父は私をベッドに寝かせてくれた。
「大丈夫か、まだどこか痛むところはあるか?」
「ううん、大丈夫…」
母が水を持って来てくれた。飲ませようとしてくれたけど、自分で飲めるからと断って自分でコップを傾けて水を飲んだ。奥でスマイルがぴょこぴょこと跳んで私の様子をうかがっている。私は軽く手を振った。
父は椅子に座ると頬を掻いた。
「…あれから色々考えたんだ。俺達なりに。魔物と契約なんていうのはその…、今でも快くは思わない。それでもお前の考えも尊重すべきだと気付いた」
「父さん…」
「あなたは昔から素直で言われれば従う子だった。私達は心配だったのよ。あなたがその素直さに付け込まれてはいないか。情に流されてはいないか」
母は私の寝るベッドのすぐ隣に座ると私の目を真っすぐ見つめて来る。こんなに近くでお互いを見るのは非常に久しぶりだった。いつもは師匠の家にいて、家に帰っても2人共忙しそうだし簡素な会話しかしてこなかった。
「あなたはまだまだ子供だけど、自分の頭で考える様になった。自分の考えを持つ様になった。自立を始めた、そういう事なんだと思ったの。これもイジーの成長なんだって。反抗期なんてなかったから…私達も戸惑ったの」
「母さん…」
そういう母の表情はどこか嬉しそうなのにどこか悲し気でもあった。その複雑な表情の意味は私には分からない。部屋の隅にいたスマイルが私のいるベッドの母のいる方とは反対方向にやって来た。膝立ちになるとベッドに突っ伏して眠る。
両親はそんなスマイルの様子を静かに眺めていた。
「魔物は危険だ。スライム1匹にせよお前1人じゃ手に余るだろう。なら俺達が傍に居ればいい。そうすればお前は安全だ。俺達がいない時はアレン様が。…情けないな。こんな簡単な方法をすぐに思いつかなくてお前に苦しい思いをさせてたなんて」
嬉しくてまた涙が出て来た。でもぐっと堪える。2人に成長を認められたんだから、いつまでも泣き虫じゃいけないから。だから我慢する。
「父さんは魔物を邪険にしてばかりだけど、考えを改めるのは私達の方かもしれないわね。アレン様の家にあなたがいない事に気付いた時、妖精の森だって言いだしたのはスマイルなの。あの子が必死に探さなきゃ救助は間に合わなかったかもしれない」
名前を呼ばれて顔を上げるスマイル。きょとんとした顔が愛らしかった。私は思わず頭を撫でる。彼は頭を撫でられる事の意味がイマイチ分からなかった様で自分で自分の頭を撫でて首を傾げた。
父さんは立ち上がると部屋の外に向かう。ドアノブに手をかけてドアを僅かに開くとこちらを振り向いた。
「いつだって相談してくれていいんだからな」
そう言って部屋を去って行った。母も立ち上がり膝を軽く叩く。
「でも今は疲れてるでしょう。まずはしっかりお休み。お腹が空いてるなら居間にお菓子を置いてるから食べて」
「ありがとう…」
2人共いなくなると私はこらえきれずに泣き出した。それを見たスマイルが焦った様子で私の顔を覗き込む。
「どうしたの?どこか痛いの??あの2人が余計な事を言った??」
「違う…、違うんだ」
これは嬉し涙と言って…。そう説明したいけど今は両親に聞こえない様に声を殺して泣く事で背一杯だった。スマイルはただただおろおろしているばかりだった。やがて彼はベッドに上がり込むと私を抱きしめた。彼なりに慰めているつもりなんだろう。
スマイルは私に合わせて体温を人間と同じにしてくれる。おかげで体がぽかぽかする。心も温かい。
「イジーがこの距離は恋人だって言ってたあの頃が遠く感じるよ」
スマイルが微笑む。
「ん…。思えば私達、キスまでしちゃったし。もうどういう間柄なのか私にも分からなくなってきたよ」
「もう恋人でしょ」
「気が早いよ」
そんな事を言ってお互いに笑った。恋愛ってどういうものなのか知らない。体験した事がない。フィクションでちょっと読んだ事がある。いつもフィクションの中ではドラマチックな環境の中で恋が成就する。
でも、現実の恋愛って言うのは意外にこんな風にいつの間にか結ばれてる物なのかもしれない。そんな風に思った。
「……ん?」
自分の頭で考えてて少し疑問に思った。私、まさか本当にスマイルの事を恋愛対象として考えてる??いや、だって彼はスライムだし…。
「どうかしたの?」
スマイルは不思議に思う私の顔を覗き込む。
「ううん、何でもない」
まあいいや。また考えよう。とにかく今は眠くって…。
気が付くと暗い部屋にいた。月明りが僅かに差し込んでいる。部屋の隅にボロボロの服を着た誰かがいた。その子は牢屋の中にいる。簡単なベッドと便器があるだけで殆ど何もない。
ここはどこなんだろう。机には鍵がある。鉄格子にある錠前を開く鍵だろうか。近くに階段があるがそこから先へは見えない床でもあるかの様に何故だか降りられない。まるでこの空間に閉じ込められているかの様だった。
「誰……?」
牢獄の中から声がした。さっきの子だ。やせ細っていて目に元気がない。辺りを見渡しても誰もいない。どうやら私に話しかけているらしい。
「私は…イジー。あなたは?」
彼は首を横に振る。
「分からない。名前がないんだ。いつもアレって言われてる」
「酷い…」
「ちょっと待ってて、そこの鍵これで開くかも」
私は机にある鍵を拾おうとする。でも不思議と持てない。これは一体どういう事だろう。
「いいんだ。ここを出ても行く所なんてないし」
その子は力なく笑った。その笑顔にどこか見覚えがあった。でも誰だろう。咄嗟に思いつく顔を並べてもはっきりしない。
「イジー、ここを早くでて行きなよ。見つかったら殺されちゃう」
随分と不穏な事を言う子だ。でも私はこここら出られない。私は鉄格子に近付く。その子の顔が気になって仕方がなかった。その既視感は一体どこから来るんだろう。鉄格子に触れると不思議な事に感触がなかった。私の手はその檻を物ともせず通り抜ける。
その子は驚いた表情で私を見る。せっかくなので私は中に入った。
「君は…」
「隣、座ってもいいかな」
「うん…」
私が不思議に思って顔をまじまじと見るもので、その子もまじまじと私を眺める。やっぱりどこかで見た事がある。一体誰だったか…。
「イジーは僕の生み出したイマジナリーフレンドなんだろうか。それにしては良くできた幻覚だ」
「私は私だよ。ところで君、私とどこかで会った事ある?」
「間違いなく初対面だよ」
言い切った。変だ。気のせいだったんだろうか。先程彼の傍を通る時に意図せずして見てしまったが、下着もつけていない。性別は男性だった。彼は僅かに震えていた。
「寒いの?」
私には部屋の温度が分からない。ぽかぽかと暖かくてまるで夢の中の様だった。彼はうなずいた。
「寒い」
私は彼に寄り添う。彼は少し驚いた表情をしたが拒絶したりしなかった。むしろ私の方を向いて暖を取るかの様に近付く。鍵は触れない。鉄格子もすり抜けた。それでも彼と触れ合う事は出来た。彼の体はとても冷たい。
「イジーは温かいね」
彼は少しだけ穏やかな表情になった。彼はやせ細っていて肉と骨ばかりだ。
「君はどうしてこんな所に閉じ込められてるの?痩せてるし、食事も満足にさせてもらえないの?」
「僕は生まれちゃいけない存在だったんだよ。でも殺すのも都合が悪くてね。厄介者さ。はは」
「そんな…。ねえ、君を助ける方法はない?」
面倒ごとは避ける性格だった。こんな事自分らしくないって思った。でも不思議と彼は助けてあげなきゃいけないって思えた。そうする事が当たり前だと思えた。どうしてかは分からない。
「僕は望んでこの場所にいるから。…そうだな、僕の話し相手になってよ。そしたら助かる」
「君の?」
「うん。君は優しいし、一緒なら寂しさも紛れるしね。それと名前が欲しい」
名前…。部屋が少しずつ明るくなっていく。何となく分かる。この時間が終わる。じきに夢から覚める。崩れゆくこの世界で、明るく照らされる彼の顔を見てその既視感の正体がようやくわかった。そうだ、見た事があるもなにも…。
「君の名前は…」
「うん」
「スマイル」