レースが終わった後、私はすぐにトレーナー達に脚の痛みを訴えた。今はもう痛くないけれど、それでも無視するわけにはいかないから。すぐに病院へと向かうことになる。
診察も終わり、私に告げられたのは……
「骨膜炎ですね。ただ、症状としては軽いものですのでしばらく休めばまた復帰できます」
「げ、原因は何でしょうか?」
「おそらくですが、日本の芝と同じ感覚で走りましたね?アドマイヤベガさん」
「……あんまり意識してないけど、多分そうです」
「なら、原因はそれでしょう。あまり変わってないように思えても、向こうの芝に比べて力を使いますから。無意識ながらも力を余分に使い過ぎたせいで、身体にもダメージが来た……と言ったところでしょう」
医者の人は、冷静にそう分析した。つまりは……思ったよりも身体を酷使しすぎたってところね。
医者の人から今後のことを教えてもらって、走りにはほとんど影響がないというお墨付きも貰った。とは言っても、しばらくは練習を休まないといけないわね。こんな状態で走ったら、余計に悪化してしまうから。そうなるとアンカさんとレースで走ることができなくなるし、それにトップロードさんやオペラオーとも走れなくなる。何より……やっと、あの子のために頑張れそうになったんですもの。だから、今は治すことに専念しましょうか。幸いにも、そこまで期間は掛からないみたいだし。
「よ、良かったぁ……そんなに重い症状じゃなくて……。で、でも。しばらくは練習休みだからね?アドマイヤベガ」
「分かっているわ。さすがに、ここで無理してさらに悪化させるわけにはいかないもの。しばらくは上半身のトレーニングね」
アンカさんのトレーナーからも忠告されたところでみんなと合流する。みんなが私を心配するように駆けよってきてくれた。特に、カレンさんとアンカさんは過剰なほどに心配していたわね。ちょっと面白かった。問題ないということを伝えると、カレンさんは安心したように。アンカさんは気丈に振舞っていたわ。
「ふ、ふん!僕は特に心配していなかったがね。アヤベさんはこんなところで終わるウマ娘ではない……そう信じていたからだ!」
「よく言うです。待ってる間そわそわして落ち着かなかったくせに」
「い、言わないでよヴィッパー!」
そんなやり取りが妙に微笑ましくて、思わず吹き出してしまった。
それから宿泊先のホテルに帰って。寝床に着く。そして……夢を見た。あの子と……妹と対峙している夢を。
「おめでとう!お姉ちゃん!」
「……あなたは?私の……妹?」
まるで、そこに鏡があるみたいに私と瓜二つの少女。なんとなく直感した。この子は……あの時、パリ大賞の時に近くに感じた、私の中にいる妹なのだと。目の前の少女は、私の言葉に肯定するように頷く。
「……ねぇ、楽しかった?お姉ちゃん」
「……何がかしら?」
「決まってるでしょ。走るのが」
妹は微笑みながらそう問いかける。私は……自信をもって答えた。
「えぇ。楽しかったわ……あなたにも、味わってほしいぐらいに楽しかった」
「……そっか。でも……うぅん!お姉ちゃんが幸せそうで、私は嬉しいよ!」
屈託のない笑顔で妹は答える。ただ、そんな妹の笑顔に……少しの寂しさを感じた。
「……私がこうしてお姉ちゃんに会いに来たのは、ちょっとしたお知らせがあるからなんだ」
「私に?どうしたのかしら?」
妹は、意を決したように言葉を紡ぐ。
「本来なら、お姉ちゃんの運命は菊花賞で終わるはずだった。お姉ちゃんは菊花賞で……レース生活を終えるはずだったの。この時期からどんどん脚が悪くなっていってね」
「……そう」
それは、ちょっと困るわね。私はもっともっと走りたい。だから、走れなくなるというのは困るわ。まだあなたのためにも、もっと走りたい。私が走れば……あなたも、走っているような感覚になってくれる。そんな気がするから。
「けど、お姉ちゃんは運命の輪から外れた。もう、どうなるのか予測がつかない状況になった。今回の負傷は、その余波かな?だからこの先……お姉ちゃんにどんなことが起きるのかは私にも分からない」
「……」
「で、でも!お姉ちゃんなら大丈夫!きっと乗り越えていけるよ!だから……応援してるね!」
気づいたら、どんどん妹の声が離れていくような感覚になった。待ってほしい……もう少し、もう少しだけ会話をさせて欲しい!でも、もう時間がない。だから、1つだけ!
「最後に、教えて!パリ大賞を走っている時……あなたも、楽しかった!?」
妹は……屈託のない笑顔で答えた。
「うん!最高に楽しかったよ……お姉ちゃん!」
妹がそう答えたところで、私の目が覚めた。
「あ、アヤベさん!おはようございます!」
「……えぇ。おはよう、カレンさん」
……随分と、不思議な夢だったわね。亡くなったはずの妹と会話をした、そんな夢だった。でも……不思議と、夢のような気がしなかった。
(……もしかしたら、今もこうして私の中で見守っている……そんな気がするわ)
なら、もうちょっと私の中で見守っていてね……私の、可愛い妹。
「どうしたんですか?アヤベさん。なんだか、ちょっと嬉しそうですけど」
「……何でもないわ。それよりも、早くご飯を食べに行きましょうか。カレンさん」
「はーい!それじゃあ、すぐに支度をしますね!」
私は布団から起き上がって準備を済ませる。……脚の痛みは、すでに引いているような気がした。
……いや~!本っ当に良かった!アヤベさんがなんともなくて、本当に良かったよ!アヤベさんがパリ大賞を走り終わった後に痛みを訴えた時には生きた心地がしなかったね。まさか……!?って思ったし。多分みんなそう思ってた。でも、結果としてはそこまで大事じゃなかったみたいで。しばらく安静にしていたら治るような怪我だったらしい。それを聞いた僕達は一気に肩の荷が下りたような気分だった。
そんなアヤベさんは万全な状態に戻すために大事を取って軽めの調整メニューをやっている……らしい。らしい、というのはアヤベさんのトレーニングを担当しているトレーナーさん達による情報だから。僕は知る術がない。というのも……
「ぬおおおぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁああああ!!」
「『オラオラ!死ぬ気で走れ我が弟子!キングジョージまでもう時間がねぇぞ!』」
キングジョージが近いということで、師匠に死ぬ気でしごかれているからですね!マジでキッツイ!神の啓示という名の安価に加えて、師匠のトレーニングメニューとトレーナーさんのトレーニングメニューをやっているわけですから!毎日がスケジュールカツカツですよ!
「……なんであの子はあんなにやっても無事なのかしらね?」
「多分カレン達とは別の生物なんじゃないですか?」
「いやぁ、本当に不思議でならないねぇ。どう思う?トレーナー君?」
「……ノーコメントで」
オイコラぁ!?いくらカレンさんが可愛くても言っていいことと悪いことがありますよ!?
ちなみにですが、等速ストライドの完成状況は師匠曰く9割まで来たといったところです。師匠とのトレーニングの甲斐あってか、もうほぼ完成というところまで来ました。エクリプスステークスでは走法縛りだったのでお披露目する機会はありませんでしたが……キングジョージではお披露目できるかもしれませんね!
そんな僕が練習に励んでいると「キャー!」なんか騒がしいですね?誰か来たんですか?
「『すまないねみんな。少し、通してくれるかい?』」
「『申し訳ありません。姉上はアンカデキメルゼさんに用件があります。道を空けていただけますか?』」
声のした方へと視線を向けると……いつぞやの葦毛の王子様、もといデイラミさんとダラカニさんがいました。デイラミさん達は真っ直ぐに僕の方へと歩いてきます。あ、やっぱり僕に用事があるんですねそうですね。まぁダラカニさんがそう言ってたから分かり切ってたことですけど。
「『久しぶりだねアンカ!君のエクリプスステークス……見させてもらったよ』」
「『……どうだった?』」
「『素晴らしいレースだったよ!あぁ……!私も出走登録をしておくべきだった……そうすれば、君の輝きをもっと間近で見れたというのに!』」
デイラミさんは拍手をしながら僕を褒め称えました……ちょっとオーバーリアクションでは?
「『それで、何の用だ?生憎と、僕は練習中な訳だが』」
「『まぁそういうな我が弟子!ちょっとした休憩みたいなもんと思え!』」
師匠がそう言うならいいですけど……一体全体なんの用事でしょうか?なんか遠くではヴィッパーがデイラミさんを睨みつけてるし。
「『なぁに、宣戦布告……というやつさ』」
デイラミさんは不敵な笑みを浮かべながらそう言い放った。……というか、ギャラリーが増えてきたな。めっちゃキャーキャー言ってる。止めてくれよぉ、なんか委縮するだろぉ!
「『アンカ。私はね、全ての生命は己の美学を持っていると思っているんだ』」
「『美学……だと?』」
「『そうとも!己の支柱となるもの……自分を支える土台……自らの矜持。誰しもが持っている己の中の美学が様々な形で光り輝く……私は、その光が好きでね』」
「『……何が言いたい?』」
デイラミさんは僕の前に跪いて僕の手を取っ!?ちょちょちょ!?何してんですか!?
「『私が見てきた輝きの中でも、君が魅せる輝きは極上のものだ!私の心を掴んで離さない!あぁ……初めて君と会ったあの時から、君の姿が焼き付いて離れないんだ!』」
ちょっとちょっと!?なんなんですか一体!?
「『どうか教えて欲しいアンカ!君は……何のために走るんだい?』」
その言葉を聞いて冷静になった。……何のために走るか、か。そんなの、決まってる。
「『夢を見せるためだ。僕の姿に夢を見て、夢を持たない者達が夢を持てるよう奮起させるために。彼ら彼女らに夢を見せるために……僕は走るのさ。例えどんな無理難題であろうとね』」
夢を持たないってのは悲しいことですからね。それを僕は良く分かってますから。
「『……ほう?』」
「『成程ねぇシルバーラビット。それがお前さんの原動力か』」
師匠も興味深そうに事の成り行きを見ているけど……見てるぐらいだったら助けてくれませんかね!?こっちはもうキャパオーバー寸前なんですよ!
デイラミさんは……なんか身体が震えてますね?どうしたんですか?風邪でも引きま「『素晴らしいッ!』」うわぁ!?ビックリしたぁ!?
「『やはり、私の目に狂いはなかった……!君が魅せる輝きは……とても素晴らしいものだ!』」
なんかやたら感動してますけど離してくれませんかね!?さっきから視線が凄いんですよ!
「『他の者達に夢を見せる……成程!素晴らしい美学だ!それが君の強さに繋がっているんだろうね!そしておそらく……あの踊りや走りに関しても、君の美学が関係しているんじゃないかな?』」
「『……ノーコメントだ』」
結構鋭いですね。でも、時間も迫ってきてますし本題に入ってもらいましょうか。
「『……それで、本題はなんだ?そろそろ練習に戻りたいんだが?』」
「『おっと、そうだったね。忘れていたよ』」
デイラミさんは僕の手の甲にキスをして……は?
「「「キャー!」」」
「『今度のキングジョージ……私の美学を以て君の美学に応えよう。君と走るその時を……楽しみに待っているよ。アンカ』」
デイラミさんはウインクをして帰っていった。ダラカニさんはそんなデイラミさんを窘めていたけど……ぶっちゃけ、それどころじゃない。
……は~、あんな王子様にしか許されなさそうなことをする方っているんですねぇ。しかも、現実でやっているのにアニメとか漫画とかと遜色ないぐらい様になってましたし。あれぞまさにイケメンにこそ許された所業でしょう……デイラミさんウマ娘ですけど。
「『師匠。イギリスではあれくらい普通なんですかね?』」
「『シルバーラビット。さすがにあれは普通じゃねーと思うぞ。お前余程気に入られてんな』」
師匠から呆れたような声を貰ってしまった。遠くでこっちの様子を見ていたトレーナーさん達も今の僕の言葉が聞こえたのか呆れたような表情をしている。……そんなおかしなこと言ったかな?僕。
とにもかくにも、もうすぐキングジョージだ。デイラミさんが一番の難敵であることに違いはない。欧州最強のウマ娘……相手にとって、不足はないね!……後、めっちゃくちゃ注目されてるね僕!超見られてるね!チックショー!余計な置き土産を残しやがって!クッソ!練習だ練習!練習しときゃ気にならねぇでしょ!
なおこの後、この光景の一部始終を撮っていたものがウマッターやウマスタで出回り、アンカデキメルゼとデイラミの関係を疑う者が現れトレセン学園はその対応に追われることになり、アンカデキメルゼのトレーナーと理事長と理事長秘書の胃がさらに痛くなったがそれはまた別のお話。
さらっと理事長達の胃がさらに痛くなる事件が発生した模様。