次回更新は完結まで書いた後になるかもしれません。
夕暮れの淡い光を受けてざわめく木々が、ゆっくりと後方に流れていく。
時折獣の声がするが、姿は見えない。
名所も広告もない風景を見ていられず、僕はスマホ画面に目を落とした。隣で、一仕事終えたばかりのエルゼが欠伸をしている。
リフレットの町を出て、もう三日になる。借りた馬車を姉妹で交代に駆って、いくつもの町を経由しながら王都を目指しているのだ。
発端は、二人の受けた依頼だった。
冒険者ギルドを通じて王都への配達任務を受けた二人は、荷物を受け取るため依頼人に会いに行ったという。依頼人の名はザナック・ゼンフィールド。男子高校生の制服と引き換えに、リフレットまでのヒッチハイクに応じた紳士だった。
このザナックについて何も知らなかったエルゼが、海外の服飾の話題を経て僕という共通の知人を探り当てたのは、流石のコミュニケーション能力と言う他にない。話の流れで、彼は追加で一人分の旅費を出すと言い出したらしく、ギルド所属でない身でありながら僕が誘われる運びになった。
こうして回ってきた王都観光の機会に、僕はつい飛びついてしまった。同世代から初めて旅行に誘われて舞い上がっていたことは否定できないが、理由は他にもある。王都の文化レベルと、そこで当たり前に生活しているという獣人に興味が出たのだ。獣人は、近縁種のいないヒト属が妄想として頻出させてきた亜人であり、主に日本人にとっての夢でもある。一度この目で見てみたいと感じるのは自然だろう。
そうした目的があって尚、僕はリフレットを出たことを後悔していた。
冷静に考えてみれば、依頼の条件が酷かった。リフレットから王都の往復は、旅路が順調であっても十日は掛かるらしい。全員分の旅費を経費として受け取っているとは言え、成功報酬が「銀月」三泊分では割に合わないだろう。これを三人で分けるのだから、ギルドの存在意義から考え直したいところだ。
加えて、馬車での移動が思った以上に辛かった。何もない道は退屈で、借りた安い馬車は窮屈で、定期的な大きい振動で眠れず、盗賊や凶暴な動物が出るのではと落ち着かない。親戚の農場で馬の扱いを学んだという二人と違って、御者台に上がることができないために肩身が狭い。
銀月を恋しく思う時間が増えた最近の僕の楽しみは、毎晩付き合って貰っているエルゼとの特訓だ。リンゼに魔法を教わるようになってから生み出した技を、エルゼとの組手で試している。ガントレットを外した彼女にも手加減される現状だが、武器があれば低級の魔獣と戦えるとのお墨付きは頂いた。組手で使っている技が本命の必殺技だとは言えないままだ。
「それにしても、次の町が見えてこないわね」
唯一の光源が消えていった地平線の向こうを見つめて、エルゼがぼやいた。
「あと一時間ってところだね」
「着く頃には真っ暗ね。何も起きなければいいけど」
「最悪、足元ぐらいなら照らせるよ」
スマホの懐中電灯機能を付けて、すぐに消した。大した電力要求量でないことは知っているが、充電を浪費している気がして落ち着かない。
「ほんと便利ね、それ」
エルゼが珍しく嘆息した。
「お姉ちゃん、あれ……。何かある」
そこで、頭上からリンゼの張り詰めた声がした。雲で反射しただけの薄明りでは、離れた場所が満足に見えない。
馬車に背を預けていたエルゼが身を起こして、ガントレットを装着する。僕も、魔獣対策に購入したナイフに手をやった。
「近づいてみて」
「あれは、魔獣……。人が襲われてる」
同時に、馬車が加速する。普段は大人しいリンゼが迷いもなく、戦場に足を踏み入れようとしている。
「必ず助けるわよ」
「うん」
少しずつ、レンズ越しに戦況が見えてくる。大きな馬車が止まった周りで、二足歩行で武器を構えたトカゲの集団と、軽装の兵士たちが戦っていた。無惨な姿で転がっている割合はトカゲの方が多いものの、押されているのは人間側だ。単純に、トカゲの数が多すぎる。
よく観察すると、兵士たちが馬車を守ろうとする一方で、トカゲは馬車に興味を持っていないようである。今もかなり人数差がありながら兵士の殲滅を優先しているし、馬車に繋がれた大きな馬は錯乱しているものの、怪我をした様子がない。不思議に思って馬車を拡大したが、乗っている女の子が身動きを取れずにいるという他に情報は得られなかった。
「リンゼ、援護はお願い」
一足先にと、減速を始めた僕らの馬車からエルゼが飛び出した。難なく着地して、勢いのままに走り始める。無属性魔法「ブースト」による身体強化を発動させたのだろう。瞬く間にトカゲの群れへと迫っている。
彼らから十数メートルほどの位置に馬を止めたリンゼが、炎を空中に向けて放射した。その明かりで狙いを定めたのだろう。彼女が御者台の上で立ち上がると、その動きに呼応するように、トカゲの群れの中心部から獰猛な炎が渦を巻いて吹き上がった。浮かび上がった炎の影で、渦の反対側から突入するエルゼの姿が映る。
視界が確保されたためか、トカゲたちの対応が早い。離れた位置に本隊を置くのをやめ、密集を避けながら馬車を取り囲むようにしている。馬車の周辺に転がっている兵士の中には息がある者もいるので、大規模な魔法の行使は封じられたと言って良いだろう。また、エルゼには人数をかけて、馬車まで突破されないことを優先する作戦のようだ。彼女もそれに乗って、少しでも多くのトカゲを引き付けようとしている。
トカゲたちの連携が取れ過ぎている。常に行動指針が共有されていて、死を恐れない。すべての魔獣がこのレベルなら、人類はかなり危ないだろう。
近づいてきたトカゲの首を氷の矢で貫いて、リンゼが御者台から飛び降りた。馬車の中に留まったままの僕を一瞥してから、杖を構えて前進を始める。
倒れたトカゲの首元で、溶けた氷の隙間から血が溢れ出した。その奥では、胴体を裂かれたトカゲの足がまだ痙攣している。欠けた右足から血を流し過ぎて絶命した同僚の隣で、顔に突き刺さった槍を引き抜こうと藻掻いている兵士がいる。
分かっている。互いの陣営が馬車を傷つけまいとしているのだから、これは馬車の中にいる少女を手にする為の戦いだ。彼女を救出すれば戦況が大きく変わる。兵士は残り少なく満身創痍で、エルゼは大勢を相手に厳しい戦いを強いられていて、リンゼに一人で突破する力はない。適任は僕で、他にはいないのだ。
Web小説の主人公でも、簡単には踏み出せないはずだ。何でもできると評判だったクラスの人気者も、足が竦むはずだ。目の前は戦場で、当たり前に死が転がっている。
このまま僕が馬車の中に隠れていて、少女が連れ去られ、兵士全員と双子が殺されても、責められる筋合いはない。仕方がないのだ。唐突に遭遇した危機に、飛び込む方が異常なのだから。
そうだ。誰もが足を竦ませる局面なら、僕が同じだったとしても――。
――いざとなったら一人で戦える。今はその必要がないだけだ。
――あいつは口だけだ、昔からな。
中学が同じだった同級生も、机に渾名を掘ったお調子者も、不得意な接近戦を選んだリンゼも、誰も僕のことを見てはいない。今動けなければ、僕はずっと
「僕が行く。リンゼは援護だ」
幻影を掻き消すために、僕は小柄な魔法使いを追い越した。
駆け出してみると、やることは単純だった。死体を避けて、残骸を跨いで、ただ馬車に向けて走るのみだ。体育の授業では短距離走ですらスタミナ切れを起こすのだが、戦場の熱気と死の匂いが疲れを忘れさせてくれた。
徐々に遠ざかっていく声と足音から、運動が得意そうでもない上に魔法を放ちながら走っていたリンゼが遅れ始めたことを感じていたが、ついに魔法の詠唱が聞こえなくなった。同時に、散会していたトカゲを片っ端から打ち抜いていた氷の矢もなくなる。アクシデントか、不要との判断か、あるいは唐突な裏切りか。振り向きたい衝動に駆られたが、どうにか抑え込んだ。
目指す馬車まで数メートルのところで、馬車の向こう側にいたトカゲたちが一斉に動き出した。僕を最大の脅威として認識したのかもしれないし、反対側の兵士を掃討し終えたのかもしれない。どちらにしても、時間がない。正面にいる数体のトカゲは、リンゼを待たずに自力で突破すると決めた。
用意していた奥の手を起動する。スマホに繋がる充電ケーブルを思い描いて、魔力の移動を強く意識した。スマホへの供給ではなく、スマホをバッテリーとした僕への供給だ。
元々は、アスリートの間で横行した自己輸血ドーピングのように、スマホを外付けの魔力タンクとして利用することで瞬間的な魔力量増加に期待する発想だった。
しかし実験に付き合わせた姉妹の見立てでは、スマホから給電した僕には、単に魔力が増えただけでは考えられない現象が起きているという。身体能力の上昇、感覚機能の強化、更には七属性すべてへの適性。魔力量についても、どうやらスマホに注いだ分を遥かに上回る量が返ってきているらしい。リンゼは、スマホを通したことで魔力が変質したのではないかと予想していた。おそらく、神が施した仕様変更の副産物だろう。
この恩恵をすべて受けることが出来れば、僕は救国の英雄にでもなれたかもしれない。残念なことに、僕は変質した膨大な魔力を扱えないばかりか、瞬く間に霧散させてしまう。辛うじて使えそうなのは、瞬間的な身体強化。アクションの度にスマホの充電を消費する、劣化「ブースト」だった。
それでも、手の届く距離にいるトカゲの意表を突くには十分だ。充電ケーブルを通して逆流した魔力が霧散するまでの僅かな時間に、蹴り出した地面が爆発する。
咄嗟に縦に振られた曲刀を素早く躱し、獲物を持った手首にナイフを突き刺した。似合わない曲刀が爬虫類の手から離れたものの、突き刺す工程に魔力を使ったせいで硬い表皮に深く刺さりすぎ、素の力では抜けなくなった。引き抜くために充電を消費するぐらいならばと懐に飛び込む。掴みに来た左手を逆に掴み、強く踏み切って左膝で顎を打ち抜いた。勢いを殺さず、昏倒したトカゲの後ろに着地する。
「――くそっ」
新技を用いての初戦闘だったが、結果は散々だと言えた。
一体のトカゲを倒すために、唯一の武器と充電の半分を失った。この分では馬車の裏にいる数には到底太刀打ちできない。とは言え、先を見据えて温存することもできない。一度のミスで急所を貫かれればその先はないのだ。
考えている暇はなかった。近くにいるトカゲに捕まる前に走り抜けようとして、しかし体が動かない。刃物を向けられた恐怖と命の危機を脱した興奮、そして繰り出した膝蹴りの痛みで足が震えていた。腹立ち紛れに二度魔力を給電して、動き出しを補佐する。一度スピードに乗れば、足は勝手に動いた。
馬車の左右からトカゲが姿を見せる。どちらも十体以上の数だ。正面に壁を作られれば、僕にはもはや突破手段がない。時間をかければリンゼが倒し得るだろうが、相手が馬車を使って少女を連れ去るつもりなら達成されてしまう。
トカゲの軍勢が始業式みたく整列する前に、少女を回収するしかない。更に給電して加速するが、まだ乗り込み口まで数歩分の距離がある。位置関係を認識すると、急激な動作を繰り返した疲労感に襲われた。間に合わない。
「炎よ来たれ、赤の飛礫、イグニスファイア」
遠くに聞こえたリンゼの声が、足元で炸裂した。
倒れているトカゲが次々に発火し、火柱を上げている。それは僕の現在位置から馬車の乗り込み口までを二本の線で結ぶ炎の道だった。氷の矢を打ちながらの移動では援護が間に合わないと察したリンゼは、限界まで兵士を巻き込まない為の準備をすることを自らに課して、炎属性に切り替えたのだろう。彼女の思う最善に向けて、この戦場は支配されていた。
分断されたトカゲ達は一斉にリンゼへと狙いを変え、馬車から遠ざかる方向に動き出した。これなら、馬車に乗り込んだ扉の反対側から脱出することも出来そうだ。リンゼの方は、そろそろ引き付けた軍勢を捌き切っていそうなエルゼと合流して対処するのだろう。
炎の誘導に従って、馬車へと駆け寄る。近くで見る車体には多くの傷が付いていたが、車輪や扉といった可動部に大きな損傷はない。やはり犯人は、この馬車を使って逃走する予定か。
僕らが借りた馬車とは違って頑丈な扉を強引に開く。思っていた以上に広い車内で、憔悴した金髪の少女と横たわった正装の老人が同時に僕を見た。少女は恐怖で蒼褪め、今にも泣き出しそうである。
掛けるべき言葉と、二人を連れ出す順序に迷った。一先ずの危機は去ったように思えたが、悠長にしてはいられない。
スマホで検索ワードを打ち込みかけたところで、馬車の反対側の扉が開いていることが気になった。トカゲが開けたなら中に入っているべきだし、中の二人が開けたなら今が脱出の好機だったはずだ。
扉に近付こうとして、腹部に衝撃を受けて後退った。呻き声が漏れる。
そうだ。首謀者がいないとおかしいのだ。逃走までの道筋をトカゲ達に作らせて、悠々と脱出する彼らの親玉が。その予測があったからこそ、僕は少女と老人を疑って無駄な時間を使ってしまった。
「時間切れだ。行くぞ、さっさと馬を出せ」
灰色のフードを深く被った男が、僕を蹴ったその足で馬車に上がっていた。