外伝:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
ブルックからの指導と、ウタという手本もあって、カバルはそれから一時間と経たずに楽器本来の持つ音を出せるようになっていた。
持ち方と息の入れ方、そして運指。
まだまだ曲を吹くには心もとない実力だが、今まで音を出せなかったことを考えると、かなりの進歩である。なにしろ、ゼロはいくら積み重ねたところでゼロだが、一は積み重ねれば千にでも万にでもなれるのだ。
そして、その親切な観光客二人は、「あと少しこの島に滞在するから」と、約束を取り付けてくれて、決まって午後の二時ころに森に顔を出し、レッスンを行ってくれた。
今日も今日とて、カバルは孤児院を抜け出し、この森で二人と一緒に楽器の練習をしているわけである。
ところで、と岩に座って楽器の音色に耳を傾けながら、何か紙の束をめくっていたウタが、不意に顔を上げてカバルに話しかけた。
「そういえばカバル君、きみってどうして
その何気ない、しかし尤もな質問に、カバルはビクリと身を震わせる。
「…………その」
楽器と一緒に目線も下におろして、言葉に詰まる。
なんと説明すればいいんだろうか。
いや、別に隠す必要があることではない。ただ、なんとなく言うのが恥ずかしいだけで──。
「ウタさん、家庭で気兼ねなく音楽の練習ができるのは、それなりに設備のある家だけですよ」
「え、そうなの!?」
思わぬブルックの指摘に、ウタが目を丸くして驚く。
そりゃあねえ、とブルックがその骨の肩を竦めた。
「防音がしっかりしている所ばかりじゃないですから。町にはいろいろな人が暮らしていますから、迷惑にならないよう気を遣わねばなりません。特に孤児院ともなれば、多くの人が一つ屋根の下に暮らしていますし」
それを聞いたウタは、「あ、そっかァ」と自分の額をピシャリと叩く。
「そういえば、わたし子供のころは船の上だったし、それ以外はあの島だったから考えたこともなかったなあ」
「あの環境ですから、無理もありません。そもそも、そのケーナ程度の楽器であれば、別に昼間吹く分であればそれほど迷惑にならないとは思いますが」
その、と置いてけぼりを食らったカバルが、おずおずと声を上げる。
「あの、そんな周りに気を遣ってとかじゃなくって……」
このまままるで常識人と言わんばかりの扱いになってしまうのは、カバルとしても居心地が悪かった。
「ん?」
「……ちょっとこの楽器のこともあって、周りと馴染めなくって……」
「楽器のこと、ですか?」
両手を合わせて首を傾げたブルックの声に促されるように、カバルは訥々と語りだす。
練習しても音が出せないとバカにされていること。
大事にしている楽器のことと、そして自分の不甲斐なさを責められて、カバルとしてはどうしても我慢ができないこと。
すぐケンカになってしまうから、どうしても施設だと練習しづらい──どころか、少し居心地の悪さも感じているということ。
「ケンカしないで過ごせればいいんだろうけどさ、……その、あんまりバカにされるのは、どうしてもハラがたつから。……おれだって、頑張ってたのに」
最後は消え入りそうな声で言ったカバルに、ウタが「そっかァ」と温かい声で言った。
「その子たちさ、もしかしたら、カバル君のことが羨ましかったのかもね」
言っていることが理解できずに、「は?」と言ってカバルがウタの方を見て、そして言葉を失った。
どこか寂しそうな目をして、遠くを見つめる彼女の横顔は、カバルをバカにしていた子供たちを庇おうとしているようには見えなかった。
だってさ、と言いながら、ウタがカバルの方を振り返った。
「孤児院、ってことは、みんな親がいないんでしょ? どんな形であれさ、親の物を持っていて、それを使えるように努力しているきみのことが、ちょっと羨ましいんじゃないかなァ、その子たち」
「────」
──考えたことも、なかった。
カバルは押し黙る。
考えたこともなかったし、想像したこともなかった。
だけど、その可能性を指摘した彼女の、少し寂しそうな優し気な表情を見ると、どうにもそれが真実のようでならなかった。
「まあ」
とウタがにやりと表情を崩す。
「そいつらが悪ガキだって可能性も十分にあるけどね!」
「なんだよ! せっかく納得してたのに!」
あまりのその豹変のしように、カバルは思わず顔を赤くして声を荒らげる。
あはは、とウタが笑い、それを見たブルックも、ヨホホと笑う。
「ごめんごめん。でもさ、なんだかんだって言っても、一緒に暮らす仲間なんでしょ? そいつら」
「……まあ、そうだけど」
「何人いるの?」
「え? えっと、シスターも含めて、九人だけど……」
「じゃあ──」
そう言ってウタは岩から立ち上がると、パーカーのポケットから何か神束を取り出した。
「はい、コレ! 仲直りのアイテム!」
「えっ」
差し出されたそれを受け取って、カバルは目を丸くする。
『S&U&S Live Concert 〝BORN〟』
これは──。
「明日のイベントのチケット!? なんでこんなの持ってるの!? しかも十枚も!?」
目を白黒させるカバルに、言ってませんでしたっけ、とブルックが首を傾げる。
「そのライブの主催、私たちですよ」
「ええっ!?」
カバルは岩から転げ落ちそうなほど驚いた。
というか──。
「こんなところで油売っていていいわけ!?」
「リハーサルやるにしても、ホールをずっと貸し切りって訳にもいかないからねえ。明日はさすがに朝から午後まで場当たりとか確認を本番直前までやるけど、ここ数日は、基本の練習を夕方に練習室借りてやるくらいだから、結構空き時間あるんだよね」
なんてのんびりと言って、ウタはんー、と伸びをする。
「さて、そろそろわたしたちも練習だから、帰らなくちゃいけないけど、それ、あげるから」
「えっ、でもっ……!」
カバルは世間に聡い方ではなかった。
少なくとも、今を時めく大スターの顔と名前を知らないくらいには。
だが、そんな彼の耳にも、今回この島に来る音楽家たちがかなりの有名人であるという話は届いていた。
その人たちのライブとなれば、そのチケットの価値も驚くほど高いだろう。
それを十枚もなんて──。
「なんで、そこまで──」
チケットをタダであげようとすること然り、楽器を教えてくれたこと然り。
カバルには、二人が何故これほど良くしてくれるのか、その理由が皆目見当がつかなかった。
気にしいだなァ、とウタが笑う。
ブルックもヨホホと笑ってから、口を開いた。
「未来の音楽家に今から投資をするのも悪くはないでしょう? いずれコンサートを開く時にでも呼んでもらえたら嬉しいですし」
そうそう、とウタが楽しそうに頷いてから、「それにさ」と言う。
「孤児院の仲間って、血は繋がってなくても家族みたいなものでしょ? 致命的にこじれてないなら、仲が悪いより、仲がいい方がいいと思わない?」
ね? と首を傾けて、ウタはやわらかく笑ったのだった。
────
───
──
─
森の中を町の方へと向かって歩く二人の人影。
片や上機嫌そうな女。
片や身長の高い男──もとい、骨。
ウタとブルックであった。
足取りの軽いウタが先を行き、ブルックがゆっくりとその少し後を追う。
「楽しそうですね、ウタさん」
暖かな声で、ブルックがウタに声をかける。
当然、とウタは軽くそれを肯定して、やはりニコニコと笑っている。
「これもわたしの思い描く〝新時代〟への一歩だしね。ライブもみんな、楽しんでくれるといいな。また音楽を聴きたい、やりたいって思ってくれるくらいに」
ウタの目指す、誰でも音楽に触れられるようなバカみたいに平和な時代に、音楽家がいませんじゃあ締まらない。
「そうですねェ」
しみじみ、といった声色でブルックが頷く。
「カバル君も、皆さんと仲直りできると良いですね」
「そうだね」
今度はウタが、しみじみとした表情で頷いた。
当の話題に上がったカバルは、まだ森の中で楽器の練習をしていた。
ウタたちが引き上げる際にどうするか尋ねると、
『……もうちょっとだけ、ここで練習してくよ』
とのこと。
彼は彼なりに、少し考える時間が欲しかったのだろう。
そういった、気持ちへ整理をつけるのにかかる時間は、人によって様々だろう。
だからウタもブルックも、無理にカバルを連れくるようなことはしなかった。それに、ライブについても。
「みんなで来てくれたらいいなァ」
ポツリと呟く。
仲直りのためにとチケットを渡したが、それをどう使うかはカバルが決めることだ。それに対してとやかく言うつもりもない。
「そうですねェ」
ニコニコといった声色で、ブルックが言ってから、「ですが」と少し真面目な口調になる。
「『あわよくばエレジアにきてくれないかなァ』とか」
「う」
痛いところを突かれたようで、ウタは言葉を詰まらせ目を泳がせる。
まったく、と肩を落として、ブルックが呆れ声で言う。
「それを決めるのは私たちじゃないですからね。それだけは忘れないように。勧誘するのは自由ですが、強要はしちゃいけませんよ」
「わ、わかってるって。ブルックは心配性だなァ!」
ウタはしどろもどろに言って、唇を尖らせる。
ヨホホ、とブルックが笑う。
「老母心というヤツです。まあ私、どちらかといえば老爺なんですけど!」
「というより骨じゃん」
「おやこれは手厳しい!」
楽しそうにブルックが言う。
そんな会話をしていると、ようやく森から通りへと出る──。
「オイ、止まれェ」
不意にかけられた、低い男の声。
耳が覚えているその声に、ウタはバッと顔を上げて。
「あ、ムササビさん」
「チッ、お前らか……。ったくよォ、なァんで大音楽家様がこんな森から出て来やがる」
見知った顔は、呆れたようにその大きな肩を竦めた。
海軍将校、ムササビ。
髪の毛のない頭に、傷痕だらけの相貌。さらに左側頭部には槍を模ったような入れ墨がある大男。その容貌から見れば、海軍なんかよりも、海賊の方が似合いそうな男だ。
だが、ウタもブルックも、彼が誰よりも〝正義〟を重んじる男だということを知っているから、今更その容姿に委縮することはない。
「ここの島民で、楽器を練習してるコと知り合ってさ。練習に付き合ってたんだ」
何気なくそう言ったウタに、ムササビは呆れたように溜め息を吐いた。
「お前さんたち、明日ライブだろォがよ。自分たちの練習は?」
「今更そんなに根を詰めても仕方ないから、音合わせと調整だけだよ。もう練習で追い込む期間は終わったから」
「は。そォかよ」
じゃあもう言うことはない、という意思表示だろうか。ムササビは両手を広げてそう吐き捨てる。
ぶっきらぼうな口調。
しかし、ウタたちもその様子には慣れたもので、特に気にすることもない。ブルックはそのままムササビに声をかけた。
「はて、しかしムササビさん。あなたここらの海域は管轄外なのでは? いかがなされたのですか?」
それを聞いたムササビは、上げていた腕を下ろしてあからさまな溜め息を吐いた。
「お前さんたちは、もうちっとばかり危機感を持った方がいいんじゃねェか?」
「……ああ、なるほど。つまりお目付け役、というわけですか」
「半分は、な。あとの半分は──、まァおれ本来の仕事ってやつさァ」
「そうでしたか。それはムササビさんも大変ですね。ご迷惑をおかけします」
ブルックとムササビだけで話が進み、話の内容がいまいちつかめないウタは小首をかしげて、そして不満げに口を尖らせた。
「ねえブルック、勝手に理解してないで少しは説明してよ」
ヨホホ、とブルックが笑う。
「そうですねウタさん。まず我々のせい、というのは、世界政府が我々を注視しているということでしょう。自分で言うのもなんですが、私たちも結構有名人ですから、私たちがヘンな気を起こさないように監視したいというのが一つ。もう一つは、私たちや、私たちのライブに来た観客を狙った犯罪者の取り締まりと言ったところでしょう」
いかがですか、というブルックの問いに、
「まァそんなところだ」
とムササビは首肯する。
「じゃあ、本来の仕事ってのは?」
「悪党どもをとっちめることに決まってるだろォがよ。……お前さんたち、ここらで事件の噂、耳にしなかったか?」
ムササビの言葉に、ウタとブルックは、はてと顔を見合わせて首を傾げた。
「事件?」
「特には……」
そォかよ、とムササビが溜め息を吐き、少しだけ考えてから口を開いた。
「まァ、お前さん方も有名人だ、狙われる恐れもあるだろうし、伝えても罰は当たるまい。……数年前から、このマーリシーモ群島では不自然に行方不明事件が多い、てェのがもっぱらの噂でな。しっかしここに駐屯している海軍は、特に異常はないと来たもんだ」
「……なら噂なんじゃないの?」
「そう簡単ならよかったんだがよ」
そう言ったムササビは、唇の片端だけ上げて、どう猛な笑みを見せる。
「ちィっとばかり、ウチの部下に情報収集させてみたら、実際に行方不明は多発しているってェ報告が上がってよ。まァここにいる海兵どもはアテにできねェってこった」
なるほど、とウタが手をポンと打った。
「ムササビさんもマジメだね」
「……バカにしてェのか?」
「え? いやいやいやいや! そうじゃなくって! そのマジメさが市民の平和につながれば、とても素敵なことだと思うから。海兵がみんなムササビさんみたいならいいのに、って」
率直な感想を歯に衣着せずに言ったウタに、ムササビは「は」と鼻で笑ってから二人に背を向けた。
「そんなわけで、おれも暇じゃァねェんだ。せいぜい気を付けろよ、世界の
軽く手を上げて去っていく〝正義〟の文字を見送りながら、ウタはぽつりとつぶやいた。
「まったく、どこもここも物騒だね。わたしも頑張らないと」
「ヨホホ! 心意気は素晴らしいですが、しかし今は──」
「明日のライブに集中、でしょ? 大丈夫、わかってるよ。舐めないでよね」
ウタは勝気な笑みを浮かべて、ムササビが去った方とは逆の、町の中心の方へと歩き出す。
「じゃ、今日のリハーサルも張り切っていこう!」
お読みいただきありがとうございます。
次回は予定通り来週更新できるはずです。残り2~3話くらいだと思われます
よしなに。