真・スマホ太郎   作:黒野農地

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しばらく原作沿い展開が続きますが、ご容赦いただきますよう。


2話 目覚め、そして充電ケーブル。

 吸い込まれそうな青空が広がっていた。雲も疎らに浮かんではいたが、その色は白く淀みが感じられない。記憶にある雷の鳴り響く大雨とはまるで違っていた。

 

 頭を左右に回して、状況を把握しようとする。遠くに木が見える程度で、人や文化の影はない。長閑な草原で、僕は一人仰向けになっていた。

 

 規則的な鳥の鳴き声に眠りそうになるが、老人の言ったことが事実なら、ここは既に異世界のはずだ。どんな危険に襲われても不思議ではない。僕は眠気を振り払うために、勢いよく身を起こした。

 

 視点をいくらか高くしても、周囲の印象に変化はなかった。足元は一面の草原だ。空気は澄んでいて遠方まで見渡せたが、確認できたのは山を彩る針葉樹林ぐらいのものだった。

 

 僕は半ば異世界に興味を失って、その場に座り込むと手元のスマートフォンを見つめた。周辺に基地局があるようには思えないが、画面の表示では問題なく電波を受け取っている。

 

 ウェブサイトの閲覧やファイルのダウンロード、動画の視聴など一通り試したが、どれも問題なく利用できた。ただし、サイト上にコメントを残す、評価や投票に参加するなど元の世界に干渉する行為はできないらしい。聞いていた通りだった。

 

 その過程でマップを開いたことにも、大した意味はなかった。強いて言うなら、現在地がどう認識されるのか興味があった。

 

 表示されたのは一面の緑色、つまり手付かずの自然だった。二本の指で画面を狭むようにして縮小する中で、最初に映った文明は、東西を結ぶ大きな道に塗られた黄色だ。辿ると町らしき建造物の群生地が複数見受けられたので、この道は交通の要所と言えそうである。

 

 更に縮尺を絞ると、海を示す青が画面上に現れ始めた。大陸の輪郭が一部見えたが、記憶にあるどの地形とも合致しない。浮かび上がった地名のひとつに目が留まる。それは、現在地を示す青いマークが置かれた一帯に名付けられていた。

 

「ベルファスト王国……?」

 

 聞いたことのない国名に眉を顰める。周囲の景色との噛み合いといい、アプリが異世界の地理に対応したと見て間違いなさそうだった。元の世界でも頻繁にスマホを襲った自動更新のように、今回もこちらの意見を聞かず勝手なアップデートが施されたらしい。違いがあるとすれば、実施者が配信元か創造主かといったところだが、どちらも独裁者であることに変わりはない。

 

 所在地に沿った地図があるのは便利だと思う一方で、僕は故郷から切り離されたような感覚を拭えなかった。手元の画面の中で、お前の居場所はここだと宣告するように、青い画鋲が僕を貫いている。

 

 異性に存在を示すためか、鳥が一際大きな声で鳴いた。やはり、日本では聞いたことのない声だ。

 

 それを合図にして、僕は再び腰を上げた。この場所で夜は越せない。食事と住処を得るためには、町を目指す必要があった。

 

 注意深くマップを見て検討したが、ここから西にあるリフレットという町に向かうのが良さそうに思えた。最も距離が近く、遮る国境や大河もない。一度北上してから道に沿って歩くか、少し南下して川に当たってから西を目指すかで迷ったが、異世界の野生動物の危険性を考慮して、整備されていると思われる道の方を選んだ。

 

 それなりのペースで歩いていても景色に変化がないので、見当違いの方向に向かっているのではないかという不安が僕を定期的に襲った。その度に、僕は小説投稿サイトや掲示板を巡回する手を止めて、マップを確認しなければならなかった。

 

 軟弱な心肺機能が根を上げ始めた頃、地図上をゆっくりと進む青い丸が、画面を左右に横断する黄色の線へと到達した。目標としていた国内有数の主要道である。

 

「主要道、だよな?」

 

 靴の先で蹴って硬度を確かめる。東西を結んでいたのは、草を刈って剥き出しにされた土だけだった。

 

 それでも、道の存在は偉大である。足を絡み取る雑草も、飛び掛かってくる虫もなく、何より迷わないという安心感が負担を軽減してくれた。おかげで、僕は新着のWeb小説を読みながら足を動かす余裕ができていた。

 

 現在の境遇もあって、つい転生モノを選んでしまう。横書きの文章の中では、捉えどころのない性格の主人公が山場もなく次々に事件を解決し、出会う人間すべてにその能力と人間性を絶賛されていた。気持ちは分かる。僕だって、そんな低難易度な世界で生きていたい。

 

 目的地までの距離は順調に縮まっていたが、歩き通しだったせいで、運動不足の体は限界を訴え始めていた。足はもちろん、頭が重かった。目で追いかけた文章が脳を素通りして、意味を咀嚼できない時間が増えていく。

 

 口が渇く。体が熱い。地を這うような耳鳴りがする。マップを確認したが、道に合流してからの進度は二割といったところだった。疲労を誤魔化すように天を仰ぐ。苛立つほどの快晴だった。

 

 自然と足が止まった。脱水だと気付いたことに意味はなかった。水は持っていないし、周囲に休めそうな日陰もない。

 

 最早、町に辿り着けるとは思わなかった。このまま徐々に弱って死ぬのだろうか、と朦朧とした頭で考える。死に方としては、雷に打たれる方がいくらかましだろう。

 

 大きくなり続けていた不快な低音の耳鳴りが、僕を追い越して停止した。地面に押し付けられた四輪が軋む。不満そうに振り返った馬が、僕の目を覗き込んだ。

 

 体外に音の発生源を確認して安心するよりも先に、危険を察知できなかった自分を責めた。馬車が僕に狙いを定めて止まったことは明らかで、同じくらい、それが慈善活動でないことも明らかだった。

 

 昔、流し見た記事を思い出した。馬車は小さいほど、運ぶ量に対して馬と御者へのコストが高くなる。よって小さな馬車を持つこと自体が富裕層の証だった。そして、今も昔も富裕層がするのは金になることだけと相場が決まっている。

 

 緑の車体に映える鮮やかな黄色の装飾が持ち上がり、窓付きの戸が開く。姿を見せたのは白髪の紳士だった。高価そうなマントをたなびかせた姿は想像通りだったが、決して成金趣味といった雰囲気ではなく、服装は藤色のスカーフを基調としてシックに纏まっている。

 

 問題はその表情だった。興奮し切って見開かれた目が、身なりから滲む余裕をすっかり掻き消して、狂気の印象を上書きしていた。

 

 男は見た目にそぐわない軽やかな足取りで駆け寄ると、僕の警戒をすり抜けて両肩をがっしりと掴んだ。

 

「この服はどこで手に入れたのかね!?」

「……は?」

 

 噛み合わない目的と認識の中で、探り合うような沈黙が降りたのは当然だった。剥き出しになっている馬車前部の座席で、御者が気まずそうに目を背けた。

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ、お気を付けて」

 

 門の左右に立つ兵士から頭を下げられて、僕達を乗せた馬車はゆったりと動き出した。隣に座る男は軽く手を上げて応えたが、僕は置物のように沈黙していた。

 

 この世界の人々の営みについて、僕は何の情報も持たない。街に門番が必要な理由も、馬車に乗り込んだ紳士の身分も、手に持たされた革袋を満たす飲み物の正体すら知らないのだ。

 

 成り立ちの違う世界で、スマートフォンに詰まった情報は何の役にも立たない。液体の糖度や毒性の有無ぐらい、測定する機能があっても良いだろうに。僕は頭の中で携帯キャリアへのフィードバックを一つ送信して、革袋に口を付けた。

 

 ほどなく咳き込む。何度飲んでも慣れない味だ。舌の上で複雑な味が絡み合い、強烈な苦みがすべてを押し流していく。苦い飲み物も嫌いではないが、度が過ぎていた。

 

 見知らぬ中年に両肩を掴まれるというトラウマものの体験から、およそ2時間が経つ。僕はリフレットの町に到着していた。

 

 辺境で脱水症状を呈した僕が無事に町まで辿り着けたのは、偏に馬車に乗って現れた男のおかげだった。僕が着ている服を欲した彼に対して、僕は町まで乗せて行くことに加え、飲み水と替えの服を要求したのだ。彼は快く応じて、更には気が変わることを恐れたのか金貨五枚も譲ってくれていた。そして幸運なことに、彼は服だけを剥ぎ取って持ち主を埋めるような真似をしなかったのである。

 

 ザナックと名乗ったその紳士は、リフレットでブティックを開いていると言う。町の門番をしている兵士にも顔が売れているのだから、よほど出入りが多いか、あるいは街の有名人なのかもしれない。

 

 門を潜った僕は、まず町の文明レベルの高さに驚かなくてはならなかった。街路には丁寧に石が敷き詰められ、左右には木骨造で三階建て程度の建物が並んでいる。その壁面は白や淡い色で塗装され、思い思いに街並みを彩っていた。馬車の中から見続けた、草原を切り裂いただけの土の道とは大違いである。

 

 教科書に載っている風景画に迷い込んだような街並みは、日本から出たことのなかった僕には衝撃が大きすぎた。服を交換してザナックと別れてから、散策する中で新しいものを見るとカメラを構えてしまい、気付けばフォルダはこの世界の写真で満たされていた。

 

 観光客気分で周囲を見回しながら歩いていた僕だったが、問題も抱えていた。指の動きに合わせて変化する液晶の外、本体の角に灯った赤いランプが頻りに訴えかけてくるのだ。

 

 それは、バッテリー不足の知らせだった。画面上方に表示される充電残量は、既に10%を下回っている。目前で細りゆく生命線に、僕は叫び出したい衝動に駆られた。

 

 ――君の魔力で充電できるようにしておこうかの。

 

 思えば、老人の言葉は曖昧も良いところだ。保証されたのは僕の魔力で充電が可能だということであって、僕の意思で充電が可能だということではない。加えて、充電方法も不明ときている。質問も無しに改造を受け入れた自分の迂闊さを呪った。

 

 知らされていない以上、方法は自分の手で見つけ出す他にない。真っ先に思い浮かぶのは、やはり本体に充電ケーブルの端子を差し込むことだ。これには電源とケーブルが必要だが、電源は僕自身だとしても、スマホとを繋ぐケーブルが存在しない。僕は充電口を指でなぞって溜め息を吐いた。

 

 このとき、僕の意識が少しでもスマホの外に逸れていたら気付かなかっただろう。それほどに僕の指を押し返した力は小さかった。目を凝らしても、その場所に見えるものはない。しかし、指に残った僅かな違和感が、何かが確実に存在していると訴えていた。

 

 僕は充電口に指を滑らせ、表皮が伝えてくる不確かな感覚を頼りに、見えない力の正体を探った。それは穴の中央で強まり、紐状にどこかへと繋がっているようだった。

 

 見えない糸を指で辿る作業は困難を極めた。数分、あるいは数十分の時間をかけて把握したのは、充電口から延びた紐が、僕の掌に向かって真っ直ぐに続いていることである。これはまさに、僕が求めていた、スマートフォンと電源を繋ぐケーブルだ。神によって与えられた充電の手段と見て良さそうだった。

 

 魔力の線を一度認識すると、イメージは簡単に実を結んだ。頼りなかった線は強化され、感触は記憶にある充電ケーブルに酷似するものになった。線を通して電力を送り込む要領で、充電中のアイコンが点灯する。同時に、電池残量を示す数字は徐々に増加を始めた。

 

「やった……!」

 

 これが魔法か。

 

 僕は感動していた。行ったのは最初から繋がれていたラインの強化のみだが、魔力を操作したことには変わりない。ほんの僅かな時間、それも独学で習得しつつある僕には、魔法の才能があるに違いなかった。転生モノに登場する主人公のように、前世では気付きようのなかった才能が、今世で花開いたのだ。

 

 順調にバッテリーが充填されているスマホの中では、元居た世界の住民たちが、相変わらず勝手なことを喚き立てている。有名Web小説の設定に生じた矛盾、韓国製スマホの爆発事故、人気配信者の不適切発言、ゲームの祭典で活躍した高校生。見慣れたはずの光景に、僕は少しの優越感と寂しさを覚えていた。彼らの中に和室で神と話した者はいないし、魔法を使える者もいない。それは観覧車から見下ろすよりも遠く、離れた場所で見る無関係の営みだった。

 

 そこで、遠くから妙な音が聞こえた。僕はスクロールする指を止め、画面から目を離した。大通りの切れ間、その奥から言い争うような声が続いている。

 

 方向転換して裏路地へと足を踏み出したことに理由はなかった。変わったことが起きたなら、見物に行こうと思った程度のことだ。ちょうど安全な観覧車の上で、持ち込んだ双眼鏡を目に押し当てるように。

 

 健全な喧噪が後方に遠ざかり、別種の騒々しさが迫ってくる。剣呑な雰囲気に対して、僕の足取りは軽い。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいるはずだった。

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