1445年 大明帝国皇帝英宗は、鄭和の大航海より実に13年ぶりに、遠征を行なった。此れの指揮官等の人物は、今に至るまで不明であり、最近様々な憶測が飛び交っているが、其れを拾うことは、この文章の目的ではないので言及しない。
この遠征は、今迄とは違い軍事的目的を孕んだものであった。鄭和の大航海で多くの朝貢国─30余カ国─を得ていだが、倭寇の台頭、モンゴル方面で統一の動き、ベトナ厶の独立、小作人の間へ広がる不満及び内戦の危機等の内外的問題をより外に向ける必要に生じた。更にこの頃の明の国力は最高潮であり其のことも、此の様な軍事遠征を後押しした。(抑々積極的な朝貢国が琉球王国とマラッカ王国位であったのも関係しているかもしれない)
1446年艦隊はアフリカ沿岸─現ソマリーランド─に上陸アジュラーン・スルタン国を属国((抑々朝貢とは乱暴に言ってしまえば、子分(朝貢国)が親分(中華帝国)に貢ぐ見返りに何倍〜何十倍のお返しをする、という行為であるため明側に(面子が保たれるいがいの)旨味が全くなかった為、朝貢国では無く前例がない属国という扱いにしたのである))しようとしたが、アジュラーン・スルタン国は、強気の軍事的態度を示しため、艦隊は寄港していた港町を占拠、略奪を行いアジュラーン・スルタン国に脅しをかけたがそれでも尚抵抗の様子を見せた為更に軍を進めた、此時の兵力は、資料よってまちまちだが、明側800〜1000
アジュラーン・スルタン国2000〜5000
程度でありどの資料にも共通していることとして、明側が兵力的に不利であったことである。
この戦争は、一般的に明亜戦争と呼ばれる。この戦争に於いて、明側は既に実用化されて久しい火縄銃を有効に使い勝利し、新たに属国である沿阿弗利加国を建国した。
既に日本の歴史という本題から脱線しつつあるものの、更に脱線して何故明軍が圧倒的不利─と、一見見える状態で─勝てたのか深掘りしていきたいと思う。
簡潔に結論から言うと、鉄砲の性質を上手く利用できた事である。よく勘違いされるが、鉄砲の本質は其の威力でも射程でも無い。勿論其れ等も重要な要素ではある─抑々射程は、弓と然程変わらなかった以上連射が効く弓の方が良いという結論にたっしてしまう─が、鉄砲が鉄砲たる所以は他のところにある。其れは「恐怖」である。
詳しく説明しよう、まずこの当時の鉄砲と現在の銃の違いから話そう。 第一にライフリングの有無である。現在の銃の銃身にはライフリングと呼ばれる溝があり此れに沿って弾丸が回転することによりまっすぐ飛ぶ。一方、当時の鉄砲は、このライフリングが無い為真っ直ぐ飛ばず、射程も前述の通りであった。 第二に前装式か、後装式かによる違いである。 前装式とは文字どうり銃口から火薬と弾丸を押し込む方法であるが、其れの一体何が問題なのかというと、
一つ 伏せて装填できない。よって常時立っていなければならず、的になりやすい。
二つ 前から押し込むため弾丸と銃身との間に隙間を開けねばならず、其の為どこ方向に回転がかかるかが撃ってみるまで分からず、狙って当てるのはほぼ不可能という点
三つ ライフリングを施すと火薬が溝に詰まってしまう事により前述の欠点を治すことは不可能であった。
である。
以上2つの欠点が在りながら何故鉄砲は有用足り得たかといえば、其れは前述の通り敵兵に「恐怖」を植え付けることができた点である。
其事については、以下の二つの理由が挙げられる
第一の理由 発砲音が非常に大きかった事
第二の理由 弾丸にコーティングが無く殺傷能力が非常に高かったこと(此れは現代のダムダム弾と似たような効果を発揮する。有り体に行ってしまえば当たった部位が「吹っ飛ぶ」)
此れ等の2つの理由が合わさると、敵兵は、
「あの音が鳴ると死ぬ」
と無意識に思ってしまい、二度目の音を聞くとどんなに訓練した兵でも、敵前逃亡してしまう─いきなり音がなったと思ったら隣りにいた仲間が体の一部を吹き飛ばしながら死ぬ光景を思い浮かべてみて欲しい。果たして貴方は二度目の銃声の後正気をたもっているだろうか?─。
前述の通り、鉄砲の本質は恐怖であり、その恐怖をうまく利用した明軍は、少数で多数に勝利したのである。
又此れは既に鉄砲の国産化に成功し、造船所で多くの戦闘型龍胴船が造られていた日本でも、同様の事が可能である事を示していた。
閑話休題、その後明王朝は、1447年有害でしかなかった海禁令を解除し、貿易を自由化したのであった。その後海賊対策や北方への備えのため、多くのひとでと金が必要になったとき、沿阿弗利加国を中心とする、奴隷貿易が大いに役立ったのは言うまでもない。
次はドキュメンタリー風にしようかな。