「不幸だ。実に不幸だ」
私の前で、一匹の河童がなにやらアクリル板に額を打ちつけている。
「陰気臭いこと言うな、コックよ。聞くまでもないが、一体何がどうした?」
彼が言う台詞はいつも決まっている。
「聞け!ジャック!「我々は文化的制裁によって破滅へとむかっているのだ」あああ…、不幸だ」
これが面会に来た奴の言うことか?と思ってしまうのだが、こいつは元から陰気臭いことしか言わない奴だということはわかりきったことなので、最初は私の後ろの看守の方が驚く始末である。
そんな看守も、今ではあくびをしながら、繰り返される日々の面会に立ち会っている。
「まあ毎日一言一句同じことを何度も何度も、こんな時だから芸術家としての仕事があるんじゃねえか」
「仕事だと!?給料の入んねえ仕事がどこにあるってんだ!おかげで川の水は止められるわ、ガスは止められるわ、挙句には家賃の滞納で来週には強制退去!失業手当も出ねえってんなら、おりゃあどうやって生きてきゃいいんだ!こんな炎天下で外に放り出されちゃ、頭の皿が干上がっちまう!いっそのこと大人しく捕まっときゃよかったんだああああああ!…不幸だ」
「…もうお前田舎に帰れよ」
悲観主義な友人は、ついに見かねた看守に取り押さえられ、外につまみ出された。
私はここの独房に先月ぶち込まれたばかりの新人。もとはフリーで書き物をやってた。文化的活動に対する当局の締め付けが強くなってから、仕事の依頼はめっきり減り、おまけに印税も入ってこなくなってから、貯金を切り崩す生活を送っていた。
そんなある日、郵便受けに一枚のチラシが入っていた。プロレタリア独裁、反宗教を掲げる非合法政治団体、水金同盟の水曜集会の案内だった。
翌日、私は指定の時刻に、指定のあった場所に来た。疎らではあったが、数匹の先客がいた。彼らは皆、私と同じチラシを手にしていた。
私は確信した。これは当局の罠であると。もっとも、私はチラシが投函されていた時点で疑っていた。非合法の団体が集会の日時をチラシで知らせるはずがない。これは当局が仕掛けた、所謂、危険分子の予備逮捕だ。
私は目を見張った。なんとそこに、旧友の姿があったからだ。
「コック!お前一体何をしている!」
「おお!ジャックではないか!お前も同士の仲間入りを果たすのか。そうだ、お前は正しい。個人の自律性を無視した臨時政府など我々は欲していない。真の喜びとは、物資の豊かさではなく、精神の豊かさなのだ!」
嗚呼、コック。お前は一番の幸せ者だ。そうだな、今この世界、無知であることがどれほど救われることか。
定刻の三十分を過ぎた所で、集会が始まる気配がない。
「ジャック、嫌な予感がする」
そんな事わかりきっている。
パシュー
何かが空に打ち上がった。
「検非違使の信煙弾だ!」
誰かが叫んだ。
「気づかれたのか!ジャック!逃げるぞ!」
「いいや、もう周囲は包囲されている。無駄な足掻きはやめておいた方がいい」
かくして私らは晴れて御用となり、二匹同じ牢屋へぶち込まれた。
してやったりだ。これで衣食住に困ることはない。畳六畳ほどの部屋に、円卓と座布団、厠、敷布団付き。外気から遮断された空間は、まさに書き物にはうってつけの空間。
「あああ、畜生、俺は田舎にオカンを残してるんだよ!なあ、ジャック!オカンが捕まることないよな、ないと言ってくれ!」
「ない」
「ああああ、なぜこうなっちまったんだ…。己の不幸を呪わずにはいられない」
やれやれだ。初めから集会など参加しなけりゃいいものを。まあ、こいつの性格上、いずれはこうなっていただろう。昔っから曲ったことは大嫌い、いっそのこと閻魔にでもなっちまえば良かったのではなかろうか、などとよく言われていた。今回は、私と一緒だっただけ良かったかもしれない。
「うるさいぞ!静かにしろ!」
見回りの看守が注意しにきた。
「いや、これはどうも。申し訳ない。どうも当人は混乱のあまり我を忘れているようで」
「全く、廊下にまで響いているよ。他の囚人にも迷惑だから、夜だけはやめてくれよ?」
「ええ、よく言ってきかせます。ああ、それと、原稿用紙ありません?」
「封書か?」
「ええ、まあそんなところです。自宅の郵便受けに、大量の封書が入れられるはずです。週に一度、難しいようでしたら月に一度でもいいので、取りに来てはくれませぬか?」
「通信社に手続きをすれば、一年間は転送依頼することができるが?」
「…取りに行って欲しいのだが」
「…よかろう。三週間にいっぺんだ、それでいいな?」
思いの外あっさりと受け入れてくれた。
「ありがとうございます」
通信社では、郵便物に検閲がかけられる。それ故に、今では郵便物を直接相手の家の郵便受けに投函するか、それが叶わなければ、多少高額であっても、リスクを背負ってでも、非合法の郵便社を通してやり取りが行われている事が殆どだった。
「…泣き疲れて眠るとか、子供かお前は」
わざわざ布団を敷くのも面倒なので、薄い座布団を乗せてやった。
「407号室」
ここに入ってから丁度三週間ばかり過ぎた頃だっただろうか、まだ裁判も済んでいないとき、監修に鉄のドアを叩かれた。昼にはまだ時間がある。
「はい、どうしました…」
覗き窓の格子の隙間から外を覗くと、溢れんばかりの封書を抱えた看守が不機嫌そうに立っていた。
「いったいどういうことだ!こんなに大量にあるなんて予想もしてなかったぞ!」
「いやあ、申し訳ない。あらかじめどんなもんか言っておけばよかったですね。それにしても、今回はいつも以上に来ていますね」
差し入れ口から大量の封筒を何回かに分けて受け取ると、看守はやれやれといった表情でその場を後にした。
「へえ、たくさん来てるじゃねえか」
「ああ、参ったよ」
この量の手紙を毎回捌いていたら、いくら時間があっても足りないので、大抵は返事を出さずにスルーをしていたのだが、時間も有り余る今日この頃は、手紙を一つ一つ読んでいる時間が一番有意義なまである。
「愛読者には長らく心配かけたからな」
私はてっきり看守に手紙を検閲されたとばかり思っていたが、開封された跡はなく、私が最初の閲覧者であった。
早速一通目を開封する。
「なになに?拝啓 先日刊行されました、革新通信にて、先生が拘束されたとの記事を見かけたのですが…」
私の身柄が拘束された事は、どうやら既に噂されているらしい。もっとも、革新通信というものが件の水金同盟の刊行する新聞である為、世間のこの新聞に対する信用度がどの程度のものかは知っている。
しかしこうして手紙をよこすという事は、やはり気にかけてくれてはいた様だ。幾ら安定した居住地へ移りたかったとはいえ、自ら捕まりに行くなどという軽率な行動に出てしまった事は反省せねばならぬ。
『近代文学の
革新通信より一部抜粋