超次元ゲイム ネプテューヌ - 終界の新生(ヴィダークンフト) - 作:倉公
伽藍の聖母
抱いていたのは憧憬と理想
そして求めたのは、『当惑なき救世』
襲い来る苛烈な運命
それに抗うこの手は、ああなんて非力なのだろう
だけど私は救いたかった、掬いたかった
儚く滅びんとした此岸を
たとえ選んだ道が過ちであったとしても
たとえ手にした剣が左道の諸刃であったとしても
この道を往こう
たとえどれだけの戦慄が待っていようと
私はこれを選んでしまったのだから
たとえその果てに心が壊れたとしても
ゲイムギョウ界。
その世界に風は無かった。
災禍を運ぶ悪風は吹かず、世界は静寂に満ちている。
その世界に波たてるものは無かった。
無辺に湛えられた水面は顔を顰めず、静謐に横たわっている。
ただ静かに、平穏のみで溢れる世界。
心乱す悪しきものは無い、何も無い。
ゆえに科戸の神風さえ吹かず、留められた水に新たな命は芽吹かない。
まさに、草満囹圄。
安閑たる宇宙は無謬の平穏であり、犯罪などあろうはずもない。
風不鳴条……という言葉はいささか適さない。
穏かではあるものの、そもそも風そのものが吹かぬから。
この完成された三千世界、生きとし生ける空蝉にもまた邪心など無い。
男も女も老いも若きも、一切の例外なく。
誰もが清きを求め他者を尊ぶゆえ、闘争もまた起ころう筈が無い。
邪の住まわぬ心。
彼ら彼女らひとりひとりがそうである為に、世界は平穏であったのだ。
ではその邪悪の影に成り代わり、人々の胸にあるものは何か。
それは、『信仰』である。
彼ら、彼女らが一様に胸に秘したそれは、この世界に身を窶す上での光であり標であった。
即ち、この世界に遍く生を受けた、一人一人が敬虔なる信徒であるということ。
誰も彼もが、縋るよう寄り添うように信奉していた。
自らの唯一者と崇め奉る存在へ、過たず捧げられるシェアという供物。
では、誰に捧げられるというのか。
それを知らぬ者はこの世のどこにもいはしない。
さもありなん。
遥か頭上高く、世界を遍く照らし耀う太陽を見紛う者などいる筈も無いのだから。
世界中の信仰を一身に受けるその存在こそ、このゲイムギョウ界――ひいては、唯一国プラネテューヌの統治者であるがゆえに。
今は遠き、御伽噺の時代。想い馳せることさえ届かぬ、遥かなりし過去。
かつてこの世界に、遍く総て悉くを破滅させんとする大邪・犯罪神が降り立ったという。
人々の邪なる心が生んだというその邪神は、世界を滅亡させんとした。
その滅尽の危機よりこの世界を救世し、かの悪神を祓い討った存在こそ、この世を統べる至高神である。
嗚呼、いと素晴らしき、穢れ無き至上の女神(びるぜん)。
實に實に唯一不変なる我らが御大帝。
甘かりし、優しかりし、まこと崇美(けだか)き統天大聖パープルハート。
世界にめぐらす眼は慈しみ深く。
その天眼は、風の流れ、木花のそよぎ、水のうつろいさえ透徹するという。
その御姿に、諸人は和南(おろが)み、跪いた。
無論のこと、人々と女神の間に捧げられる信愛の方向は単一では無い。
この世を統べる女神からの慈愛もまた、等しく尊きものである。
このゲイムギョウ界に遍く生を受けた、民はみな愛児。
人の身も心も、いとけなく、儚い。
ゆえに御身らを抱擁しよう。
差別は無く平等に。
別けも隔ても無く、生まれ来る命から死に逝く命までも。
私を信仰する代償に、あなた方すべての生命にあらん限りの愛を捧げましょう……と。
そんな彼女に信仰を捧ぐ人間達は、不乱に母乳を求める乳呑児であり、柔肌に母の愛撫を求める稚児であった。
そして無窮の愛に酩酊した女神が護る世界は、まさしく無謬である。
すべてが型に嵌った、間違いなど起こり得ぬ世界。
一見して麗美な、まこそ理想郷と呼ぶぬに相応しきがこの世界。
安寧を約された、閑散たる涅槃寂静。
この平和は、恒久に続く。
それこそ、時の止まったように。
そう誰もが思っていた。だが……しかし。
奇麗な表層とは裏腹に、薄皮一枚ほど下の内層は腐り、糜爛していた。
平和な楽土ではあるのだ、それに疑問を挟む余地は無い。
故にこそ、ここを腐敗していると表せるのである。
競争が無い為に闘争も衝突も無く。
それゆえに、発展も成長も無い。
遥か時の果てで、世界を待ち受けるのは衰退、その末の滅亡……
それは即ち、恒久に未来が続かぬことに他ならず。
歩くような速度で、腐敗を続ける幽世。
衰退という奈落へと一歩、一歩と、永劫に続くきざはしを降りてゆく百代の過客。
謂うなれば、この世界とは終滅を約束された獄(ひとや)である。
止まった筈の時計の針は壊れており、今もなお、終末への秒読みを刻んでいたのだから。
世界唯一国プラネテューヌ。
この国を人体に喩えるならば、民は血、国は肉体、である。
差し詰め、国政を司る教会は心臓部にあたろうか。
そしてその教会の存在する建造物こそが、首都に在るプラネタワー内部に存在する。
天をも貫かんとするその巨塔……その深奥たる玉座に、心臓の核たる存在がある。
孤影の玉座に身を預けながら、今も鼓動を鳴らしている。
女神パープルハート。
彼女は今日も威風堂々たるいずまいで、玉座にその身を窶している。
ではその、女神の御座す席はまさに神の宿る神座といったところか。
全能の支配者たる少女は、どこか憂いさえ湛えている。
耳を欹て、瞳を凝らす。
異常は、ない。
自らが治めるこの世界は、今日も平穏である。
神、空にしろしめす、なべて世はこともなし。
満腔に滾る、愛児らの忠誠の証、シェアエナジー。
その力に、ひとひらの欠けも無い。
であれば、今日というこの日もまた、なんら変わり無い日常である。
既視感のように続いてゆく日々の、一幕に過ぎない。
女神にしてみれば、その不変性こそが愛しい。
もう一度、抱きしめるように己のシェアエナジーを感じようとした。
そのとき。
終末に向け恒久的に続く筈だった日常は。
いつ果てるとも知れぬ、期限付きの永劫は。
今日、この瞬間に終わりを告げた。
まず感じたものは衝撃。
何か、そう、得体の知れぬ何かが、津波の如く自身の全身に満ちるシェアに激突した。
物理的なそれではない、決して無い。
響き轟いたのは、同じくシェアの震動であった。
だがそれは、この世界による現象では無い。
衝撃を与える程の激烈なシェアエナジーの流動。
その正体と出処を思惟する労を取る必要は無かった。
次の瞬間、この不可解な現象を物語る不快音(ノイズ)が脳裏に響いたのだ。
「……ッ!」
女神は思わず息を呑む。
耳朶の奥、脳髄に響いたその音は、ありえない、決して有り得てはいけないものだったから。
ですが、ネプ―――ヌらしいといえば、らしいで―――
――からって何も私たちに黙って一人残ることは―――
なら、今のわたしたちにできるのは祈るこ―――
シェアの力に不可能なんてない! マジ―――ヌ、あなたに奇跡をみせてあげ――
それは声であった。
しかし女神にしてみれば、雑音に他ならない。
この静謐たる無謬のゲイムギョウ界に波紋を齎さんと投じられた、一石に過ぎなかったから。
ひとつ、ふたつ、みっつ……
届いた強い力の波動は、数え上げれば都合四つ。
「めがみ……?」
図らずも耳朶をうつその言葉が、自らの唇よりこぼれたものであると気づくのに数秒の時を要した。
遥か異次元の彼方から届いた声。
自分以外の女神の存在を、時空を超えて伝えてきたのだ。
女神の身に轟いたさきの現象は、今はその残照、残響すらも消え失せている。
まるで初めから、何も無かったとばかりに余韻も無く。
先ほどのあれは何だったのか。
考えるまでもない。
次元を超えた彼方……次々元の地平で、その世界のシェアエナジーに大規模な衝撃を与える事象が発生したのだろう。 そしてそれは、衝撃伴う波としてこの次元にも鳴り渡ったのだ。
そしてシェアエナジーがあるという事は、その次元にも女神が存在するということ。
聴こえてきたノイズの正体が、それだろう。
とても看過できたものではない。
突如として振り沸いた現象だが、再びそれが発生する様子を見せぬ限り一度きりのものなのだろう。
この空間も世界も、再び静寂を取り戻している。
だから、どうしたというのか。
知ってしまったのだ、見つけてしまったのだ。
自分が統治し、唯一神たる自分だけが存えさせられるこのゲイムギョウ界。
この平穏無謬なる楽土の外側で、
『他の女神』などという訳の解らない存在が伸う伸うと跳梁跋扈している。
許さない、認めない、と。
彼女の心に、厳正なる弾劾の念が生じる。
絶対無二の支配者たる己に統べられ、安定するこの世界。
シェアの波を伝い、その存在を知らしめたように。
異神の存在を捨て置けば、或いは彼女達はこの世界へ来訪してしまうかもしれないから。
もしもそうなれば、この世界は滅びてしまうだろう。
一人の女神によってのみ、守られる世界。
これ以上に平和な宇宙など、あるはず無いのだから。
だから認めない。
ここは紫の女神パープルハートが治める世界。
他の色など、交わらせはしない。
滅ぼし尽くさねばならないだろう。
その存在は、滅相も無いものだから。
「……絶対に認めません」
誰にとも無く呟いたその言葉は、宣告であった。
はるけき次元の彼方、蠢く異神たち。
名前すら、姿すら知らぬ彼女らへ贈る刑戮宣誓。
そして玉座よりその腰を上げ、右手を掲げる。
全身に込めた全霊の力が、光の柱を立ち上らせる。
赫奕たるそれは、彼女の身を覆い包んだ。
夜の闇を破砕する明々たる朝の黎光。
そんな無限光の中で、少女は変わる。
華奢な胴を、四肢を鎧う、黒と紫の衣。
その意匠は黟(かぐろ)く、しかして黒衣の聖母の如く。
折り好くここは伽藍。
故にその御姿をば、伽藍の聖母と表現(あらわ)すに誤謬なし。
これこそが、唯一神パープルハートの真の姿である。
続けて彼女は、全身に力を込め斯く願った。
私を異界へ至らせよ、と。
そして、先ほど昇らせた光とは比するも愚かしいほどの、巨大な光の柱……否、塔が現出する。
それは別次元への門であり、そこへ渡る為の梯子でもあった。
なぜそのような芸当が可能であるのか。
この世界に、そのような愚問を持つ者はいるまい。
世界中のシェアエナジーを束ね治める全能神に、不可能など無いのだから、祈りしことの叶わぬは無し。
いざ赴(ゆ)かむかな、異次元に巣食う異神らを討たんが為。
そして女神は、光のなかへと飛翔し、消えた。
愛する世界へ、抱擁すべき人の子らへ、しばしの別れを告げて。
私がこの世界を壊させはしない、すぐに戻るから、何も心配はいりません、と。
かくて今。
悲愛に狂いし、灰心の女神が翔んだ
蘭燈のことく
権道のことく
来し方のことく
23xx年 某日