿。我が妹のために、一緒にトレーニングをさせてもらえないだろうか?』
ま、こんな経緯があるわけだ。ニジンスキーサブトレーナーとしても私のトレーニングパートナーにデイラミ君をあてがえる、その見返りとしてデイラミ君の妹であるダラカニ君を育てる。断る理由もないし、私のことを考えれば渡りに船といったところだねぇ。
「それにしても、デイラミの妹だけあって将来有望ね。育て甲斐があるわ」
「現時点であれほどの能力が叩き出せるのは本当に凄いねぇ。私もうかうかしていられないというものだ」
そんな他愛もない話とともに、夜は更けていった。
──イギリス、ニューマーケットレース場。
《クラシック最初のレース2000ギニーステークス。各ウマ娘が続々とレース場に姿を現します。今回の2000ギニー出走数は19名。19名のウマ娘がこのニューマーケットレース場を駆け抜けます。芝8ハロンの戦い、芝の状態はGood to Firm*1。走るのには絶好のコンディションといったところでしょうか?》
《今回注目を集めているのはトゥブーグ、そしてトゥブーグと競い合ったミナルディ。そして日本からのチャレンジャーアグネスタキオン!この3人が注目を集めていますね》
《加えてアグネスタキオンは今世界中を賑わせているクレイジーラビットと同じチームに所属しています。彼女のレース運びには注目が集まるところでしょう》
この2000ギニーで注目を集めているのは3人。カルティエ賞最優秀ジュニア級ウマ娘のトゥブーグと惜しくも逃したものの実力は十分なミナルディ。そして日本からやってきたアグネスタキオン。この3人が注目を集めていた。
「アグネスタキオンって、あのクレイジーラビットと同じチームなんだろ?」
「じゃあ、注目を集めそうね。あのクレイジーラビットと同じチームだなんて……きっと凄いウマ娘に違いないわ」
「あれは例外な気がするが、それでもあのニジンスキーが直々に教えているウマ娘だ。注目度は高そうだな」
各ウマ娘がゲートに入っていく。観客達は静かに見守っていた。
レース場に訪れる静寂。その静寂はゲートが開く音によって破られる──2000ギニーステークスが始まった。
《各ウマ娘がゲートに入ります。今最後のウマ娘がゲートに入って……スタートしましたっ!クラシック最初の冠をかけた戦い2000ギニーステークス発走となります!各ウマ娘綺麗なスタートを切りました。ここからハナを切ってペースを握るのはどのウマ娘か?注目の先行争い、ニューマーケットレース場を19人のウマ娘が駆け抜けます》
序盤から繰り広げられる先行争い。アグネスタキオンは先行争いには加わらず、中団の外目の位置につけていた。
他注目のトゥブーグは内のラチ沿いに、ミナルディは後方に位置している。スタートの立ち上がりはまずまず、といったところだろうか。
《激しい先行争い。ネイエフとレッドカーペットが先頭争いの位置につけます。しかしハナを切るのはレッドカーペット!レッドカーペットが先頭に立ってレースは進みます!1番人気トゥブーグは内ラチ沿い中団の位置に、ミナルディは後方10番手以下につけています。アグネスタキオンこれは好位置、先頭から8番手の外目をキープ。日本のアグネスタキオンはこの位置だ》
《いつでも抜け出せるようにという判断でしょう。無駄なスタミナの消耗を避け、外の躱しやすい位置へと陣取りました》
《先頭はレッドカーペット、しかしウマ娘達は団子状態です。ほとんど差がなく進んでいます。隊列も落ち着いてきました、最後方はゴーラン。2000ギニーステークス、緩やかな坂を駆け上がります!》
観客達はレースの行く末を見守る。クラシック最初の冠を手にするのは。
ふぅン、やはり緩やかな坂になっているという関係上、かなりスタミナを削られるコースだねぇ。
(芝も日本のものとは明らかに違うと分かる。ま、そんなことは遠征で散々分かっていたことだ)
だから
ペース自体はそれほど早いわけではない。序盤は様子見、今は誰かの動き出しを待っている状態だろうか。お互いにけん制し合いながら動いてるわけだが。
(私のマークもそれなりにあるね。様々な要因があるんだろうが、日本からの挑戦者というのが物珍しいのだろう)
もっとも、私は私のペースで進むだけだ。内側を確認して残りの距離を確認する……残り4ハロンか。
この地点で、後ろから上がってこようとしているウマ娘の姿を確認。あれは確か、ゴーラン君だったかな?
(休養明けかつ上位人気のトゥブーグとミナルディとは違って未勝利戦を勝ったのみ。さほど注目はされていない。ただ、公開トレーニングでは良い動きをしていたという記録がある)
もう少し控えようかと思っていたが、万が一ということもある。徐々に進出してくるゴーラン君に合わせるように、私も前へと進出を開始する。
《残り4ハロンを越えます。先頭は依然レッドカーペット、そこから差がなくネイエフ。先頭から最後方まで10バ身以内に収まった隊列。その隊列も徐々に乱れ始めてくる頃合いですが、ここで外からゴーランが上がってきました!最後方に控えていたゴーランが前へ前へと進みます!》
《公開トレーニングでは良い動きを見せていました。本レースの6番人気です》
《大外からゴーランが前へと進出してきます!それにつられるようにタンバレーンも上がっていきます、がっと!ここでアグネスタキオンも前へと進出する!日本のアグネスタキオンもペースを上げた!残りは3ハロンを越えます、アグネスタキオンが先頭に並ぼうとしています。隊列はばらけ始めました、アグネスタキオンは8番手の位置から現在3番手の位置まで順位を上げました!》
彼女の記録は確認してある。スピードは突出したものがあるが、それは私も同じだ。そして──私とゴーラン君のタイムに差はない。
内に閉じ込められているトゥブーグ君は上がってこない、ミナルディ君はまだ後方。ならば警戒すべきは……ゴーラン君か!
「さぁて、検証を
私のこの仮説が合っているかどうか、試そうじゃあないか!
大外から上がってくるゴーラン君の気配が強まってくる。成程、確かに速いねぇ。だが
(想定内、だねぇ)
私と彼女の差は3バ身程。今の私は先頭に近い位置……というよりはもう先頭。この3バ身のリードをキープするのは容易いことだ。
残り300mほどか。何故分かるのかは、坂が急になってきたから。これもニューマーケットレース場の特徴のようなものだ。一層スタミナが削られるものの──問題ない!
しかし、ここで問題が発生した。
(ッ、ゴーラン君の加速が、思った以上の数値だ!坂が急になっても勢いが衰えていない!?)
は、ハハ。成程成程。
「これは、面白いじゃあないか……!」
さぁ!もっと私に可能性を見せてくれ!だが、負ける気は毛頭ないよ!
《残り1ハロン!現在日本のアグネスタキオン!アグネスタキオンが先頭だ!しかし外からゴーランとタンバレーン!ゴーランとタンバレーンの2人が上がってくる!この2人も速い!アグネスタキオンとの差をグングン詰めていく!アグネスタキオン苦しいか!?》
《日本のアグネスタキオンが制するのか!?さぁこれは厳しいところ!》
《アグネスタキオン粘る粘る!ゴーランが追い詰める!ゴーランがタンバレーンを振り切ってアグネスタキオンを追い詰める!アグネスタキオンかゴーランか!アグネスタキオンが逃げる!それをゴーランが追いかける!さぁどちらが勝つか!?》
逃げる私と追うゴーラン君。徐々に差は縮まっていき、近づくたびにゴーラン君の裂帛の気合いが強まってくる。
勿論私だって負けていられない。全身から力をかき集めて、必死に逃げる。領域も使って逃げて──軍配が上がったのは、私だった。
私の身体が、先にゴール板を駆け抜けていった。
《アグネスタキオンに軍配が上がったぁぁぁぁ!日本のアグネスタキオンが2000ギニーを制したぁぁぁ!ゴーランは猛追届かず1バ身差の2着!ここはアグネスタキオンの粘り勝ち!日本の挑戦者が2000ギニーを制しましたぁぁぁぁ!》
《彼女は日本でも無敗ですからね。これで無敗記録を伸ばしましたよ!》
《次なる舞台はエプソムレース場のダービーステークス!まさかまさか、日本からやってきた挑戦者が一気に主役に躍り出た!アグネスタキオンはダービーでどのようなレースを見せてくれるのか!今から楽しみでしょう!》
観客から祝福の言葉がとんでいる。息を整えながら、私はその祝福を受け取る。
あぁ、成程。
(実に興味深い!)
きっとダービーステークスではさらなる強敵が出てくることだろう。そのことに──柄にもなく、私の心は踊っていた。
タキオンの次なる舞台はダービーステークス。