外伝:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界 作:館凪 悠
じりじりと、ろうそくの炎が空気を舐める。
ゆらりと揺れた炎が、その場にいる者たちの影を揺らした。
ブルック、ウタ、カバル。
そして、人攫いを生業とする悪党どもの十一人。
悪党どもはもれなく手足を縄で縛られ、床に転がされていた。
ウタとブルックは、音楽や今日のライブについてなどの雑談をしながら、勝手気ままに時間を使っている。
状況を上手く把握できていないカバルは、独り不安そうにポツリと座っていた。
「……くそっ、まったく、ドジったぜ」
床に倒れながら、髭面の男が忌々し気に呟く。
「ドジったというなら、身の振り方自体でしょ。反省して観念しなよ」
つっけんどんに、冷たい目をしてウタが言う。
いやはやこれは手厳しい、とブルックが苦笑するように肩を竦めた。
そんな二人の様子に、縛られているはずのその男──悪党たちの首領は、余裕のありそうな笑みを浮かべた。
「おい、お前たち。今おれたちを解放すれば、まだ間に合うぜ?」
「間に合う?」
眉を顰めて、ウタがその台詞を復唱する。
そうだ、と首領は唇を歪めて笑う。
「このままおれたちを縛っておくと、後悔するぜ、って言っているんだよ」
「後悔、ですか。この状況から、逆転する秘策があるとは思えませんけどねェ。あなた方、能力者も混じってないみたいでしょうし」
「そうなんだ?」
そういえば、と言う口調のウタの声に、ブルックがええ、と頷いた。
「油断したところを能力者に──、という話はよくありますからね。外の海に一回沈めて確かめました」
「沈めて!?」
一度驚いてから、ウタは道理で、と呆れ顔になった。
「なんかやけに濡れてるし潮の香りが強いと思ったら……」
「まあそういうことです」
ヨホホ、とブルックが笑う。
で、とウタはしゃがんで、首領に再び尋ねる。
「わたしたちが何に後悔するって? えーと、シ、セ、ジェンさん?」
「シエンだ」
「名前はどうでもいいですので、何か企みがあるなら、言っておいた方がいいですよ。拷問する手間が省けますから、エヌさん」
「シ、エ、ン、だ!!」
シエンと名乗った首領は、苛立たし気にそう言うと、ぐいと体をひねって身を起こした。
「は、拷問ねェ。……例えばの話だ。おれが人攫いじゃなかったらどうする?」
「はァ? 何言ってんの?」
「何、だって?」
にやり、とあくどい笑みを顔に貼り付けて、シエンが勝ち誇ったように言う。
「おれたちはただの人材斡旋業者だぜ? その会社に踏み入って、人をふん縛るやつらの方が、よっぽどの悪党だとは思わねェか?」
シエンがその言葉を発するが早いか、建物の外で鳴る水音。
複数の足音。
ダン、と激しく扉が開く音。
そして現れたのは──
「あー、こうも露骨だと、流石にあったま来るよね」
「ええ、怒髪天を突くというのはまさにこのこと。私のアフロもストレートになって逆立ってしまいそう」
乱入者たちの顔を見て、ウタは露骨に嫌そうな、そしてブルックは呆れたような顔をした。
入ってきた男たちが身に着けているのは、白を基調とした海兵服。
つまり──
「ウチお得意の人材斡旋業者を荒らす悪党がいると聞いてみれば、おやおや! 不審な人物が二人、ちょうど現行犯だ」
仰々しい物言いをしながら、海兵の隙間から出てきたのは、私腹を肥やしたのだろうか、でっぷりと太り、そして少し頭のハゲた、ネズミのような印象のある海兵だった。
彼が噂に聞く、このマーリシーモ群島にある海軍支部の統括者、モーラット大佐なのだろう。
もちろん、〝噂〟というのが、良い噂のはずがない。
それは、この行為を見れば火を見るよりも明らかだろう。
「おい、
低い声で、ビシ、と手を振り下ろす。
その指示に沿って、海兵たちが動き出す。
ウタは、そんな彼らのお様子を冷徹な目で眺めつつ、頭の片隅で考える。
(なんで、この人たちはこんな男の命令を聞くのだろう)
命令だから?
そんなはずはないだろう。なにせ海軍は基本的に〝正義〟の元に集った者たちなのだから。
中には、このモーラットのようなあくどいことを考える者もいる。
しかしそれは果たして、〝元から〟だったのか、〝堕落してしまった〟のか。
堕落した者たちが集まっている?
それとも、何か、逆らえない事情があるのだろうか?
すっ、とウタの目つきが細くなる。
ここで考えたって、答えが出るはずもない。
そのまま目を閉じて溜め息を吐き、
ウタとブルックの背後の扉が、けたたましい音を立てて蹴破られた。
びくり──
いきなりのことに、海兵たちが身を竦める。
ひるまなかったのは、腐っても大佐だからだろうか。モーラットただ一人だった。
「おい」
ドスの利いた声。
「ひるむな、行け」
モーラットのその声に、ウタたちの背後の暗闇が、掴んだ柱を握りつぶさんばかりに拳に力を込めて返した。
「下衆が。手前ェが海兵に命令するんじゃァねェよ」
モーラットよりも、さらに半オクターヴ低い声。
ゆらりと闇が揺らぎ、その影から、背の高い男が姿を現した。
毛髪のない頭に、傷痕だらけの相貌。さらに左側頭部には槍を模ったような入れ墨がある大男。
その容貌は、今ここにいる音楽家たちよりも、マーリシーモの海軍よりも、そして人さらいどもよりも誰より、悪党に見える、悪人面。
「お、お前は──っ」
初めて、モーラットの顔に動揺がはしる。
分厚い唇の方端を、かぎ針でひっかけたように吊り上げて、男が笑った。
「よォ、久しいな、何年ぶりだァ? ──堕ちたなァ、モーラット大佐?」
鋭く射貫くような目つきに、心臓をえぐるような鋭い声。
「む、むむむ、ムササビ──! 何故ここに……!?」
モーラットが男──ムササビの名を呼び、じりと後ずさる。
彼は知っているのだ。
ムササビという男が、貧民上がりのせいで階級こそ低いものの、その実力は中将にも劣らない傑物であるということを。
滝のような冷汗が、モーラットの肌を濡らす。
「あ、知り合いなんだ?」
この場の緊迫感にそぐわない声で、ウタがムササビに声をかける。
まァな、とムササビは吐き捨てるように是と答える。
「新兵の時に、少しなァ。まだその時は、腐ってなかったと思うんだがなァ──」
なァ、とムササビは、モーラットを睨めつける。
ひい、とモーラットは裏返った声を上げて後ずさろうとして、足をもつれさせて尻餅をついた。
指揮官の醜態と、それに相対する男の山を想起させる威圧感に、海兵たちは武器を構えたまま立ちすくむ。
ムササビはそんな海兵たちの間を、モーラットに向かって大股で歩み寄る。
床板が軋みを上げるたびに、モーラットは抜けた重い腰を引きずって、必死の表情で後ずさる。
「ま、待て──」
「あァ?」
モーラットへの忠義か、それともムササビの雰囲気に呑まれたのか──。
ずいと鼻先に出てきた海兵のカトラスを、ムササビはまるで意に介さないように、素手でその刀身を掴み、そしてそのままカトラスの刀身を握りつぶした。
「え? あ──」
掌の形に圧し潰されたカトラスを取り落とし、その海兵も腰が抜けたように尻餅をつく。
ムササビはそんな彼には一瞥もくれずに、震える小ネズミのようになってしまったモーラットの胸倉をつかんで持ち上げた。
「む、ムササビ、待て! こ、この島の全権はおれの下にある! 階級は同じ大佐だろう!? いろいろと問題だ! い、今なら全てなかったことにしてやろうじゃないか! なあ、昔馴染みのよしみだ! なあ!」
顔を引きつらせながら喚き散らすモーラットに、ムササビは冷ややかな目を向ける。
「なァ、
「ひっ!」
モーラットの歯の根がカチカチと鳴る。
「……歯ァ、食いしばんな」
言うが早いか、ムササビの黒い拳が、モーラットのたるんだ頬に食い込んだ。
「ぶげばっ!!?」
血の混じった唾液を口からまき散らして、家の壁をぶち破って、モーラットが吹っ飛ぶ。
意識を失い地面に倒れ伏したモーラットには一瞥もくれずに、ムササビが呟く。
「それになァ、今は准将だ。おれの方が立場も上なんだよ、モーラット」
ふう、と息を吐いてから、ムササビは「おい」と低い声を上げる。
「お前ェら、さっさと悪党どもを船に積み込め。悪徳行為についちゃあ、戻って精査してから処分を下す」
上の者には逆らえない軍隊気質からか、あるいはムササビの威圧感に屈したのか。
海兵たちがバタバタと動き、絶望した顔をする悪党と、そして地に伏したモーラットを、アジトの外に停めてあった海軍の船へと積み込み始めた。
「ほー、しかしムササビさんの仰った通りでしたねェ。海軍が絡んでいるとは」
顎骨を撫でながら、ブルックがヨホホと笑う。
は、と鼻で笑って、ムササビが肩を竦めた。
「嫌味か?」
「いえいえ。嫌味なんて口が裂けても言いません! あ、もう私の口、裂けるだけの余地が──」
「……」
じろりと睨まれて、ブルックはしぶしぶといった体でスカルジョークを辞めた。
「まあ、私も長く生きて……いえ、半分以上隔絶されて死んでますけど。ともあれ、大きな組織というものは、えてして一枚岩とはいきませんからねェ。その上、上は上で別の思惑を持っていたりしますし。ええ、組織勤めとは難儀なものです」
「は、気遣いどうも」
ブルックの言葉に、ムササビは苦笑して応える。
そして、ブルックとウタ、そしてその後ろで小さくなっているカバルの方へと向き直り、大きな掌でその毛のない頭を押さえて言う。
「まあ、なんだ。……身内が迷惑をかけた。すまなかったなァ、音楽家と、この島の住民よ」
謝罪の言葉と共に、その大男はウタたちとカバルに向かって頭を下げた。
「いや、別にそれはあんたが謝ることじゃあ──」
そう言いかけたウタの言葉を、ブルックが骨の手で遮る。
「謹んで謝罪をお受けいたしますよ海兵さん。ところでですねェ、よろしければ謝罪ついでに一つ、お願いが」
「……なんだ?」
いえね、とブルックはいつもの調子で続ける。
「どうせなので、キルエハの町まで船に乗っけていただけないかなァと思いまして! ほら、私たち、この後ライブも控えてますし」
毒気を抜かれたような表情を浮かべて、ムササビは溜め息を吐いた。
「まったく、やっぱり食えない男だなァ、あんたは」
「ヨホホ! なにせ肉はないですからねェ!」
「くだらない戯言は置いておいて、だ」
ムササビの言葉に、「戯言!?」とショックを受けて、ブルックはがっくりとうなだれる。
そんなブルックは意にも介さず、ムササビは言葉を続けた。
「もとよりそのつもりだ。そこのガキを連れて、夜の森を歩けとも言えねェだろォがよ」
乗りな、とムササビが背後の船を指差す。
しかし──
「でもそれ、あいつらが乗ってきた船だよね? ……大丈夫なの?」
怪訝そうな顔で、ウタが尋ねる。
それはそうだろう。
何しろ、ムササビがここに来たのは陸路。今外にある船は、モーラット大佐が乗ってきた船なのだ。乗組員も、マーリシーモ群島の海軍の海兵たち。信頼しろというのは、いささか無防備に過ぎる。
だが、その心配すらも、ムササビは鼻で笑い飛ばした。
「は。おれが乗るんだ、粗相はさせねェよ。安心しな」
そう言って、ムササビはゆらりとウタの方へと近づき、
そして彼女の横を通り過ぎて、その後ろで小さくなっていたカバルの下へ歩き、そして目線を合わせるようにしゃがんだ。
「坊主も、怖かったろう。よく耐えたな」
そう言って、ムササビはその大きな掌で、カバルの頭を乱暴に撫でると、直ぐに立ち上がり、船の方へと歩き出した。
「へえー」
意外だった、と驚いたような顔をしてウタはムササビの後ろ姿を眺めてから、カバルに手を差し伸べる。
「じゃ、わたしたちも行こうか」
「……うん」
カバルは小さく頷いて、その手を取った。
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次回、「骨と歌と笛吹きの少年」の最終話です。土曜投稿予定となります。
最後までお付き合いいただければ幸いです。