元々身内向けに細々と書いていた小説をリメイクしながら書いています。
拙作ですが楽しんでいただけたら嬉しいです。
燃え盛る炎に照らされた、
どこかから弾け飛ぶような音が響いた。地鳴りのようにも感じた破砕音が、この世界の終わりを告げている。等々と並んでいたビルも、街並みも、空も。その全てが、ゴウと唸る炎に包まれて、終焉へと向かっていた。
乾いた空気が、喉の餓えを誘う。現実と非現実の境界が曖昧になって、己がどこに立っているのかもあやふやだ。だが、だが、だがしかし。一つだけ――少女には分かることがあった。
――それは、
「…………ダメ、だよ」
熱で解けていく意識を、か細い声が糸となって繋ぎ止めた。霞む視界の中で、自分へと手を伸ばす誰かがいる。
「……めちゃ、ダメ。……きっと…………から」
炎が巻き上げる音に紛れた声は、不鮮明で聞き取れなかった。それでも、その誰かが自分を案じて手を伸ばしている事は理解できた。
その手を掴もうと、煤に塗れて黒ずんだ手を伸ばす。震えた手は思うように動かない。それでも、この手を伸ばさなければきっと後悔する。だけど――熱と灰。目を焦がすような紅が、二人を遮る。
ズン、という重圧と共に、崩れ落ちるように少女が膝をついた。地鳴りと振動が、立っていられないほどに激しくなる。いよいよ、この世界の全てが崩れ、宇宙の塵芥に成り果てようとしている。
もう、意識を保っていられない。暗く昏い意識の底に、ただただ引き込まれていく。細く紡がれていた糸が、プツリと消えるその瞬間に――
――――生きてね
その言葉だけが、脳裏に焼き付いている。
ピピピ、と。軽快な音が、薄暗い部屋に響いた。
カーテンの合間から差し込む光。それに照らされたベッドの上、柔らかなシーツに包まれた少女が、その光から逃げ出すように顔を背ける。
それでも一度目覚めてしまった意識は、そのまま心地よい微睡みに逃げる事を許してくれない。
ムクリ、と身体を起こす。重力に従って流れる濃紺色の髪が、背を撫でた。
暖かいベッドとは裏腹に、肌に吸い付くような冷たさを拵えたフローリングの床を踏めば、かすかに微睡んでいた意識をしっかりと覚醒させてくる。
ペタペタと歩いてたどり着いたのは、部屋に一つだけある等身大の姿見の前。鏡に映る自分は、歯抜けになってボロボロになった炎の中の記憶にある自分よりも成長した姿。
はだけて肩が見えてしまっている寝間着。眠たげに細められた瞼から覗く、群青色の瞳。コテリ、と。首を傾げながら微笑んで、少女は鏡の中の己を確かめる。
「……おはよう、私」
少女──「ロシェ・イクリシス」の一日は、こうやって始まっていく。
◆
オラクル船団。『マザーシップ』と呼ばれる旗艦を中心とした、数百隻の随行艦──『アークスシップ』からなる、『外宇宙への進出と探索を目的とした』惑星航行船団。
規模にもよるが、一つの『アークスシップ』につきおおよそ百万人ほどの人口を持ち、オラクル船団全体で見れば億に達するほどの人々が、船団と共に生きている。
その船団の中の一隻。『ラグズ』と銘打たれた5番目に建設されたアークスシップ――その内部に建設された、透明なドームに包まれた都市部の一角に存在する高層マンションの一室が、ロシェの住居だ。
家の中だからと気を抜いているのか、はだけたままの寝間着を引き摺りながら彼女が行った事は、そのやけに乾いた喉を潤す事だった。
眠気眼のまま、ロシェが中空にゆったりとした動作で手をかざす。そのまま「コップ」と小さく呟けば、どこからか掌の上に集まった蒼い燐光が、瞬きをする間にコップへと早変わりしていた。
まるで手品のような現象は、このオラクル船団で住まう人々にとっては当たり前の事象であり、技術だった。世界を構成しているとされる、『フォトン』と呼ばれる粒子――厳密には、高度情報形成素粒子――を用いた技術。ロシェは詳しい原理こそ知らないが、とりあえず便利な物とだけ覚えている。
「ふあ、あ……」
齢17にもなろう少女が浮かべるには少し間抜けな大欠伸をしながら、ロシェはシステムキッチンの水栓のレバーを持ち上げる。蛇口から流れ落ちる水がコップに溜まり、その冷たさが指先に伝わるのを感じて、水を止めた。
「ん……」
コップへ緩く口付け、ゆっくりと水を口内から喉奥へと流し込む。すこし緩く持ちすぎたのか、唇の端から少しだけ水が顎へと筋と作って流れ落ちた。その水滴が鎖骨を撫でて、少しだけ冷たさに身体を震わせながら、ゴクリと喉を鳴らして水を飲み終えて。
「――ぷはぁ」
まるで仕事終わりにビールを流し込んだサラリーマンの如く、大きく息を吐き出した。口元に残った水を手で拭って、コップを放り投げるように振り上げる。それと同時に、まるで先程の巻き戻しのようにコップは淡い燐光へと姿を変え、ふわりと消えていった。
凝り固まった身体を揺らして解し、はだけたままだった寝間着を引き上げる。一人暮らしであれば大して気にもしないが、ここに住んでいるのはロシェだけではない。その証拠に、ロシェは水を飲んでいたときから、リビングルームよりかすかに聞こえる男性の声を認識していた。
ペタペタと裸足のまま、少し忍び足気味に。あまり音を立てないように、リビングルームの扉をゆっくりと開ける。そうすれば、先程から聞こえていた声は、幾分かハッキリとして聞こえる。
「――ああ、それでいい。アークスの技術部とは連携を密にとれ。ああ、あとは――」
ロシェの視界に、リビングルームに据えられたソファに腰掛けながら、耳元にホログラフ状の通信機――オラクル船団で使われる最小サイズの通信機――を当てて、誰かと会話している一人の男性の姿が映る。
紫銀の長髪を首元で括り、背に尻尾のように伸ばした、ロシェよりも頭一つ分は大きそうな偉丈夫。ワイシャツの襟を緩めた彼は、少し苛立った様子で通信先の誰かと話している。どうやら仕事中のようで、その鋭い紫紺の瞳が、一瞬だけロシェに向けられた。
邪魔したら悪いよね、と。ロシェはゆっくりと忍び足で歩いて行く。狙いは男性の前のローテーブルに据えられた、客人用のクッキーだ。朝はお腹が空くから、腹ごしらえにはちょうどいい。
「――名前を変えさせろ。なんだ、『スーパウルトラハイパーミラクルロマンティック社長砲』とは。阿呆なのか軍事部門の奴らは」
なんかとんでもないワードに、思わずつんのめり、ローテーブルの角でスネを強打した。器用に悲鳴を上げずに涙目で悶えるロシェを一瞥した男性は、何事もなかったように続ける。
「……ああ、そうしろ――と、
ひっきりなしにくる割り込み通信に「
……水で喉を潤したばっかりなのに、このチョイスは失敗だったかもしれない。潤っていた口内が、一瞬で乾いた気がする。
「……そうだ、香辛料は肉の旨味を一気に引き出す。スパイスにはこだわれ……ああ、切るぞ」
ようやく通信が終わったらしい。耳に当てっぱなしだったホログラフ上の通信機が、ふっと燐光となって掻き消え、男性は溜息をつきながらロシェと同じようにソファに背を深く預ける。
「大変だね、社長って」
「ああ……私は打てば答えるAIじゃないんだぞ。仕事の話以外まで連絡してくるな……全く」
「最後にいたっては、なんか料理の話してなかった?」
「バーベキューだとさ。下拵えについて聞かれた」
はたしてそれは一企業の社長に対して聞くような事柄なのか。慕われてるねぇ、とロシェがからかうような笑みを浮かべる。それが癪に障ったのか、男性がジトりとした視線で返した。
男女が同じ屋根の下で暮らす間柄としてあげられるのは、夫婦、兄妹、恋人と様々な言葉があるが――この二人に関して言えば、そのどれも当てはまらない。
一言で言えば未成年と保護者。扶養者と被扶養者。血縁ではなく、単に世話を見ている者と見られている者。そんな間柄だ。
「お仕事忙しいの?」
「年中無休だ。お前こそどうなんだ」
問い返された言葉に、ロシェがうーん、と首を傾ける。
ロシェはこのオラクル船団の中核を成す一つの組織――『Artificial Relict to Keep Species』──通称『
ただ、その言葉もあと一月もしない内に外れ、彼女は晴れてアークスの一員となる予定である。つまり、今現在は卒業前の春休みのような状態で――端的に言えば、暇だった。
「暇かなぁ。あと修了試験だけだし」
「その修了試験で落ちたら無職浪人だがな……」
「その時はカージュの所で雇ってよー」
「コネ入社はせん。実力で入れ――そういえば、いいのか?」
男性――カージュの問いかけに、再度ロシェの首が傾く。その問いかけだけでは、何について聞かれてるのかさっぱり分からない。
その様子を見たカージュが、ピンと立てた人差し指をとある方向に向ける。そこにあるのは、リビングの壁に掛けられた、オラクル船団では珍しい歯車で駆動するクォーツ式のアナログ時計。その長身と短針は、現時刻が大体10時に差し掛かろうとしていることを示している。
「お前、今日は友人と出かけると言ってただろう。そろそろ待ち合わせ時間なんじゃないか」
「――あ」
間の抜けた声が漏れる。口をポカンと開けたロシェは、その数秒後に小さく「……やっば」とこぼして、慌てて立ち上がる。そのまま自分の部屋へと駆け足で引っ込んでいったのを見て、カージュは「忘れてたなアイツ」と呆れるように首を横に振った。
一方で部屋に引っ込んだロシェも、大慌てでクローゼットから服を引っ張り出していた。軽快な動きで寝間着を脱ぎ捨てて下着姿になると、勢い良く引っ張り出した服を着込んでいく。そして、寝起きでハネていた髪を櫛で整えて、軽く身嗜みを整える。
所要時間4分。少しダメージの入ったブルージーンズは鍛えられた脚線美をはっきりと浮き立たせ、少し丈の足りないオフショルダーの黒いシャツは、動くとチラリとヘソがその姿を覗かせる。バサリと暗色のモッズコートを羽織って、今日のお出かけスタイルは完成だ。
「よし! 行ってきます!」
姿見で身嗜みチェックを終え、部屋を飛び出したロシェが、リビングに顔だけ覗かせてそう声を出す。
「ああ、行ってらっしゃい」
カージュが小さく応えながら、さっさと行ってこいと言わんばかりに手をヒラヒラと振って――まるで嵐のように、ロシェはバタバタと慌ただしく音を立てて家を飛び出していった。
「…………まだまだ子供だな」
幼い頃に比べれば成長こそしているが、精神面はまだ子供だ。まだまだ、自立するのは先だな――と、苦笑を零しながらカージュは新たに入った通信を開いた。