Princess between princes 作:よしだひろ
横領は要領よく
どうも最近私の周りの様子がおかしい。例えば今会社のエントランスで私を見つけて駆け寄ってきている営業部の山田孝。こやつここの所妙に馴れ馴れしい。いくら同期とは言え……。
「よ、おはよう。伊藤。いや、俺達もう下の名前で呼び合ってもいいよな、美咲」
「やめてよ。下の名前で呼び合う程の仲じゃないでしょ」
「いいじゃないかよ、同期なんだし」
「そんな事より昨日渡した伝票。早く修正して持ってきてよね。あなたミスばかりなんだから」
毎朝同じ電車のようで、必ずと言って良い程エントランスでこやつに出会う。エレベーター早く来ないかなぁ。
「経理は数字に細かいからなぁ。うちら営業は臨機応変がモットーでさ」
「数字に細かいのは当たり前でしょ! 経理なんだから」
その時後ろから声がした。
「数字がちゃんとしてないと君の給料もちゃんと支払えなくなるよ」
振り向くと同じ経理で先輩の森さんがいた。ピシッとスーツを着込んで山田よりも営業マンのように見えるが、私の教育を担当してくれたやり手の経理部エースだ。
「森さん! こやつに強く言ってやってくださいよ。いつもメチャクチャな請求書やら伝票持ってくるんですよ」
「ははは。まあまあ。山田も営業で頑張ってるんだ。裏方の我々がフォローしてあげなくちゃ」
「さすが森さん! 分かってるー」
「甘やかさないで下さいよ」
エレベーターが来た。山田の自由奔放ぶりにも困ったものだ。
*
その日の夕方。
経理の先輩の野村美里さん。気さくに話せて居心地の良い先輩だ。美里さんを飲みに誘おう。山田の事愚痴らなきゃ。
「美里さん、美里さん。どうせ今夜も予定ないんですよね? 飲みに行きませんか?」
「どうせは余計でしょ! まあどうせ予定ないんだけどね」
今日の昼に雑誌をめくってたら近くにお洒落なお店が出来てた事を発見したのだ。会社から目と鼻の先。是非偵察せねば。
二人で雑談しながらお店を探すと、表通りからちょっと入った所にその店はあった。外から見た感じは南欧風の白を基調とした色合いで広めのお店だった。
二人が中に入るとすかさずウエイターが現れて丁寧な対応をしてくれた。
奥のテーブルに案内してもらいながらお客さんの層を確認する。
「さすが雑誌で紹介されるだけあって、小洒落た女子達がわんさかですねー」
「私達大丈夫?」
取り敢えずビール、と言うお店ではなさそうだ。しかしウエイターさんはにっこり微笑みながら言った。
「自分の家にいるような空間を目指してますので、何なりとお申し付けくださいね」
確かに、お客さんは若い目の女子が中心だが、よく見るとカウンターにはお惣菜が並んでいたり、テーブルの境目には高い観葉植物が並んでたり、そんなに気負わなくても良さそうな雰囲気だ。
美里さんはパラパラとドリンクメニューを見た後徐ろにメニューを閉じた。
「初めてのお店では是非お勧めのお酒を頼まないとね」
そう言って店員さんを呼んだ。流石飲兵衛だ。リサーチの仕方も分かってる。
「お勧めのお酒ですか? そうですね。お客様はどの様なお酒がお好きですかね。場合によっては日本酒などお勧めしておりますが」
「日本酒? 一杯目から日本酒かぁ」
「最初は軽いのからですよねぇ」
「それでしたら……」
「いや! 気に入った。初めての客の一杯目から日本酒を勧めるんだ。さぞかし美味しいお酒なんでしょう。勿論辛口よね?」
「はい。新潟の銘酒『楽水』です」
「らくすい⁉︎ あれがあるの?」
楽水? 聞いた事ないな。
「何です? それ」
美里さんは私が楽水を知らない事に驚き勢いづいて説明し出した。まあ、要するに新潟で作られていて数がそんなに出回らないから地元でも中々手に入らない幻のお酒なんだそうだ。
「んじゃ、楽水冷で二合! お猪口は二つよ」
「え、私はサワーの方が……」
「こんなチャンス滅多にないんだから。四の五の言わずに飲みなさい」
てな訳で運ばれてきた二合徳利。
「かんぱーい!」
美里さんは一気にお猪口を煽った。え、いきなりアクセル全開っすか?
「カーッ! 間違いない。楽水だ。この味、この風味。堪りませんなぁ」
それ程までに美味いのかな? 私も飲んでみるか。
恐る恐る口をつけてみる。
「ん? これは……」
「どう? 美味しいでしょ」
「美味しい! サッパリしてて後味引かず日本酒のほのかな香りが鼻に抜けてそれでいてしつこくない」
「尖ってる様でまろやかなのよ」
やばい。これは進んでしまう。
三十分もしたらもういい感じに気持ちよくなってきてた。
「でね、美里さん。その同期の山田がぁ、私の事下の名前で呼ぼうとするんですよぉ」
「なぁに? 惚気話なら他所でして」
「違いますよぉ。その逆! 馴れ馴れしいってんだー」
「もうそんな奴にはガツンと言ってやりなさい! ガツンと!」
楽水の味がとことん気に入り、結局六合も飲んでしまった。しかし先輩との女子会はまだまだ続くのだった。
*
はあ。昨日は飲みすぎた。二日酔いとは言わないけどまだ酒が残ってる感じがする。うへー。
いつもの経理の仕事も何だか重苦しい。
十時頃、山田が伝票一枚持ってきた。
「よ、お疲れ。この伝票もよろしく頼むわ」
それは得意先のリーベル商事との接待費だった。
「もう。いつも間違いだらけなんだから今日は大丈夫? 私昨日のお酒が残ってて怠いからチェックも手早く済ませたいの」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんと書いたから」
ちゃんと書くのが本来なんだっつうの。
「何々。三月十九日……一週間前ね。寿司味楽? 随分高級な所行ったのね。で、十二万三五〇〇円? 豪遊したもんねー。お得意様だから通してあげるわよ」
「ありがとよ、美咲」
「はい、だめ! これは経費では落ちなくなりました」
「え? どうしてだよぉ」
「下の名前で呼ぶなっつうの!」
「よろしく頼みますよ、伊藤様ぁー」
全く、仕方ないなぁ。それにしても年度末のこの忙しい時期に高級寿司屋で豪遊とは、山田といいリーベル商事といい、良いご身分ですなぁ。
にしても山田が記入ミスもなく伝票持ってくるなんて、雨でも降るのかな?
頭がボーッとしたまま午前中の仕事を片付けた。軽く昼食を取り午後の仕事への英気を養う。要するに広場のベンチでうたた寝タイム。
経理に戻ると今川部長に呼ばれた。何かやらかしちゃったのかな?
「伊藤君。実はね、君に新年度の新入社員教育において、一週間講師を頼みたいと人事から言ってきたんだよ」
「講師ですか?」
「経理の仕事の基本とか組織的な位置関係なんかを簡単に説明してほしいそうなんだ」
「はあ」
「取り敢えず今から人事の飯田君の所へ行って話を聞いてみてくれたまえ」
「はい……」
なんか面倒臭そうだなぁ。ま、営業にも用があったし、営業に顔出してから飯田さんの所に行ってみるか。
エレベーターを待ってる時間を考えたら階段かぁ。美容と健康の為、歩くか。
営業部の前まで来たら見慣れた集団が。あれ? リーベル商事の社長の高木康夫氏じゃないか?
「社長の方からわざわざ出向いて頂いて有難うございます」
「先月ご馳走になった天ぷら屋、とても美味しかったよ。今回の事もあるし次は我々にご馳走させて下さい、わはは」
え? 天ぷら? 先月?
確か山田の請求書は今月で寿司屋だった筈。
「ささ、取り敢えず応接室へ」
リーベル商事の社長と担当の営業は行ってしまった。
営業部に入り、近くにいた社員に聞いてみた。
「リーベル商事の社長と寿司? あり得ないあり得ない。あそこの社長はナマモノが大嫌いなんだ。寿司屋になんて連れて行ったら大変なことになるぞ」
途端に不安が込み上げてきた。だとしたら山田のあの請求書はなんなのだ?
考えたくないけど……架空の請求書? 横領?
まさか。山田に限ってそんな。あいつは器の小さなやつで、不正請求するにしたってコーヒー一杯が関の山。こんな大金を不正に請求するなんて出来っこない。
そんな事を考えながら人事に入って行ったら先輩の飯田さんが心配して声を掛けてくれた。
「伊藤。どうした? 体調悪いのか?」
「あ、いえ。ちょっと考え事です。それよりも新入社員教育に参加してほしいって言われたんですけど」
*
取り敢えず仕事を終えて家に帰ってこれた。
まさか山田が。もうその事で頭が一杯だ。一体どうしたらいいんだろう。
うん。一人で悩んでても埒があかない。森さんに相談してみよう。
翌日、早速森さんに相談してみた。
「なんだって!? 山田が架空請求?」
「多分……確固たる証拠はないんですが」
リーベル商事の社長の事を話してみた。
「うーん。確かにそれだけじゃ架空の請求書とは言えない。だが放っておくわけにもいかない」
「ですよねー」
「伊藤。同期の山田だからもしかしたらかばいたい気持ちがあるかも知れんが、これがもし本当に架空請求なら放っておくのは山田の為にもならないんだぞ」
「そうですよね」
「この件は俺から部長に話しておく。お前が見つけたと言っていいな?」
「はい。よろしくお願いします」
はあ。やっぱり上に報告されちゃうのね。もし架空請求だったとしたら山田、首になっちゃうのかな。だとしたら私のせいだよね。
その日の帰りに森さんが私を見つけて呼び止めてくれた。
「伊藤。例の件だがな。取り敢えず俺とウチの部長と営業の川辺部長と山田の四人で話し合うことになったよ。明日の朝イチだ」
「どうなっちゃうんですか?」
「それは事情次第。俺にも分からん」
ああ。もし首って事になったらどうしたらいいの。
今夜は眠れそうもないなぁ。
翌日。
ろくに眠れなかった。心配は既に通り越して山田への怒りへと変わっていた。睡眠不足は美容の大敵だぞ。
始業時刻の少し前、今川部長と森さんが出て行った。例の話し合いが始まるんだろう。予定表を見てみると第三会議室となっている。
もう気になる! 一体山田はどうなってしまうの?
思わず体が勝手に第三会議室に向かってしまった。
ああ、会議室の前に来たってどうなる訳でもないのに、私何やってんだろう。
すると不意に会議室のドアが開いた。中から山田が出てきた。
「山田! ごめんなさい。あなたを追い詰める形になっちゃって」
「仕方ないだろ。それが経理の仕事なんだから」
「何か処分がくだされるの?」
「厳重注意だよ」
え? 思ってたのより軽いのね。
そこに今川部長と営業の川辺部長と森さんが出てきた。
「伊藤君。こんな所で何をしてるんだね?」
「済みません。つい気になってしまって」
「元はと言えば君が見つけてくれたんだったな」
「はい。その……横領と言ったらもっと重い処置かと思ってましたが寛大な処分でありがとうございます」
「横領? 何を言ってるのかね」
「え? だって架空の請求書が……」
森さんが横から付け加えた。
「架空かと思ったらそうではなかったんだよ」
「え? え?」
「詳しい事は後で山田君に聞きなさい。さ、仕事へ戻りなさい」
そう言うと部長達は山田と共に立ち去ろうとした。私は山田の耳を引っ張る。
「どう言う事か今夜あんたの奢りで説明しなさいよね」
「え? 何で俺の奢り?」
「横領して儲けてるんでしょ!」
そう言って私は立ち去った。何だかよく分からないが頭に血が登ってきた。散々心配かけておって!
*
「その日リーベル商事の開発室が入ってるビルに着いた時、何となく上を見上げたんだ」
お通しのカクテキをつまみながら山田は事の顛末を話し始めた。
ビルの下から山田が見上げると屋上の柵の外側に人が立っていたんだそうだ。
「俺は一発で自殺だって思ったよ」
山田は慌ててビルの屋上に向かったらしい。そこにいたのはリーベル商事の社長の息子で開発室の室長をしている高木浩氏だったようだ。山田はとにかく事情を聞いてみたんだとか。
「お前は知ってるか分からんけど、今度ウチの会社で製造した製品をリーベル商事の開発室で開発した装置で加工して商品にして売り出す予定だったんだよ」
リーベル商事で考えられたその装置は社の命運を賭けた一大プロジェクトなんだとか。
「所がここに来てシステムに重大な欠陥が見つかったんだと言うから驚いたよ。ウチには何の連絡も入ってなかったからな」
「じゃあその製品の加工はどうなるの?」
「そりゃ加工が出来ないとなれば契約は破棄だよ。ウチも大きな損害になるからな。当然訴訟問題になるだろう」
多大な損害賠償、膨大な開発費の損失。高木浩氏は責任感も強く、もう詰んだと思ってしまったらしい。不安が膨らんでとうとう自殺を考えたと言う事のようだ。
「もう俺は慌てたよ。人を呼びに行ってる間に飛び降りられたら堪らないから必死に説得したさ」
「一体どうやって説得したの?」
「何時間も話し合ってたんだがな、丁度昼になったんだよ。だから『それなら最期の晩餐に行きませんか』って言ったのさ。一か八かの賭けだったけどな」
「乗ってきたの?」
「ああ。あっさりと受け入れたよ。で、何か食べたいものはないですかーって聞いてみたんさ」
高木浩氏は、いつもナマモノ嫌いの父について歩いてたので久しくナマモノを食べてない。だからお寿司が食べたいと言ったそうだ。で、件の寿司屋に行って豪遊という事だそうだ。
「ご飯を食べたら落ち着いて考え直したって事?」
「いやいや、そうじゃないんだよ」
山田はお酒も入ってちょっと羽目を外してきてたらしい。こんな旨い寿司を握るには何か秘訣があるのか大将に聞いてみたんだとか。
「『秘訣なんてありませんよ。でもね。寿司ってのはただ握れば良いってもんじゃありません。食べる人に合わせて固かったり柔らかかったり臨機応変に対応してるんでさぁ』って言ったんだよね」
「ふーん。そんなもんなのね」
「でもさ、その言葉が良かったんだよ。浩室長が何か閃いたみたいなんだ」
高木浩氏は大将の言葉を聞いて、臨機応変、臨機応変って呟いてたかと思うと、徐ろに立ち上がって大きな声で言ったそうだ。
「『そうか! 状態に合わせて臨機応変な変化をさせれば良かったんだ』ってね。何の事かよく分からんけどね」
大将も、何の事かよく分からないけどお役に立てて光栄ですとしか答えられなかったそうだ。
「まあよく分からんけどシステムの修正にはそれ程時間もかからないみたいなんだ。我がサントー電工の損失も最小で済むし、取り敢えず一件落着ってことさ」
「その時の請求書が今回の物だったのね」
「そういう事。それを架空請求と間違えるなんて飛んだお騒がせもんだ」
お騒がせはお前だ。最初から説明しといてくれれば。
「でも厳重注意って言うのはどう言う事? 山田は別に悪い事は何も」
「いや、よく考えろ。いくら自殺を防ぐためとは言え二人で十二万は高いだろ。それに勤務中にお酒を煽ってしまったしな」
「なるほど。素行の方を注意されたのね……それにしても、山田、中々やるね」
「下の名前で呼んでも良いぜ」
「絶対呼ばない!」
読んで頂けてたら嬉しいです
ありがとうございます