超次元ゲイム ネプテューヌ - 終界の新生(ヴィダークンフト) - 作:倉公
ゲイムギョウ界暦 20XX年 某日
その部屋を訪れたのは、折りしも夕刻であった。
沈みゆく太陽は窓の向こうの風景を橙色に染め上げている。
限りまで熟した黄と焦げ果てた赤が織り成す斜陽の色は、この部屋の主と似合いだとばかりに。
「ごめんなさい、アイエフさん。少し遅れてしまいました」
あらかじめ告げていた訪問の時間は、昼過ぎごろであった。
対して今は夕刻。
大幅な遅刻であるといえよう。
しかし部屋の端に配置された寝台の上に腰を掛けていた、部屋の主たるその老女は、詫びる言葉に一笑で応えた。
「気にしないでいいわよ。そっちには女神の仕事があるんだから」
「……すみません。といっても、簡単な書類整理くらいですけれど」
「それでも大切な、『この国』の仕事でしょう」
一国……世界中を統一するそれを、一身に預かる身からすれば、実に喜ばしい事ではあるのだが。
ここ世界唯一国プラネテューヌは、久しく事案、事件、問題も発生していなかった。
無論のこと細やかな案件などは時折生じたものの、国体を揺るがすようなものでもなかった。
ここ数ヶ月、数年、いや半世紀以上もそれが続いていたのだ。
正しく恒久平和であった。
そして平穏は民草の幸福度の証左であり、要望や希求の依頼……クエストはその数を減らし、
仲介するギルドもこの数十年の内にその規模を縮小していった。
「それに、呼んだのはこっちだもの。いくらでも待つわよ」
「ありがとうございます。ところで、今日はどうされたんですか?」
「特に用事があった訳じゃないわ。ただ少し、あんたと話がしたくなってね」
「はなし、ですか」
「ええ。歳を取るとね、ときどき昔を思い出したくなるのよ」
言いながら、老女はその浅緑色の瞳を俄かに眇めた。
目尻の皺を寄せ、見つめる先は壁に掛けていた青い外套である。
かつてそのコートに袖を通していた、昔日。
今や思い馳せる事でしか、触れ得ぬ記憶の彼方。
若かりし少女であったアイエフは、今と変わらぬ姿の自分と共にあった。
プラネテューヌに仕える諜報員として、共に旅をして支えてくれた彼女の姿を思い出す。
肩を並べて戦い、世界中を放浪した冒険の日々。そして旅の仲間は、アイエフだけではなかった…………その、当時は。
特に一つの話題を定めず、思い出した出来事を記憶の片隅より引き上げ、語らった。
昨夜見た夢の内容を詳細に思い出すような、遠い記憶を辿るその作業。
女神として悠久の時を生きるこちらとは異なり、アイエフは限り有る人間の身に過ぎない。
ゆえに老いた今となっては少なからず思い出せぬ事柄も多いようであり、昔語りを共有するには困難を極める話題もあったが。
そして、どれだけ語らいを重ねた時か。
会話の間隙に、ふと、傍らに座すアイエフが浮かべる、表情を伺って――そこにある種の、翳りのようなものを見出した。
といえど、気分の鬱さ加減によるそれではない。
言うならば、死相のようなものであった。
読み進めていた物語が、進行に比例してめくるページが少なくなっていく感覚にも似ていた。
つまり端的に表現するならば。
終わりが近い、というべきか。
そしてそれは錯覚ではない。
まさしく終焉を迎えようとしているのだ、隣に座る老女の物語<人生>は。
そしてそんな感傷に浸るこちらの気配を察してか、アイエフは尋ねてきた。
「どうしたの? なんだか暗い顔ね」
「い、いえ。なんでもありません」
咄嗟に繕った。
あなたの死期が間近に迫っている気がして――などと、そのようなことをわざわざ口にする訳にはいかなかったからだ。
なによりそれは、老体たるアイエフ本人が一番理解していようから。
だがこちらの虚言を、アイエフは即座に看破していた。
「嘘おっしゃい。私の事を考えてたんでしょ」
「……」
「こればかりは仕方が無いわ。歳を取ったら死ぬ、私だって人間だもの」
数秒の沈黙があった。
なんと言うべきであるのか。
かけるべき、相応しい言葉が見つからない。
その逡巡を察してか、アイエフは会話の舵を取った。
「それともう一つ。不安、なんでしょう?」
「えっ……」
「例えば自分の事とか、この国の事とか、これから先の事……ってところかしらね」
「……そうです。でもどうして、分かったんですか……?」
「それくらい顔を見れば分かるわよ」
当たり前でしょ、とばかりに、アイエフは柔和に笑んだ。
老いた今は、その象られた笑みに多くの皺が追随して凪ぐ。
「なぜでしょうか。最近は特に思うんです……ううん、本当は、『あの時』からいつだって」
吐露した。
胸の奥底で燻り、糜爛した、忸怩たる想いを。
一語ごとに激痛を伴いながら行うそれは、さながら懺悔にも似ていた。
その罪が赦される事も、払い落とされる事も無かったが。
「私が選んだ事は、間違いだったんじゃないかって……本当はもっと別の方法があって、別の未来が用意されていたんじゃないか、って……」
喉を突き唇より零れる言葉は、まさしく悔恨であった。
かつてこの手で犯した、大罪。
その末に今という現状があるのだが、もしもそれを犯さずにいれたなら、そのような方途があったのなら。
その果ての未来はどのような形であったかという、空想の希求。
耳を傾けていた老女は、こくりと頷いた。
「別の未来、か。そうね……もしかしたら、そんなハッピーエンドなり、グッドエンドなりがあったのかもしれないわね」
そこで区切った。
次の言葉はすぐには口にせず、幾らかの間を置くのだった。
躊躇うかのように。
嘆くかのように。
弔うかのように。
「あの子なら、ネプ子なら、そんな言い方をしそうね」
そして。
どれだけの時が流れたか。
数秒かも知れないし、数分であったかもしれない程度の時を置き、アイエフは続けて呟くのだった。
「……ねえ。さっき、不安だって言ってたでしょう? それでも、あんたは信じなさい。自分が選んで、作ったこの未来を。世界を、国民をね」
「はい、分かっています。今はもう、私が。この国の女神ですから」
「あんたは良くやってるわよ。この五十年、本当に頑張ったわ」
「それは、皆や、国民の人達が支えてくれたからです」
「そうね。私だって、ずっとそうしてあげていたいけれど……もうそろそろ、コンパや皆のところへ逝かないといけないみたいだから」
言いながら、アイエフは窓の外を眺めた。
折りしも斜陽の時は終わり、夜が訪れようとしていた。
窓辺から差し込むのは、焦げた茜色では無く冷暗たる闇であった。老婆の、その浅緑色の瞳を照らす。
落とされた夜の帳に抗わんと、プラネテューヌの都市中で明かりが灯されてゆく。
星空を地上に堕としたかのごとき、壮麗なるプラネテューヌの夜景。
私もほどなくして、あの星の一つになるのだとでも言うかのように……アイエフは告げた。
「さて。今日はもう、眠ろうかしら。ごめんなさいね。呼んだのはこっちなのに」
「いえ、こっちこそ色々お話ししてもらって、ありがとうございました」
「別に、お礼を言われるほどじゃないわよ」
「もしかして、今日アイエフさんがしたかった話って、そのことなんですか?」
「さあて、どうかしらね。しっかりやりなさい? ネプギ……いいえ、『パープルハート様』」
最後にアイエフは、名を呼んだ。
こちらの、本来の名ではなく。
この国を治める者として引継ぎ、今や自分を表す神号となった女神としての名を。
そしてそれが、その数日後に息を引き取ったその老女、アイエフとの最後の会話であった。
実に、数百数十年ほど前の出来事であり……目覚める直前、最初に思い出したのは、そのような、記憶の夢であった。