外伝:くまに飛ばされたブルックの行き先がエレジアだった世界   作:館凪 悠

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骨と歌と笛吹きの少年 8

 まったく、困ったものだ。

 ステージの袖で、ぽつりと立ちながら、思う。

 もう開演時間を三十分は過ぎているというのに、一向に帰ってくる気配がないとはどういうことか。

 ……しかし、理由が理由だ。

 怒ることはない。

 だが──、それはあくまで私の話。

 この客席に来ている観客(オーディエンス)に関しては、そうも言ってはいられない。

 何しろ、彼らは今日を楽しみに、お金を払って足を運んでくれたのだ。

 この町の人もいる。

 外の島から、命を懸けて遠路はるばる来た者もいる。

 少しくらいなら、待ってはくれるだろう。彼らだって、お金を払ってタダで帰りたくはないだろうから。

 しかし、それもあくまで少(・)し(・)だ(・)け(・)。

 お金を払った分、期待は裏返されて怒りへと変わってしまう。

 まったく、困ったものだ。

 この場を、何とか独りでしのげなどとは。

 まったく、本当に。

 うちの音楽家たちは、自由が過ぎて困ってしまう。

 だが──

 

「──任されたからには、私は私の仕事をしよう……」

 

 照明と音響に合図を出して、私は、ゆっくりとステージへと上がる。

 ついこの間まで、十年以上上がることのなかったステージに立つのも、もう慣れた。

 出てきた私の顔を見て、一瞬だけ聴衆の顔が期待に輝き、そしてその大部分がすぐに託譚の表情に変わる。

 ──別に、それはいい。

 自分に花がないことは、自分が良くわかっている。

 今更、個人の音楽家として名を上げるような欲も持ち合わせていない。

 私の役割は、少しでも彼女たちの支えになること。

 ステージに、足音が響く。

 そのまま客席には一瞥もくれずに、私はステージを横切って、ピアノの下へ。

 椅子を引き、座る。

 ぎぃ……

 小さく椅子が軋みを上げる。

 それが止むのを確かめてから、私は天井を仰いで、そして目を閉じた。

 そう。

 別に裏方だということに文句を言うつもりはない。

 それでも──。

 それでも、私は音楽家だ。

 一人の音楽家としての、矜持がある。

 ステージを任されて、なす術もなく、観客(オーディエンス)を帰らせてしまいました、というのは、私の矜持(プライド)が許さない。

 バチン

 ライトの消える音。

 ゆっくりと目を開けば、既に客席は闇に包まれている。

 光が当たっているのは、ここ。

 ステージだけだ。

 すう、と息を吸い込んで、私は歌を歌うときのように朗々と、その名前を告げる。

 

「『ピアノ奏鳴曲(ソナタ)第六番、変ロ長調〝序曲(プレリュード)〟』」

 

 Bのフラット音から音階を駆けのぼり、Eのフラットを経由して、ピアノの横幅目いっぱいを使ったスケールから始まるこの曲。

 このライブコンサートの〝序曲〟で、ある私のピアノパフォーマンスのトップを飾るには、もってこいの曲だ。

 さあ、聴衆たちよ。

目を閉じてこの音を御覧じろ。

 音楽会が始まるその時まで。

 このピアノが織り成す、音による楽を、脳の髄で感じなさい。

────

───

──

─

 荘厳なピアノが鳴り響く音楽の中、少年は船の上で交わした会話を思い出していた。

 

『……おれ、今回のことでわかんなくなっちゃって』

『何が?』

 

 ベッドに横になる少年の話を聞いてくれたのは、紅白の髪の女性。

 もう一人の骨は、あまり口を挟まなかった。

 

『……ウタさんたちに、楽器教えてもらったけど──そんなこと、してる場合じゃないのかな、って』

『そんなこと? なんで?』

『……だって、楽器だけ知ってても、身は護れないし、それに──、ちょっと人攫い(あいつら)の家を見て、思ったんだ。もしかしたらおれ、孤児だけど、その──結構いい暮らしさせてもらっているのかなって』

『? それで?』

 

 わかっては、いたことだ。

 今、この世はまさに大海賊時代。

 外の世界は悪党がはびこる、そんな時代。

 生活の質だって、ムラがある。

 父と母が生きていたころは、まだ裕福な暮らしをしていたと思う。

 だが、孤児院に来てからは、貧しい生活──。

 そう、思っていた。

 だが、衣服はいつも清潔で、家を一日開けていても、食事はしっかりと出てきて、ベッドは硬くても、ネズミが頻繁に出入りするような穴はなかった。

 だけど、あの悪党たちが暮らしていただろうアジトは──。

 いや、アジトを普通の家と比べるものではないのかもしれないが。

 それでも──。

 

『音楽なんかしてて、いいのかなって──』

 

 どうにもならない痛い思いとつらい経験、そして、あの物置とネズミ。

 悪党になれない者たちは、もっと生活も苦しいのだろう。

 それくらいの想像が、つくようになっていた。

 少年の中で、音楽が好きだという感情は変わらない。

 形見の楽器が大切だという感情も変わらない。

 だが、こ(・)の(・)世(・)界(・)で(・)生(・)き(・)て(・)い(・)く(・)た(・)め(・)に(・)、音楽を生業とするのは……。

 果たして、孤児の自分に、そんな余裕があるのだろうかと、少年は考えたのだ。

 今はまだいい。

 恵まれた孤児院の生活があるから。

 しかし、この後五年後、十年後は──?

 真剣に言った言葉に、しかし紅白髪の女性はぷっ、と一つ吹き出してから、

 

『あははははは!』

 

 耐えきれなかったかと言わんばかりに、心底おかしそうに笑ったのだった。

 バカにした笑いではない。

 それよりももっと、カラッとした──

 ひとしきり笑った後、目じりの涙をぬぐってから、彼女は口を開く。

 

『きみ、まだ10歳とかだったよね? 考えすぎでしょ、わたしより地に足をつけてて偉いなァもう』

『えっ』

 

 どういう意味だろう、と聞くまでもなく、彼女は勝気な笑みを浮かべて言ったのだ。

 

『ねえ、多分疲れていて、体中痛いだろうけどさ。今夜、わたしたちのライブを見に来なよ』

 

 自信たっぷりに、彼女は言う。

 

『〝夢〟見させてあげるからさ』

 

 

 そう。

 そんな話をしたのが、つい三十分ほど前くらいだろうか。

 遅ればせながらカバルはコンサートホールまでやってきて、それで特別、こっそり後ろから入らせてもらった。

 孤児院の仲間たちは、カバルが無事だったことに喜んでくれたけれど、流石にコンサートの途中だ。

 声を出す前に、シスターの「しっ」という鋭い声に、皆手振りだけで良かった、ということを表現していた。

 ただ、シスターだけは、カバルの体を強く抱きしめて、静かに涙を流していた。

 カバルはそれがとても恥ずかしくて、しかし、そう想ってくれる人がいることがありがたくて、それを振りほどくことができなかった。

 今は皆、客席に静かに座って、ピアノの音をじっと聞いている。

 ステージでピアノを弾くのは、初老にかかろうかという、大柄の男性。ただ一人である。

 そんなゴードンも、流石に限界を感じていた。

 これ程長時間、独りでピアノを弾いたことがあったろうか。

 昔はあったろう。

 しかし、今の年齢となっては、流石に厳しいものがある。

 体力と、集中力がもたない。

 どうしても、考えてしまう。

 まだなのか、と。

 まだ戻ってこないのか、と。

 不安が、膨らんでしまうのだ。

 年齢のせいで、自分が役割を全うできないのではないかという不安と。

 自分が止めなかったせいで、彼女たちが危険な目に遭っているのではないかという不安が。

 その不安を御して、なんとか曲を終わらせる。

 まばらな拍手。

 そうだろう。

 もう、観客もピアノの音に慣れてしまった。

 そもそも、土台無理があったのだ。

 今日ここにいる者たちは、ピアノの音を聞きに来たわけではない。

 

(──それでも、私は弾かなければならない)

 

 それが自分の役割であると、ゴードンはわかっていた。

 彼女たちを支える、〝音父(ゼバスティアン)〟の──。

 

 

 ばたん、と大きな音を立てて、ホールの扉が開く。

 何事か、と観客たちがそちらを見る。

 ゴードンも、もちろん──

 

「──ああ、遅かったじゃないか」

 

 ぽつりと、低い声で呟いていた。

 それに応えるように、彼女はホールの階段を、まるで平原を駆けるがごとく軽やかに駆け抜ける。

 その靴音によるステップと、そして風は、まるで妖精や天使や、そんなおとぎ話のようなものを想起させて──。

 ダン、という靴音と共にステージに降り立ったのは、所々に擦り傷を作って、あまつさえ髪には木の葉が一枚突き刺さった、ティーシャツにジーンズ姿の、髪色以外はどこにでもいそうな、野暮ったい少女だった。

 ウタは荒れた息を整えるように一度深呼吸をし、もう一度息を吸ってから、右手を大きく上げた。

 

「ごめん、みんな! お待たせしちゃって! ウタだ──」

「ちょっとウタさん!? あなたせめて髪に櫛くらい通してから! まだ髪に葉っぱが!」

 

 慌てたように、ウタが駆けていったステージまでの道をなぞるように、アロハシャツに着替えたブルックが走る。

 

「え、葉っぱ?」

「あーもう、ウタ。ちょっとこっち来なさい」

 

 ピアノから立ち上がったゴードンが、見ていられないというような表情をして、ウタを手招きする。

 それに気が付いたウタは、なに? と言うように首を傾げて、ゴードンの下へと歩いて行く。

 そして、ゴードンに葉っぱを取ってもらい、ようやく自分の格好に気が付いたらしいウタは、少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

 そんなコミカルなやり取りに、観客たちは肩の力が抜けたように見えた。あまつさえ、クスクスと笑い声をあげている者もいる。

 そんなことをしている間に、ゴードンの合図によって、舞台上のセッティングがなされる。

 コホン、と気を取り直すように咳ばらいをして、ウタは宣言を始める。

 

「改めて、みんな、ごめんね! ちょっと用事が出来ちゃって、遅れちゃって! でも、もうそれも終わったから大丈夫! 用事に関しては、明日になればみんなもわかると思うから、特に気にしなくていいからね! さあ──」

 

 ウタの表情が変わる。

 ウタから、〝歌姫(プリンセス)〟へ。

 

「時間が遅れた分、今日は最っ高の夜(ライブ)をお届けするよ!! じゃあ、盛り上がっていこう! 耳に焼き付けろ、最初の一曲(ファーストナンバー)!」

 

 そのウタの口上に、ブルックが声を合わせる。

 

「「『それでも、歩く(Even so,Walking)』!!!」」

 

 ベースの落ちる音(フォール)に続いて、ゴードンのドラムとブルックのベースが入る。

 激しすぎず、ゆったりし過ぎず、歩くようなテンポで曲が進む。

 

 

「夕焼けに染まった海に 揺れていた道しるべ

 風に乗った潮の香りに 淡い夢が揺れていた──」

 

 

 緊張、不安、怒り──。

 開演時間が時間が遅れたことにより、観客の中に残っていたそのしこりをほぐすように、やわらかく暖かな声が響き渡る。

 わあ、と孤児院の誰かが声を上げたのが、カバルの耳にも聞こえた。

 思わず声を上げてしまいそうなほど、綺麗な音楽だった。

 音楽は続く。

 一つの音楽が終われば、次の音楽が始まる。

 明るい曲。

 楽しい曲。

 激しい曲。

 悲しい曲。

 落ち着いた曲。

 綺麗な曲──。

 その曲に合わせ、音楽家たちの奏でる音色も、まるで別の楽団に変わったかのようにまったく別のものに変わる。

 それにつられたように、観客たちの感情も、上がったり、下がったり──。

 今、この瞬間だけは、きっとみんな、音楽に酔っていた。

 誰も彼も、みんな。

 カバルも、その一人だった。

 今日あったことも、外の世界のことも忘れてしまうような、そんな高揚感。

 

(……ああ、いいなあ)

 

 ステージに立つ、きらきらと輝く音楽家たちを見て、カバルは思う。

 将来への不安。どう生きていけばいいのか、その行き先に対する不安。

 自分ももしかしたら、彼(・)ら(・)のようになってしまうのではないかという、不安。

 決して軽くはないその不安を通り越してなお、焦がれてしまう憧憬。

 思わず腰に提げた袋から、楽器を取り出して握り締める。

 カバルは心底、音楽に焦がれていた。

 ずっと、ずっと音の出ない楽器を練習してきて。

 見たことのない、音楽家たちの演奏会を夢見て。

 練習が実らない自分の無能さに、腹立たしさすら感じて。

 そして、ようやく楽器が吹けるようになったと思ったら、世(・)間(・)がどういうことになっているのかを知って。

 音楽なんて、やっている場合ではないのかも、なんて思ってしまったけれども。

 このステージを見て。

 この音楽を聴いて。

 この音楽家たちを見て。

 やっぱり、と思う。

 カバルは、音楽に焦がれていた。

 前よりも、ずっと。

 未だ、コンサートの熱気は冷めやらない。

 ライブはまだ、始まったばかりだ──。

────

───

──

─

 人攫いの事件も、ライブの喧噪も、今はもう一夜前の話。

 クゥクゥと鳴く海鳥の声が、港に朝を告げていた。

 夢のような一夜は終わり、また人々は日常へと戻っていく。

 音楽家とて、それは変わらない。

 船に荷物や楽器を積み込んで、次の仕事(音楽会)へと向かう。

 そして、外の世界を生き抜くための修行の日々も──。

 

「よォ」

 

 ゴードンの指示でに運びをする水夫たちに交じって、荷運びを行っていたウタとブルックに、そんな声がかかる。

 大きな体に、毛髪のない、刺青の入った頭。

 ムササビだった。

 

「あ、ムササビさん」

「おや、おはようございます。どうなさったんですか?」

 

 予定にない来訪だったようで、ウタとブルックは少し驚いたような顔をして、ムササビに訊ねた。

 ムササビ曰く、船が出るまでにここへと足を運んだのは、関係者として事件の顛末を伝えるためとのことだった。

 まず、この島の海軍に関しては、次の総括者が海軍本部から派遣されるまで、ムササビが代理で取りまとめることになったらしい。

 特にそれは、驚くようなことではなかった。

 現在この島にいる海兵の中で最も役職が高いのは、ほぼ私用でこの島にやってきていたムササビな上、さらに海軍の汚職をその手で暴いたのだから、海軍からすれば、島民からの信頼を失わないためにも、ムササビを利用しない手はないというわけだ。

 

「へえー、ムササビさん、それ引き受けたんだ?」

「あァ? そいつァどういう了見だ?」

「いやァ、だってムササビさんって、そういう管轄する仕事より、現場で悪党を殴らせろってタイプかと思ってたから──」

「はァ……。お前さん、人のことをなんだと……」

 

 閑話休題。

 あれでモーラットはある種有能な男だったようで、件の人攫いはじめ、この島の端々にいる悪党どもと関係を持っていたようだ。海兵の中にも、そこからの出自の者を混ぜていたらしい。それにより、うまいこと自らの悪事が他の海兵に感づかれないように立ちまわっていたのだろう。

 そして性質(タチ)の悪いことに、モーラットは確かに海軍としての仕事は真っ当にしていたのだ。

 主に、島の外から寄ってくる、この島には関係のない海賊たちを、モーラットはきちんと撃退ないしは鹵獲、捕縛ししかるべき処罰を与えている。

 そのせいで、マーリシーモ群島の民衆はおろか、海軍内部からも、今までモーラットを疑う者こそあれ、誰も彼の悪事を暴くことのできなかった要因だ、ということらしい。

 そして、モーラットも海(・)兵(・)擬(・)き(・)も、そして堕落して実際悪事に手を染めてしまった海兵も、今は全員、マーリシーモ群島の海軍支部にある監獄に仲良く囚われている。

 しばらくして、本部の船が来たら護送され、裁判にかけられるそうだ。

 

「…………」

「お前さんがそんな顔することじゃァねェよ」

 

 最後にそう言い残して、ムササビは「またなァ」と手を振って去っていった。

 そんな顔、と言われて、ウタは自分の右頬を引っ張ってみる。

 そんなウタを見て、黙って話を聞いていたブルックがヨホホと笑った。

 

「……何?」

「いやァ、悩むのも揺らぐのも、成長に必要なことです。特に若人はそういった経験を伴って──って、痛い! 痛いですよ! 荷物の角でつつかないで!!」

 

 真面目な内容なくせに、仰々しい口調でそんなことを言うブルックに、ウタはからかわれているのか褒められているのかの判断に迷い、とりあえず持っていた荷物でブルックをつつくという選択肢を取ったのだった。

 

「あ、こら、ウタ、そんなはしたない……」

 

 控えめなゴードンの注意が、港に飛ぶ。

 そんな出立前の朝の時間。

 

「ウタさん! ブルックさん!」

 

 港に、若い少年の声が飛ぶ。

 声のした方へと目を向けると──。

 

「おや、カバルさん」

「ちょっと、昨日あれだけのケガとかしたのに、そんな走って大丈夫なの?」

 

 ぜえぜえと息を荒げたカバル少年が、そこに立っていた。

 息を整えながら、カバルが言う。

 

「もう、出港の準備してるから、会えるのは今のうちだぞって、怖い海兵の人が」

「怖い海兵……」

 

 おそらく、ムササビのことだろう。

 ここを去ってから、真っ直ぐ孤児院へと出港について教えに行ったのだろうか。

 まったく、あの悪党じみた見た目のくせに気が利く男だ、とウタは小さく苦笑する。

 

「あはは、準備が終わったら、こっちから顔を出そうと思ってたんだけどね。ねえブルック」

「ええ。さすがに体温のない私でも、教え子に声もかけずに島を発つ、なんて冷血なことはしませんよ。なにせ私、もう血が流れていないですから!」

 

 ヨホホとスカルジョークを飛ばすブルックに、ウタは呆れたような表情を浮かべて、そしてしゃがんでカバルと目線を合わせる。

 

「ライブ、どうだった?」

「本当に……凄かった」

「楽しかった?」

「うん」

「面白かった?」

「うん」

「また来たい、って思った?」

「うん」

「〝夢〟みたいだった?」

「───うん。夢みたいな時間だった」

「そっか」

 

 その答えを聞いて、ウタは満足そうに笑顔を見せる。

 

「よかった!」

 

 晴れやかな、雲一つない青空を想起させるような笑み。

 その笑みに、思わずカバルも、腫れた頬を緩めて、笑顔を作ってしまう。

 

「わたしね」

 

 ウタはそう言って立ち上がると、海の方へと目をやった。

 

「今の時代、嫌いなんだよね。あ(・)あ(・)い(・)う(・)や(・)つ(・)ら(・)が、どうしても生まれてきてしまう世の中だから。だけど、それで好きなもの、素晴らしいものを手放すって、なんか癪じゃない? 負けたみたいでさ」

 

 それで、と彼女が続ける。

 

「わたしね、昔からとっても負けず嫌いで、とっても欲張りなんだ」

「欲張り……?」

「そ。欲張り」

 

 驚いたようなカバルの声に、ウタはそう頷いて、ふふ、と笑いを零し、そして真剣な表情を作る。

 

「わたしの〝夢〟はね、誰でも自由に音楽に触れられるような、平和な時代。そんな時代が来たら、最高だろうなって、ずっと思ってる」

 

 そう言って彼女は、カバルの方を振り返った。

 

「ね? こんな〝新時代〟を求めるなんて、とても欲張りだと思わない?」 

 

 なんて言って、ウタは再び笑顔を作る。

 ぽかんと口を開けて、カバルは固まってしまった。

 ──この人は、今の〝時代〟を終わらせようとしている? それこそ、話に聞く〝海賊王〟のように?

 カバルは幼いながらにそう驚き、唖然とする。

 

「すごい……」 

 

 本当に凄い人たちに、〝音楽〟を教えてもらったんだな、とカバルは思う。

 ヨホホ、と小さく笑って、ブルックが言う。

 

「そして、カバルさんにはそんな時代で、〝音楽〟をしていてもらいたい。ですよね、ウタさん?」

「そういうこと」

「あ──」

 

 彼女は覚えていたのだろう。

 カバルの言った、『音楽なんて』という言葉を。

 

「その『音楽なんて』ものが、もっとたくさんこの世界に響くように、わたしは頑張ってるからね。無理にとは言わないけど、カバルくんも、少し手伝ってくれると嬉しいなって思ってる」

「────」

 

 強い、言葉だった。

 意志の、信念のこもった強い言葉だった。

 だからね、とウタが続ける。

 

「もし、カバルくんが本当に音楽を好きなら、音楽を諦(・)め(・)な(・)い(・)で」

「──うん」

 

 ウタの真っ直ぐな瞳に、カバルは頷く。

 雰囲気に呑まれたからではない。

 昨日のコンサートライブを聴いて、カバルが決めたことだ。

 カバル自身が、決めたことだ。

 

「大丈夫。おれ、音楽のことが大好きみたいだから」

 

 そっか、と言って、ウタは再び歯を見せて笑った。

 だから、とカバルが続ける。

 

「ウタさん、ブルックさん。本当にありがとう」

 

 楽器を教えてくれて。

 助けてくれて。

 音楽を、教えてくれて。

 ヨホホ、とブルックが笑い、どういたしまして、とウタが微笑む。

 よし、とウタは再びカバルの前にしゃがみこんで、右手の小指を差し出した。

 

「え?」

「音楽家仲間として、約束!」

 

 にっかりと歯を見せて、ウタが言う。

 

「ま(・)た(・)ね!」

「……! うん、また!」

 

 カバルが、ウタの指に自分の小指を絡める。

 ま(・)た(・)どうしようとは言わない。

 また会おう、なのか。

 一緒に練習しよう、なのか。

 音楽を聴かせて欲しい、なのか。

 あるいは聴いて欲しい、なのか。

 あるいは、一緒にステージに立とう、なのか。

 ただ、また逢うその時まで、音楽を諦めないことを、約束する。

 

 

 

 帆が風を受ける音が港に鳴り、船が波をかき分けて進み始める。

 カバルや、見送りに来た昨日の観客、お世話になった料理屋の店主などの姿が見えなくなるまで、ウタは手を振り返していた。

 

「良かったんですか?」

 

 ウタと一緒に、こちらはコミカルに手を振っていたブルックが、低く、真面目な声で尋ねた。

 

「何が?」

 

 ウタが小さく首を傾げる。

 

「約束ですよ」

 

 静かなブルックの声。

 約束は、何より重いものである。

 裏切りは、何よりも非道いものである。

 それは、ウタとブルックの共通認識であった。

 ブルックは尋ねているのだ。あんな不確定な、叶えられるかもわからない〝夢〟を約束して良かったのか、と。

 だが、ウタはその言葉に、にやりと笑みを作って応える。

 

「今更諦めるわけないでしょ、だってわたしだよ?」

「いやー、これは頼もしい!」

 

 それに対して、ヨホホとブルックが笑う。

 だが、生ける骸骨はまたすぐに、真面目な声色に戻る。

 

「……今回、何か思うところがあったのではないですか?」

 

 図星だったようで、ウタの笑みが崩れる。

 真面目な表情で、船のへりに体重を預けて、ウタが言う。

 

「……音楽を通じて、ブルックを通じて、世の中にはいろんな人がいる、ってこの一年で学んできた。──つもりだったんだけど、ああいった海軍の人を見ると、どうしても考えちゃってさ」

「……『海軍は、正義の味方じゃないの?』ですか?」

 

 あはは、とウタは力なく笑う。

 

「図星」

「顔に書いてあります」

「ブルックには敵わないなァ」

 

 そう言って、ウタは海の方へと目をやった。

 

「わかってる。一人ひとり、違う人間で、組織だってあくまで同(・)じ(・)よ(・)う(・)な(・)目的を持った人たちが集まった場所。決して一枚岩じゃないんだって」

「そうですね。我々が音楽活動を始めて、最初に会った海兵が、ムササビさんで良かったと思います」

「あはは、そうだね」

 

 ウタは頷いた。

 そう。

 あの愚直なまでに民のことを思い、真っ直ぐな海兵を知っているからこそ、〝考えちゃう〟で済んでいるのだ。

 海軍の中にも、悪い奴はいる。モーラットのように。

 頭ではわかっていたことだ。

 海賊の中にも、いい人はいる。ブルックみたいに。

 ウタは既に、そのことを知っているのだから。

 だから、その例を目の当たりにして、少し動揺しているだけ。

 

「……もっと強くならないと」

 

 ウタは決意を強くする。

 何しろ、目指す先には敵が多い。

 ムササビのような真っ当な海兵も、モーラットのような悪辣な海兵も、〝赤髪海賊団〟のような海賊も、音に聞く〝黒ひげ海賊団〟のような海賊も、そしてあまたの悪党と──。

 そして、〝時代〟を敵に回すのだ。

 いくら鍛えたところで、いくら備えたところで、不足こそあれ過剰ということはないだろう。

 パチン、と自らの頬を両手で張って、ウタはブルックに手を差し出す。

 

「ねえブルック。次のライブが終わって、島に帰ったらまたビシバシ鍛えてね」

「ヨホホ。同じ〝夢追い人〟同士です。手加減はしませんよ」

 

 冷たい骨の掌が、ウタのてを握り返す。

 そんな二人の様子を、少し遠くから、ゴードンが微笑んで眺めていた。

 景気づけに、とどちらからともなく、音楽(セッション)を始める。

 ブルックのバイオリンに、口遊むようなウタの歌声が絡む。

 

 

「窓の外 青い空 鳥が羽ばたいて

 雲の下 しぶき潮風 鳥の歌声」

 

 

 船は行く。

 音楽家たちを乗せて、次の島へ。

 

 

「窓を開けて 青い風 心解き放ってみて

 唄よ届け 雲の向こうへ 船乗りの唄」

 

 

 船は行く。

 夢を抱くものを乗せ、海の向こうへと。

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
いったんネタ切れですので、ブルックとウタのお話はこれにてひと段落とさせていただきます。また思いついたら書くかもしれませんので、こちらの外伝につきましては、完結にせずとっておこうと思います。

お付き合いいただきありがとうございました。またどこかの小説でお会い出来れば幸いです。
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