その子を初めて見たのは、天体観測の帰り道だったわ。いつものように許可を取って、いつもの場所まで星を見に行って。あの子のことを思い出して……。誓いを立てて寮へと帰った日の事だった。
(?練習場の明かりがまだ点いてる?こんなギリギリの時間まで練習してる子がいるなんて珍しいわね)
いつもだったら気にも留めないで帰っていたと思う。でも、その日の私は違った。何となく気になって、その練習してる主にもとへと足を運ぶことにした。そこで私が目にしたのは……銀色の葦毛の子が、倒れている姿だった。
「……え?」
我ながら、気が動転していたと思う。真っ先に誰かに連絡を入れればいいのに、あまりの事態に右往左往していたのだから。そんなことをやっている間に、その子は起き上がった。どうやら、気絶……というよりは、休憩を取っていただけみたいで。
「……もうこんな時間か。気づけば眠りこけていたようだ」
彼女は、呆然としていた私に声を掛けることなく去っていった。彼女が帰って少しした後、私はようやく事態を飲み込めて。
「あの子、大丈夫かしら……?」
少し遅れて、心配する言葉が漏れ出た。後日、トップロードさん経由で聞いてみた。どうやら、あの子は学園では有名な子だったみたいですぐにその名前が出てきた。
「アヤベさんが見たのは、多分アンカちゃんですね」
「……アンカさん?」
「はい。アンカデキメルゼ……中等部の子ですね」
「その子、昨日練習場で倒れていたわよ」
「あぁ~……また、なんですね」
「……また?」
トップロードさんは、苦笑いを浮かべながら頷いた。
「あの子、夜遅くまでトレーニングしてるんです。それも、寮が閉まるギリギリの時間まで練習してることもしょっちゅうで」
「……」
開いた口が塞がらなかった。中等部の子が、どうしてそこまで練習するのかが分からなかった。
「その子は、もうデビューしているの?」
「まさか!まだ未デビューの子ですよ」
「じゃあ、どうしてそんなにトレーニングを?」
「それが……誰にも分からないんです。アンカちゃんと仲良い子はほとんどいなくて。ただ、話によると彼女が信じている神の啓示に基づいてトレーニングをしているからだとかなんとか」
「神の……啓示」
「アンカちゃん、それこそ何かに取り憑かれているみたいにハードなトレーニングをしているんです。だからみんなも心配しているんですけど……止めさせようとしたら凄い剣幕で怒ってくるからみんな諦めたみたいで」
「何かに……取り憑かれているみたいに……」
トップロードさんの言葉を反芻するように呟いていると、トップロードさんが不思議そうな表情を浮かべていた。
「気になりますか?アンカちゃんのこと」
「……そうね」
何となく、他人のような気がしないもの。
「アンカちゃんはいつも遅くまでトレーニングをしていることが多いですよ。気になるんだったら、見に行ってみるのもいいかと!」
「……えぇ。そうさせてもらうわ」
トップロードさんの言葉にそう返事をして、私は戻った。トップロードさんは驚いたような声を上げていたけど、そこまで驚くようなことかしら?
それから、何回も練習場へと足を運んだ。ある時はトレーニング終わりに、ある時は天体観測を終えた日に、ある時は休日に。そのどの日にも……彼女は、アンカデキメルゼという少女は練習していた。トップロードさんの言うように、何かに取り憑かれているように。
トレーニングの内容も多種多様だった。走っているだけの時もあるし、一見すると意味のないような練習をしていることもあった。また、アンカデキメルゼの練習を見に行くと、フジさんや会長さんも見かけた。どうやら彼女達もアンカさんを心配して見に来ていたらしい。
「ポニーちゃんは……アンカはどうやら神という存在に縛りつけられているらしい」
「……冗談でしょう?」
「アドマイヤベガ、冗談と思うかもしれないが……アンカデキメルゼの幼馴染で彼女の友人でもある者からの言葉だ。どうやら彼女は、彼女が信じている神の言葉を絶対視しているらしい。それこそ……自分の身体の事すら厭わずに」
「……」
にわかには信じがたい。でも、フジさんや会長さんが止めてもアンカさんは練習を止めなかったらしい。それほどまでに……彼女は神という存在に妄執しているのかもしれない。
あの子に感じるこの胸のもやもやはなんだろう?どうして私はあの子のことが気になっているんだろう?アンカさんのトレーニングを覗き見る度に、その考えは膨らんでいった。そして、ある日の事。私は……彼女と話してみることにした。
「ねぇ。少し、良いかしら?」
「……誰だ?君は」
不機嫌そうな表情、トレーニングを止められて怒っているのかもしれない。そう感じた。でも、私は臆することなく答えた。
「私はアドマイヤベガ。高等部のウマ娘よ。あなたのトレーニング……ここしばらくの間見させてもらっていたわ」
「……あぁ。練習中に不躾な視線を感じると思っていたら……あなただったのか」
「……何故、あなたはそれほどまでにトレーニングをしているのかしら?」
「質問の意図が分からないな。強くなりたい以外に、言葉は必要か?」
「あなたのトレーニングの量は度を過ぎている。それは、フジさんや会長さんから注意されたことで分かってるんじゃない?」
「……そうか?僕にとってはこれぐらい問題ない量なのだがな。周りが大袈裟に言っているだけだ」
絶対そんなことないわ。そう口に出しそうになるけど何とか耐える。
「……あなたは、どうしてそんなにトレーニングをするの?それこそ、自分が倒れるくらいの量を」
少しの沈黙。彼女が……アンカデキメルゼが口を開く。
「それが神によって与えられた、僕が成すべきことだからだ。神の啓示は絶対、その摂理に逆らうことは決して許されぬ罪。神から与えられた神託をこなすため……また、これから下るであろう啓示を成すために……僕は強くならなければならない」
どうやら、会長さん達の言う通りアンカさんは神の啓示とやらを絶対視しているらしい。
「……何故、そこまで神の啓示とやらを絶対視するのかしら?」
「決まっているだろう」
アンカさんは、大仰に手を広げて答えた。
「神々の戯れに魅入られたあの日から、僕の運命は決まっていた。神によって与えられた神託をこなし、彼らを喜ばせるために踊ることを宿命づけられた道化……それこそが僕の運命であり、僕のやりたいこと、やるべきことでもある。それだけだ。それ以上の理由は必要ない」
その言葉を聞いて、私は胸の中に抱えていたモヤモヤが晴れていくのを感じた。成程……彼女に、アンカさんに抱いていた気持ちが分かった。どこか他人のような気がしない理由が……分かった。
私は、あの子……生まれる前に亡くなってしまった妹のために走る。走れなかったあの子の分まで走って、あの子のために勝利を捧げなければならない。そう、考えている。アンカさんは、対象こそ違えど……。
(私と……似ている……)
誰かのために走らなければならない、そのために自分は存在している。あぁ、成程。それは、他人のような気がしないだろう。けれど……だからこそ放っておけない。私自身、他人のことを言えたような口ではないが、彼女のそれは度を越しているのは分かる。
「……そう。でも、あまりトレーニングばかりするのは感心できないわ」
「……言っておくが、僕の邪魔をするのであれば容赦はしない。例え、誰であってもだ」
「自分が倒れるまでトレーニングするのはさすがに許容できないわ。せめて、休憩ぐらいは取りなさい?」
「……ちゃんと取っている」
アンカさんは露骨に目を逸らした。嘘だというのがバレバレだ。思わず溜息を吐く。
「……いいわ。あなたは言っても聞かなそうだし、これ以上は言わない」
「分かっているじゃないか」
「えぇ。あなたみたいな子の気持ちは、よく分かるもの。だから……あなたが勝手にするように私も勝手にするわ」
「は?」
アンカさんは呆けたような表情をしていたが、私のやることは決まった。彼女を……アンカさんを正しい方向へと導かないと。
そこからは、私はアンカさんに対して世話を焼くようになった。
「アンカさん、その食事だと栄養バランスが崩れるわ」
「だが、これは神の啓示によって……」
「私達アスリートは身体が資本よ。ホラ、私が取ってきてあげるからもっと食べなさい」
「し、しかし……」
「別に、量を増やしたところで問題はないでしょう?」
「そ、それはそうだが……」
「なら、大人しく食べなさい」
ある時は昼食。時間が被った時は、アンカさんの食事を考えてあげた。
「アンカさん。制服のリボンが曲がっているわよ」
「……別にこれぐらい構わないだろう?」
「ダメよ。服装の乱れは心の乱れ、常に気を使っておくべきだわ」
「……まるで母親みたいなこと言うじゃないか」
「せめて姉といいなさい」
ある時は身だしなみ。
「アンカさん。そろそろ休憩を取りなさい。また倒れるわよ?」
「……関係ないだろう。それに神の啓示では」
「神の啓示とやらには、休憩はするなとでも言われたのかしら?違うでしょう?なら、大人しく休憩を取りなさい」
「……分かった」
ある時はトレーニング。
「いい?アンカさん。ふわふわよ、ふわふわは全てを解決してくれるわ」
「……言ってる意味が分からないのだが」
「ふわふわは1日の疲れを癒してくれるわ。あなたがどれだけのハードトレーニングをしようとも、ふわふわの布団があればすぐに解決するわよ」
「いや、それはないだろう」
「……仕方ないわね。今日あなたの部屋に行くわ。ふわふわの布団の魅力……あなたにも分からせてあげる」
「あの、ちょっと?アヤベさん?僕の話聞いてます?おーい?」
アンカさんの布団をふわふわにしたり。アンカさんを見かける度に、私は彼女の世話を焼いた。だってあの子、なんだか放っておけないんだもの。トップロードさん達は驚いていたけど……そんなに驚くようなことかしら?
世話を焼いた甲斐というよりは、監視していた甲斐もあってかアンカさんが倒れる頻度は前よりも減った。良いことである。そんなアンカさんだが……最近トレーナーがついたらしい。そして彼女は、すでに3連勝している。
「負けられないわね……」
アンカさんの世話は焼いているが、勝負となれば話は別。私は負けるつもりはない。
「気合が入ってるねアヤベ。その調子でメイクデビューも頑張ろうか」
「分かっているわ」
そう声を掛けるのは私のトレーナー……〈チーム・シリウス〉のトレーナーだ。私のメイクデビューは……もうすぐである。
「そういえばですアンちゃん」
「んー?どうしたのヴィッパー?」
ある日の寮。同室のアンカデキメルゼとスミニンヴィッパーが話している。
「アドマイヤベガさん……だったです?よくアンちゃんの世話を焼いてる方です」
「そうだよ。アヤベさんがどうかしたの?」
「アヤベさんの事どう思ってるです?」
「神的に良い人!良くアドバイスしてくれるしー、僕の事心配してくれるし!本当に良い人だよアヤベさん!」
「そうですか」
「いやー、本当アヤベさんは優しいよね~。最初はちょっと怖かったけど」
「初見の怖さでいえばアンちゃんも負けてないです。その緊張で不機嫌そうな表情になるのいい加減直した方が良いです」
「いいかい?ヴィッパー。そんな簡単に直ったら苦労しないんだよ?」
「威張るなですボッチ」
「だだだ、誰がボッチじゃい!」
(にしてもアドマイヤベガさん……絶対にアンちゃんの事勘違いしているです。何となくわかるです。愉悦の香りがするです!)
そんな会話があったそうな。
ふわふわはいずれ癌にも効くようになる(至言)。