私はある懸念を抱いている。
前の拘置所のように融通の利かなくなった刑務所内では、通信社を通して検閲済みの手紙のみが送られてくるのだが、送られてくる手紙の量は日に日に数を増すばかりか、大半が相談を占めるまでになってきたではないか。これらの悪しき流れが原因で、政府の高官にでも
そこで私は今からその恐ろしい事態に私を陥れることになるであろう封書を開けるのだが、正直勇気がない。その封書の送り主は他ならぬ臨時政府の議員であり、ご丁寧に『ジャック殿』と書かれた封筒には重要書類在籍と書かれた、公的文書であることを示す青色の消印が押されている。つまりは、これは検閲など一切合切されておらず、私が一番最初に封を開けることになるということだ。
おそるおそる封を破り捨てる。同性から受け取る手紙よりももっとたちの悪い見た目をしたこの封筒を、一刻も早く記憶の奥底に施錠して閉じ込めたいのだ。
ここでは敢えて名前を伏せるが、私は政府関係者であるとだけ伝えておきたい。
今や世論は貴方を中心に動いているといっても過言ではない。それほどまでに国民は貴方の思想に染まりつつあるのだ。君はあまりその実感がないだろうが、我々としては君のような世論の中心人物を野放しに出てくることはできない。そこで我々は此度貴方を監視対象と勝手ながらさせてもらったのだが、私はこれを二度とない機会だと考えている。この手紙はあくまで私と貴方の間のみのものとなり、それ以外の者は認知すらしていない。
私に協力していただくならば、自由を保障しよう。もしそうでなければ、この話は無いことに。
明日の正午、話はつけてある。返事は今日中に、この封筒に入れてこちらに送り付けるように。
そら見たことか。とんだ厄介事だ。ここまでくると、いっそ清々しさまで感じてしまう。今まで散々死に追いやってきた字書きに対して、あまりにも虫の良すぎる話ではないか。
とは言ったものの、やはりこれを無下にしてしまうと私はおそらく私ではいられなくなるであろう。それだけは避けたいのだ。
『皿に蔓延るウジ虫よ―』
おっといかんいかん、手紙の書き始めの挨拶にはどのような文言か適切であろうか。
『ク・クア刑務所囚人2102098番。おおよその話は分かった。明日、対面しよう』
正直手紙に時間を割いてはいられない。これからこのびりびりに破かれくしゃくしゃに丸められた封筒をできるだけ丁寧に繋ぎ合わせなければならないからだ。
「待ったかね?ジャック君」
「お待ちしておりました‥‥ええと、」
「私は政府広報のチャックという。どうぞよろしく」
細かい穴の開いたアクリル板の向こうに現れたのは、浴衣に背の高いハットを被った紳士だ。男はハットを案内してきた看守に渡すと、アクリル板を挟んで私の向かいのパイプ椅子に腰かけた。
「というわけで、私は貴方に協力してほしいんだ。一言で言うと、貴方には政府が刊行している新聞の著者になっていただきたい」
商品の広告には社会的に影響のある人物を起用するのは世の常である。字書きを起用することで、表向きにされていない文化的制裁を真っ向から否定する意図もあるとみられる。
おまけに囚人という国の管理下に置かれた河童である私は、役人の欲する人材の条件に最も適した人材となるわけだ。
送られてきた文書の文面から察するに、向こうは私が藁にでもすがる思いで滅多にないこの機会に食らいついてくると思っているに違いない。実際、私は牢の外だろうが内だろうが、自由が制限されていることには変わりないのだ。
「丁重にお断りさせていただきます」
チャックとやらは、案の定驚いた表情を浮かべると、その嘴をぷるぷると震わせた。やがて落ち着いたのか、一瞬俯き、そして重く口を開いた。
「なぜなのでしょう、今の貴方には何一つ不都合はないはずですよ?大変魅力的な提案だと思いますが」
「ははあ、この際だから言わせてもらいますけどね、私がこうなっているのは大抵あなた方の所為なのですよ。まあ、一番上の河童が誰であれ、私は同じことを言っていたと思いますけどね。それなのによく、こうぬけぬけと私たちに協力してくださいとか言えますね。私が創作活動をやらなくなったのはあなた方の所為他ならない。私とて今でも文化人の端くれでいるつもりなのでね、あなた方に協力などしてしまったら、己を捨て去るのと同義なのですよ」
とうとう目の前の役人は押し黙ってしまった。看守は時間になったことを淡々と私たちに告げる。
「わかりました。手をひきましょう」
「ええ、お分かりいただけたのなら幸いです」
あくる日、私の事が政府広報の記事に出ていたらしいことを風の便りから耳にした。『近代文学の先駆者の正体は国賊だった』という見出しで、私が国を侮辱した罪で服役していることをこの記事は伝えていたようだ。
全くの四方山話である。私は国の威信と自らの名誉にかけてでも、この誤りを世に伝えようと思う。例え世間が信じなくとも、そうせざる負えない状況が私に差し迫っていた。
疑心暗鬼な童どもよ。私の生存権と威信をかけてここに宣言する。政府広報の私についての記事は、事実に反する内容である。私は他国の工作員などでもなければ、今まで私が世に送り出してきた作品の数々は、宗教を肯定するものでも文化改革を助長するものでもない。記事の内容について一切の謝罪及び訂正がなければ、国に対し厳重に抗議し、それでも尚謝罪の意思が見られないのであれば、私は国民の誰もが知りたがっている文化芸術推進庁及び閣僚の背任問題について、元庁長の立場から言及する構えを示す。
三月程たった頃、クーデターが起きた。皇政派の河童による極小規模なもで、一週間ほどで鎮圧されたのだが、この流れに乗じて全国規模の革命運動が巻き起こった。中心となったのは水金同盟。今まで少数派だった意見が、私の見えないところで形勢逆転していたらしい。
原因は三月ほど前の新聞の記事にあったという。私は私自身を見縊り過ぎていたのかもしれない。