それでもスマイルはイジーの僕になりたがった。契約には魔物に何かを差し出さなければならない。その物によって拘束力が変わるのでいい加減な物であってもならない。何を与えればいいのかわからないイジーにスマイルはある物を提案する…。
深い深い水の中、ずっと沈んでいくだけの夢。体が動かない。もがけない。動け、動けと何度も頭で考える。
「…ごぼごぼごぼ…ゴパッ!」
目が覚めた。体をすぐに起こす。ベッドは赤い液体に満たされていた。どうやら私はスマイルの体液に溺死する所だったらしい。私は液体をべしゃべしゃと叩く。起きる気配はない。このぐらいじゃ何をされているのかも分からないのか。
仕方ないのでコアを探した。ちょっと触れるぐらいなら怒ったりしないだろう。私はベッドの中、手探りでスマイルのコアを探す。
「あれ、おかしいな。スライムならコアがあるはずなのに」
コアの色は赤色でスマイルの体液もワインレッド。だから見つけにくいだけかもしれない。丹念に探す。
「んー、何だよイジー。僕の体をまさぐってさ」
「起きたかスマイル!見なよこれ!君が液状化してるおかげで私は溺死しかけたんだぞ!」
「うえっ!??」
スマイルは急いで形を人間に変える。それから必死に私に謝る。
「ごめん、本当ごめん!わざとじゃないんだ!人間の体で寝るなんてそうないから…本当ごめん!!」
「人間体を保てないんじゃ一緒に寝られないよ。次からは1人で寝てね」
「ふぁい…」
濡れた部分はしっかりスマイルが吸収したので少し湿った程度になった。日中は暖かいし窓を開けて放置していれば乾くだろう。
朝から落ち込んだスマイルをよそ眼に食事を取る。スマイルは昨日の様に瀕死でもなければ基本的に少しの肉と水さえ食べていれば死なないらしい。だから今日も今日とて狩りにでかけるなんて事にはならないようだ。
私が食事している間に空になった壺に水を汲ませた。それが終わるとやっぱり食事をしている私を眺めている。楽しいんだろうか。私を見つめるスマイルの目を見つめ返す。
「思ったんだけどさ、スマイルって私に擬態できるの?」
「うん?やってみようかな」
スマイルは形を変えて私に似せる。しかし少しも似ていない。鏡を貸して何度も挑戦させたが私と似た姿にはなれなかった。出来はせいぜい案山子ぐらいなもので、人間と言って誤魔化せるレベルじゃない。
「何でも擬態できる訳じゃないんだね」
「そうみたいだね」
「君がやってるその姿は誰を模した物なの?」
スマイルは腕を組んでしばらく考え込む。
「あれ…、誰だろう」
聞きたいのは私なんだが。しばらく考え込むと動かなくなった。私が食事を終えた後も動く様子はない。何なら家を出ようとしても追いかけて来ない程だった。私はスマイルを揺さぶる。ようやく気が付いた。
「あ、でも君が気になるこのモデルの性別なら分かるよ」
そう言うとスマイルは自分のズボンを掴むとずり下げる。スマイルは実際に服を着ている訳ではなく服まで擬態しているだけなので、わざわざ脱ぐと言う芸をやるのに中身まで再現したらしい。さっきの私の真似と言い、不器用なんだか器用なんだか。
そして意外にもその今のスマイルの姿を模している人物のモデルの性別は男性らしい。
「今の君の姿のモデルになってる人、会ってみたいな。どんな人なんだろう」
「さあね」
スマイルの返事は割と投げやりだった。私も徹底的に調べたいと思うほど気になってはいない。
それはさておき、昨日の分のノルマを達成しておかないと。スマイルに薬草や素材探しを手伝ってもらうから少しは楽になるだろう。それなりに強い魔物が出て来てもスマイルが一緒なら安心だ。
そこでふと気が付いた。
「私は今から妖精の森に出かけて色々と採取するんだけど、その時に魔物が出て来た場合ってスマイルは一緒に戦ってくれるのかな。昨日はそうしてくれたけど君は人間と魔物の争いを止めたいんだよね」
気になっていた事だ。彼は人間と魔物の争いを止めて架け橋になるとか何とか言っていた。食事のためとは言え昨日は一緒になって戦って殺害し、捕食していた。その辺の事は事前に確認しておきたい。
スマイルは笑顔で答える。
「正当防衛なら仕方ないよ。生き物だから誰だって生殺与奪には関わる。僕が止めたい争いって言いうのはもっと無駄で大規模なものだ」
「良かった。いざと言う時に戦闘を拒否されたらどうしようかと思った」
「君が魔物を乱獲したりするなら協力しないし君を止めるけど、君が自分の身を守るために戦う事さえ否定するなら僕が魔物を捕食するために戦った事がダブスタになるじゃないか」
まあそれもそうか。
私達は一緒に妖精の森に素材集めに出かけた。スライムとあって人間の体では入りづらい所や行きづらい所まですいすい行ってしまうので収集がとても捗る。採取の途中でスマイルの言ってた黄緑色のスライムや黄土色のスライムとも会った。やはり体の真ん中にはコアがある。
液状になっているスマイルの体を見てもやはりコアらしいものは見当たらない。不透明ではないが色が濃いので体液の奥の風景が殆ど見えない。
「思ったんだけどスライムってコアがあるよね。今朝、スマイルを起こそうと君の体の中からコアを探したんだけど見当たらなくて。君の体にコアってあるの?」
「そりゃスライムだからね。コアぐらいあるよ。でもとても大切でデリケートな場所だから安易に分かるような場所にはおかないんだ。体液が濃いから位置がわかりづらいのお得だよね」
コアはあるらしい。まあ、コアもなかったらいよいよ彼がスライムかどうかも怪しくなる。
昼頃になると疲れて一度師匠の家に戻る事にした。スマイルは探索時につまみ食いをしていたようでお腹は減っていないらしい。私も食えるものは一緒に採取して来た。調合の下準備をしてから食事にする
「1人でやるよりずっと早いや。これは余裕を持って終わらせてゆっくりできるかも」
「僕は命の恩人に少しでも恩返しができて嬉しいよ」
料理を食べているとポストの方から音がした。行ってみると手紙が入っていた。遠くを飛んでいる鳥は母のものだ。母から手紙?私は気になって中身を読む。内容はそろそろ学校へ行けと言う内容だった。
しまった、学校の事がすっかり頭から抜けていた。そう言えば新学期は過ぎていたんだった。時間割を決めて授業に参加しないといけない。学校の事を考えると憂鬱だ。私は家の中に戻ってため息をつく。
「どうしたの、浮かない顔をして」
「学校に行かなきゃいけないんだ」
私は学校がどういう所なのか説明した。スマイルはとても興味津々でその話を聞いていた。きっと彼が思うほど面白い場所ではない。
「とっても面白そう!どうしてイジーは学校に行きたくないの?色んな魔法を使えるようになるかもしれないし、大人になって役立つ知識を教わる事ができるんだよ?」
「面白いもんか。君の知っての通り魔法は不得意だから授業についていけない。先生でさえ匙を投げてる。座学はもう私が勉強して知ってる事だらけでつまらない。同級生とは趣味が合わないから友達もいない。面白半分でいじめられるし、私には地獄みたいな所だよ」
「酷いな。いじめは学校の問題だろ?どうして対処してくれないの?」
「先生も立場が弱いんだ。教師の資格を得るのは大変だけど、その資格は簡単に剥奪されてしまう。学校ぐるみでいじめはなかった事にした方がお得だし先生たちも事大主義や事勿れ主義に陥る。激務な上に生徒の事で心を痛めて辞める人は多いし、真っ当な人から濾されて行って権力者と強いコネを持った人かサイコパスばかり残って行くんだ。もちろん優しい先生も沢山いるけど迷惑かけたくないし…」
「そんなの間違ってる!イジー、僕も学校へ行くよ!腐った教職も生徒も僕が正す!君の通う学校へ連れて行って!!」
感情をむき出しにして怒るスマイル。気持ちは嬉しかったがまずは彼を落ち着かせた。まず何といっても彼はスライムであり魔物だ。学校に突撃するような事があれば問答無用で殺害されるだろう。いくらスマイルとは言え大変危険だ。
スマイルは「道理に外れた力が相手なら僕は負けない!」と言い張るが、争いを止めるのであればもっと慎重で確実な方法を考える必要があるのだと言葉に言葉を重ねて説得した。時間をかけて彼の沸騰した頭を冷静にさせる。私のために真剣に考えて怒ってくれる。ぐっと堪えたけど涙が出そうなほど嬉しかった。
「うー、それでも諦めるなんてできない。イジー、何とか穏便な方法で僕を学校へ連れて行く事はできないの?」
「…契約して私の僕になれば不可能じゃないけど……。君にとっても屈辱的な事だろ」
本来契約は力の強い魔法使いが力に物を言わせて命を保証する代わりに服従を迫るものだ。魔物は自由を制限される事になる。魔物は人間にとって脅威だが、こうする事で自由を奪って安心を得るのだ。
スマイルはニッコリ笑う。
「いいよ。僕、イジーの僕になる」
「は、はあ!?スマイル、自分の言ってる意味わかってる!??」」
私は僕になると言う事がどういうことなのか丁寧に説明する。スマイルは頬を膨らませた。
「知ってます―!イジーはいい人だからさ。僕を悪い様にはしないだろ?」
「そりゃ…しないと思うけど。分からないだろ。君だって人間に殺されかけたんだろ?」
「そして君に助けられた。経緯はどうあれこの命、君がいなければ既にこの世になかったものなんだ。使命も潰える所だった。君とならできる。便宜上主従関係になったって僕達は対等だ」
確かにスマイルを助けたのは私だ。でもどうしてスマイルがここまで私に絶大な信頼を抱くのか分からない。彼が一緒に学校へ行く事を考えると色々不安にはなるけど、同じぐらいこれまでと同じ鬱屈とした日常を送る事にも辟易していた。
もし、もしスマイルがいてくれたら私は馬鹿にされないかもしれない。そんな気がした。
「魔物を僕にするにはそれなりの物を僕に提供してもらう事になる。慎重に考えて選ぶんだ。選んだ物の重大さが僕の自由の拘束力になる」
「そんな事言ったって、何をあげたらいいのか…」
「簡単な物なら血とか、指とか。体の一部は割とポピュラーな気がする。希少価値のある金品とかは持ってないし…寿命とか生命力も嫌でしょ」
「痛くない物がいいなぁ」
「僕は君に逆らう気はないから何でも良いんだけどね。…そうだ!キスなんてどう?」
「ええっ!?」
スマイルはぴょんぴょんと飛び跳ねながら目を輝かせて迫る。スマイルがまさかそんな提案をして来るとは思わなかった。頬を染めて見せると上目遣いしてくる。人間の事、知ってる事と知らない事が極端だ。
「どこでそういう事を覚えて来るのさ」
「そんな事なんだっていいじゃん!キス、キスしよ!」
ぐいぐい迫って来る。困った。
「ほ、他にないの??」
「しょうがないなぁ。左手小指の第一関節1本か血液150mlちょうだい」
スマイルは感情の篭らない声色で言うと左手にナイフと右手に注射器を出した。
「キスしよ」
「あーい」
それを聞くと私を強く抱きしめて情熱的なキスをするスマイル。完全に未知の経験である私には大変刺激が強く、頭の中で失敗した魔法の様な火花がバチバチと弾けた。頭がショートしてしばらく何も考えられなくなる。
そうして私はスマイルに人生初のキスを捧げ無事に主従関係になった。町民は変に思うだろうが、主従関係になってる魔法の印は見えるのでこれで心置きなくスマイルを連れて歩く事ができる様になった。
キスを終えて上機嫌なスマイルを他所に、私が我に帰るのはまだ時間がかかった。