甲斐のフロイトこと尋之徳兵衛について   作:示威P亭 茶亜斗

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【第4回】上山田村の奇妙な風習

上山田村の奇妙な儀式や風習について

 

上山田村は信濃国北部に位置する小さな村で、古くから「人骨村」として知られていました。村人たちは、先祖代々の風習を守り、年中行事や儀式を厳格に守っていました。その中には、尋之徳兵衛が批判した奇妙な風習も含まれていました。

 

その風習とは、毎年行われる「夜這い祭り」と呼ばれるものでした。この祭りでは、村の若い女性たちが一晩中神社に籠り、男性たちが彼女たちの寝所に忍び込んで「夜這い」をすることが許されていました。村人たちはこれを「神事」として行っており、女性たちはこの儀式に参加することを誇りに思っていました。

 

 

上山田村の奇妙な風習

 

上山田村には、「鬼祭り」と呼ばれる奇妙な風習がありました。この祭りでは、村の若者たちが鬼の面をかぶり、村を練り歩いてはしゃぎます。しかし、この祭りには問題がありました。なんと、若者たちが酒を飲みすぎて、暴れ回ってしまうことが多かったのです。

 

また、祭りの最中には、子供たちが泣き叫んでいる光景も見られ、地域住民の中にはこの祭りに対して不満を持つ人々もいました。

 

 

尋之徳兵衛は、上山田村の風習について批判的な意見を持っていました。彼は、鬼祭りが村人たちにとって危険であり、また、子供たちにとっては恐怖心を抱かせることになってしまうと考えていました。

 

 

尋之徳兵衛は、上山田村の代官の与力として、この鬼祭りを改革するために提案を行いました。彼は、若者たちが酒を飲みすぎないように、祭り当日は禁酒令を出すことを提案しました。

 

また、子供たちに恐怖心を抱かせないように、鬼の面の代わりに、可愛らしい動物の面をかぶることを提案しました。このようにして、祭りを改革することで、地域住民たちの安全と、子供たちの精神的な健康を守ることができると考えていたのです。

 

 

上山田村の伝統料理『土研ぎ根』

 

尋之徳兵衛が上山田村に来たときに出された料理は、当時の村の伝統料理である土研ぎ根と呼ばれる雑炊でした。これは僅かな米を土で嵩増しして木の根を入れて煮込むという彼の今までの暮らしからは考えられない料理だったと衝撃をうけたそうです。尋之徳兵衛が感じたように、土研ぎ根という料理が村の伝統料理だったということから、上山田村が当時は貧しい農村地帯であったようです。

 

土研ぎ根は、少ない米を賢く利用するために、土や根を加えて嵩増しすることで食糧不足を補うための料理であると考えられます。また、木の根を加えるという発想からも、当時の村人たちは山や森林を利用して生計を立てていたことが窺えます。これらのことから、当時の上山田村が貧しく自給自足の生活を営んでいた可能性があると考えられます。

 

 

尋之徳兵衛は、村人たちとの交流を深めるために、彼らの信仰を理解しようと努めました。彼は、村人たちの精霊信仰を尊重し、彼らが大切にする行事や儀式に参加したり、支援を行ったりしました。また、彼は地域の人々の間で広く信仰されている神社である天狗山神社の再建や、災害被害者の救援などを行うことで、地域社会への貢献を示しました。これらの取り組みによって、村人たちは尋之徳兵衛に対する信頼を深め、彼と協力するようになりました。

 

上山田村の天狗山に関する伝承には複数の説がありますが、その一つには以下のようなものがあります。

 

天狗山に赤子を捧げる風習が始まったのは、戦国時代に上山田村周辺が北条氏の支配下に入った頃とされています。北条氏は信仰心が厚く、天狗神を信仰する一族もいたとされています。その中でも特に天狗神への信仰が深かった人々は、天狗山に天狗神を祀る神社を建立し、そこで神をお仕えするための赤子を捧げることを始めたと言われています。

 

この風習は当初、村の上流階級の人々が行っていたとされていますが、やがて一般庶民にも広まり、江戸時代には毎年数人の赤子が捧げられるようになったと伝えられています。

 

当時の人々は、自然や神仏と密接に繋がっていると考えられていました。そして、自然災害や病気、戦争などの様々な不幸を避けるためには、神仏や霊的な力を利用する必要があると信じられていました。そのため、神仏や霊的な存在に対する崇拝や信仰が、人々の生活や文化の中心となっていました。

 

このような文化的背景から、神仏や霊的な力を得るためには、それに対する最高の犠牲を捧げる必要があると考えられていたのです。そして、その最高の犠牲として、生け贄が捧げられることがありました。

 

また、当時は子供の命が安易に軽んじられる傾向がありました。生存競争が激しく、貧しい環境の中で生きることが多かったため、子供は大人にとっては労働力や将来の生計を担保する存在として捉えられることが多かったのです。

 

現代においては、人権や倫理観念が尊重され、生け贄や子供の犠牲は許されない行為とされていますが、当時の人々にとっては、それが当たり前であったと言えます。

 

尋之徳兵衛はこの風習に関しては、表向き村人たちの行いを尊重するという立場を取りましたが、実際にはその行為に関して著書では「大信過ぎたるは糾える心なり」と書いています。

 

「大信過ぎたるは糾える心なり」とは、直訳すると「過信が過ぎると、是正する心を持たなければならない」という意味になります。尋之徳兵衛は、村人たちの風習や信仰を尊重する一方で、それが倫理的に問題があると認識していたと思われます。そのため、自分自身がその行為を是認することはできず、そのような行為に関しては是正すべきだと考えたと思われます。

 

当時の日本では、村落ごとに独自の風習や信仰が存在し、それが広く受け入れられていたことがありました。このような状況下で、尋之徳兵衛が積極的に風習や信仰を否定することは、村人たちとの対立を生むことになりかねません。したがって、彼は村人たちとの信頼関係を築くためには、その風習や信仰を尊重する姿勢を示す必要があったと考えられます。ただし、彼がそのような風習や信仰に対して倫理的に問題があると認識していたことは、彼が書いた著書からもうかがえます。

 

 

上山田村の天狗神信仰の儀式には、現代の感覚から見ると奇妙なものがいくつかあります。

 

 赤子の犠牲:すでに触れた通り、天狗山にある天狗神社に赤子を奉納する儀式が行われていました。この儀式は、赤子を天狗神に奉仕させるためとされていましたが、現代の観点からは、人道的な問題が指摘されます。

 

 神木としての生贄の木:天狗神社には、「神木」としての生贄の木がありました。この木には、手足を切り落とした人間の遺体が吊るされていました。これは、村人たちが病気や不幸を回避するために、神木に生贄を捧げたとされています。

 

 山火事を鎮めるための火伏せの儀式:村人たちは、山火事を鎮めるために、火伏せの儀式を行っていました。この儀式では、火を消すために鉢に水を入れ、その上に枯葉や木の枝を乗せ、火を付けて燃やしました。そして、煙を上げながら鉢を村の外に運んで、火を消しました。

 

 神楽舞:村人たちは、神楽舞を通じて、神々と交流し、神々からの祝福を受けることを信じていました。神楽舞は、奇妙な動きや奇抜な衣装を身に着けた舞者たちによって演じられました。

 

これらの儀式や風習は、現代の観点からは奇妙に思われるかもしれませんが、当時の村人たちにとっては、信仰や風習を守ることが、自分たちや家族の安全や幸福につながると信じられていたのでしょう。

 

 

これらの奇習が行われるきっかけについては、複数の要因が考えられます。一つには、当時の農村社会においては生まれた子供の数が多く、子供たちの養育や教育に対する経済的負担が重かったことが挙げられます。そのため、生まれた子供たちを多少は“手放す”ことで、家計の負担を軽くする意図があったと考えられます。

 

また、村の神々への信仰も影響していたと思われます。天狗山神社がある天狗山は、当時から神聖な場所とされており、天狗神をはじめとする様々な神々が住むと信じられていました。そのため、村人たちは天狗神への信仰を示すために、赤子を神に献上することが行われたと考えられます。

 

また、村人たちの間には血縁関係が密接であり、一つの家族が村全体の中心となって様々な儀式や風習を守ってきたと思われます。そのため、これらの儀式や風習は、村全体のアイデンティティーとしての役割も果たしていたと考えられます。

 

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