世界で一番抱きしめたら幸せになれる女の子 作:すかすかのタキ
ビシリと、空気が凍る音がした。
…ヤバい、今のはヤバい。明らかに間違えた。テンションの高さに任せて思わずぴしゃんとツッコんでしまった。
こいつの最大のコンプレックスを真正面からド直球で貫いてしまった。
分かっていても、白々しくても。
今のは「よかったな」と、暖かく祝福の言葉をかけてやるべき場面だった。
覚悟を決めて、ゆっくりと振り向く。
…ああ、やっぱり。これなら激怒される方がマシだった。
噛みつかれるなり尻をつねられるなり、足を踏みつけられるなりボディブローを入れられるなり頭突きを食らう方が余程マシだった。
そこには普段の鉄面皮が崩れ、ラーントルク以上に分かりやすく絶望に沈み、死に瀕した目をしているネフレンがいた。
彼女はしばしそのまま立ちつくし、やがて何も言わずに彼の傍からゆっくり離れると、幽鬼のようにふらふらとした足取りで遊戯室の外へと歩き去っていく。
開け放されたままのドアから、自室に向かって廊下を進んでいった彼女をヴィレムは恐る恐る覗き見てみる。
右へ左へと、歪な軌跡を描きながら大きく蛇行し、当然のように壁に頭をガンとぶつけた。痛みに堪えかねたのか、強打した部分を両手で押さえ、そのままペタンと蹲る。
30秒経った。彼女はまだ微動だにしない。
一分が経過した。患部を押さえていた両の腕は、いつの間にかだらんと下がりきっていた。痛みはとうに引いているはずだが、未だ廊下に蹲ったままぴくりとも動かない。
二分経過した。この時点でヴィレムはようやく気付いた。
否。自分の軽率な言動が生み出した罪を、認めざるを得なくなっていた。
彼女が頭を打って蹲り膝を折った瞬間、心の方も同時に、真っ二つに折れてしまっていたのだと。
その悲惨な背中から、
「計測誤差」「勘違い」「変化なし」「ぬか喜び」「日々の努力は全て無駄」「わたしは永遠のちびっ子」という呪詛的な自虐が、ぶつぶつぶつぶつ延々と繰り返されている。
…どうすんだよこれ、どうフォローしてやればいいんだよこれ。
鏡を見るまでもなく真っ青な顔をしているであろう自分も、ドアの前に蹲って、情けなくがたがたと震えながら頭を抱えている。
そうしていると、今まで恍惚の表情で床に崩れ落ち、ビクビクと痙攣していた連中が、皆一斉に、ゆらりと立ち上がる気配があった。
「何ていう事をしてくれたのよヴィレム〜…」「立ち直ったらもう一回、ねふねふさせてもらおうと思ってたのに…」「次にいつこんな機会があると…?」「むしろこれが最後、レンを自由に好きなだけ抱きしめられるチャンスなんて二度と来ないかもしれないのに…」「許せない…。許せない…!」
クトリが。ナイグラートが。ノフトが。ティアット組が。年少組のちびっ子達までもが。
妖精倉庫の住人ほぼ全員の目が殺意に光り、ネフレンを好きなだけ抱きしめられる機会を台無しにした元凶である俺を見据えている。
ちょっと待て、お前らあれでまだ抱きしめたりてなかったのか!?
俺にはさっぱり分からねえんだけどマジで脳をやられちまうくらいに気持ちいいのかよレンのやつの抱き心地って!?
おいアイセア、助けてくれよ!ゲラゲラゲラゲラ腹抱えて笑ってんな!
ダメだ、完全に腹筋崩壊して使い物にならなくなってる!!
ラーン、どうにかしてネフレンを説得してもう一回ここまで連れてきてくれよ!今こそ名誉挽回、汚名返上のビッグチャンスだろ!?いつまでうふふふふふって壊れた笑いを浮かべてるんだよいい加減立ち直れ!
ラキシュ!妖精倉庫一の常識人!お前はこういう時はあわあわしつつも何やかんやでその場で一番の常識人の味方をしてくれるだろ!?お前こそが最後の砦だ、お前だけは俺の味方でいてくれるよな!?
あ、ダメだ。俺を殺る気満々だ、完全に目がイっちまってる!こいつまで堕ちちまうなんていくらなんでも魔性すぎるだろネフレンのやつ!
いつの間にか壁を背に、ヴィレムは完全に彼女らに取り囲まれていた。
「あ、ちょ」
クトリ、しっかりしろ!いつもの見栄っ張りはどうしたんだ!
ナイグラート、いつか俺に俺を食べていいぞって許可をもらいたいんだろ!?このまま俺がめちゃくちゃにされていいのかよ!?
ネフレンを求めるゾンビと化した連中の包囲網がじわじわと狭まる。
「ま、やめ」
ノフト、親友の事を放っておいていいのか!?
ティアット、今のあいつはちょっとおかしくなってるから参考にならねえかもしれないが、そんなんじゃ憧れのクトリ先輩みたいになれねえぞ!?
復讐を果たせと一斉に飛び掛かられ、成すすべもなく呑み込まれる。
「ひ、いや」
パニバル、お前はもふもふじゃなくて剣の道を極めるんじゃなかったのか!?コロン、目を覚ましてくれ、気合と根性を見せてくれよ!
慈悲を求める声に応える者は誰もおらず、哀れな二位技官の絶叫が響く。
こうして幸福の絶頂から一転。今日の妖精倉庫は誰一人として幸せにする事なく、はちゃめちゃな一日の幕を閉じたのであった。