この夢、久しぶりに見た気がする。月明りが僅かに差し込んだ部屋。少年…スマイリーは牢屋の中で背丈より長くなった髪の毛の上に横になっていた。前より痩せている気がする。私は彼の傍に歩いて行った。
彼は私の姿を確認するとニコリと笑う。
「やあ…イジー。もう来ないと思ったよ」
私は彼のすぐ傍に座った。
「久しぶり。ごめんね、来てあげられなくて」
「いいんだ。最後に会えただけでも嬉しいよ」
最後…?私は彼の言葉に耳を疑った。彼は体を起こすと髪の毛を邪魔にならない所に退けてすぐ隣に座った。
「最後って?」
「うん。僕ね、近いうちに『こんそーる』になるんだって」
「コンソール…?」
彼は笑顔で頷く。
「うん。僕にも良く分からないんだけどね。ここから出してくれるみたい。そして、いっぱいいっぱい…人のために役立てる様になるんだって」
「それは、どういう事なの?」
スマイリーは首を横に振った。詳しい事は何も教えられていないらしい。ただ、コンソールとやらになってしまうとスマイリー自身がどうなってしまうのか全く分からないらしいのだ。
「きっと…とてもとても素晴らしい事だよ」
彼は笑顔のままだった。私は彼の手の上に手を重ねる。実体のない私は彼の手に触れてあげる事はできない。それでも少しでも気が楽になるのならその方がいい。喜んでいる事を私に伝えるが、きっと不安で胸が一杯だろうから。
スマイリーは私に寄りかかる。私も密着する様に寄り添った。
「スマイリーの事、助けてあげられたらいいのに」
私は呟いた。彼は首を横に振る。
「こうしてくれるだけでも充分だよ。それに僕は嬉しいんだ。望まずに生まれて。忌み嫌われながら生きて。ただただ何もない悠久の日々を過ごす。それが直に終わるんだ」
「スマイリー…」
彼は生きて来た境遇にしては考えられない程明るい。とても前向きで健気だ。彼の絶望はどれほど広大だっただろう。どれほど深かっただろう。私だって辛い人生を歩んで来た。人の不幸は天秤にかけるべきものではないだろう。それでも彼の人生の絶望の一端さえ知る事ができない。そう感じた。
夢の中なんかじゃない。ずっとずっと傍にいてあげられたらどれほど良かっただろう。ここから解放して、外の空気がどれほど美味しいか教えてあげられたらどれほど良かっただろう。いっぱいいっぱいご飯を食べて、友達と遊んだりして。人としての人生を歩んで。
私は知っている。彼がこの先どうなるのか。私はスマイルに会っているから。彼は、過去の人物なのだ。
「い、イジー?どうして泣いてるの?」
「ごめん、何でもないんだ。何でもないよ」
スマイルはスマイリーだった頃の記憶をなくしている。過去にこうしてあった私との記憶さえ断片的にしか思い出せていない。彼はこの後、スライムにされて…命を脅かされて妖精の森まで逃げる事になる。
こんなに辛い目に遭って、まだ彼を苦しむ運命が待っているだなんて。私は涙を止められない。せめて最後ぐらい彼の背中を笑って押し出してあげるべきなのに。泣いてばかりいるものでスマイリーも泣いてしまった。
「ごめん…私のせいでスマイリーまで泣かせちゃって。本当は笑って送り出してあげたかったのに」
「へへ…いいんだ。本当の事を言うと僕も不安だったんだ。私だってイジーに笑顔でお別れしようと思って強がってたんだ。最後まで僕の本心を汲んでくれたみたいで嬉しいよ」
それから私達はしばらく一言も喋らずにただずっと一緒に長い時間を過ごしていた。もうすぐスマイリーとして会う事ができなくなる。それなのにどんな言葉をかけてあげていいかわからなかった。
それはスマイリーも同じ気持ちだったみたいで、時々何かを言いかけた様に唇を動かしたりしていた。やがて何か思いついたのか顔をあげてこちらを向く。
「そうだ。僕、いつかイジーに会いに行くよ。人の役に立てる『こんそーる』になって、国境を越えて…。だって、グリエ博士が言ってたもん。僕は世界中で求められる救世主になれるって。きっと…いや絶対にまた会えるよ」
「うん。絶対にそうだ。また会えるよ。そしたら今度こそ約束を果たそう。いっぱい遊んで、いっぱい美味しい物を食べて…」
「約束だよ」
「うん、約束だ」
意識が遠のいていく。景色が歪んでいく。まだ話したいのに、まだ一緒にいたいのに。スマイリーは笑顔で私に手を振っていた。体の自由が利かない私は手を振り返す事も別れの言葉を告げることもできない。
さようなら…スマイリー。
「イジー、イジー!」
気が付くとスマイルが慌てた様子で私を揺さぶっていた。私は目を覚ますと目をぱちぱちとさせた。
「ん…おはよ」
スマイルはほっとした表情をした。
「一体どうしたの?」
「イジーってば、寝ながら泣いててさ。うなされてたし、僕の名前は呼ぶしとても辛そうだったから起こしたんだよ」
「そっか」
スマイルはベッドの中に潜り直すと天井を眺めながらぼーっとする私の横顔を眺める。
「それだけ?何か悪夢でも見てたの?」
「うん。とても怖い夢を見てた」
「どんな夢?」
「秘密」
私が笑顔でそう答えると彼は不満そうに頬を膨らませた。時計を見るとまだ起床時間にはまだ余裕がある。私はまだしばらくベッドの温もりに浸っている事にする。スマイルは何を思ったのか私を優しく抱きしめた。
温かくてぽかぽかする。このまま二度寝してしまいそう。
「辛い時はこうしてると気持ちが安らぐからね。イジーだってもっと僕に甘えてくれてもいいんだよ?」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
私もスマイルの背中に手をまわして抱きしめる。
…スマイリー、コンソール、スマイル。彼があの後どうなったのかは分からない。ただ、スライムのスマイルとして目の前にいる。私は彼の幸せを応援してあげたい。そばにいてあげたい。過去は変えられないけど未来はきっと変えられる。
いつかは…スマイルもスマイリーだった頃を思い出したりするんだろうか。そんな事をぼんやりと考えていた。
時が経つのは早いもので、ついにその日がやって来た。今日はかつてミルジナを襲ったと言う古竜ケネスィの幻と戦う日。私達が学校を出る際にはクラスメイトたちが横断幕を作って私を応援してくれた。
ここまで来れただけでも充分頑張った。満足だ。だから後はいつケネスィの幻にやられても悔いはない、そう思ってた。でも今は違う。せっかくここまで来たなら勝ちたい。勝ってスマイルと一緒に喜びを分かち合い、師匠やビジーに自慢したい。
私達は馬車に乗せられ、ある場所に向かっていた。ケネスィを撃退した功績にもらったとされる広い土地。その場所はバーチの第二の修行の地とされ、様々な噂が流れた。伝説の後のバーチは消息不明になっており生死は明らかになっていない。不死の異名の通りまだ生きていると言う人もいる。
その土地は幻惑の城と呼ばれていて日頃は誰も近付きたがらない。人間のみならず動物や魔物さえ避ける様に近寄らない。未だに原因は不明だがその土地には一切の草木が生えない。いつもじめじめと空気が湿っていて薄い霧が出ていて、見通しが非常に悪い。何故幻惑の「城」なのか。そこに城を見たと言う人々がいつの時代にも数人はいるからだ。
そんな不気味な場所だが、大きな幻を作るのには適した場所だった。どういう仕組みなのか幻惑の城のあたりは幻影の呪文が長く保たれる。より少ない魔力で大規模な幻を見せる事ができるのだ。
未だにバーチの領地で勝手にそんな事をやっていいのかと思う人も少なくないが…今の所呪いにかかったとかそんな報告をした生徒は全くない。先生や国選の魔法使い達が見せた幻とは別の何か変な物を見たと言う人ならそれなりにいるが…。
エンブレムを手にした候補は8名。それぞれが馬車に運ばれ幻惑の城を目指している。客車に同乗しているのは私と私のローブにいるスマイル。バズとリプとステンシーだった。
「…ピポがいないのは一安心だけど、やっぱり緊張するね」
リプが私に話しかけて来た。
「そうですね…。幻だと分かってても怖くて一歩も動けなくなりそうで…」
私も去年の映像でケネスィの幻は見ている。伝説通りの非常に大きなドラゴン。建物を次に壊した怪物。映像だけでも大迫力だったので、実際に目の当たりにしたらと思うと寒気がする。
「今からその怪物とご対面だってのに、あまりビビらすなよ…」
バズが顔色を悪くする。
「あはは、怖いんだー♪」
リプがからかった。
「そりゃ怖えよ。お前は平気なのかよ」
「…正直言うとマジで怖い。先生と国選の魔法使い達がガチの魔法で作ったドラゴンだからね。
戦っていると幻だとかすぐに忘れるよ」
リプは話しながら身体をブルっと震わせる。
「お前だって怖いんじゃねーかよ!」
「場を和ませようとしたんじゃん!」
バズとリプが口喧嘩するもので思わず笑った。スマイルがついてるローブの締め付け具合が少し緩んだ。どうやらスマイルも緊張していたらしい。私は埃を払う仕草をするフリをしながらスマイルを撫でた。
やがて馬車の中にも霧が入って来る。どうやらもう既に幻惑の城の中に入ったらしい。後はスタート地点に下ろされるだけだ。
「あなたは…怖い?」
リプが同乗していたステンシーに尋ねる。彼女は帽子をかぶり直した。仮面のせいで表情はうかがえない。
「いかに精巧にできていようが本物には及ばんさ」
そう言うと彼女は立ち上がり勝手に馬車を飛び下りた。私達は驚いて御者を止めようとしたが、言われる前に馬車は緩やかに止まると御者の方からこちらを向いてこういった。
「ステンシーさんはここで降りて…あれ?」
「あの、もう降りました」
「ほんとだ。気が早いね」
そう言ってまた御者は馬車を移動させる。私は客車の窓から顔を出してステンシーの方を向いた。彼女は私を一瞥するとすぐにどこかへ向かって歩き出した。