世界で一番抱きしめたら幸せになれる女の子 作:すかすかのタキ
────このろくでもない大騒動から一週間。
妖精倉庫は不気味なくらい何事もなかったように、いつも通りの日常を取り戻していた。
ある者は子供達と一緒になって元気に遊び回りつつも、無茶をやらかさないように冷静に監視したり。
ある者は次の戦いに備え剣技や体技、魔力のコントロールの訓練をしたり。
またある者は、大量の洗濯物の片付けや晩御飯の下拵えなど家事全般に精を出しており、それぞれにとってやるべき事を行っている。
そも彼女達は、ネフレンのぽかぽかハグによる快楽がキまりすぎて本当に何の記憶も残っておらず(今使用可能なスキルと戦術全てを駆使して、ズタボロになりながらもギリ逃げ延びたヴィレム以外は)何の異常も見て取れなかったのかもしれない。
或いは。
彼女達はその時自分がどんな醜態を晒していたか。家族ら全員がどんな痴態を晒していたか、全員が余す所なく全て記憶していて。
これは絶対に口にしてはいけない。相手をいじったり、口論で勝つ為の、取引で優位に立つ為のカードとして使おうとすれば最後、この家全体を呑み込み決して抜け出せないドロ沼の争いに陥ると承知して。
言葉で約束を交わすまでもなく、暗黙の了解としていつも通りの自分達を演じているだけなのかもしれない。
どちらにせよ、尋ねる事は即制裁となりかねない以上日々の平穏を破壊してまで真相を掘り起こそうとする愚者はいない。
謎はあえて解き明かさず。
誰もがそれを忘れ去り、手の届かない闇の中へと葬り去られる日まで、永遠の謎であり続けたほうがいい場合もあるのである。
だがしかし。
身長が2ミリも伸びた。この喜びを共有してほしい。わたしを全力で祝福してほしいとウッキウキで報告したら
『計測誤差』
と、無情極まりない現実的なツッコミに心を貫かれたネフレンと、やらかしてしまったヴィレムだけは。
あれから一週間経っても未だ関係を修復できておらず、気まずい日々を送り続けていた。
コンコンと、優しくその部屋のドアをノックする。
特に反応がないので、ほんの2、3センチ。部屋の中は伺えないが、会話は十分成立する程度にドアを開く。
「あの〜ネフレンさん、俺だけど。部屋に上がらせて頂いてよろしいでしょうか〜…?」
精一杯の猫なで声で話しかける。
「ん、俺って誰なの?ちゃんと名前を言って?」
くそ、この野郎。今の妖精倉庫に男といえば俺しかいないだろうが。
しかし悪いのは俺なのだし、初めの四日間は返事すら返してもらえなかったのだ。こうして返事が返してもらえるようになっただけ前進なのだと苛立ちをぐっとこらえる。
「ヴィ、ヴィレムでございます。妖精倉庫の新参管理者ヴィレム・クメシュでございますネフレンお嬢様…」
「ヴィレム?ヴィレムって誰だっけ?もっとちゃんと言って?」
この野郎調子に乗りやがって俺にまたあれを繰り返せっていうのか?ほっぺを引っ張ってぐにぐにこね回してやりたい衝動にかられるが、悪いのは俺なんだから我慢しろと改めて自分に言い聞かせる。
「ね、ネフレンお嬢様の身長が2ミリも伸びたのに全く気付かない、目の腐った愚かな管理者ヴィレム・クメシュでございます。無能な私ですが、お嬢様のお部屋に上がる事を許して頂いてもよろしいでしょうか〜…?」
「ん、許す」
上から目線この上ない一言に更に苛立ちが募るが、ぐっと耐えて笑顔をキープ。
機嫌を損ねないよう最深の注意を払ってそっと扉を開いた。
普段の年相応の子供らしさを感じさせるツインテールは、ベッドの上では解かれていた。
ストレートに下ろされた銀に近い灰色の髪は開け放たれた窓から差し込む陽光に照らされて、気品ある令嬢といった雰囲気を演出している。
淡い紫色のパジャマを着込み、上半身を起こした状態でベッドに横たわり本を読んでいた彼女は、その目をゆっくり俺の方へ向けると、
「ん、いらっしゃいヴィレム。それで今日は、わたしに何の用かな?」
好物をもきゅもきゅ食べている時も、ちび達とどたばた遊んでいる時も。
叱られて落ち込んでいる時も、戦いで疲れ果てている時も。
いつ如何なる時も、ほとんど変化の見られない鉄壁の無表情が。
天使のように無垢で柔らかく。色とりどりの宝石の欠片を散りばめられたかのように可憐な笑顔を浮かべていた。
…こっえええええええええええええええええええええええええ!!
怖い、怖すぎる。本当に一体何なんだこいつは。インサニアを手にしていなけりゃ魔力を熾してもいないのに、まるで成体のドラゴンを前にしているような破滅的プレッシャーを感じる。
いや、落ち着け俺。
このプレッシャーを受けるのもこれで三回目だ。慣れろ。
正直に言わせてもらえれば妖精倉庫どころか68番島からも逃げ出したい気分だが、男たるものが一度彼女ら妖精兵を支えると決めたなら、それを自分が起こしたトラブルが原因で中途半端に放り出すなどあってはならない。
「ええと、お嬢様は日々獣との戦いで疲れておいででしょうから。今日も入念なマッサージを施しておくべきと考えて、こうしてお部屋まで伺わせ頂いたのですが〜」
「ん、いい心掛けだね。それじゃあお願いしようかな」
ええい白々しい。
怯えでどこぞに吹っ飛んでしまっていた苛立ちが再び鎌首をもたげてくるが、それを態度に出してはならない。
どうにかして仲直りしなきゃ、こいつはいつまで経っても拗ね続けてベッドの中から出て来ずに他の連中にまで迷惑がかかり続ける。だから我慢するんだ俺。
「ん、とっても気持ちいい。何せ私は妖精兵の中で『一番ちっちゃい』ですから。それを補う為に強めに魔力を熾さなくちゃならないから、人一倍疲れちゃうんですよね。『一番ちっちゃい』のに先輩達に並んで頑張ってるわたしの為に、管理者さんにはいっぱい尽くしてもらいませんと」
ああーーイライラする。
いちいち『ちっちゃい』を強調するな。しかも二回も。
そんなに戦うのが辛いなら突いたらいけないツボを突いて一生ベッドから起き上がれなくしてやろうか。
「ところでヴィレムさん。わたしが予約していた好きな作家さんの新作ですが」
「はいっ!先程町の本屋まで出向いて受け取ってまいりました!」
「ん、ありがとう。何せわたしは『長身の』ヴィレムさんと比べて背が『とってもちっちゃい』ですからね。歩幅が『ちっちゃい』分、町まで歩くのも一苦労でして」
嘘つけいつも妖精の翼でひとっ飛びじゃねえか。くそヤバい。笑顔がヒクヒクと引きつってるのが分かる。
耐えろ耐えるんだ俺。元はと言えば俺のうかつな計測誤差発言が悪いんだ。
「ん、わたし何だかお腹がすいちゃったな。ヴィレム、何か用意してない?」
「はいいっ!お嬢様の為に生クリームをふんだんに塗りつけて、季節のフルーツで豪奢に飾り立てたスペシャルケーキを用意させていただきましたあっ!」
ああダメだ。悪辣な天使の笑顔が強すぎてもう完全に心が屈服しちまってる。
「ん、ありがと。何せわたしって年齢の割には人よりちょっぴり『成長が遅れて』いますから。こうやってたくさん栄養をとって『背が高くて大人っぽい』先輩方に追いつきませんと。もっきゅもっきゅ」
太れ。糖分の取りすぎでぶっくぶくに太りやがれ。
そんでこのまま俺にたかった引きこもり生活を続けていたら女としてまずい事になると気付いて日常生活に戻って、なし崩しに俺の問題発言も忘れてくれ。
そうでないと耐えられない。
最早俺がこいつに『ふざけんな調子に乗るのも大概にしておけよこのドちび』と溜まったストレスの分だけ全力で罵倒してやつの精神を破壊し俺の肉体も破壊されるか、或いは噴出したストレスのままやつの身体に大人を舐めたらどうなるか徹底的に理解らせてやって、その代償に俺が法の裁きを受けるかの二択しかなる。
もう七割方覚悟を決めて、乾いた笑いを浮かべながら「どうぞお嬢様、好きなだけお食べ下さい、はいあーん」とやっていたら、
「ん、この笑顔と口調を保つのもう疲れた。そろそろ働かないとナイグラートに食べられそうだし」
天使の笑顔がストンと落ちるように平坦な真顔になり。
彼の腰も力が抜けて、その場にストンと崩れ落ちた。
そのまま一週間前、ネフレンのハグにキめられた連中のように、床に倒れ伏したままビクンビクンと痙攣する。
「…ヴィレムは何をしているの?着替えるのに邪魔だから出ていってほしい」
襟首を掴まれてズルズルと引っぱられ、部屋の外にポイと放り出された。
覗き防止の為だろう。ドアが閉められ鍵をガチャンとかけられる。
あまりに無情かつ雑な扱いだが、今の彼は一向に気にならない。
何しろネフレンのぽかぽかハグ事件から一週間、極度のストレスにさらされ続けた時間が今終わりを迎えたのだ。
ささくれだった古く冷たい廊下も、王族貴族御用達の最高級ベッドの如くふかふかに感じられる。
ああ、ようやくレンに許してもらえたと。
魂すら抜け落ちた表情で、恍惚とよだれを垂れ流したまま久しぶりの深い眠りにつくのであった。