「判決を下す。被告は法の定める危険組織の違法集会には参加したものの、組織に関与しているという確証がなく、また今後も関わる意志が見られないことから、国家転覆罪の適用は認めず。しかし、被告の社会的地位とそれに付随する影響力を鑑みて、禁固25年を求刑する。これにて閉廷」
看守に両腕を掴まれながら、いよいよ刑務所に移されることとなった私。護送用の馬車に只今乗ろうとしたその時、どこからか私を呼ぶ声が聞こえた。
「2017番」
「はい、何でございましょう」
「これが最後だと思うとなんかな」
看守はそう言って手紙を一通渡してきた。
「所長、これは‥‥」
「身体検査は終わってよう、心配ない」
私の両腕を掴む看守はその手紙を私の懐にそっと仕舞うと、無機質な鉄製の堅牢な護送車に私を押し込んだ。
「達者でな。ク・クア刑務所の飯はまずいぞ」
「へい、世話になりました」
先頭からバシッと何かを革で打ち付けるような音がしたと同時、ごとごとという音をたてて護送車は動き出した。
無防備にも、護送車の中には誰もいない。これは私が脱走する危険性が無いと判断された為であろうが、警察機関の腐敗ぶりをそのまま可視化したようで、少々残念に思う。
私は看守から受け取ったその手紙の封をびりびりと破った。
その手紙は、今までとは違い、子供が書くような不安定な字で書き記してあった。
おじさんへ
わたしにはにんげんのお友だちがいました。そのにんげんはわたしのいえにあそびにきて、あそんでくれたりおかしをくれたりしました。だけど、そのお友だちはいなくなっちゃいました。わたしはわからなかったです。そのまえにお友だちが、ひょっとしたら、おれ、しぬかも、ていっていなくなっちゃったのです。お友だちはどこへいっちゃったの。だって、いつしぬかなんてわからないじゃん。あのお友だちはほんとにしんじゃったの。なぜしんじゃったの。
人間という種族はつくづく不思議に思う。高い社会性を有していながら、考えや価値観に相違がある者を極端に毛嫌いする傾向にあると昔から言われている。いや、寧ろ他者に対して排他的であるが故に高度な文明を築けたのかもしれない。
つまり何が言いたいかというと、人間はもはや、他者の中でしか生きられない生き物になってしまったのではないかと思えるわけだ。我々が承認欲求と呼ぶそれらが満たされぬ環境に身を置くことができず、他者の中から消えてしまった人間は、それは文字通り死んだと同義なのではないかと。
ただそれらは単なる憶測にすぎない。が、しかし、やはり最近河童の国に訪れる人間を見ていると、やはり他人の皿を気にする様子が伺えるし、私はこれがやがて我々にも大きな影響を与えるのではないかと懸念している。
さて、この手紙に対する答えだが、人間の死因は決して一つではない。例え麻疹が世界的流行している状況下であっても、交通事故で死ぬ輩もいれば、家事で死ぬ輩もいるわけで、とりわけ自殺とか言った極々最近のトレンド一つとっても、それが今となっては時代遅れの武士道精神に則った美徳精神によるものかもわからない。しかし私は、この手紙の中で、この人間の直接的な死因ではないが、その心理というものを、読み解くことができた。
迷える子羊よ。
もし明日に世界が終わるとしたら、貴方はどうする?大切な人に別れを告げる時間を確保したり、趣味の世界に最期まで没頭したり、とにかく生きているうちにできることをしようとする筈だ。
それは己の生存本能に従った行動であって、河童の世界にも存在しうる自然な現象だ。しかし、自ら世界を終わらすという不自然な行動をとる人間が現代では少なくない。なんたって最近、人間関係、責任、これら自分にしかどうにもならない問題が目の前に立ちはだかった時、限界を感じ、逃れるために自らを手にかける人間が後を絶たない。
しかしそれは、一般的にはそう言われているだけであって、実際は少し異なる。一つの障害を乗り越え、その先にまたいくつ障害があるかわからない。そんな将来への、唯ぼんやりとした不安、いつ終わるかわからない世界に、嫌気がさしてしまうからなのだ。
人間の心理を理解することは我々には難しい。しかし、これだけは覚えていて欲しい。河童というのは、他者から認められ、己の中で生きていく種族である。これだけは、決して忘れてはならない。
子供に書くような手紙の内容ではないだろうが、もし時がたち、この手紙の送り主がこの手紙をとっておいてくれたのならば、それに越したことはない。
『我々の生存権は我々が握るものである。よって、他者の干渉を我々は断じて許さない。他者によって財産が侵されることも、他国によって領土が侵されることも、あるまじき行為なのだ。だから我々は、永く生き過ぎた河童を養っていく道理もないわけだ』
金曜集会、筆頭書記長演説より一部抜粋