我々の住む世界は、一つボタンを掛け違えるだけで大きく別のものとなってしまうだろう。今回は、偶々掛け違えるボタンが中国が没落するか、しないかというだけである。
さて、本題の日本の話をしよう。明王朝が鄭和の大航海のあとも宦官は台頭し、大航海時代へと史実より60年ほど早く突入した。中西(この世界では、中国が世界の中心の為中東ではなく、中西と呼ばれている)やアフリカ沿岸部との交易ルートも開拓された。この動きに触発されたのが、当時日明貿易を進めていた、足利義満の室町幕府率いる日本である。
1392年南北朝を統一した日本は、1401年から明との貿易(日明貿易)この時既に明王朝で実用化されていた鉄砲(火縄銃)を輸入。翌年、国産化に成功した。また日本は、1410年頃より鄭和の大航海を聞きつけた日本は、日本各地に造船所を建築、同時に木の伐採を開始。
此処で一つ問題が生じる。
曰く「緑豊かな、巨木が立つ山々が一瞬にして禿山になった」
幕府も同時に植林をしていたが、木が成長する前に、造船向きの木が無くなるのは自明であった。其の為幕府は急いで、この問題に対処する必要が生じた。
抑々何故このような、問題が生じたのかというと、当時の遠洋用の船─もっぱら中国のジャンク船─は大きな一枚の底板を竜骨に使用した非常に優れた遠洋船であった。この手法は広大な中国大陸では何ら問題は無かったが、小さな国土しか持たない日本にとっては、数百隻を揃えようにもその調達が、困難であった。巨木自体が無かったわけではない─今も屋久杉等の巨木は有名である─。だが、当時日本は其の山がちな地形から、陸路の整備が全くと行っていいほど進んでおらず、その輸送は川等の水路に依存した。また、現地住民の反対─得てしてそう云う巨木は、神社の御神木といった精神的支柱になっているものである─などがあり思うように進めなかった。其処で、幕府は船大工達に巨木を使用しない遠洋航海向けの船の設計を命じた。其処で船大工達は試行錯誤─此れを全て書こうとすると、本十冊分は要るだろうから此処では省略す─を繰り返しながら、ある一つの造船法にたどり着いた。其れは、長めの木材を組み合わせて一本の湾曲した長い木材に、これ又大きく湾曲した木材をくっつける─背骨と肋骨を想像してもらいたい─そして、この肋骨に板を貼り付けてゆく、というものである。一般的にこの船は、龍胴船と呼ばれる。後に此の船の側面に大量の大砲─時に100門以上─を取り付けた戦闘型龍胴船が主流になっていく。又此の方式は森林資源が乏しく後進国が多いヨーロッパでもよく作られるようになる。そして龍胴船は、後の産業革命により蒸気期間を搭載し完成を見る。