「エクスペリ───」
「デパルソ」
振り上げた杖を下ろすよりも早く、強烈な力で全身が壁へと貼り付けられる。
ミシミシと軋む身体。亀裂の入る岩壁。抗うため身体に力を込めると更に強力なチャームとして降りかかってくる。
彼は食いしばりながら相手を見据えた。つまらなそうに髪を弄りながら、彼女の視線は自分などには向けられていない。呪文を放ち続ける杖先だけが、一切の隙を晒さずにセドリック・ディゴリーを捉えていた。
「『
セドリックの四肢が氷によって壁に縫い付けられる。最後まで震わせていた杖腕も氷に閉ざされ、完全に無力化されてしまった。
「お見事! ミス・グリフィンドールに1点!」
フリットウィックの裁定が下されたことで、セドリックを捉えていたチャームが全て消し去られた。勝者たる少女はくるりと背中を向けてその場を去っていく。
苦々しい敗北だった。四肢を地につけるセドリックは華奢な後ろ姿を視線で追う。けれど玉座の主はセドリックを群がる生徒の一人としか認識していない。それが堪らなく、セドリックは悔しかった。
───仕方ないよ。
生徒はこぞってセドリックの健闘を讃えている。ナルシストで傲岸不遜で、認めていない人間には冷たくあしらうクリスティーンを生徒の殆どは恐れていた。あの、スリザリン生たちでさえも。
愛想のいい微笑みを振りまいてみせるが、セドリックの胸中は穏やかではない。敗北を重ねれば重ねるほどハッフルパフの秀才として背負わされた期待は同情に変わっていく。何より、クリスティーンの瞳に自分は道端の小石としてしか映らない。
だからセドリックは挑み続ける。才能の差を思い知らされても、誰もが期待などしてくれず慰めの言葉をかけてきたとしても、胸の中で燻り続ける野心の火を絶やすことだけはしたくなかった。
「ふーん。いっそのこと告っちゃえば? ”君の隣に立っていたい”とか言って。クリスは性格最悪だけど案外ロマンチストだし」
「勘弁してくれトンクス。父さんが気絶するよ。その呼び方だって許されてないのに」
「エイモスさんも子離れしなきゃ。私からもそれとなく言ってみるよ、機会があればね」
───セドリック・ディゴリー、1年目の回顧録。
◆◇◆
かぼちゃパイ、大鍋ケーキ、百味ビーンズ、飴だのガムだの包装からして甘ったるい香りが漂ってくるようだった。
リーマスに送り出され、ロンと名乗る少年とともに車内販売で購入した食べ物を何とか消化する。少し浪費し過ぎたかなと思いつつ、ハリーは躊躇うことなく蛙チョコレートを掴み取った。
「まさか、本物のカエルじゃないよね? 蛇は好きだけど、両生類を進んで食べたいほどじゃないかな」
「そんなわけないさ。チョコに魔法がかかってるんだ。あっ、アグリッパがあったら見せてよ。アグリッパとプトレマイオスはまだ当たったことないんだ」
「アグリッパ? プトレマイオス? 何かの必殺技?」
「君は……そりゃ知らないか。有名な魔法使いや魔女のカードが付録なんだよ。僕は五百枚ぐらい集めたけどその二人だけまだ当たってなくて」
口いっぱいに食べ物を詰めたロンが言う通り、チョコの包装を剥がすとカードが入っていた。
アルバス・ダンブルドア───折れ曲がった鼻と豊かな髭を蓄えた老人だ。優し気な目元には半月型の眼鏡がかかっている。ハリーはその瞳を、どこかで見たことがあるような気がした。既視感だ。まるでリーマスと出会った時のような……。
「ダンブルドアだね。ホグワーツの校長だよ。僕もう3枚も持ってる……4枚だったかな? 裏に色々書いてあるから読んでみなよ。僕も蛙もらうね……うん、ありがとう」
ソワソワと落ち着かないロンに蛙チョコレートを渡しながら、ハリーはカードを裏返した。
(ホグワーツの校長……グリンデルバルド? ドラゴンの血液って……そういえば、クリスもドラゴンの守護霊を出してたっけ。錬金術……ニコラス・フラメル……趣味は室内楽とボウリング?)
とにかく凄くて変わった人なんだろう。それがダンブルドアへの第一印象だった。
ドラゴンだとか錬金術だとか、魔法の世界にも権威のようなものがあるらしい。権威と言えば、ホグワーツを作った魔法使いや魔女のカードもあるのだろうか。ハリーはふと疑問に思い、蛙チョコレートをもう一箱手に取って包みを開けた。
「えっ!?」
カードにいたのは魔女だった。ダンブルドアと対比して、偉大というには若すぎる魔女である。
しかしハリーが驚いた理由は年齢ではない。なにせ、カードの中で茶目っ気のあるウインクをするその姿を、ハリーはつい先ほどまで目にしていたからだ。
「チクショウ、グラニオン*1だ! フレッドとジョージが部屋に祭壇を作って祀っていてさ。いやってほど見飽きてる───いつもママに撤去されてるけど」
「ロン! 見てよこれ!」
「どうしたのさハリー。何が当たったんだい……わーお、君すごいや」
興奮のままハリーがカードを見せると、収集家であるロンさえも驚愕に目を見開いた。
ウィーズリー家のそれとは異なる赤毛の名残があるブロンド髪、人としての黄金比を体現する一切の瑕疵がない完璧な顔立ち、太陽のごとき眩い輝きを湛えた両の眼。
カードの裏に羅列された解説も、ダンブルドアと遜色がない偉業のはずだ。ハリーは期待を込めて文面を目で追った。
クリスティーン・グリフィンドール
現在ホグワーツ魔法魔術学校3年次生。後見人はホグワーツ現校長アルバス・ダンブルドア。最も有名な功績として『回帰薬』の発明があげられる。この功績により史上最年少のマーリン勲章勲一等受章者となる。
1991年現在、決闘クラブチャンピオン。密猟者の摘発件数100件超え、本人の補導経験も100回超え。どちらもホグワーツ在学生の歴史上最多となる記録である。
ホグワーツの創始者ゴドリック・グリフィンドールの後胤。趣味は密猟者の密猟とスカイダイビング。好きな食べ物は豆料理、嫌いな食べ物はイギリスの魚料理全般。
───訂正、ダンブルドアと遜色のない『変人』である。
「すごいぜハリー、これ新カードだよ。みんな噂してたんだ。
「別に良いけど……あれ、居なくなっちゃった!? ダンブルドアも!」
「そりゃそうさ。ずっとそこで
カードの中に戻ってきたクリスティーンが杖を振るうと、ロンの頭に蛙チョコレートの箱が落ちてくる。動く写真ですら一筋縄ではいかないらしい。頭を掻くロンをニヤニヤと見届けて、カードの中のクリスティーンは今度こそ去っていった。
キョロキョロと辺りを見回すロンを横目にハリーはふと考える。自分はどれだけクリスのことを知っているのだろう。カードに書かれていた功績も、魔法界へやってきたばかりのハリーにはてんで想像もつかなかった。
もしかしたら自分はとてつもなく貴重な経験をしてきたのかもしれない。魔法界のことを何一つ知らなくて自信を持てないハリーだったが、この自慢話だけは胸を張って語れるような気がした。
◆◇◆
ホグワーツ特急の出発が刻一刻と近付いていた。
キングス・クロス駅の喧騒は鳴りやまず、クリスティーンの眼前をトランクの積まれたカートが横切っていく。
猫、ふくろう、カエル……さながら動物園だ。ホグワーツにおいてペットとして認可されている猫だが、やんちゃな何人かの生徒たちはニーズルを持ち込もうとしていないだろうか。クリスティーンはレンガの柱に寄りかかりながらプラットホームを眺めていた。
「やあクリスティーン。久しぶり」
「……ん。ああ、ディゴリーか」
弄っていたコンパスを懐に戻し、クリスティーンは声を掛けてきた青年へと焦点を滑らせる。
見慣れ過ぎて何の感動も湧かない顔だった。不快さを一切感じさせない爽やかな笑みと、仄かに赤みのさす頬。今日も今日とて白い歯が眩い輝きを放ち、遠巻きでこちらを見ている女子たちを沸かせていた。
名門ディゴリー家の一人息子ことセドリック・ディゴリーだ。珍しいことに、息子を溺愛しているエイモス・ディゴリーの姿は見当たらない。魔法省は忙しいようだ。
「エイモス殿は仕事かな? 無理やり休暇を取ってでも君のお守りをすると思っていたが」
「うん、まあ……そうだね」
セドリックは曖昧に笑った。その笑みにさえ女子たちが密かにキャーキャーと更に沸き立った。
クリスティーンは柱から背中を離し、プラットホームの奥へと進んでいく。セドリックもその横に並んで歩き始めた。
「一人だなんて珍しいな。誰かと待ち合わせをしてたのか?」
セドリックの問いへクリスティーンが諦めたように頭を振った。
「約束したわけじゃないさ。私が勝手に待っていただけだからね」
「君が? 魔法省のお偉いさんとか?」
「まさか。普通の男の子だよ」
「えっと、誰の事か聞いても?」
「君も……いや、誰もが知っている有名人さ。まあ見ての通り、待ち人には縁がなかったわけだが」
悲しい、実に悲しいじゃないか……クリスティーンがおどけながら嘆息する。
セドリックは無言になった。その男子が誰なのかを推測しているらしい。
意外に思いつつもクリスティーンは足取りを早める。優等生の代名詞ともいえるセドリック・ディゴリーが、面識もない新入生如きに関心を寄せるとは思わなかった。一方で、雑輩の群がるこの男から離れることが出来る機会でもある。我が道を行くクリスティーンは無言呪文で進路を妨げる人々をどかし、最後尾の車両へと辿り着いた。
「……ディゴリー、いつまで付いてくるつもりなんだい? ファンクラブの会員様はあちらで君を待ち焦がれているみたいだが」
「ウィーズリーの双子か? ロジャーはコテンパンにされていたし……」
「おい」
普段よりも低く冷淡なクリスティーンの呼びかけに、セドリックがびくりと肩を震わせた。
「あ、ああごめん。少し考え事をしていて───」
「悩みがあるならお友達に相談したらどうかな。私は心理士に向いていないと先生方に言われていてね」
「相談って程じゃなくて……その、えっと」
「では良い旅路を」
ピシャリと客車内の通用口のドアが閉まる。最後まで何かを言いだそうとしていたセドリックに対し、些かも興味を示さずにいたクリスティーンはコンパートメントを物色し始めた。
最後尾なだけあって車内はガラガラだった。選り取り見取りにも関わらず、空いているコンパートメントに見向きもせずクリスティーンはズンズンと奥まで進んでいく。最後尾の車両の、最奥に位置するコンパートメントのドアが半開きになっているのを確認すると、退屈そうにしていたクリスティーンの表情は色彩を取り戻した。
「殊勝な心がけだね。持つべきものは気配りの上手な友人に限るよ」
「ひっ───」
「おっと」
コンパートメントの先客よりも先んじて、クリスティーンは半開きとなっているドアの隙間にアタッシュケースを滑り込ませた。
クリスティーンと先客とで熾烈な攻防が……繰り広げられることもなく、抵抗虚しくクリスティーンの怪力でドアがこじ開けられてしまう。これには敗北者たる先客も上目遣いで抗議の視線を投げてきた。
「いいいっいきなり何するんですか!?」
「それはこちらのセリフじゃないかな? わざわざこの私が、こんな物悲しい最後尾の個室席まで足を運んでやったというのになんて態度なんだ」
「だ、誰も頼んでないですよぅ……悪魔、鬼、トロール」
「……」
「いだだだだだ!? は゛な゛し゛て゛く゛だ゛さ゛い゛ぃ!?」
「フン」
哀れ。クリスティーンにアームロックをかけられたリディアは、ささやかな不服すら黙殺されてしまった。
涙目でタップアウトをする姿に、主犯たるクリスティーンも呆れの色が見え始める。馬鹿と天才はなんとやら。『こんなの』がスリザリンで一番の才女だとはどうしようもない。俊敏狡猾な蛇のごとしをモットーにしているスリザリン生たちこそ、誰よりも己を恥じていることだろう。
ようやく解放されたリディアが乱れた呼吸と髪を整える。その隙に、アタッシュケースを棚に放り投げてリディアの対面のソファへとクリスティーンは腰を下ろした。
「ケホッケホッ。あ゛~……喉が痛いぃ……」
「ギャーギャー喚くからさ。進歩のない」
「頭イカレてるんですか!? よくも、この脳筋のノータリンが───」
「口調が乱れてるね。おやダフネがやっと来たみたいだが」
「───すすっすすす少しは加減を覚えてくださいよぅ……」
鋭い眼光を放つリディア。しかしクリスティーンのハッタリを真に受け、すぐさまへにゃりと力なく眉尻を下げてしまった。
険のある表情といい、この薄ら寒い
「あああっあれ? ダフネはどこに」
「知るかアホ。自分で探しに行きたまえ」
「あああ、アホ……わ、私がアホ……」
辛辣な返しにうわごとを繰り返しながら、リディアは夢遊病者のようにフラフラとコンパートメントから出て行った。
クリスティーンは席に散乱している書籍をチラリと見やる。教科書、小説、新聞、公共の場で読むことのできない物騒な書物……本の虫であるリディアらしいと思った。不満があるとすれば、魔法省お墨付きの有害図書である『死に至る呪い、血の桎梏』が見当たらないことくらいか。リディアも中々に苦労しているみたいだ。
クリスティーンは鼻を鳴らし、再びプラットホームに視線を戻す。赤毛の大所帯に続いて、漸くクリスティーンの待ち人たちが9と4分の3番線に姿を現した。くしゃくしゃ髪の眼鏡少年と、よれよれスーツの壮年ワンコ男の二人組だ。
(それでいいのさリーマス。友の忘れ形見をホグワーツへ送り出す……無難だが悪くない演目だろう?)
どこか吹っ切れた様子のリーマスに満足し、クリスティーンはプラットホームに注いでいた視線を断った。
10分も経たないうちに汽笛が鳴った。ガタゴトと心地の良い揺れと共に、窓に繰り出された景観が移り変わっていく。
プラットホームの喧騒が遠のき、ロンドンが豆粒のように小さくなり、針葉樹林の広がる山道に差し掛かる頃。リディアがダフネを連れて───ではなく、ダフネの後ろに隠れながらリディアが戻ってきた。君が迷子か。喉元まで出掛かった言葉をクリスティーンは何とか嚥下した。
「げっ。なんで貴女がいるんですか。リディア、隠してましたね」
「だだだだ、だってぇ……お、教えたら来てくれないじゃないですかぁ」
「君たちね、繊細な心の持ち主になんて言い草なんだ。私は悲しいよ。胸が張り裂けそうだ。悲しみのあまり鍵をかけてしまうかもしれない」
あどけなさの残る秀麗な顔を歪め、ダフネは上級生であるはずのリディアを睨みつけた。
委縮するリディアが情けなさすぎる泣き言を漏らすが、この上下関係は未来永劫変わりはしないだろう。クリスティーンは空々しいセリフを吐く最中にそう確信した。
そんな思惑など露知らず。コンパートメントはどこも満席で、リディアが予め押さえていたこの個室席しか空いていない。すこぶる嫌そうな顔をしながらも、ダフネは諦めてコンパートメントへと足を踏み入れた。
「最悪です。よりにもよって貴女となんて」
「だそうだよミス・ゴーント。妹分に舐められていては家名に傷がつくのではないかな?」
「そそそ、そんなぁ……」
「ミス・グリフィンドール、貴女のことに決まってるでしょう!? それにリディアも、ちょっと、離れてくださいっ! 暑苦しいですねもうっ!」
縋るように目を潤わせてしなだれるリディアと、羞恥を隠して突き放そうとするダフネ。不毛なキャットファイトの勝者は新入生の子猫ちゃんだった。とはいえ、周囲から奇異の視線を向けられて更に恥ずかしがるようでは本末転倒だったが。
目の前で披露された漫才を他所に、クリスティーンは散乱している書籍の中から日刊預言者新聞を拾い上げた。
大見出しは間抜け面を晒すグリンゴッツの小鬼たちだ。侵入者によって金庫が開けられたらしいが、「最も安全」などと謳うような場所だから元より信用ならないだろうに。謳い文句だけは一丁前だ……クリスティーンは心の中で嘲笑を浮かべながら記事を読み進めた。
金庫の番号や中身の状況まで詳細に書かれており、醜態もここまで極まれば面目が丸つぶれである。これにはグリンゴッツもお冠だろう。日刊預言者新聞はメディアとして反権力に今日もいそしんでいるらしい。この新聞社の逞しさと卑しさだけはクリスティーンも素直に感服するところであった。
「うわっ。ついにやらかしたんですか。出禁にされたからって賊紛いの嫌がらせとは性格が悪いですね。今頃、小鬼たちは貴女を指名手配するよう魔法省に強請っているのでは?」
「君の捻くれた想像力には驚かされるばかりだ。純血様は拝金主義に鞍替えしたのかい?」
「成金のマルフォイ家などと一緒にしないでください。それにグリンゴッツに侵入出来て、それらしい動機がある人間は私の周りでは貴女くらいですもの」
「光栄だよ。ついでにアドバイスをするなら、隣にいるウィンピー殿も君が頼めば押し入ってくれそうだがね」
「リディアが? 無理に決まってるでしょう。小鬼を見ただけで卒倒してしまうでしょうに」
「ひんひん……ふ、ふふ二人して酷いですよぅ」
三文芝居もここまでくれば悪い意味で馬鹿馬鹿しい。ただ、利用しているだけの妹分に酷評されながらも、徹底的に道化を演じるリディアの役者魂だけはクリスティーンも手放しで称賛できる。
ミス・スリザリン殿は何を目指しているのやら───陰謀だとか以前に、そのポンコツ具合だけはどうにかしておくれ。でなければクリスティーン自身も同じ