超次元ゲイム ネプテューヌ - 終界の新生(ヴィダークンフト) -   作:倉公

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5千文字くらいで収まるかなとか思ってたけど全然そんな事ありませんでした。

BGM『AHIH ASHR AHIH』という感じで、ひとつ。


流れ出す、渇かぬ願い

 老婆との会話。

 暮れてゆく遠くの街並み。

 それらの光景が、脳裏の奥で薄れてゆく。

 ああ、夢を見ていたのだ、と。理解をしたその瞬間に。 

 混濁する意識は、泥濘より解き放たれたかのように、徐々に鮮明さを取り戻していった。

 

「あ、起きた? おはよう」

 

 ゆっくりと視界が広がってゆく。

 瞳の蓋を開けると共に、無数の色彩を伴いその姿を見せる世界の中で。

 いの一番に飛び込んできたのは、極めてのん気で飄然とした、少女の顔であった。

 こちらを上から覗き込むように……いや、まさにその状況そのまま。

 

「え……? あ……あなた、は……」

「いやー、ゴメンゴメン。

 なかなか起きないから、ちょっとやり過ぎちゃったかなって反省してたとこだったんだ」

 

 見ているこちらが毒気を抜かれるような、あどけないその少女。

 その顔を見ただけで、彼女が何者か理解が及ぶ。

 この世界のプラネテューヌを守護する女神……パープルハート。

 激闘を繰り広げていた先刻までとは異なり、今はその変身を解いている。

 そして、それはこちらも同じであった。

 身を包むのは紫黒の鎧では無く、こちらの世界に訪れる直前まで纏っていた、平服に戻っている。

 

 周囲を見渡せば、今自分は木陰にいる事が伺えた。

 影のように地へ身を横たえている。

 そして、眼の上の少女は、同じく地面へと座っていた。そのふとももを枕とし、こちらの頭を乗せてくれている。

 

 ありていに言って少女は、無防備な姿を晒していた。

 こちらは即座に身を起こし、女神・パープルハートの姿へと戻り、その柔肌に刃を突き立て刺し殺してくれよう――――などと。欠片も、思いはしなかった。

 

 つい今しがたまで、己の内に渦巻いていた憎悪という泥濘も。敵愾心という汚濁も。

 影も形も無いままに、雲散霧消している。

 例えるならばそう、いま見上げている虚空のように、がらんどうであった。

 心という器に代わりに残されたのは、過去の記憶の、断片のみ。

 

「あなたが、助けてくれたんですか?」

 

 先ほどの戦闘を回想する。

 自分に止めを刺した剣戟乱舞の果てに、落下するこちらの身体を彼女は抱き止めてくれたのを覚えている。

 

 

「うん、一応ね……って、まだ動かない方が良いよ。ちょっと気合入れて斬りすぎちゃったみたいだし」

 

 身体に力を籠めて立ち上がらんとしたこちらを、少女は制止した。

 その言葉通り、全身が少しばかり痛む。

 

「一体どうして……私はあなたの命を奪おうとしていたのに……」

「いやあ、さっきはあなたを倒す気まんまんだったムードだったけど、

 個人的にはお話したかったんだよね。こうやって、ゆっくりと」

「だから、私にとどめを刺さなかったんですか?」

「んー。あなたを倒すのは無理っぽいって聞いてたってのもあるけど……

 実は同じパープルハートを名乗る者同士、なんか気になってたんだよね」

「パープルハート……」

 

 呟くのは、今の今まで名乗っていた女神としての号。

 自らを示すものでありながら、ある種の違和感を感じた。

 違う、と。

 己自身で否定する。

 

 

「わたし、ネプテューヌ。ねえ、あなたの名前は?」

「名前……私の名前は……」

 

 代わりに浮かんだのは、自分自身の真実の神咒であった。

 

「ネプ、ギア」

 

 自らを語るその名は、何よりも懐かしく己が胸中に澄み渡ってゆく。

 

「私、ネプギア、っていいます」

 

 そしてその神号はパープルシスター。

 誇り高き紫の女神、パープルハート。そう呼ばれた存在がいた。自分は、その女神の妹に過ぎなかった、と。それが自らを表す本来の名であると、取り戻していた。

 

 止まっていた時計が動き出すように。

 

「ネプギア、かあ。あなたも名前にネプがつくなんて奇遇だね。

 センチメンタリズムな運命を感じずにはいられないよ」

 

 今しがたまで命のやり取りをしていたのが冗談であったかのように、まるで世間話をするような気安さで彼女は喋る。

 

「もしかして、全部思い出せた?」

「はい」

「そっかあ、良かったね」

「けれど、どうして……なぜ私が、本当の自分を見失っていたと……そう思えたんですか?」

「女神だって、記憶喪失の一つや二つなる事もあるよ。わたしも前になっちゃったことがあってさー」

「あなたも?」

「うん」

 

 頷きながらネプテューヌは、ちんまりとした人差し指を上に向けた。

 そこにあるのは、果てさえも見えずただ無窮に広がる蒼穹。

 

「あそこから落っこちて、地面に突き刺さっちゃったんだよね。そうそう、ちょうどこの森に落ちたんだっけ」

 

 そんな馬鹿な、と信じられぬものの。

 懐かしい良き思い出、とばかりに語るネプテューヌの様子からは、それが虚言であるともまた思えなかった。

 

「だからもしかして、あなたもそうなんじゃないかって、そう思ったんだ」

 

 こちらの言動や様子から時折不自然で、不可思議なものを感じたとネプテューヌは語る。

 本来の記憶と現在の記憶の狭間で、混乱しているのではないか、と。

 例えばそれは、昨日の荒野の戦闘時にて、こちらが思わず口走ったこと。

 なぜラステイションをはじめとするする各国は『まだ存在しているのか』などと口にしたのか。

 またなぜ他国の事を知っていたというのか。 

 他ならぬ自分自身が、自分が統治する世界には古より一国、即ちプラネテューヌのみしか存在していないなどと嘯いておきながら。

 

 それらの矛盾は、こちらの世界へ訪れて以降ネプギア自身が度々感じてきた事でもあった。

 滅尽の誓いを口ずさみながら、その心の奥底で真逆の想いを抱いている自分を自覚した事……昨日、黒の女神を刺殺するのを寸前に躊躇ったように。

 

 自分の知らぬ自分……とうに忘却していた、本来の人格と記憶は、さながら繭の中の蛹。

 十重二十重に編まれたその糸は、呪詛のように主を鎧っていた。

 幾重にも折り重ねられたそれは、他存在との刺激――こちらの女神との邂逅や会話の度、刃を振るい振るわれる度に、一枚ずつ剝がれていった……のではないだろうか。

 そしてそれは、先ほどのネプテューヌとの決戦において大半が奪い去られる事となる。

 

 

 

「本当に、ごめんなさい」

「ん? なにが?」

「私はあなた達に、取り返しのつかない事をしようとしてしまったから……

 この世界の人たちにもご迷惑をおかけてしてしまいました」  

 

 他次元への侵攻と、守護女神の鏖殺を目論んだ罪。

 自身が犯したそれは決して許され無いだろうが、それでも詫びずにはいられなかった。

 謝罪を受けたネプテューヌは、苦笑しながら応える。

 

「ああ、『わたし達がいると、自分の世界が滅んじゃうー』だっけ? 

 昨日も言ったけど、わたし達はそんな事しないって。早とちりさんだなあ」

「そうですよね。自分以外の女神様……

 みなさんの存在を認めたら、それだけで自分の世界が脅かされるだなんて……

 どうして、思っちゃったのかな」

「そういえば、ネプギアの世界にも、女神がいたんだよね?」

「はい。遠い、昔の事ですけれど……」

 

 遠大な記憶を辿り、朧げな過去を思い出してゆく。

 語るのは、戦いの追憶と……一つの物語の結末であった。

 

 かつて、自分がいた世界にも四人の女神と四つの国があった。

 こちら側の世界と、同じく。

 いつからか台頭した、犯罪組織を名乗る邪教集団との激闘の日々。

 四ヵ国の代表たる女神は協力し、これにあたった。

 そして苛烈極める戦いの最中、ついに犯罪組織が崇め信仰する、犯罪神なる大邪が降臨してしまう。

 

 伝承として語られる、犯罪神との戦いである。

 しかし現実は御伽噺とは些か異なる。

 犯罪神とも、その眷属たる四天王を名乗る四体の魔物との戦いも。

 自分のみならず、そこには他の女神らの姿もあった。

 

 しかし復活した犯罪神に立ち向うには、自分の手はあまりにも非力に過ぎた。 

 

 だけど、救いたかったのだ。

 

 候補生に過ぎぬ自分といえど、儚く滅びようとした世界を護る女神として。

 そんな自分の前に現れたのは、一振りの剣であった。

 女神の命を奪う事で、その刃の鋭利さを増すと言い伝えられる、その魔剣。

 この世界を滅さんとする大敵……かの悪神を討ち、救世を成す。

 その刃の柄を握る以外の方途は無しと、求めて縋り――そして、総てを失った。

 

 築いた信頼も。

 芽生えた友情も。

 掛け替えない仲間も。

 

 始まりは、黒の女神を殺めたこと。

 ひとたび黒の大地を滅ぼしたその凶刃は、二太刀目にて白の女神と国を、三の太刀にて緑の女神を屠った。

 

 残された最後の、紫の守護女神がその例外では無かったのは、語るに及ぶまい。

 魔剣の主たる自分以外の全ての女神とその妹君の命を奪い尽くした末に、犯罪神もまた入滅する事となる。

 

 ラステイション、リーンボックス、ルウィー。

 戦いの果てに、掲げるべき女神を失った各国は、プラネテューヌに吸収・編入されていった。

 

 姿を消した女神を求める者も。

 国を失い悲嘆に暮れる者も。

 犯罪組織壊滅に不服を覚える者も。

 

 当初はただ一柱の女神となったネプギアを訝しがる者も少なからずいたが、やがて人々は新たなる女神を受け入れていった。

 

 そして、誰もがこう思う。

 プラネテューヌを統治する女神ならば、相応しき名は一つと。

 

 パープルハート。

 

 その名を冠する者はいずこかへと消えたのだから、新たに名乗る者が必要であるまいか、と。

 そしてそれはネプギア自身の望みでもあった。

 プラネテューヌを統べる女神としての名を求めたという理由が第一義であり……何より、名乗りたかったのだ。

 せめて、今は亡き、この手で殺してしまった彼女の名を。

 

 パープルシスターたる己の名を失ってでも、せめてもの贖罪として……などと。

 高尚な意思があった訳では無い。決して。

 

 全ては、己が脆弱に過ぎた。それだけである。

 縋りたかったのだ、寄り添いたかったのだ、パープルハートの名に。

 

 かくしてゲイムギョウ界にネプギア……パープルハートは君臨する事となる。

 一身に受けるのは、決して女神としての重責と使命だけでは無い。

 国民らの信仰の力、シェアエナジー。

 崇め奉るべき我らの唯一神として、プラネテューヌ……即ちゲイムギョウ界全土より、人々の信仰は集う。

 

 シェアの一極集中化。

 かつては複数の女神に分散する形で捧げられていたそれが、一神にのみ与えられるならばどうなるのか。

 言うなれば、一つの盃へ大海原の水かさを注ぎ込むようなものであった。

 その例え通りならば、あまりにも膨大な水量に器が耐え切れず、ほどなくして罅割れて壊れよう。

 

 だがネプギアは壊れなかった。

 いや、或いは当然の結果として破壊されてしまったのかもしれない。

 

 ゲイムギョウ界の住人達には、とある一つの原罪がある。

 はるけき古の彼方、彼ら彼女らの邪心の集合思念が、犯罪神を誕生させた事である。

 

 ならばもう、二度とそんな存在を産みださせない。信仰させない。

 唯一神たるネプギアが人間らに抱いたのは、そのような想いであった。

 

 生きとし生ける全ての人々から、邪心を奪い去るという事。

 人間達の悪性では無く、善性を信じたのだ。

 ありとあらゆる人々へ、ネプギアは聖母のような薫陶を示す事となる。

 慈愛を以って、寛容を以って、憐憫を以って。

 

 守護女神たる自分こそが、ゲイムギョウ界における規範にして法。目指すべき標にして、仰ぐべき憧憬。

 

 そんな自分だけを信じさせる。心の拠所とさせる。

 遍く総ての人々がそうあれば、正しくそれはゲイムギョウ界より邪心を排斥できる事であろうから。

 

 そしてその目論見は、成功する。

 人間達の心に芽吹いたのは、一つの意思。

 

 守護女神パープルハート様こそ我らが崇む唯一神、と。

 跪拝するべきただ一柱の女神、と。

 

 かくしてゲイムギョウ界は、かつての犯罪組織活動期の堕落ぶりが絵空事であったかのように、

 発生する事件や犯罪は減少していく事となる。

 

 

 ゲイムギョウ界において、女神の誕生は国民の信仰の高まりが条件となる。

 誕生後、神の御形の形成にすら反映される人間達の願いと望みは、女神にとって絶対的なもの。

 そしてネプギアの身に新たに注がれるシェアエナジーとは、世界を統べる唯一神に捧げられるもの。

 人間達の、ただ一人の女神に捧げられる信仰は歪み狂った形で女神を蝕み、変貌させていった。

  

 ――私こそはこのゲイムギョウ界に在るただ唯一の女神。他の女神など知らないし、原初より存在していない、と。

 

 自分が、自分でなくなっていく自覚はあった。

 時の流れと共に、ネプギアを信仰する者が増える度――即ち、旧各国の国民らが、かつて自分達の国を治めていた女神を忘れていく内に。

 

 しかし、気づいた時には既に手遅れで……ネプギア本来の気質は、過去の罪の記憶と共に流れていったのである。

 

  

 ただひとりの女神に統治される世界はさぞかし平和であろうと……かつて断末魔の代わりに、犯罪神はその今際に嘯いた。

 

 その平穏は世界という土壌より競争と発展を奪い、腐敗させ、そこに住まう人々らを衰退させてゆくだろう、と。

 技術と文明を失う、その果てに待つのは滅亡の未来だと。

 

 私が女神たる以上、そのような未来には絶対にさせぬとネプギアは誓った。世界を護り治めるただ一人の者として。

 

 だが結局は、想い虚しく滅びの平穏を迎える事となる。

 争いも競合も無い、犯罪さえ起きぬ世界とは、さながら止まった水のようなもの。

 その水面下を揺るがす波紋も立たぬ代わり、緩やかなる腐敗を続けてゆくから。

 壊れた時計の針は完全に停止したのではなく、緩やかに秒針を進めてゆくから。

   

 

 それでも。

 自分という存在が壊れても、呪いを衣としてでも、世界の時を止めてでも。

 ゲイムギョウ界を護る女神としてあらねばならなかった。

 たとえ全てを時の止まった地獄に変えても守りたかった、守らなければならなかったから。

 かつて犯した女神殺しの罪と、世界は私が守り続けるという宣誓に殉じる為に。 

 

 罅割れて砕け散ろうとする器を、必死に両手の中で支えるように。

 痛ましいまでのそれは、本当はとうにただの破片に成り下がっていたのだが。

 

 かつてネプギアの旅を支え、共に戦ってくれた人間の仲間達。

 彼女らも年老いて……一人、また一人と、この世を去っていった。

 プラネテューヌの諜報員として従事していた、老女の死を最後として。

  

 

 そして、以前の自分を知る者は、もう誰もいなくなってしまった世界で。

 ネプギアは正しき範たる、世界の柱として君臨を続けた。

 無窮の慈悲にて人々を導く、奈落の聖母のように。

 

 人々の心から悪性を取り除いた、紫色に凍りついた風景。静謐なる楽園(ぱらいぞ)。

 終末への時を刻むその浄土を照らすのは、女神が齎す邪光にして、破壊の輝き。

 

 古の女神が創造した人工生命体……女神と同じ時間を生きてきた教祖さえも、いつしか眠りに着いていた。

 

 そして永劫ともつかぬ数百年が流れた後……

『自分以外の女神の存在など知らない第一天・パープルハート』は、別次元の女神達の声を耳にする事となる。 

 

 

 

 

「うう……聞くからに、選択肢前のセーブデータからやり直したくなるくらいのバッドエンドだね……」

 

 聴き終えた頭上の少女、ネプテューヌは辟易とした声を上げた。

 これ以上聞きたくは無いとばかりに、今にも両耳を塞ぎそうな表情を浮かべている。

 

「それにしても、世界中の人たちから信仰されるなんて、すごいカリスマだね」

「私は何も……国民のみなさんが、こんな私を信じてくれた……それだけです」

 

 本当に長い間、歩き続けてきた。

 いつ果てるとも知らぬ、当て所なき旅路。

 ただひとりの先導者たる自分の背後に続くのは、プラネテューヌこと全ゲイムギョウ界中の住人達。

 寂滅たる終点に向けて歩を進める、終焉の葬列<ラストバタリオン>。

 

 まるで死神。

 ネプギアは通ってきた道行を思い出し、自分自身をそのように評せざるおえない。

 だが。

 ネプテューヌが口にするのは、そんな自嘲とは真逆の評価であった。

 

「そっかあ。ネプギアはずっと、頑張ってきたんだよね。

 怖いことや辛いことがあっても、一人で。がんばり屋さんなんだね」

 

 それは、労い。

 悼むような、讃えるような温かさを以って織り成される言祝(ことほぎ)であった。

 しかし少女の言葉を、ネプギアは静かに首を横にふり……否定する。

 がんばり屋――などと。

 自分に贈られるには、余りにも過分な賛辞だったから。

 

「誰にも頼る訳にはいかなかった、それだけです」

「昔から遊んでばっかりだったわたしとは大違いだね」

「それが、私の責任でしたから。もう女神は私だけで……皆の命を奪ったのは私で……」

「たった一人で背負い続けてきたんだね。いーすんが聞いたら泣いて感激しそうかも」

「でも、私は。私のやった事は、間違いでした……」

 

 今ならば、解る。

 我武者羅に駆け抜けた先で、遮二無二歩いた先で。

 それ以外に無しと思っていた己の道は、まず初めの一歩にしてからが過ちだったのだから。

 手にした刃は左道の諸刃。

 そして築いたのは屍の山で。

 

 土台、血塗られたみちゆき。

 どれだけの高潔な決意を以って世界を統べようと、住まう者らを正しく導ける筈が無かったのだから。

 並び立ち、その間違いを諌め正してくれる存在は、もはや居ないのだから。

 

「間違い、かあ……うんうん、気持ちはわかるよ。

 わたしなんてしょっちゅう、いろいろ間違えてばっかだしさー」

 

 こくこくと頷きながら、ネプテューヌは語る。

 頭上の彼女の優しげな表情が、まるで手を伸ばせば届く太陽のようだと、彼女を見上げるネプギアは埒もなく思う。 

 

「自分の人生にも、リセットボタンとセーブポイントがあればなーって思うよ。ゲームみたいに」

「リセット?」

「うん。ぽちっと押して、無かった事にしてさ。別の選択肢を選んだり、レベルを上げたりして」

「そうですね。そんな事が出来るなら、どれだけ良いか……」

「そう思うならさ。やり直せばいいよ」

「やり直すだなんて……そんな、こと」

「間違えちゃったなら、さ。正しい答えを選べばいいんだよ。今度こそ!」

 

 耳朶を打つネプテューヌの声に、ネプギアは言葉を失う。

 事も無げに語るネプテューヌの言い様は、自分には余りにも不可能なことだったから。

 

「さっきネプギアが言ってた、誰得な外伝<バッドエンド>、フラグを立て直して回避しようよ」

「だけど、私は、もう……取り返しがつかないことをしてしまったから。やり直しなんて、きかないです……」

 

 消え入りそうな声で、ネプギアは拒んだ。

 器から零してしまった水。

 自分が犯した罪とは、そういうものだから。

 決して取り返しなど出来よう筈も無い。

 だが、ネプテューヌは。

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 拒絶を、全霊で否定する。

 暗闇に怯える幼子を、あやす母親のように……心配しなくていい、何も怖くないから、とばかりに。

 

「シェアの力に不可能なんてないの。きっと、答えてくれるはずだよ」

「それは……」

 

 祝詞にも似たその言葉。

 慈しみを含んだその物言いは、ネプギアには聞き覚えがあった。

 この次元の存在を知り、赴く切欠となった、この次元の女神の声。

 あの日、自分が聞いた四つの声のうちの一つ。

 

 

「ネプギアは世界中の人から信仰されてるんでしょ? だから願って。自分が、どうしたいかを」

 

 確かにその通りである。

 シェアとは遍く衆生の祈りや願いの力。

 その顕れは不可能の悉くを可能とし、あらゆる条理を覆す。

 その名は奇跡。

 ゲイムギョウ界中のシェアを束ねるこの身には、それを行使する絶大なる力が宿っている。

 その力を用い、この世界への門を開いたように。

 

「どうして……私にそんなチャンスをくれるんですか?」

 

 思わず問うてしまう。

 ネプギアにはまるで理解が出来ない。

 この手は女神を抹殺し、この次元を破壊しようとさえしたというのに。

 にも拘らず、見上げる少女の唇が紡ぐのは怨言では無く……慈悲の言葉なのだから。

 

「うーん……どうして、なんだろ」

 

 言われてみれば確かになぜだろうか、といった様子で、ネプテューヌはしばし考え込みだした。

 そして時計の秒針が半周ほどした後、相応しい言葉を見出したとばかりに再び開口する。

 

「まあ、強いて言うなら。誰だって、自分の未来はグッドでハッピーな、トゥルーエンドが良いに決まってるもん」

 

 今度こそ、自分だけのそれを掴み遂げて欲しい、と。

 ネプテューヌは下達してくる。

 

「それにあなたとは、どうも他人って気がしなくて……

 ほら、ちょうど同じ『ネプ』ってつく者同士のよしみだよ」

「でも、私……やり直したって、また、間違えてしまうかもしれません……」

「さっきも言ったでしょ。『主人公』っていうのは無敵なの。

 ネプギアだって、昔はそんな主人公だったんでしょう?」

  

 先ほどの戦闘時、確かにネプテューヌに告げられた。

 ネプテューヌこそこの世界の無敵の主人公。だからそれに立ち向うこちらは、彼女に勝てないのだと。

 そして自分もまた、そんな主人公なのだと彼女は言う。

 今となっては遥か遠き、駆け抜けた日々の中で。

 もはや曖昧な光景と、とうに色褪せた情景の中で。

 在りし日の自分は、確かにそんな存在であったのかもしれない。

 

「そう、だったのかな……? そんな気も、します」

「なら、大丈夫だよ。こんどは、きっとさ!」

 

 我が意を得たりと破顔するネプテューヌ。

 眩いばかりに輝くその笑顔が、己の内に巣食う闇を照らすのをネプギアは感じていた。

 

「だからほら、願って? だいじょーぶ。わたしも祈るから」

「…………」

 

 私の願いは、望みは、一体なんだろうかとネプギアは黙考した。

 直後に、そんなものはとうに分かりきっていると知る。

 自分がしたい事、それは即ち。

 踏み外してしまった道の、第一歩をやり直すこと。

 掛け違えてしまったボタンを、ひとつづつかけ直すこと。

 

 ならば。 

 

 帰ろう。

 あの日々の中へ。

 私の未来を決定づけてしまった、あの運命の日に。

 もう一度。

 やり直せるというのなら。

 

 そう、求めたものだから。

 

 渇かぬ願いが、流れ出して。

 ここに、回帰の奇跡が顕現する。

 

 刹那に、輝きがネプギアの全身を包んだ。

 全能神の希求に応じたシェアの力が、その願いのままにネプギアを在りし日に連れ去ろうとしている。

 陽炎のように消え去る己の身体を見つめながら――ふと。

「それじゃ、がんばって。わたし、信じてるから」

 

 自らの世界へ帰るその瞬間、目の前の彼女が誰かを思い至るのだった。

 

 なぜ今の今まで気づかなかったというのか。

 自分は、旧世界において紫の女神パープルハートの妹であった存在。

 そして目の前の彼女は、こちらの世界のパープルハート。

 即ち――

 

『わたしも、一緒だから……』

 拭えぬ罪過が齎す重荷を共に背負ってくれた、忘れえぬ掛け替えなき肉親。

 

 取り返しのつかぬ大逆を犯して打ち震える自分を、「大丈夫だよ」と、哀憐してくれた忘れじの最愛の姉。

 

 つねに傍にいてくれたそのひとへ、自分は至大の信仰を捧げていた。

 いつだって、いつだって、いつだって。誰よりも、つよく。

 

 太陽のように眩く、ひだまりのように暖かな、自分にとっての憧憬と理想の女神。

 仕草も、微笑みも、優しさも、語る言葉の温もりも。

 

 目の前の少女は、想い出の中で今も耀うあのひとの面影と、寸分も違わなかったから。

 

 そして、女神パープルハートとして自分が纏っていた鎧に思いを馳せる。

 黒と紫を基調とするそれは、彼女が纏っていたプロセッサユニットの後継機。

 かつて唯一神パープルハートとして君臨した際に開発させた、姉神の名を冠する聖骸布とも呼べる弔いの証。

 その銘は――『ネプテューヌ』シリーズ。

 

 自分がこの次元へと飛翔してきた理由。

 思えば、どうということはない。

 自分もまた、彼女に『救って貰いたかった』のでは無いだろうか。

 遠い記憶の中で在り続ける姉と、同じ姿の彼女に。

 かつてこの世界を滅さんとした大逆者さえ救済せしめたという、奇跡の御業に。

 支配者パープルハートではなく、その奥底に埋もれた、ネプギアとしての感情で。

 だからこそ先ほどの決戦時……激闘の最中で、彼女は自分を斃してくれるだろうと、信仰を捧げたのだろう。

 

 そして思い至った時には、既に時遅く。

 ネプギアを包む光は、完全に彼女をこの世界から消し去った。

 

「あ……」

 

 唇をわずかに開けて紡ぎかけた言葉は、伝えきることはできなかったけれど。

 静かなる胸中でただ一言、礼を告げた。

 

 

 ありがとう、お姉ちゃん……

 

 

 ――ごめんなさい、みなさん。

 

 そしてネプギアは謝罪を想う。

 これより自分が行うのは……時の遡行。

 半ば欺く形で、彼等の崇める唯一神として君臨したネプギアに着いてきてくれた、受け入れてくれた愛児たち。

 老いも若きも男も女も、風体さえ問わぬ、色とりどりの宝石たち。

 ネプギアは国民らを想い、国民はネプギアを敬慕した。

 互いのその思いは、紛れも無く本物であった。

 自分は今から、それらを裏切ろうとしているのだ。

 遥かなる過去への回帰である。

 それを行うとは即ち、数世紀の歴史も、生まれた命たちも、彼らが捧げてくれた信仰も捧げた愛も、全てが泡沫へと消え行くことに他ならないから。

 

 ――でも信じて欲しい。私はもう二度と間違えないから。

 

 だからこれを、己が犯す最後のあやまちとして……新しく紡ぎなおす歴史の中で、また会いましょう……と。

 心底より、詫びるのであった。

 

 

 

 そして。

 木陰に取り残されたネプテューヌは、一人ごちる。

 

「行っちゃった、か」

 

 今しがたまで腕の中で横たわっていた少女は、完全に消えた。

 あたかも、最初から存在などしていなかったかのように。

 残されたのは、彼女を抱いていた感触と微かな温もりだけ。

 

「頑張ってね、ネプギア」

 

 さすがに疲れたなあと、呟きながら思う。

 先程の戦闘の疲労が回復していないのもあるが、理由は加えてある。

 

 ネプギアと決着をつけた際の猛連撃……振り下ろす一刀一刀に、ネプテューヌはとある祈りを篭めていた。

 この別次元からやって来た、自分と同じ名を持つ少女に、どうか失われた記憶を取り戻させてやって欲しい、と。

 

 天界でマジェっちを助けた時も、そうやって祈ったっけ――そう追想しながら、空を仰ぐ。

 折りしも、蒼天に浮かぶ雲の切れ間から一条の光が射し、地表を照らしていた。

 巨大なる剣を思わせる光芒、薄明光線。

 

 ゲートが壊れ、今は赴けぬ天界より降り注ぐ福音のようだと。

 

 ネプテューヌは一人、想うのであった。

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