アニメ最終話で、まひろがもし男に戻ったとしたら? というお話です。
まひろはみはりの兄として、彼女を支えようと決意します。



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まひろとみはりとお終いに

 春を目前にしたある日、まひろはいつもの仲良し組と温泉旅行へ出かけることになった。それはみはり、かえで、もみじ、あさひ、みよとまひろを含めた六人組だ。

 始まりはいつものように、みんなで集まって遊んでいた時だった。もうすぐ春休み、みんなで遊びに行きたいな、とあさひとみよが口を合わせていった。確かにいつか、そういう話もしていたな、とまひろは思い出した。まひろは突然の思い付きのような提案を真剣に取り合わなかったが、みんなはそれに俄然乗り気になったようで、話はとんとん拍子に進んでいった。

 

 

 足を踏めば、足跡が跡がついた。ここでは雪がまだそれなりにつもっている。まひろ吐く息を曇らせながら、みんなの後をついていく。

 山間の開けた所に温泉街はあり、まひろたちはその旅館の一つに泊まることになった。春休み前にみんなで決めた旅行先だ。

 旅館へ向かう道の途中、まひろは温泉街を前にして、その後ろにある山が見えた。連なった峰には、まだ深く雪が積もっている。綺麗だ、と思う。陽の光を浴びた雪は明るい。ここには都会では感じられない、ひろびろとした息のしやすさがあった。ああ、寒い。まひろは服をひったくるように首元をふさいだ。

 

 

 露天風呂でもみじとあさひが、まひろを脇腹をくすぐている。

 まひろはこらえきれずに笑う

「おい! やめろって……!」

 息も絶え絶えに、悶えながら笑う。口が閉じられない。まひろはもみじとあさひに、半ば抱えられるようにくすぐられるので、足をばたつかせて水を跳ね上げた。

 それを見て、あはは、ともみじ達は笑う。

 くすぐられて、何も考えられなくなる。温泉でほてり、湯だった頭では、もみじたちが自分に触れる感触が妙に心地よく感じられる。その時、まひろは股間部に違和感を覚える。え、とくすぐりで混乱する思考の中でとっさに気づく。それは何か、と思うまもなく、まひろはその正体に思い当たった。

 女であるまひろの体には本来ないはずのところに、強い感覚があった。それは股から隆起して、温泉の熱気の中にあってなお熱い感覚をまひろにもたらした。

 まひろはみはりの薬によって、女子の体に変えられている。当然、股間部に男性のそれはない。だが、まひろの感じた感覚は、まさにそれだった。

 慌ててもみじに持ち上げられた足先をはじくように離す。ぎゅっと、股を固く閉じた。

(は、生えちゃった──!)

 あさひともみじとのじゃれ合いの内から、急にまひろの感情は引き離され、冷めたように落ち着いた思考がやってきた。胸が微かに高鳴るのがわかる。だがそれは、緊張あるいは焦りのようだった。

 確かめるため、思い切って自らの股間に手をやるまひろ、それは疑いようもなくあった。

 まひろは湯の中を走り、急いでみはりのもとへ行く。もみじとあさひはそれを呆然と見送った。

「どうしたの?」

 みはりが微笑みながら聞いてくる。

 まひろは何も言えず、勢い込んで見張りの手をひったくると、自らの股間へ導いた。

 あ、と全てに気が付き、みはりは顔を赤くする。まひろの手を握って、近くのかえでにまひろがのぼせたと伝えて、急ぎ露天風呂を後にする。

 

 

 部屋に戻った二人。

「とうとう薬の効果が切れ始めたのね」

 みはりは顎に手を当てて、言った。

「こんな急に、せっかく旅行の最中だってのに」

 いって、まひろはうなだれる。いつかは男に戻るだろうとは思っていた、だが、今でなくてもいいはずだ。

 お兄ちゃん、とみはりはまひろをを抱きしめる。 みはりはまひろの顔を、自らの胸の内に抱きしめ慰める。

 まひろはみはりの体温を浴衣越しに感じると、目が熱くなり、それが潤むのを止められそうになくなった。ついに、目じりに一粒の涙がこぼれそうになっていることに気が付く。

 大丈夫、とみはりが慰めるようにいう。

「だって、持ってきてるかね。女の子になる薬!」

 いって、みはりは小瓶を取り出す。みはりはそれを掌に載せ、満面の笑みを浮かべてそれを示した。

 まひろは叫ぶ

「それを早くいえ!」

 まひろは手を伸ばした。

「でもいいの?」

 みはりがそれを遮る。

「それを飲んだら、当分女の子だよ?」みはりは目を伏せて、「しばらく元にはもどれないよ?」

 つい、伸びる手が迷う。女になるということは、男に戻れないということだ。

──一時的に。

 本当に? 本当に、一時的なのか。今、自分は女でいたいと願ってはいないだろうか。そんなはずは、とまひろは狼狽したのだった。

 

 

 みんなで旅館の夕食を食べた後、外へ出た。旅館近くの沢は、小さいながらも立派な滝があった。その縁でそれぞれ楽しみ始めた。彼女らは写真を撮ったり、雪合戦をしたりしている。まひろは一人はずれて、沢のほとりで考えていた。まひろの浴衣の胸の内には、みはりからもらった女の子になる薬がある。

 雪を投げあい、楽しそうに笑い合う少女たちの姿を見る。

(俺、結構居心地よかったんだな)

 初めは驚いた。不安だった。だけど、仲のいい友だちが出来た。みはりに色々教えてもらって、希薄だった人付きあいの楽しさを知れた。こうやって誰かと一緒に、今遊べている。部屋で暗く引きこもっていた時には考えられなかった。ここから消えて、もう二度と彼女たちといられないのは寂しい。まひろの心は寂しさでいっぱいだった。

 まひろは小瓶に手をかける。それは小さく、ほんの少しで飲み干せるだろう。まひろはガラスのはめ込み蓋を外した。

 まひろはみんなの方を見る。

 滝から続く川に、こじんまりとした小さな橋がかけられている。みんなはそこにしゃがみ込み、何かを指さして笑い合っている。聞くともなく聞こえてくる声から、橋下に隠れた鯉を探しているらしい。

 まひろはそこに、みはりの横顔を見た。しゃがみ込むみんなの後ろで、みはりは一人立って、背中越しに橋下を覗いている。

 みはり、とまひろは思った。遠くはないから、まひろにはみはりの横顔がそれとなく見えた。やや俯いて、口は微笑を浮かべているのだろう。

 みはり、とまひろは何度もその名を心でつぶやく。一度思えば、彼女に対する思いは心の内で脈打つように溢れてきた。まひろは寂しかった。少女として接した彼女との記憶が、まひろに強い情愛を持って思い出された。

──みはり、俺は。

 みはりは妹で、まひろは兄だった。自分は彼女のことを愛している。それが今はっきりとわかった。だから、まひろは決心した。

 まひろは少女でいることをやめることにした。そう思うことに胸が張り裂けそうになる。もみじ、かえで、あさひ、みよたちとは縁を切ることになるだろう。彼女たちは自分の友達で、そして、これからもずっと仲良くしていくはずだと、そう思っていた。彼女たちとの関係が一時的なものだなんて、考えもしなかった。たとえ薬の効果が有限だったとは理解していても。

 だけど、みはり、とまひろは思う。自分は彼女の兄なのだ。彼女を愛している。彼女に愛されていた。自分を、暗い部屋で引きこもって鬱々と日々に絶望していた自分をすく出してくれた。自分は彼女によって変わることができた。だから、自分はちゃんとした兄として彼女を守らないといけない。初めに、彼女が自分をきちんとした兄すると、そう望んでくれたから。

 震える手でまひろは小瓶を胸に戻した。目に涙をためているのが分かった。

「まひろ、こっちだぞ~!」

 後ろにあさひの声が聞こえた。

 まひろは振り向きざまに、めいいっぱいの笑顔を浮かべて彼女たちのもとへ向かった。涙が頬を伝ったのが分かった。それはきっと、あさひには見られなかったと思う。

 

 

 みはりはかえでを建物の陰になるところへ引き込んだ。

 まひろから、男に戻ると聞いたときは驚いた。正直、まだ女の子でいたがると思っていたからだ。みはりは薬を渡した時に、まひろが咄嗟にそれを飲もうとするのを躊躇させはしたが、それはまひろにとってよく考える必要があると思ったからだ。だが、それでも内心は女の子の体を選ぶと思っていた。

 だからまひろに浴衣の袖を引っ張られ、皆の輪から外されてその話を聞いたときには、咄嗟にそれを思いとどまらせようとも思った。だがまひろがうつむきがちに、口の端をぎゅっと結び、涙を必死にとめようとしている姿を見て、それをやめた。まひろの決心がどれだけ辛いかは、想像に難くない。

 みはりは伏し目ながらにいう。

「ごめんなさい、実はまひろちゃんが体を壊したみたいで……」

「え、大変じゃない!? 大丈夫なの?」

 かえでは驚いて、開いた口をとっさに手を当てる。

「ううん。大丈夫じゃないみたい……。だから、私たち、先にかえるね」

「先に変えるって……、もう夜よ。──そんなに、ひどいの?」

 かえでは突然のことに、言葉もならない、といった風だった。

 ごめんね、とだけ言った。それ以上は何も言わなかった。親友に嘘を吐くのは心が苦しかったのだ。

 かえでに話をつけて、みはりとまひろが先に部屋に戻って支度をするので、さりげなく皆の気をそらしてもらうことにした。かえではそれを訝しみ、なぜそんなことをするのか、みんなに話せないのか、とみはりに問いただした。だがみはりは、川辺で遊ぶ他の皆を振り仰ぎ、あの輪の中で楽しそうに笑うまひろをみると、永遠になるかもしれない別れの挨拶をさせるのは心が耐えられなかった。かえでには、ごめんなさい、とだけ謝った。

 部屋に戻ったまひろは、うつむきながらカバンに自分の服をつめている。動作がひどく遅かった。

 その後ろ姿が、みはりには切なくて仕方なかった。

 まひろが衣服を掴む腕を、そっと、だがしっかりとつかむ。

「お兄ちゃん、大丈夫よ」

 肩に手をまわして、抱きしめてやる。まひろの腕を掴んだ方の手で、まひろが持つ衣服を取る。まひろの手に力はなかった。

 まひろのまつ毛に大粒の涙がたまり、今にも零れ落ちそうだ。肩を撫でる手の内から、まひろの震えがわかる。まひろはぎゅっと、太ももの浴衣を握り締める。

 その姿にみはりは自らも泣きそうになった。だがここで泣いては、まひろを不安がらせてしまう。みはりは泣きなくなるのを必死に我慢して、まひろの代わりに彼の荷物を詰めた。

 まひろを不安がらせないよう、動作を落ち着いてこなしつつ、手早く準備を済ませる。普段着に着替え、防寒着を着こみ、もう出ていくという段になったところで、

「あ……、みんなに……」

「それは……」

 まひろは弱弱しくいい、最後まで言い切らなかった。だがみはりにはそれが、他の人には言わなくていいのか、ということだとはすぐにわかる。まひろはこういうが、きっとそれが怖いのだろう。

 実をいうと、みはりはかえでに話したように、他の人には告げずに出ていくというのをまひろには言ってなかった。

(いえ、駄目よ。ここでみんなに話してどうなるの? みんなきっと訳を聞くわ。そこでお兄ちゃんに嘘を吐かせて、強引にみんなから引きはなすの? それはできないよ)

 みはりは首を振った。そして、伏し目がちに、

「お兄ちゃんは、どうしたい?」

「俺は……、言えない」

 か細いを聞くのが辛かった。わかった、と言ってまひろの手をとり旅館をでるのだった。

 

 

 旅館を出て、近くの山間部にある駅までタクシーで向かった。特に予定を見たわけではなかったが、運よくそれほど時間もたたないうちに夜行列車がついた。

 まひろはみはりと並んで座った。列車の窓からは月に照らされて、闇の中に影ばかりの山稜が見える。所々に見える明かりの粒らは民家の連なりだろう。

 まひろは肘をつき、窓に額を当ててそれを見ていた。光景に情緒はない。ただその光景を、静かだ、と思った。

 座席には暗幕が備えつられていて、横並びの二席分を囲えるようになっていた。まひろがそれに手をかけると、みはりがそれに気づいたようで通路側を囲ってくれた。

 列車にはほとんど人が乗っていないようだ。まひろは自分たち以外を見ていない。

 夜の中を流れていく影を見つめる。ふと、みはりに悪いことをしたと気が付いた。なにも、みはりも連れて帰ることはなかった。自分ひとりで返ればよかったのだ。彼女の立派な兄になると意気込んだ傍からこれだ。まひろは軽い自己嫌悪に陥った。

「なあ──」

 謝るつもりで、みはりを見る。

 みはりは何も言わず、こちらをじっと心配そうに見ていた。みはりはまひろの様子を伺うように、

「どうしたの?」

「いや、その、悪いなって。お前まで帰らせちゃってさ」

「ああ、そのこと。大丈夫よ。だって、お兄ちゃん一人だと私が心配じゃない」

 みはりは目を細めて、明るくわらった。まひろは彼女が努めて明るさをだしてくれているのだとわかる。

「そうだな。ごめん、こんなお兄ちゃんで」

「こんなお兄ちゃんでも、私のお兄ちゃんよ」

 嬉しさにまた涙が出そうになる。妹にそんな姿を見せるわけにはいかない。

 そうだな、といって、横を向く。

「よしよし、大丈夫、大丈夫よ」

 みはりが抱きしめて、まひろの髪を優しくすいた。それが嬉しく、いとおしく、もうまひろはたまらなくなって涙が止まらなくなってしまった。

 

 

 玄関の呼び鈴がなった。

 まひろはカーテンを張った部屋に閉じこもっている。昼間だというのに、パソコンの明かりだけが顔を照らしている。

 玄関へは行かない。きっとみはりが行ってくれるはずだ。

 まひろは男に戻った。背も高くなり、体つきも以前の女の体に比べてしっかりとした。だが、心はすぐに戻らなかったようで、しばしば情緒が少し前の年相応の少女のように揺れ動く時があった。それは今でも少し続いている。

 まひろはパソコンで動画サイトをあてもなく見続ける。玄関でみはりと、多分まひろの様子を心配に来たもみじとあさひ、みよが言い争っているのが聞こえる。平静を務めるが、呼び鈴がなったときから胸が引き裂かれるように痛い。ここを出て、今すぐ挨拶を言いに行きたかった。だが、自分は男なのだ。年も立派な成人男性だ。こんな自分が今出ていけばどうなるか、まひろにはそれが良くわかっている。

 あいたい、とまひろは思う。だがそれはかなわない。

 しばらくすると声は聞こえなくなっていた。マウスを動かす手はとっくに止まっている。猫背でただパソコンの画面を見つめる。

 扉が二、三ノックされた。扉が開かれる。

「みんなが来たよ。でも、帰ってもらったわ」

 申し訳なさそうなみはりの声がする。

「いや、いいよ」

 まひろは振り返りもせず、素っ気なくいった。聞こえてくる声は、もう男の声だった。

 みはりがゆっくりと部屋に入ってくるのがわかる。扉から漏れる廊下の光が狭まっていき、やがて閉じられた。みはりはまひろの横に膝をついた。

「おにいちゃんはさ、そんなに男に戻りたかった?」

 まひろは顔を背ける。

「そうだよね、女の子のままじゃ、嫌だよね……」

 みはりは悲しそうにいう。微かに浮かぶ微笑を見て、まひろにはそれが、みはりが自らを責めているような気がした。もしそうならそれは筋違いだし、なにより自分が辛くなる。

 いや、とまひろはいう。

「あのまま、いたかった」

「なら!」

「でも、だめなんだ」

「どういうこと?」

 まひろはみはりに向き直す。みはりの腕をとった。

「俺はお前のお兄ちゃんだから。俺はお前を守るって決めたんだ。だから、あのままじゃだめだったんだ。──そう、昔いったことがあったろ?」

「お兄ちゃん……」

 涙を流すみはりを、今度はまひろが抱きしめた。

「ごめんな、みはり」

「え?」

「俺、お前に助けられてばっかりだよ」

「そんなことないよ?」

 みはりはまひろの背中に腕を回す。

「俺、みはりにかまってやれてなかったな。みはりはいつも俺のことを思ってくれてたのに、それに気が付けてなかった」

 いいの、とみはりはいい、まひろの首元で頭を振る。

「あの時それに気が付いたんだ。女の子の生活は、大切な友達もできて、楽しくて、離れたくはなかった。だけど、あの生活が楽しいと思えるのは、みはりのおかげで、それなら、俺はみはりに何をしてやれてるんだろうって思ったんだ」

 そんなこと、とみはりが叫ぶのをまひろは頭を強く抱きしめて制す。

「ほら、なんだかんだいって俺はお前のお兄ちゃんなんだ。だから、お前のためにお兄ちゃんしてやるのもいいかなってさ!」

 まひろは思いっきりの笑顔を見せた。それは形だけのものだったが、そうすることで、前向きになれるかもしれないという思いがあった。

 みはりが顔を上げる。涙で目が熱くなっていて、崩れた顔はいつもの健気な様子とは全く違っていた。まひろはその姿が苦しい。

 みはりが再びまひろに抱き着く。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 彼女はまひろの胸元を強く握りしめ、泣きじゃくった。

「お、おい! ──そんな、泣くなよぉ」

 まひろは辛抱できず、つい自分も泣いてしまった。こんなことをしたら、余計に彼女を不安がらせるというのに。だけどもうどうにもできず、再びみはりを抱きしめる。

「私のために、嬉しいよう」

「お、お前が感謝することじゃないさ。当然の……ことだ」

「ありがとう、ありがとう」

 みはりは声を上げて泣く。

 みはりはまひろが自らのために、大切なものを切り捨てたことに泣いた。あれだけ出不精で、引きこもりで、人と接することを避けていたまひろが、いつの間にか楽しく遊んでいる様を見てどれだけ安堵し、嬉しく思ったか。その時のまひろの嬉しそうな顔ときたら、思い出すだけでそれが愛おしく感じて、そして二度と戻らないとわかって涙が止まらない。激しく鳴りやまない胸を鼓動を、たまらずまひろに押し付けるように抱き合う。

 体を寄せるみはりを、しっかりと受け取るまひろ。まひろはみはりに妹への慕情を、みはりはまひろに、兄への愛を思った。

 

 

 あれから何度かいつもの面々が来ていた。もみじ、あさひ、みよと、たまにかえでだ。彼女たちは時にうるさく、そして時に静かに話し込んでいた。まひろはそれを直接覗いたことはないが、廊下の角や、部屋でそれとなく聞こえたのだった。

 みんなありがとう、とまひろは思う。

 どうして、合わせてくれないの、ともみじが言っていた。まひろはそれを廊下で聞く。みはりは謝り、病気なの、と言うだけだった。もみじもそうだが、みはりにも辛い思いをさせている。

 そういうこともあって、まひろは引きこもりがちになっていた。下手に出て彼女たちと出会うわけにもいない。もし会ってしまったら、今の自分がそれに耐えられそうではなかった。

 そうやって何日が過ぎただろう。

 いつまでたってもこうしているわけにはいかない。まひろはパソコンの前で急に立ち上がり、頬を叩く。

「そうだ、男に戻ったときの決意はどうした! こんな女々しく、なよなよしていられるか!」

 頭を激しく横に振って、気分を入れかえる。別に気分が晴れ晴れはしなかったが、こうすると、思う前に足が動いた。

 部屋を出て居間にいく。みはりはそのソファーに座って本を読んでいた。

 こちらを見るとかなり驚いたように見える。

「あ、お兄ちゃん!」

「みはり、二度目の引きこもりは、今日で脱却だ!」

 いって、ガッツポーズをした。

「え、え~! 本当に!?」

 みはりは嬉しそうに手を合わせる。

「おう、迷惑かけた」

 みはりがまひろに抱き着く。

「いいよ、いいよ。別に……」

 まひろは一つ、手首をとる。

「それじゃあ、散歩、いくか」

 有無を言わせず、彼女を連れて玄関へいく。

「え、え、でも……、もし」

 みはりの言わんとしていることがわかる。もし、もみじたちと会えばどうするのか、だろう。

「それは、仕方ないよ。知らんぷりすることにする」

 そう、口に出すのは辛かった。

 みはりは何かを言いたげにしたあと、わかった、とだけ答えた。

 まひろはみはりと手をつなぎ、茜色に染まった街を歩いた。行く当てはなかったけれど、いい気分転換にはなるだろう。まあ、ならなくてもいいさ、とまひろはずぼらに思ってみる。今はともかく何か出来たら満足だった。みはりを連れてきたのも大した意味はなかった。だけど、自分勝手に動いたって彼女はきっと許してくれるだろう。

 人通りのない住宅街を抜ける。電線にとまるカラスの鳴き声が聞こえた。最初は心配そうにこちらを見ていたみはりも、いつしか楽しそうに一緒に歩いてくれるようになった。

 道の角を曲がったら、もみじがいた。

 背が低くなったように感じられる彼女は、こちらを見て小さな声を上げた。そして声をかけようとしたのだろうが、みはりを引くまひろを見て、それをためらったらしい。まひろは彼女に目を合わさず、落ち着いた歩調で傍を通り過ぎる。みはりは何も言わない。

 住宅街を抜けて、川辺の堤防までたどり着いた。堤防の上は道になっていて、落ちる夕日が川の向こうに見える。夕陽は川に反射し、空よりも明るい夕焼け色に煌めいていた。

 わあ、と後ろから声が上がる。

 まひろは微笑んで振り向く。

「きれいだろ?」

「これを見せたかったの? お兄ちゃん」

「いや、たまたま。ほんとは大した目的なんてないんだ。でも、まあーたまにはいいだろ?」

 みはりは強く頷く。

「うん!」

 とってもきれい、と彼女は言って、足を止めた。まひろはつないだ手を離さず、傍で一緒に沈み込む夕陽を見る。

 なあ、と言ってみはりを見る。少し冬の雰囲気を残した肌寒い風が吹いて、みはりの髪を浮かせた。

「なあに?」

 いった彼女は、とてもきれいに見えた。

「俺、ちゃんとしたお兄ちゃんになるからさ。ちゃんとする」

 恥ずかしくなり、夕日に戻す。

「そうだね、ちゃんとしなさいよ。お兄ちゃんはだらしなくて、どうしようもないんだから」

「って、おい!」

 あまりの言い草に、つい声を上げて彼女に向く。

 でも、とみはりは儚げにつぶやいた。

「お兄ちゃん、ずっと一緒だよ」

「うん」

 まひろとみはりはしばらく見つめあった後、そこで佇んだ。

「もう、お兄ちゃんはおしまいだね」

 みはりがつぶやく。小さな声は、直後に吹いた風の音の中に直ぐに消えていった。

 え、と振り向く。

 私にとって、とみはりが言った気がする。それは上手く聞き取れなかった。みはりはまひろにめいいっぱいの笑顔を向けると、口を静かに動かした。

 

 

 ──それ以上、とみはりは音を出さずに言うのだった。


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