心は精神以上のものである。というのは、心は精神が花の香りのように消え失せても、なお根として残るからである。
——リュッケルト 「バラモンの英知」
救いのないプロローグ
結局のところ、人生において一番大切なのは、「残機」ということらしかった。
……早い話。今春大学院に上がる兄が家に置いていったお古の星1サーヴァント一基きりしか手元になかった僕は、あってないようなとても簡単な命のやり取りの後「人肉ミンチキューブ・1ダース」という今期流行りの魔術触媒になることが決定したのだった。にしても、それは誰の目にも(もちろん僕自身にも)明らかな、白けに白けきった事態だったので、僕のサーヴァントの残滓を囲んでわんわん泣いてみせたクラスメイトたちの動画もそんなに再生数は回らなかったそうだ。それでも5桁はいったらしいが。
「なに召喚するの?」
「卒業記念召喚!!!懐かしい☺️ うちのクラスは(念のため真名は伏せます)ライダーと世界一周しました❤️❤️❤️」
「せっかくならみんなで仲良く卒業したいですよね…。クラスメイトにそんな屑マスターが混ざっていただなんて、本当に同情します。あまり気を落とさないでくださいね!」
「どこ切るの?」
「これうちのクラスもやったんだけど後始末が大変だからキャスター何人か用意しておいたほうがいいよ」
「上半身の肉なら三騎士、下半身だと四騎士が出やすいらしい。まあがんばれ」
「今大学でこれテーマに修論書いてるので、よければ結果教えてほしい。クラスだけでいいので」
「ゴミは、せいぜい、有効活用、しないと、ですね!」
……このようなコメント欄の様子から察するに、見に来たマニアな人々は、自分自身を除けば、触媒たる僕とそれを使う儀式のほうに興味があったのだろう。でも、この……いわゆる「高校最後の思い出作り動画」に、もちろん僕は出演していないし、というか撮影係だったので、物理的にも映れない。
しかし、まあ、だとしても。
僕には、まるきりどうでもいい。関係ない。
だってこれから細切れになろうという人間には、一生の思い出作りよりも大切なことが山ほどある。たとえば、
『信じていた恋人に、サーヴァントと利き腕を奪われた私』
『弱くても、生きていく。失った左足に誓って』
『サーヴァントに頼らない生き方』
等等といった題の生々しい体験談で強かに儲けようとする星の数より多い、アラサーないしアラフォーの諸先輩の解説動画(いずれも再生数4桁そこそこ)を吐き気と共に流し見ることが、その一つ。そして、そういった動画を見てから、静かにスマホを置き、電気を消した部屋でベッドに寝そべり、脳内でシミュレーションをする。——どんな声と態度で乞えば、右手と性器は勘弁してもらえるか。切断される時、どんなことを考えていれば、痛みは軽減されるか。どこにどう力を入れていれば、みっともなく垂れ流れる血と体液の量を抑えられるのか……いや、それはどうせ無理だから、どういう心持ちでいれば諸々の心理的ダメージが減らせるのか、ということについて、最終的にはしきりに考えていた。切腹前の侍とか、斬首前の死刑囚なんかも、きっと似たようなことを夜通し考えていたに違いない。まあ僕か、侍のサーヴァントか、千人殺しの反英雄くらいだろう、今時こんなことを考える必要があるのは。笑い話にもならない。
キャスターたちの麻酔代わりの霊薬やら、痛み消しの魔術を使ってもらえるなんて、そんな幻想は抱くまでもない。
だっていくら女神やら聖女やらがその場にいたとしても。召喚の際デフォで切除される彼らの倫理に、この思春期も終わりかけの男の醜い悲鳴で、今更火がつけられるはずもない。もしそんな奇跡があれば——もちろん奇跡なんてあればあるだけ嬉しいに違いないのだけど、心底期待してそれがなかったとき、その落差で吐きそうになりながら味わう絶望感のことを思うと、到底そんなものに縋る気にはなれなかった。
そして、極め付けには、
「痛みを伴えば伴うほどに強い触媒となる」
という噂も聞いた。聞いてしまった。それが本当なのだとしたら……いや本当でないのだとしても、そんな噂がある以上、やっぱり麻酔の類を使ってもらえることはないのだろう。それに(これもどうでもいいことだが……)、もし噂が真実なら、僕を触媒とした儀式では、かなり一級のサーヴァントが出てくることと思う。何せ僕という人間は、人一倍怖がりで、自分でも嫌になるくらいの、生まれついての痛がりだから。……まあ、いたぶる側には、それくらいがちょうどいいに違いない。うんともすんとも言わない人形を壊すより、必死に、無様に、見る者が思わず目を背けたくなるほど熱烈に——価値のない命をひたに乞う肉袋を容赦なくぐちゃぐちゃにする方が、人間としては愉しい行為だろうから。
僕という人間は、
十八まで生きてきて、初めて抱いた啓示は、あまりにも冷え、震え、乾き切っていた。まるで東の風のようだった。