外伝:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界   作:館凪 悠

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4/3はブルックの誕生日ィ!


骨と誕生日

 ヨホホホー……

 ヨホホホー……

 

 夜の深い青さを映す海原に浮かぶ、一隻の帆船。

 その帆船は、夜中だというのに灯りがともされ、そしてにぎやかな熱気を持っていた。

 その帆に描かれた髑髏は畳まれ、船はただ波の上を、その喧噪を共に楽しむようにゆったりと、楽し気に揺れる。

 

 ヨホホホー……

 ヨホホホー……

 

 歌声が、響く。

 音楽が、響く。

 空にかかる月は満月。

 今にも落ちてきそうな丸い月を引き立てるように、雲一つない夜空を、薄い星明りたちが踊る。

 絶好の月見日和であった。

 同時に、最高の宴日和であった。

 波が船体に当たり飛沫(しぶき)を上げるのと同時に、打ち合ったジョッキの中で、黄金色の液体が飛沫を上げる。

 寝る間も惜しいと言わんばかりの喧噪を、船員の皆が楽しんでいた。

 

 ヨホホホー……

 ヨホホホー……

 

「よっしゃあ!! 我らが誇る音楽家であり孤高にて最高の剣士、ブルック様の生誕に感謝してェ!!!」

「ねえヨーキ船長、それ何度目です? もう皆さん、各々の宴に入ってしまってますよ」

「うるせえブルック! おれ様が祝ってやろう感謝してやろうってんだ! 黙って聞きやがれ! なァ野郎ども!!」

「……もう誰も話なんて聞いてませんよ」

 

 ジョッキを傾けながら、背の高い男が呆れたように呟いて、そして小さく口元に笑みを浮かべた。

 まったく、うちの船長はどうしようもない。

 前後不覚に酔っぱらって、船員の誰からも話を聞いてもらえないなんて、本当に船長の風上にも置けない男だ。

 ……その原因が、自分のための宴なのだから、頬が緩んでしまうのもむべなるかな。

 サングラスの奥の目も、細められる。

 

「…………お礼を言うならね、私の方ですよ。船長、あなたと、あなたの仲間と一緒に──」

 

 そう言葉を紡いだところで、ふと違和感に気が付いて、長身の男が振り返る。

 

「すー……、すー……」

 

 さっきまで騒ぎ続けていた男が、いつの間にか寝息を立ててしまっていた。

 

「……まったく」

 

 背の高い男は苦笑する。

 眠りに落ちてしまったせいで、きっともう聞こえないであろう船長に、男は静かに語り掛ける。

 

「私もね、あなたと出逢えてよかったですよ。何しろ、こうして楽しい時を過ごせるのですから」

 

 誰にも聞こえない声で呟いて、背の高い男はジョッキを片手に、丸い月を仰いだ。

 

「ねえ船長。見に行きましょうね、この世の果てを。世界を一周まわって、ラブーンを迎えに行きましょう。私たちで、絶対に」

 

 ヨホホホー……

 ヨホホホー……

 

 そのつぶやきは、闇へと消える。

 だってそうだろう。

 それから一年と経たずに、ヨーキ船長は原因不明の熱病に倒れ船を離脱し、そして我らルンバー海賊団は、再び私の誕生日を迎えることを待たずに壊滅した。

 名も知らない、海賊の手によって。

 私たちの海賊船が破れ、魔の海域に閉じ込められて、何年が経ったろうか。

 わかっている。

 知っている。

 この肉も皮も、五臓六腑の全てを失った骨だけの体は、その年月を知っている。

 ふと心の中に湧き上がる口惜しさと寂しさと、そして無念さに苛まれて、私は歌うのをやめた。

 歯を食いしばり、頭を抱える。

 泣けるなら、泣き出してしまいたかった。

 投げ出せるなら、投げ出してしまいたかった。

 かつての暖かな記憶を思い出したところで、今のこの空虚感が埋まるわけではないというのに。

 もう、今年で齢も七十六を超えた。太陽も月も見えないこの霧の海では、正確な日付はもうわからないのだから、ある程度の感覚だ。

 だが、予想が正しければ、生まれてきた半分以上を、霧の中で漂っているのだ。

 もう、あの日見た月の輪郭も忘れてしまった。

 あの宴で食べた料理の味も忘れてしまった。

 そして、涙の流し方すら──。

 

「…………船長、みなさん、ラブーン……」

 

 ぽつりと、呟く。

 また、何もできずに一年が過ぎた。

 たまたま食べたヨミヨミの実。

 その能力のおかげで、白骨となっても現世と繋がっているだけだ。

 誰にも会えず、話もできず、そして約束も果たせない自分は、生きているといえるのだろうか──。

 なんて。

 

「……まあ私、骨だからもう死んでいるんですけど」

 

 ヨホホホ、といつものように笑ってみせる。

 笑ってくれる人は、誰もいない。

 ただ、霧の中から自分の笑い声が、虚しく返ってくるだけだった──。

────

───

──

 はっ、と息を吐いて飛び起きる。

 足の骨に絡んだシーツが、骨なのになぜか分泌されていた冷汗で湿っているのがわかる。

 五十年も慣れ親しんだ波に揺れる寝床ではなく、微動だにしない柔らかなベッド。

 キシ……

 外には春風が吹いているのだろう。

 薄く開いた窓が軋みを上げ、古いカーテンがゆらりと揺れる。

 周囲の物をぺたぺたと触って、自分の顔を撫でて、アフロに触れて、確かめる。

 夢──ではない。

 夢ではない。

 ここは、ちゃんと現実だ。

 今見ていたのは、ただの過去(悪夢)だ。昔々に、通り過ぎた航路の記憶だ。

 

「……ああ、そうですか。また一つ歳を重ねましたね」

 

 これで私は九一歳になったのか。きっとあの記憶()を思い出したのは、ちょうど〝その日〟のことだからだろう。

 以前はあれほどまでに怖かった、寂しかった、つらかった一年という歳月が、今は待ち遠しくて仕方がない。

 まるで、イベントを待ちわびる子供のように、楽しみでたまらなかった。

 

「……とはいえ、やはりこの夢は堪えますね」

 

 ぼそりと、苦笑気味に呟く。

 あの太陽みたいな船長に心を、命を救われ、そして仲間にしてもらえた今となっても、当時のつらかった孤独事態が変わるわけではない。

 もちろん、自分の心持ちは変わる。それに伴って、過去を見る目も変わる。

 彼らに出逢えて、そして今彼女と出逢えたことを考えれば、あの孤独すらも意味があったことのように思える。

 だが、あくまでそれは〝今の自分〟のお話。

 あの悪夢のような孤独に苛まれて見た幻。

 〝今の孤独が夢〟であり、〝幸せな妄想〟が現実であるような錯覚。

 そして否応なしに現実に引き戻された時の、あの発狂してしまいそうなほどの精神的負荷。

 それが、今起こってしまったら?

 今でも、不意に不安になってしまうことがある。

 コッチが幻で、アッチが現実なのではないかと。

 恐ろしくてたまらなくなりそうな時が。

 知っている。それは杞憂だ。

 ほんの短い間だが、私には想像もつかないような冒険を一緒に歩ませてくれた仲間が、それを教えてくれる。

 そして、一緒に音楽を楽しんでくれる、この島のたった二人の住人も。

 

「……少し目が冴えてしまいましたね」

 

 まあもう目はないんですけど。

 もう癖になってしまったスカルジョークを呟いて、私はベッドから立ち上がる。

 まださすがに起きるには早い時間だ。

 少し食堂へと向かい、ミルクでも温めて飲むようにしましょうか。

────

───

──

 ブルックが食堂のドアノブを捩じると、食堂の中で誰かが驚いたような音がした。

 

「……おや、お早いですね」

「ブブ、ブルック!? びっくりした、こんな時間にどうしたの?」

 

 目を真ん丸に開いて、驚いたように言うのは、このエレジアの住民である、若い音楽家、ウタだった。

 トレードマークとも言える特徴的な髪形も、今は縛りもせずに全て下ろされている。

 彼女も寝起きなのだろうか。それにしては、少し目が腫れているようにも見える。

 

「いえね、少し悪い夢を見ましてね。ですがほら、まだ早い時間ですし、ホットミルクでも飲んで、二度寝と洒落こもうかと思いまして」

 

 ブルックの落ち着いた声に、驚いて固まってしまったウタも肩の力が抜けたようで、ふうと息を吐いてから、そのブルックの言葉に質問を投げる。

 

「へえ以外。ブルックも悪夢とか見るんだ?」

「骨だからって! 睡眠もとれば夢も見ます! それにウン──」

「いやそうじゃなくって、悪夢とか見ても気にしなそうだなって思って」

 

 そういうことですか、とブルックはけろりとした表情で言う。どうやらわざと怒ってみせたらしい。

 

「悪夢というか、記憶ですね。追憶ですよ。大昔に一緒に海を渡った仲間たちと、その後の五十年の孤独の記憶です」

「あ──」

 

 ブルックの過去を聞いたことのあるウタは、しまったと口を開いて、そして「ごめんなさい」と謝った。

 

「そうだよね。──大変だった時の、記憶だもんね……」

 

 バツの悪そうに言うウタに、しかしブルックはやはりけろりとして応える。

 

「起きちゃえばどうということもないんですけどね。いかんせん、夢というのは目覚めるまで、それが夢と気が付かないことが多いですから」

 

 顔も骨だけだから表情が乏しくて──というわけではない。

 ただ、本当に気にしていないのだろう。そんな声色だった。

 

「それにその夢は、そんなに頻繁に見るものでもないですし。今日は特別な日なんですよ」

「特別な?」

「五十年と少し前。当時私が所属していた〝ルンバー海賊団〟の皆さんが、私の誕生日を祝ってくれた日です」

「誕……生日、か」

 

 固い声で、ウタが言う。

 ──はて、誕生日に何が?

 一瞬だけそんな疑問がブルックの脳裏を横切り、そしてすぐにその声の意味が分かった。

 

(……ウタさんも、同じでしたね)

 

 愛しい家族(赤髪海賊団)に置いてけぼりにされて、現実的に独りぼっちではなかったにせよ、孤独に苛まれていたであろうこの十年と少し。

 長さでいえば、ブルックの方が孤独に曝された時間は長いだろう。

 しかし、十代二十代の人間が持つ一年の価値と、九十代の人間の持つ一年の価値は違う。

 それでもブルックは、それを知っていた。

 誕生日が過ぎるたびに──、年齢を重ねるそのたびに心に湧き上がる、やる瀬なさと焦燥感。

 

(……もしかしたら、話題に出すべきではなかったのかも)

 

 そう、ブルックは思う。

 一方のウタは、少しだけ考え込むように「誕生日、誕生日……」と呟くと、不意に椅子から立ち上がった。

 

「ちょっと待ってて!」

 

 そう言うが早いか、食堂から廊下へと飛び出した。

 

「……待つのはいいですが、そんなに慌てなくても……」

 

 ブルックの言葉はもう、部屋を後にしたウタには届かない。

 小さく息を吐くと、ブルックは冷蔵庫からミルクを取り出し、小さな鍋にミルクを移すと、それを火にかけ始めた。

 やがて二人前のホットミルクが出来上がるころ。

 息を切らせたウタが、食堂へと帰ってきた。

 背負っているのは、最近練習を始めたアコースティックギター。

 

「おや、どうしたんですか? ギターなんて持ってきて」

「いいから! ちょっと座って」

 

 ブルックにそう促してから、ウタはギターをケースから取り出して構える。

 

「まだヘタなのは許してね」

 

 そう言って、ウタはFのコードを一度鳴らして、音を確認して、そして演奏を始めた。

 

 

サンクス バースデイ トゥーユー

 サンクス バースデイ トゥーユー

 サンクス バースデイ ディア ブルック

 サンクス バースデイ トゥーユー

 

 

 まだ拙い演奏に乗る、心のこもった歌唱。

 だが──。

 

「ありがとう、ウタさん。──ですが、珍しい歌詞ですね」

 

 少なくともブルックの知っているバースデイソングは、『ハッピー バースデイ』という歌詞だったはずだ。

 少しだけ困ったようにウタは微笑んで、そして目線を窓の外へと逃がした。

 

「……ほら、私には、ブルックが幸せ(ハッピー)かわからないからさ。ほら、その人の幸せって、その人にしかわからないでしょ?」

 

 その答えに、ブルックはヨホホと笑う。

 

「真面目ですねェ。ですが安心してください、ウタさんが祝ってくれただけで、私はハッピーですから」

 

 そう、こうやって誰かと言葉を交わせるだけで。

 誰かと音楽ができるだけで。

 夢に向かってまた、歩き出せると思うだけで。

 私は幸せなのだと、ブルックは言う。

 

「……そっか。じゃあ、歌いなおそっか?」

「大丈夫ですよ。ウタさんの気持ち、ありがたくいただきましましたから」

「そういうもの?」

「そういうものです」

 

 そう言って、ブルックも窓の外へと視線を向ける。

 海に沈む丸い月が、見える。

 きっと反対側の空は、少し白んできているに違いない。

 ブルックは立ち上がると、二つのコップに出来上がったホットミルクを注ぐ。

 片方は、もちろん自分のための物。

 もう片方は──

 

「ウタさん、よろしければホットミルク、いかがです?」

「……ありがと」

 

 少しだけ複雑な表情をして、ウタが言う。

 

「わたしが祝うはずだったのに」と言わんばかりのその表情に、ブルックは小さくヨホホと笑った。

 

 一口、ホットミルクを飲んだウタが、温かくなった息を吐いて、小さく呟く。

 

「でもさ」

 

 と、再び窓の外に目を向ける。

 

「さっきの歌詞じゃないけどさ。感謝してるのは、本当だよ。……ねえブルック、わたしを音楽に誘ってくれて、ありがとう」

 

 少し照れたように、ブルックはホットミルクを傾けると、やはり窓の外へと目を向けた。

 ホットミルクを飲み下してから、頬骨を掻いて、ブルックが言う。

 

「いえ、こちらこそ。一緒に音楽を楽しんでくれて嬉しいですよ。……そうだ、ウタさん。今日のお礼に、今度ウタさんの誕生日、お祝いしましょうか? お誕生日はいつですか?」

「──もう、忘れちゃった、そんな昔のこと」

 

 少しだけ寂しそうに、ウタが言う。

 そうですか、とブルックは特に追及するでもなく、ヨホホと笑った。

 

「それは大変です。……いつか、思い出せる日が来るといいですね」

 

 うん、と小さくウタが頷く。

 月が遠くの海に沈み、空はもう夜明けの色へと変わっていく。

 ウタの掌に包まれたホットミルクから上がった湯気が、窓から飛び込んできた潮騒に、小さく、小さく揺れたのだった。

 




お読みいただきありがとうございました。
次の閑話は現在なんとなくのプロットが上がった段階です。もうしばらくお待ちくださいませ
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