魔術工房、薬、あるいは召喚
生体魔力電池と化した馬鹿みたいなデカさのマスターと、その巨体をはるかに凌ぐ体躯のサーヴァントが、樹齢数百年の大木の如く聳え、昏い影を落とす。真名などわかるはずもない。ただわかるのは、ちくちくと肌を刺す、張り詰めた気配だけ——これは奇しくも、首席と戦ったあの時、グラウンドで味わったものと同じだった。たぶんこいつも神性を持っている。
どこの物騒な国のいかれた信仰だか知らないが、目の前のこれは、きっと神代の……どこかの神話に属するような英霊なのだ。
「あれをどうするね、ワトソン君?」
役に立たない思考をひた回していると、セイバーが平然と問うた。どうするか、だって? そんなこと……僕に聞かれても困る。僕はいつだって間違える。誰もが解けるほど簡単な答えだって、僕にかかればたちまち迷宮に迷い込んで出てこない。しかも、神霊級を「あれ」呼ばわりって……強い。メンタルが強すぎる。どう考えたって、自分で決めたほうがいいのに。
「そんなに自信あるなら、いっそ勝ってみろよ」
「ふふ、いいね。承知した」
……は?
思わず口を手で覆う。口に出ていた? 自分が何を言っているのか、自分で理解できない。でも、たぶん、僕は言ったのだろう。「勝て」と。顔からさっと血の気が引く。色んな意味で。とはいえ、そもそも血の気なんてほとんどなくなっていたので今更でもあったが……とはいえ、まずい状況には違いなく。
「……」
自分で言っておいてなんだが、ホームズの使う武器くらい、浅学の僕もご存知である。
普通の拳銃と、あとは確かバリツとかいう武術……だったか? そんなたかだか人間に毛が生えた程度の火力で、神話の化け物を相手取ることなんて、論理的に可能なのか? いや、無理だ。絶対無理。もし仮に僕がマスターだったとしても……いやそうだったなら尚更ラッキーパンチには期待できない。ならせめて「ここから逃がしてくれ」とだけ言えばよかったのだ、ああ、何てこった。自分のバカ。
「ははは。そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
混乱しまくる僕をよそに、探偵は朗らかに笑う。
「老いさらばえていても、私とて、一介の英国紳士。殺し合いなど柄ではない。ここはかのモリアーティ教授にもお見舞いした東洋の柔術で、紳士的に終わらせるとしよう。いかなる時であれ、スポーツマンシップは大切だからね」
老い……?
湧いた疑問を口に出す暇もなく、バーサーカーがついに動いた。意思の疎通など不可能。それは純然たる力の塊。筋肉隆々の腕に、伸びた黒い鉤爪が、獲物を屠るべく予備動作もなしに襲い来る。僕の体に悲鳴をあげられる余力があったなら、一も二もなく絶叫していたことだろう。実際は酷い貧血と恐怖のあまり声すら出なかったのだが、ホームズを狙って振るわれた打撃によって柱が粉砕し、そこからすっ飛んできたデカめの瓦礫が顔のすぐ横を掠めた時にはさすがにヒュッと息が出た。
「おっと」
探偵は黒いコートを翻し、華奢な四肢で以って壁面を蹴り、天井の
バーサーカーは溢れる狂気で目が少し曇っているのか、消えた獲物を探すかのような間が若干ありはした。だがホームズが懐から取り出した
「なるほど。わかった」
講堂の中は咆哮と爆音に包まれ、お互いの距離もこれだけ遠く離れているのに、僕の耳にはなぜか、崩れゆく講堂を器用に飛び回りながら滔々と呟く名探偵の声がはっきり聞こえた。「わかった」だって? 何がわかったんだ。何でもいいから早く何とかしてくれだいたいホームズにしてみれば、ここに召喚されたのだって、まだほんの数分前の出来事だろうに……そんなことを思っていると、彼が突然、こちらに向かって銃を構える。え、まって、と困惑の語を口にする間もなく、銃口から弾丸が放たれる。
それは動けない僕——の右後方。
音もなく鎮座していた処刑機械ことゲオルクに、クリーンヒットを果たす。
キィィン———。
「う、うるさっ……!?」
想像以上に耳障りな音が、講堂中に響き渡る。これ、いったい何の……と思う矢先、僕は明快なる真実を目の当たりにする。
撃った弾丸は、
何者の情念も介さない、何者の事情も省みない
撃ち込まれた敵意を、狙撃手の元へ、一直線に。
「よし、こっちだ!」
探偵の明朗な声に呼ばれ、怪物の大首が回る。
ぐわ、と洞穴のように開く口。
その内側に禍々しく光る、牙の数々。
煩悩の涎に塗れたそれが、ひらり波打つロングコートの裾を捉えるか否かの間際——脆化した金具を貫いた弾丸の音、そして狂戦士の脳天へ向けて。ひとつの祈りも願いもない欲望だけの講堂の中で、最も大きく、堅く、ひいてはどれよりも豪華絢爛なシャンデリアが、無感情に。それでも十分身を怯ませる迫力で、一気に叩きつけられる。
「——」
突然のショックに混乱したのか、あるいは驚愕を口にするための言語力など、はなから持ち合わせていないのか。
バーサーカーはぐらりとよろめき、纏う狂乱の空気を、つかの間弱める。その一瞬の隙を見て、探偵は再度、空中を移動する。右手に剣を構え、そしてもう片方の手で誘うように銃を鳴らせば、海馬のない化け物は考えることなく音を追う。今まさに崩れつつある己の体勢がその結果どうなるのかにさえ、考えが回らぬまま。
ちょっとした山が崩れる音がした——
スローモーション映像のように、戦士の頭から足先まで、ゆっくりと傾いて、傾いて……さらに傾いて。この期に及んでも、怪物は言葉を発さない。憤怒のあまり物も言えないのか、それともただ、驚愕に目を見開くことしかできないのか。ここからは見えなかったが、いずれにせよ、その哀れな視線の遥か上。探偵はいた。何人の
狙うは霊核の
すう、と息を吸い込む音。
そして
「——バリツ!!!!」
「……?」
バリツ?
……え?
僕の中で急速に湧き上がる疑問をよそに、異論もなく。これ以上なく明確に、決着はつく。噴き上がる鮮血の中、折れた神木は霧散し、そのマスターは魔力の奔流から解放されてぶっ倒れる。そして僕はといえば、まだ心臓をばくばく言わせ、地面に臥したまま、漠然と考えていた。ついに自分の脳内辞書までおかしくなったか……? などと思いながら。だが、だが。何度考えても。目の前の光景を言い表す言葉は、いや。やっぱりバリツとかではない。
「おや、何か言いたげな顔をしてるね、ワトソン君。質問があるなら答えるが?」
「え……いや、あの……」
煙立つ、真っ赤な血の海の中。
場違いなほど優雅に居住まいを正す紳士に、僕は勝利の喜びと、それを大幅に上回る混乱で逸る心を深呼吸で収め、こう尋ねた。……まあ実際には、冷静になったつもりなだけで、深呼吸には全く意味もなかったらしく。震える口を開くや否や、よくわからないまま溢れてくる安堵(?)の涙と一緒に、今日イチの、それはもう、バカみたいな大声が出た。
「それは……普通に『刺殺』じゃない!?」
「はっはっは!
無名無才のこの僕の、決死の指摘などまったく気にも留めぬ、会心の笑顔で。
偉大なる名探偵は