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……温、かい?
あるはずのない部位に、あるはずのない熱さを感じ、こわごわと目を開ける。
右手が——ある。
ああいよいよ幻覚か、完全に頭が終わったか……
自重の笑みが出かけたが、すぐに気づいて、ぎくりとする。いや、これ——実体?
「……は…………?」
指を動かすことを考えると、眼前の指は、まさに思い通りに動く。間違いない。これは紛れもなく、僕の手だ。このイカれた脳と繋がった、血の通った、普通の手。普通でない点を挙げるとするならば、それは、刺青にも似た
「ああ、こんなところにいたのか、ワトソン。ずっと、待っていたんだよ」
確かに存在する己の手の刻印上に、別の手が添えられる。セイバーの、黒い
ただ——笑んでいた。
「さあ、捜査を始めよう」
——結論から言うと。
僕の欠損回復の神秘も、セイバーの密やかな錯乱も、大した問題にはならなかった。というのは、セイバーが突如僕に微笑みかけ、意味深な囁きを落としたその時、講堂に一組の客人が訪れたからだった。客と言っても、それはもちろん「招かれざる客」——自分で言うのも何だが、こればかりは僕以上に傍迷惑で凶悪な——、つまり客人は、
「みイつけた……!」
従って。
講堂の出入口を塞ぐように立つ、人外と成り果てたマスターの正体に、僕がその場で思い至ることができたのは、本当に偶然のことでしかない。
頭も、衣服の外に出た腕も足も。
何もかも魔術回路に埋め尽くされた、青白い巨躯——
今まで一度も「バーサーカーのマスター」を見たことがなかったわけではない。このあたりの危機管理はもう学校教育に組み込まれてあって、この国では誰もが一回くらいは、その哀れな容態を、教科書なりタブレットなりで目にしたことがあるはずだった。しかしそれでも、目の前の光景は、あまりにも圧倒的過ぎた。
圧倒的な「異様」。
誰が最初に言ったのか、「暴走した電池」という表現がまさに言い得て妙である。今にも焼き切れそうなフィラメントのように、骨格から変容した巨体。魔術回路の肥大に伴ってぶくぶくと浮腫み、膨張した筋肉に目も鼻も口も埋もれて、髪なんてもう海藻みたいにドロドロで、頭はほぼボールと変わらない。それでも僕には、そいつが誰だか、本当にたまたま察しがついた。
きっかけは、ふと目についた人外の上着——
千切れ果ててもはやボロ切れ同然ではあったが、そこに引っかかるようにしてつけられたキャラクターのマスコットに、見覚えがあった。おそらくあのマスターは、何度か一緒に補習を受けたことがある、隣のクラスの男子だ。名前はもう忘れてしまったが、彼はよく冗談めかして言っていた。「このまま卒業しなきゃならないようなら、いよいよ禁忌に縋るしかないな」と。彼はいつだってその理由を尋ねられたがっていて、だから僕は何度も同じことを質問して、その度に同じ話を聞かされた。曰く………………相思相愛だった大好きな彼女を成績トップクラスの男に取られたとかなんとか、そして話を聞く限り、それは僕のクラスの誰からしいということらしく。彼の話が真実かどうかは知らない。知るわけないでも、優秀な人間がわざわざそんなことをするとは思えなかったし、そもそも僕らみたいなのは、彼らに存在を認識されているかどうかすらも怪しいところだそれにその「彼女」ってのも別にそんなに可愛くなかったし取りたくなるほどではないだろと何度思ったことか
「ばっ、バーサーカー……バーサーカーだ!」
そう叫んだ誰かの声を皮切りに、静寂に満ちていた講堂は、まばらな声に始まり、やがてつん裂く悲鳴に包まれる。魔法陣を中心に集まっていた皆は、非常口である反対側の出口に殺到し、己のサーヴァントを連れて波のように逃げていく。僕もそれに続こうとして、気がついた。足に力が入らない。右手が復活した時に、右足の方も元通りにはなっていた。だが、人体というのは車と同じだ。ガソリンたる血液がなければ、いかにパーツが揃っていようが、ただの重たいガラクタにすぎない。
「くそっ、そんな、嘘だろ……!?」
ああ、せっかく奇跡が起きたと思ったのに。
苦々しい気持ちが胸いっぱいに広がり、ぐちゃぐちゃの感情が押し寄せて、頭の中がまた真っ白になる。恥、後悔、怒り、情けなさ、自責、自責、自責——ああ、こんな。人生に一度あるかないかのチャンスが、ようやく巡ってきたっていうのに。僕という人間は、それをまともに拾うことすらできないのか。しかもよりにもよって、クソどうでもいいやつのクソどうでもいい恋愛事情に巻き込まれて死ぬだなんて信じられない。当の恋敵はとっくの昔に逃げて行ったってのに。とばっちりにも程がある。こんなことなら、初めから、奇跡なんて起こらなければよかった……
「立てないのかね?」
飄々とした声に問われ、我に返る。
見れば、先ほどのセイバーがまだそこにいて、きょとんと不思議そうな目線をこちらへ向けていた。「何をそんな深刻そうな顔をして」とでもいうような、涼しげな顔で。僕は慌てて、事情を説明する。説明といっても、赤ん坊みたいにか弱い手振りと、たどたどしい単語がわずかに出ただけだったが。
「血が、血……血、が」
「ああなるほど。過剰出血による貧血か。それでは仕方ない」
慣れた動作で、すらりと剣を抜く。
その不可思議に凛とした佇まいを見ながら、かろうじて残った思考の力で、僕は考えていた。
彼はさっき、僕のことを「ワトソン」と呼んだ。
そして、「捜査を始めよう」とも。
もしそれが聞き間違いでないとしたなら、彼の真名は他でもない。この世に数いる探偵の中で「世界一」といって過言ではない、最高の智能。19世紀後半、当時の英国においては黄金時代とも謳われたヴィクトリア朝に生まれ出でた、唯一の民間諮問探偵。アーサー・コナン・ドイルの執筆した超有名推理小説の主人公。つまり——
講堂に現れた
彼らはもうすぐそこまで近づいてきていた。