魔術工房、薬、または召喚
処刑機械は、不思議と美しいものだった。
校舎の北、いわゆる「公然の秘密」となっている、旧教会堂の共同魔術工房……元を辿れば旧校舎の時代、学年集会などに使用されていた施設だそうで、といってこの学校はカトリックでもプロテスタントでもない、ごく普通の日本の高等学校だったし、建物の中にも外にも、何がしかの教義を忠実にかたどった装飾は見当たらない。つまりこの旧教会堂というのは、ただ闇雲に絢爛なだけで、明確な主張なんて文字通り欠片も存在しない……言うなれば、「ここの学園の生徒だけが使える召喚室」みたいなものだった。今やカラオケ屋でさえ、手頃な価格で召喚ルームを貸し出しているものだが、それなりの規模の儀式に向いた場所を借りるには、コネやお金、幸運なんかが必要になる。だからいつも、ここが使われる。
魔術で見えない手枷をされ、後ろから急かすように回廊を歩かされながら、垂れた前髪の間から、周囲を窺う。
廊下には特に何があるでもないが、儀式のメイン会場たる「講堂」に入ると、この場にふさわしい煌びやかで無定見のステンドグラスに、白木の長椅子、年代物の燭台などが置かれている。
しかし。
処刑する側にせよ、される側にせよ——講堂へ足を踏み入れた者の目を釘付けにするのは、他でもない。
万能の神が如く鎮座する、大剛かつ精巧な処刑機械。
その名も、「ゲオルク」である。
「……っ」
迫力に押され、息を呑む。
卒業生の誰が持ち込んだかは不明だが、これを手に入れること自体はそう難しくないというのは、今日日、小学生でも知っている。僕もドラマやCMで何度も目にしてはいたが、間近で本物を見るのはこれが初めてで、パイプオルガンにも似た神聖な風体に、たちまちくらりと眩暈がした。あるいはひ弱な脳が、脳内麻薬によって痛みを和らげようとするフェーズに入っただけかもしれない。
「そこに寝ろ」
顔が良ければなんだって喜べる素直で可愛らしい女達。能面のような美男子を引き連れて、クラスメイトたちが、厳しい言葉で言い募ってくる。彼らの従える数基の英霊……騎士やら武士やらに両腕を掴まれ、冷えた金属の台へ、うつ伏せに乗せられる。「俎の上の鯉」。そんな慣用句が頭をよぎり、消えた。
「己がサーヴァントに選んでもらうこともできない、傲慢極まりない無能なマスターよ。ここに制裁と教訓を与えよう」
媚びだ。サーヴァントに媚びを売っている。
——恐怖に漂白されたはずの脳の中で、まだ、そんな……尊大かつ矮小な思考が動いているという下らない事実に、醒めた頭で呆れた。冷や汗が止まらない
彼らは強きにへつらい、弱きを食い物にする、とどのつまりただ自分の下僕に見せつけたいだけなのだ、「自分こそが正しい主人である」と。「私こそ誰よりもお前を思っているマスターなのだぞ」と。
ああ、ああ。わかってる。
そのための贄が、つまり僕だ。
サーヴァントを大切にできない全ての駄目マスターの代表として、僕は今、公衆の面前にて裁かれようとしていた。
「サーヴァントに、謝罪の言葉を述べよ。さすれば、相応の慈悲を与えよう」
慈悲。
その言葉を反芻しながら、僕はつかの間、サーヴァントのことを思い返す。
決闘の場所は、学校のグラウンド。
「オレを信じろ」と、あの量産型低レアサーヴァントは消える前、ヴィオラのように低く響く、それはそれは良い声で、僕に言った。
その3秒後には蒸発していたのだが。
……どこをどう信じろっつーんだよ。
「……だ」
「何?」
「謝ってほしいのは、僕の方だ」
謝ったところで、どうせ許してなどもらえない。
そう思ったら、つい本音が出た。
それが悪手だったことに気づくのは、いつだって、事をやらかした後である。
「はあ!? おまえ状況わかってんのかよ。謝れって言ってんだよ! 謝れよ!」
「最低だ……」
「うわー本性出た」
「こんなこと言いたくないけど、キミ、魔術師として本当に終わってるね。自分のサーヴァントに『負けてゴメン』の一言も言えないなんて」
もはや聞き慣れた、クラスメイトの非難の声。
後に続く制裁の予感に強張る全身の肉をよそに、あはは、と表情筋だけが、虚ろな笑みを浮かべてみせた。
いやいや。名前も覚えてねーよ、あいつ。というか兄貴に仕えてた時、二人して僕を笑ってたの、知ってるんだからな。それに、ろくに働きも上げてないくせに気配遮断スキル使って、金抜き取って遊び歩いて、おまけに毎晩帰ってくるなり僕を叩き起こしてまで兄の悪口をベラベラ聞かせてきて。いつも口先だけ。陰口だらけ。お前みたいなクズサーヴァントには、選ばれなくて全然結構だ。従える価値すらない。
もう、どうにでも、なればいい。
「……わかった。それが、貴殿の答えなのだな」
仰々しい言葉遣いで、すました顔の首席マスター様が、僕の醜悪な笑みを見下ろして、そう言われる。
重々しい上等なローブと、胸元で一等星のようにきらきら光るのは、たぶん、卒業記念に貰った純金のバッジとかだろう。見上げながら思う。彼は……彼はいつもこんな古めかしい口調なのだろうか?そんなわけがないこの儀式が終わったら、彼は同級生と楽しく酒を飲み交わし、両親と温かな団欒を囲み、恋人と愛を語らい、そしてサーヴァントと信頼を確かめ合う。それぞれを、それぞれのシーンにふさわしい、全く違った顔を器用に作り上げながら。それは、別に何も、悪いことじゃない。間違ったことじゃない。悪いに決まっている
ちっとも悲しくなんかないくせにさも悲しそうな面をしている
「今一度だけ、チャンスを与える。貴殿を守るために命を捧げたサーヴァントに……一言でいい。かける言葉は、あるかな」
そう言い放つ首席マスターの手は、すでに壁に浮かんだゲオルクの起動魔法陣に触れかかっており、それなのに彼の顔はまだ悲しげだった。悲壮過ぎるくらいだった。「僕だって本当はこんなことはしたくない」——ひしひしと、そう、ひしひしと眼差しでそう語っているのが、誰の目にも明らかだった。明らかすぎた。見え透いていた。ああ、顔がそう語っているからといって、心の方もそうだと信じられたらどんなに良かったか——本当は早くこんなグロい儀式終わらせて、祝いの宴に移りたいのだ。この場にいる誰もが。
「……ごめんなさい」
だから、僕は言った。確かに言った。
「大切にできなくて、ごめんなさい……」
だって、……だって、痛みは。
痛みは、やっぱり、嫌だった。
取り囲むクラスメイトの「だらだら引き伸ばすな」という目線にさえ痛みを感じてしまう、この薄弱な精神には。機械のスイッチにかけられた手を目にしただけで、震えの止まらなくなる脆弱な神経には。耐えられなかった。一言言えば減らしてもらえるというのなら、何度でも言う。だからもう与えないでくれ。不要な苦しみなんて。無駄な痛みなんて。
「……そう、か。貴殿の懺悔、確かに聞き届けた」
その言葉を聞いて、僕は。
一筋の陽光を浴びた冬の蛇のように頭をもたげ、縋るような目を向ける。
いや。
縋る「ような」、どころではない。
確実に縋りつく、縋りついてやる、縋りつけなかったならこの場で舌噛み切ってその網膜に僕の遺骸を焼き付けてやる——そんな、捻れに捻れた意志を持って。真っ当極まる彼の瞳を、じとりと。地獄の泥土から微笑う星を呪うように、見た。
首席の彼は、わずかにたじろいだ。
たじろいで、それから——思わず感嘆しそうな芸術的自然さと滑らかさで以って処刑台から視線を外し、死にかけの蛇の代わりに、退屈に膿んだ衆目の方を見る。一連のその優雅な仕草を見て、僕は、唖然とするあまり頬を引き攣らせて笑ってしまう。嘘だろ。やめろよ。だって謝った。謝ったのに。「ここまで付き合ってくれた皆に悪い」だなんてそんな理由にもならない理由で
「いやだ……おい、約束が違う! こんなのどこが、」
自棄っぱちに叫んでみても、とうに意味はなく。名も知らぬクラスメイトが、僕の頭を即座に押さえつけて、中途半端な糾弾の声を物理的に殺す。
「黙れよ。心から謝ってないの、バレてないとでも思ったのか」
心。
その、短い単語が。
やけに、頭の中で、反響する。
学習性無力感で萎れるように力が抜ける、使い古しの風船の体。そこから
心。
ああ、うん。
心ね。
……はは。
すると今度は別のクラスメイトの、ひどく落ち着き払った声が、驚くほどのタイミングの良さで、無防備な耳に捩じ込まれる。
「欺瞞と傲慢こそは魔術師の禁忌、だよ。術式をなぞることだけが魔術じゃない。奇跡さえ起こしうる強大な力だからこそ、使い手の心の在り方が、全てを決めるんだ」
これから体の一部をミンチにされようとしている人間にそんなことを言って聞くと本気で思ってるのかこいつらは
心。
どこまでも自己中の僕は、これから襲い来るであろう痛みのことで、すでに頭がいっぱいだった。考え始めたら最後、汗が噴き出し、坂を駆け上がった後のように息が苦しい。こんなメンタルで刃を振り下ろされれば、本当に死んでしまうかもしれない。そんな不安と恐怖が、汗と動悸に拍車をかける。
加速度的な悪循環と拍動の末、ついに意識がぐるりと眼球の裏へ回りかけた、その時だった。
「判決が出た。
——その先の言葉は、もう覚えていない。
朧げながらも記憶に残っているのは、彼が言葉を終えるか終えないかのうちに、処刑機械が罰を下したという事だけだ——この処刑人が振るうのは、斧でも、縄でもない。用いるのは「棒」だ。「杭」と呼べるほど鋭利でもなく、「剣」と呼べるほど華美でもない、ただ長く細いだけの、金属の棒。それはある日突然起こる、そしてどこにでも起こりうる、他愛のない『事故』のような——そこには、誰の殺意も、情念も、介入しない。誰もが哀れな被害者である、人も、物も、神でさえも。
だからこそ。
誰の非もない冷たい虚無から生まれた、右半身のとめどない激痛は、何より明らかな天罰のように、僕には思える。