俺は新聞を読みながら大きくあくびをした。他の新聞も読む。それから大きく背伸びをすると棚の上に置いて寝転がった。
「あーあ。師匠まだかなぁ…」
すっかり退屈していた。ミルジナの新聞はどの新聞社も内容の多くが情報と言うより主張だった。それぞれ思想に偏りがあって、恣意的に情報を隠したりするためこうして読み比べをする必要が出て来る。文章の多さの割に得られる情報は少ない。
ぼんやりとイジーの事を頭に思い浮かべた。今頃元気にしてるだろうか。誰かに泣かされたりしていないだろうか。師匠や俺の前では強がって見せているが彼はとても弱気で思った事を口に出せない。傍にいないと少し落ち着かない。
…コンコン。
ノックの音がした。アレン師匠の声がする。俺は部屋の鍵を開けた。
「遅かったじゃないですか師匠。イジーにでも泣きつかれたんですか?」
「つまらん野暮用に付き合ってただけだ。イジーはちゃんとお留守番してる」
師匠は帽子と外套を脱いでポールハンガーにかけた。
「ビジー、あっち向いてろ」
「今更着替えなんて気にする間柄じゃないでしょう。イジーみたいな事を言うんですね」
「俺も女王様にそろそろ弟子もお年頃だから気を遣いなさいって言われたんだよ」
「めんどくさいなぁ」
俺は師匠に背を向けた。師匠は後ろで着替えている。イジーもそうだ。俺が着替えるとあっちを向くし、誰かの目に入らない様な場所で着替えてくれと頼む。イジーの部屋に勝手に入った時もノックしてくれと頼む。少し前まではお互いに気にしなかったのに少し寂しい。
色々思う所はあったが俺はひとまず気になってる事について尋ねる事にした。
「それで、今回何用でオルコスに向かうんですか?これまで遠出する事はあっても国外は今まで一度もありませんでしたよね」
師匠は王様の命令で時々自宅を空ける。戻ってきたらその時間の合間で俺達に魔法や薬学などを教えてくれる。この間は特に長く6日は帰って来なかった。家に帰ると何も言わずにベッドで休み、2日ほど食事とトイレ以外は寝ていたほど疲れていた。
俺と一緒にどこかへ行く事はあったがそう遠くではなく、イジーを連れて行かない事は殆どなかった。今回は変だ。学校が必要とあれば科目の講義の受講回数を減らしてもいいと言うほどだった。イジーは危険で連れて行けないというし、師匠も今回の遠出についてあまり語りたがらないし。正直不安だった。
「…この間、しばらく家を空けてたな。アレはオルコスに行ってたんだ」
「ああ、それなら帰りは遅くなりますしクタクタになりますよね。王様の命令ですか?」
「そうだ。急用だった」
後ろでベッドの軋む音が聞こえた。どうやら着替えが終わったらしい。俺は振り返る。師匠は何かを思い出すようにこの部屋の天井を眺める。
「でもどうせ守秘義務があるんでしょ?」
「…いや、王様を説得してお前になら話していい事になった」
「良かった。勿体ぶって話さないつもりなのかと思いましたよ」
師匠は髭を弄りながらしばらく黙る。師匠は俺達をおちょくるために敢えて勿体ぶった仕草をしたりするが、その少しこわばった表情から何か言うのも躊躇われる事情なのだと察した。思わず唾をのむ。
「あの、そんなに…ヤバいんですか?」
師匠はでこのあたりを抑えて黙ったまま掌を見つめている。
「そこまで躊躇われるとちょっと怖くて聞きたくなくなってきましたね」
「ビジー。お前には才能がある。俺が認めるほどの。だから本件はお前の力を借りたくなった。…だが頭の中ではまだ迷っているんだ。本当に連れて来た良かったのかと」
「頼まれても引き返しませんよ。話してください」
師匠はしばらく黙った後に静かにうなずいた。
「ああ…。いいか、今から言う事は冗談でも何でもない。そして多くの人がまだ知らない事だから迂闊にも言ってはいけない。すぐに周知の事実になるだろうが…。いいか、オルコスは亡んだ」
俺はしばらく黙っていた。オルコスが亡んだって言った?オルコスはそれなりに広い国だ。俺達の母国、ミルジナと同じぐらいには。亡んだって??師匠は目をキュッと目を瞑る。唐突に「嘘だよ」とか言いだすのを期待していたが、言葉通り本当に嘘をついている訳じゃないらしい。
「亡んだってどういう事ですか?国が破綻したって事ですか?国名が変わるとか?」
「今、ファーガスとミルジナの二カ国が仔細を調べている。入国は他国にいるオルコス人であってもできない。…オルコスに住むオルコス人は1人もいない。一夜にしていなくなった」
「意味がわかりません。冗談にしても悪質過ぎます。オルコスの総人口は一体何百万人だと思ってるんですか」
「ミルジナの国王に助けを求める手紙が届いた。その封蝋からオルコス国王からなのは間違え様のない事実だった。偵察隊はすぐに偵察に向かい、俺達はすぐに招集された。その様子からファーガスにも応援を頼む事になった」
騒ぎを大きくしないために少数精鋭の軍隊と選りすぐりの魔法使い達が呼ばれた。そしてオルコスに向かった。話はそこで一端途切れる。師匠は俺に背を向けて寝る。しばらく続きを待ったが話してくれない。
このままだと寝息が聞こえてきそうなので、俺はベッドから出て師匠の体を揺さぶる。
「それで、そこで何を見たんですか?一夜にして何があったんですか?」
師匠は両手で頭を掻きむしった。俺は思わず驚いて飛び上がる。
「分からん…」
「分からんって…」
「そこに何かがいたんだ。俺達は協力してそいつを殺した。城に陣取ったあいつにありったけの兵器をぶつけ、力のある限り魔法を使って。だがな、だが…そこにいた何かを誰もが何なのか説明できないんだ。分からん。あいつが一体何なのか」
「そんな、殺せたって事は生きてたって事でしょう?どうしてそこにいる誰もが何も説明できないんですか??初めて目撃にしたって…」
「ただ分かるのは、その夜の出来事は後に『揺蕩う夜』と呼ばれると言う事だけだ」
師匠がオルコスで一体何を見たのか分からない。とても恐ろしい物だった事は間違いない。俺達が行く予定になっているのは、その分からない何かを倒した場所…らしい。少し緊張して来た。
「それを調査しに行く…そう言う事ですか?」
「そうだ。政治的な問題は政治家に任せるとして、アレが何だったのか俺達は調べなければならん。怪物は殺した。殺したはずなんだ。だが何があるか分からない。自分だけでは力不足を感じた。だからお前を連れて来た」
「師匠…」
師匠は向こうを向いたまま力なく項垂れた。俺を連れて行くと言う判断にかなりの葛藤があったんだろう。いや、今も。彼の長年の経験や地市域を以てしても理解できない物。それが確かに存在した場所。そこへ行く事を思うと足がすくんでしまいそうだ。
それでも師匠は俺を呼んでくれた。それほど信用してくれている。弟子として応えなければ。イジーがこの場にいたなら彼だってそうしただろう。俺は師匠の肩に手を置いた。
「なら良い人選ですね。俺を連れて来たからにはもう大丈夫です。パパッと済ませてさっさと我が家に帰りましょうよ」
「そうだな。うん。それがいい」
師匠は疲れて眠ってしまった。夜にはここを発つ。馬車に乗った後にも眠れるので今寝る気もなかった。しばらく外に出て気分転換でもしよう。俺はそう思ってしばらく散歩に出かける事にした。