『連邦生徒会を裏切り、惑星ごとキヴォトスを完全消滅させるRTA、続きいくよぉ~(ISHR先生)』 作:プリテンダー
「モトエちゃん起きてぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「あはははははははははっ!
意識が浮上する。いつもの寝起きのような不快感は無い。代わりに入り込んできたのは、胸の奥から自然と愛おしさが込み上げる声。だがこれまでの生の中でほぼ聞いた覚えのない、焦りと恐怖に満ちたおかしなイントネーションの声音。
同時に正気とは思えない頓狂な叫び、無数の赤ん坊の泣き声が重なった音が混ざって耳を汚す。
先に聞こえてきた声の主……いと尊き御方の言葉に応えるべく、眼を開く。
同時に視覚に飛び込んできたのは、見覚えのある面構えを狂人じみた笑みの形に歪めた緑髪の女が、地べたに寝転がされているらしい私の真横で、異様な気配を纏うチェーンソー……対キヴォトス人用チェーンソー型特殊兵装ミスティルティンを振りかざしている姿。
その忌まわしき製造方法に起因する、赤ん坊の泣き声を幾重にも重ねた奇異な駆動音を放つそれが私の首目掛けて振り下ろされた瞬間、咄嗟に緑髪女……私に髪色と表情以外瓜二つの偽物女と逆方向に向けて転がる。
体格まで私にそっくりな奴もそれに対応して得物を投げつけてきたが、転がり膝立ちになった私の眼前に深々と突き刺さるに留まり、手元を離れた為か血に飢えた刃の駆動も止まった。
「うわ、起きた。え、ここで起きれるんだ? おー凄いじゃん」
「外してんじゃねえよ馬鹿!」
「
覚醒した私を出迎えた、正体不明の敵対者共。
幼児が癇癪を起こしたように地団駄を踏む緑髪の他にも、こちらへ珍獣でも見るような不躾な視線を投げる黄色髪、無頼漢を思わせるチンピラそのものの面構えの橙髪……そういった敵性ドッペルゲンガー共が複数体いる。
そんな似姿共の存在なぞ実際どうでもいいのだが……奴らは1つ、決して赦されない行いをしていた。真面目腐っていそうな藍髪、如何にも気怠げな風体でいながら瞬き1つせず私を睨み続ける紫髪の2体が……決して手荒に扱う事など許されない、この世の至宝と呼ぶべき御方を、乱暴に拘束している。
藍色と紫色の屑共に両腕を掴まれ、恐らく御尊顔を叩かれたのであろう、片頬を若干腫らせた痛ましい御姿で……会長が、アロナお姉ちゃんが、囚われていた。
「良かった、モトエちゃ、う゛ぐっ」
安堵の息を吐かれたお姉ちゃんを捕らえたまま、その嫋やかな御首に腕をかけて締める屑紫髪。怠そうに溜息を吐いているが、その眼から十二分に感じ取れる嫌悪や憎悪の念は抑えられていない。
訳が解らない。ここは……嘗て話に聞いた、シッテムの箱の中に広がるという、無限の海と見つけ得ぬ最果てを持つ砂浜か? だが頭上に陽光で私達を照らすべき恒星は存在せず、代わりに巨大な眼球を持つ衛星もどきが存在しているのは何故だ。どうして私の身体は事務仕事の時以上に自由に、私自身の意思で動かせるようになっている。それ以前に、どうしてアロナお姉ちゃんがこんな所に御座しておられるのだ。
何一つ理解の範疇に在らず、そして敬愛する彼女が本物かどうか確かめる手段は持ち合わせていない。だが、何故だろう。自然とこの方は本物の会長であらせられると理解出来る。理屈ではなく、心で。
気になる点は多くある。だが、それらへの思索よりも優先すべきであるし優先したいと私の心が願う使命がある。お姉ちゃんを助ける事だ。全てを詳らかにするのはそれを果たしてからで十分。
おい、私もどき共。藍色のと紫色の、特に紫色の品性の欠片も無いゴミクズ。その汚らしい手を……手じゃなかった、前足をどけろ。そちらの尊き御方は貴様のようなゴミが気安く触れて良い方じゃねえんだよ!!
「だそうですよ、M.O.O.N.L.E.N.S」
「はぁ……ウッザ。ゴミ未満の屑のカス邪神共がさ、まるでまともな生き物みたいに、お互い大事に思い合ってますー、だってさ……どの面下げてほざいてんの? 本っっっっ当にキモいんだけどあんたら」
いつも冷静沈着なポーカーフェイスを気取ろうとして大概失敗しているリンから可愛げを無くしたような、面白味のない無機質な相貌の藍色女。その言葉に次いで飛んでくる……ムーンレンズ? とやらの負の感情に塗れた理解不可能な罵倒。
私がまともではないというのは事実であるから構わないが、それをお姉ちゃんにまで適用しようとするな下衆。しかも邪神だ? 確かに魔王だ暴君だと過大な仇名を付けられてこそいるが、それはあくまでも比喩でしかない。無論私が《恐怖》として反転しているキヴォトス人である以上、なんらかの神格存在として本質を曝け出してしまっている可能性は捨てきれないが……こちらも、《恐怖》ではないお姉ちゃんには無関係だ。
お門違いの言い掛かりを付ける為に知恵を巡らせる暇があるなら、その薄汚い前足をどけろ。今ならその前足、圧し折るだけで済ませておいてやるよ。
そうやって挑発の言葉を更に投げつける。分散している敵意を集め、私とお姉ちゃんの双方に向けられている意識の比重が、僅かでもずれるように……感じ取れる悪意の類からして、私が代わりになるだのなんだのと言えば、寧ろ神経を逆撫でしてお姉ちゃんへの即座の危害に繋がるだろう。面倒な女だ。見た目で老けていたら、紫婆とでも呼んでやりたい所だよ。
お姉ちゃんは元より允文允武、そして部下に全てを任せて納得する御方ではない。私が今最もすべきは、彼女が拘束より脱する為の隙を作り出す事だ。そしてお姉ちゃんの実力を鑑みれば、それはほんの僅かなもので良いはず。
だが、その効果を期待しての言葉に返答したのは、まさかの黄色髪の私だった。
「うわー、健気だねアザーティ。何も知らないで。アロナの隠してる事とか全部知ったら、どんな顔すんのかな」
弄おうという意思がありありと伝わる声音。別世界のA.R.O.N.A呼ばわりの次はアザーティとやらか。それが私の邪神としての名か、どこのマイナー神だ。
その言葉に秘められた意図は奴らの存在同様、私にとって意味のあるものとは到底思えないものだったが……共に1つ、無視できない異常事態が生じた。
「止めてっ!? な、何言おうとしてるんですかっ!?」
囚われの身のお姉ちゃんが、口を押さえていた紫髪の腕を撥ね除け、黄色髪に向けて慌てて叫びだしたのだ。その瞳に、深い苦悩を宿して。紫髪もお姉ちゃんの口を押さえようとしているが、抵抗を受けて押さえ込めていない。大気に溶ける彼女の言の葉の抑揚は、非常に独特なものになっている。それはとりもなおさず、お姉ちゃんが心底から動揺している証拠だった。
異様にカラフルな偽物連中は、どうやら私についてなんらかの情報を有しており。それはお姉ちゃんにとって、私に聞かせたくないもののようだ。
なら聞く必要など無い……或いは聞いても気にする必要が無い。それを聞いて反応する事を、お姉ちゃんに望まれていないからだ。下らない。馬鹿馬鹿しい。それが私への脅しになるとでも思ったのか? 笑わせるな。
そんな私から下衆への返答は、逆にお姉ちゃんを端から見て判るほどに驚愕、困惑させてしまっていた。これまでで十分に臣下として信頼して頂けていれば、そんな風に感じさせる事もなかったのだが。猛省せねばなるまい。
反して黄色の奴……いや、そいつを含めたドッペルゲンガー共は、万物に興味が無さそうな藍色の奴を除き、如何にも間抜けそうな緑髪も含めて、それを聞いて本当に今の態度を貫けるか興味がありそうな面をしていた。だが、その根本に私への本気の悪意があるかどうかは……紫髪の奴は明らかだが、他の連中がどうなのかが……見ただけでは読み取れなかった。
「ふーん、聞き流せる自信、あるんだ? 連邦生徒会長云々なんてやってるのに。誓約とか契約とか本質言い当てる事が、どれだけキヴォトス人にとってヤバいか知ってるくせに……じゃあさ、試してみよっか」
「やめて、止めて下さい!! モトエちゃんに変な事聞かせないで!! あなた抗体でしょう!? 先生の【魔導書】でしょう!? 本質は抑制出来ているのに、どうして自分達から刺激しようとするんですかっ!?」
「黙ってよアロナ。それともやっぱり自分が嘘吐きの最低のクズの化身だからって理解してるから、妹分すら心底から信用したり出来ない?」
酷い侮辱の言葉に閉口なさるお姉ちゃん。だが、その表情と身体の震えから察するに、奴の無礼千万な態度に呆れている訳ではないだろう。
彼女は素晴らしい御方だが、さりとて万能の神ではないのだ……いや寧ろ、これは私の方が不甲斐無いから、そこまでの信頼を勝ち取れなかったと思うべきだ。
故に私が為すべきは、その隠し事を明かされても、全く動じない態度を見せる事。
言ってみろターメリックじみた黄色いの。他の奴でもいいぞ。お前らの下らん戯言で動じるような三下ではない所を見せてやるよ。
「あっそ。じゃあ……いや、うん、その前に……アザトースって知ってるかな」
……罵倒がしたいなら率直にしろ。忘れる訳もないだろう。私と同じ立場になったとして、どんな馬鹿なら忘れられるんだ。
お姉ちゃんが命を狙われ、私が反転したあの事件。その犯人のテロリストが所属していたのは。
「そんなカッカしないでよ。そう、ザーダ=ホーグラ教団……って名前の国際テロリスト。核兵器を【邪神総帥】の力と呼んで崇拝しているキ印共……だけど。その総帥の名前がアザトースって所まで詳しく知ってるキヴォトス人本人は、多分キヴォトスだとキミとリンとアロナだけだろうけどね。情報収集してきた子、報告を纏めた子、皆その後一月くらい原因不明の熱病で入院して、それまでの半年間の記憶無くしてたでしょ」
確かにその通りだ。だがなんだそのキヴォトス人本人という妙な表現……それとなんでリンの名が出る。
「リンとかの事は置いておくとして、つまり何が言いたいかと言うと、君は人間じゃない……解ってるとは思うけど、キヴォトス人が神秘反転して《恐怖》化して~とかそういう頓知じゃなくてね。アロナはずっと知ってて黙ってたけど。君は大昔におくたばりになられやがった邪神総帥アザトース本体から零れてずっと消えずに漂ってた因子が、偶然キヴォトス運営の為の連邦生徒会長クローン体に入り込んで誕生した【邪神アザーティ】。別の時間軸のキヴォトス人達に干渉して、《歪曲》とか《怪神》とか《強化》とかに好き勝手改造して遊んでるクズ共の仲間なわけ」
……何を言っているんだ? どんな戯言が来るかと思ったら……まさかのキヴォトス七不思議の、連邦生徒会長クローン人間説が出てくるとは。小学生かお前。しかもここ数年でめっきり聞かなくなってしまったものじゃないか。
歴代の連邦生徒会長達は、妙に体つきや顔つきが似ている。だからきっとクローン技術を使って造られた人造人間に違いない……初等部が言う分には、可愛らしい噂話ではあるが……自分と同年代の奴が本気で言っている姿を見るとうそ寒くなるな。
確かに様々な小学校や各校初等部で囁かれてはいたし、アロナお姉ちゃんが連邦生徒会に所属する前から「絶対そのうち連邦生徒会長になる」と騒ぐ者がいたが……そうなると、次の連邦生徒会長がいなくなってしまうだろう。現在どこの小、中学校にも連邦生徒会長らしさとでも言うべき特徴を持つ生徒が見当たらないからこそ、廃れてしまったのだから。
この時点で信憑性が削がれてしまって、これ以上の言及そのものが馬鹿馬鹿しいが……まあいい。
それで……御大層な総帥サマとやらの子が私で、それをお姉ちゃんが秘密にしていたというのはいいとしても、だ。貴様らが知っているかどうかは解らんが、現実の私はどこから来たのかも解らない存在に身体の自由を奪われている程度の、小さくか弱い存在だ。反転前にはそのチェーンソーと同じものに腹を裂かれて死にかけたし、反転後もリンに小さな刃物で刺された程度で死にかけてもいる。そんなものが仰々しいなにがしにどうやったらなれるんだ。
こうして至極当然のはずの言葉を返したのだが、馬鹿共は軽くではあるものの仰天したらしかった。
尤もそれは、私が奴らの妄言を信じるどうこうではなく、この内容を聞かせる事自体でなんらかの異常を起こす算段をつけていて、しかし思い通りにならなかったが故のようだが。
「おい、この空間で、ここまで刺激してんだぞ……なんでなんともない? 暴走もしないし、消滅もしないって……あいつ、なんなんだ? 人間の側に傾き過ぎているのか、アザーティの白痴の性質が行き過ぎてるんだか……もうこれわかんねえな」
「《恐怖》に反転した影響で気が狂っているのでは? アザーティが《混沌》の化身にこんなにも妄執を向けている時点で確定的というべきほどに明らかですが」
「でもそれだと反転前から執着してる理由がわかんないしさー、反転した後で立場が逆になってなきゃおかしいんだよねー。あの気狂いのアザトースの仔だよ? 部下とか妹分とかなんとか言いながら、皆に隠れてアロナを嬲って、身体中に自分だけのものだってキスマークとかで証を刻み込むとかしてれば解るけど」
「キっ……!? も、モトエちゃんはそんな人じゃありませんっ!?」
意味不明な合議をしながらチラチラとこちらを見やり、理解不能な戯言をほざく偽物達。そもそもつい先程、私は自由な行動をソウシャに封じられていると言ったばかりだろうに。まあ、もしそれが無かったとしても、そんな不敬で冒涜的な真似は死んでもお断りだが。
とはいえ、妄言を否定して下さるお姉ちゃんの御言葉は恐悦至極と言う他無い。奴らに殴打された影響か、御尊顔の玉肌が強く赤みがかっておられるのが実に痛ましい。さっさとこいつらを蹴散らし、手当して差し上げねば。
「ああ、もう……ウッッッッザい、なぁ……!」
だがムーンレンズだかなんだかという紫髪クソ女は、私が色々言われてもどうにもならなかった事に加え、それに胸を衝かれたと思しき偽物共の合議すら気に食わないらしく、お姉ちゃんを捕らえたまま、私の方へ危害を加える意思を剥き出しにして進み出てきた。
引っ張られる形となった藍色の奴は、ここまで全くの内面無機質ロボ女だと思わせる挙動をしていたが存外そうでもないらしく、鬼気迫る紫髪の自分を無視した挙動に呆れを示した半眼になり肩を竦め、お姉ちゃんの片腕を掴んでいた手を放した。とはいえ、やはりその無機的な挙動はリンの普段の様子ほど可愛らしくもないが。
「いいじゃん理由なんかさあ! こいつ消して、私らのものになるはずだった現実の身体取り戻して! 《色彩》操作とかまだるっこしい事してないで、さっさと旧都心に突っ込むの! そんでラン=テゴスとグロースぶっ壊して先生と一緒に私も死んでハッピーエンドで全部終わらせんだよ!」
激昂する紫馬鹿は自分のキレ散らかす姿にお友達らが引いている事にも気付かず、殺意に満ちた手を伸ばしながら、一歩、また一歩と私の方へ近付いてくる。
その呪われるべき前足はお姉ちゃんの首を締め付け、見目麗しい御顔を再び苦しげに歪ませる……巫山戯やがって、この腐れズベ公が……!
「俺らに当たるなよ……つーか、お前、そんな事考えてたの? 先生が許す訳ないだろ」
「それやっちゃったら、あのキヴォトス、どれだけまともな形で遺るかなぁ? でもでも、邪神結界の反発現象とかで、生徒も住人もみーんな死んじゃうのは絶対だよね! あはは!」
「先生が最初から自分の命度外視してる時点であのキヴォトスが滅ぼうが知った事じゃねえんだよ私はっ! 先生もグダグダしやがって、さっさとこいつの自我潰しちゃえばいいのにさあっ! 邪神なんか生徒じゃねえだろっ! 使い道なんか無いこいつ消して私さえ出してれば、変な不名誉被る必要も無かったのに!」
「頭に血昇りすぎでしょ。それやったらさー、連邦生徒会の一部の子に憑り依いてるシャッガイ星の蟲共にバレバレになるってちゃんと解ってる? 僕にとっちゃどっちでもいいけど、もろに先生の不利益になるから……君には絶対に避けたい事態だよね?」
橙髪や緑髪の言葉にはただ激昂した紫髪だったが、黄色髪が髪を弄りながら呈した忠告らしきものには不快そうに顔を歪め、痛い所を突かれたとばかりに歯を食い縛る。
なんだ、そのどこぞのムシとやらは。一部の子にとりついているという意味が解らない。その疳の虫だかなんだかにバレて、どんな不利益が現在キヴォトスに居もしない先生に齎されるというんだ。
「うっるせえぇなぁ……くそがくそがくそがくそがぁぁ……先生は私のパートナーなのに私が先生の最初のA.R.O.N.Aなのに私だけの先生なのにどうして私が後から来た雌豚共に忖度してやらなきゃならねぇんだよぉぉぉぉぉぉおぉなぁぁぁぁぁぁぁあああああああ」
「その範囲指定だと、貴女を除いた自分達も雌豚呼ばわりに含まれる事になりますが」
「違うとでも思ってんのかよH.C.A.C.Sよぉぉぉぉぉぉぉ……先生NTR雌豚第一号がよぉぉおおぉぉおぉぉ」
「うわあ」
歯軋りしながらの回答。口内から怨嗟漬けの呪詛を漏らしギョロギョロとドッペルゲンガー共を睨み付けてゆく紫髪へ、ハーキャッスとやらはまさに妄言を宣う狂人を見る目付きをおくる。
なにやってんだこいつら……敵を前にして仲間割れ……いや、元から呉越同舟みたいなものだったのか?
一瞬そんな訳もないと思ったが、その考えはどうやら間違ったものでもないらしく、こちらへ注意を向け直した紫女の背面へと藍色の奴がいきなり殴りかかり……本当に打撃を加える事を目的とした訳ではなく、咄嗟に避けた奴の拘束を緩めた腕からアロナお姉ちゃんを奪い取り、私へと投げ渡してきたのだ。
「ゲホッ……え、ぇ……?」
想定外の救助の手に、お姉ちゃんは困惑しておられ、同じように私も戸惑っていた。
腕の中に感じる、お姉ちゃんの温もり。鼓動。懐かしき甘やかな香りが鼻腔を擽る。
御無事ですか、お姉ちゃん。
「は、はい……一先ずは、ですが……」
紫の奴の粗暴な前足で無理矢理締め付けられていた御首他全身を確認したが、一見した所では問題はなさそうである……痛ましげに腫れてしまった、片頬を除いて。
しかし、お姉ちゃんに大事無いのは何よりだが……本当に、なんなんだこいつらは……? そもそもなんで体型まで含めて私に似ているんだ?
先程は抗体、先生の魔導書と呼ばれ、否定はしていなかったが。抗体とはつい数刻前、この謎空間に送り込まれるほんの少し前に、ソウシャが言っていた単語だ。あの《歪曲》なる偽物達をどうにかする為のなにがしと同じと仮定すると……先生に送り込まれたオカルトアイテムが人に化けたとでもいうつもりか? 牛牧の造ったパンちゃんとかそんな感じの何かか?
「お前……何のつもりだよっ!?」
「ですから、自分は初対面時に申し上げた通り。自分の主である先生の意思を遂行する事が使命であって、貴女の同士ではありません。状況の打開に必要とあらば協力もしますが、少なくとも現状のアザーティが多少の刺激では発狂などの異常を起こさないとまで確認出来たので、以降の余計な手出しは先生の御意向に反すると判断します。ええ、それだけであって、決して貴女が最初のA.R.O.N.Aだからという理由で平気で我儘を押し通そうとする事にイラっときたりはしていません、ええ」
……先生はどうやら本当に大した方のようだな。
私としては、本当に人間なのか疑わしい忠臣を送り込むより、御本人にキヴォトスへ来て頂きたい所だが。まさかこのまま配下だけ送り込んで全部なんとかしようとしているなんて事は無いと信じたい。
「んー? アザーティってやっぱりアタマおかしいね? 先生とずーっと一緒にいて、指示して貰ってるのに、キヴォトスに先生がいないなんて?」
緑髪が戯言を吐く。私についてある程度の情報を収集しているようだが……個々の間での情報の摺り合わせが全くなっていない。
適当な事を言ってくれる。恐らく今キヴォトスで最も先生の到来を望んでいるのが私なんだ。もし来ていたら、立場上報告を受けないはずがない。無論、先生が私の罪深さを見抜き、断罪の為に密かに潜伏なさっておられる可能性もあるが、迚も斯くても、私の近くに先生がいた事など無いのは絶対だ。
「だからぁ、さっきまでアザーティのアタマの中にいた走者っていうのが先生なんだってば! ほら、アロナにも先生を分割した端末がくっついてるでしょ!」
……巫山戯ているのか?
私の身体の制御を奪い、何一つ制限の無い自由な行動は出来ず、強く意識し続ける事である程度は望まぬ行動を阻害出来るが完全な妨害は不可能で、少しでも気を抜けば頓珍漢な行動や人道に悖る行いを平気でさせてくる。そんな外道が、お姉ちゃんのいう偉大な信頼出来る大人だと? 《色彩》に汚染されて嚮導者にされながらも目的を果たせるほどの超越者だと?
よくもまあ、平然と貶める発言を出来たものだな? それとも奴の事について実際は何も知らないから、無責任にそんな事をほざけるのか?
……いや、待てよ。ここまでで私は、奴らにソウシャの名前を明かしていない。憑依か寄生かは判らんが、妙なものに取り付かれているとだけは言った。しかし、あれが何と自称していたかは知らないはずで。そしてどうせ最期は先生に裁かれると覚悟をしていても、狂人扱いされたまま日常を送りたい訳でもないので、自分の意識した通りの言葉を吐けるタイミングが訪れても誰かに奴の存在を明かした事は一切無く。
何より、先生の存在を私にご教授下さったお姉ちゃん御本人が、弁明もなさらず、後ろめたそうに顔を背けている事が、それを事実であると物語っているのではなかろうか。
ただ、もしそうだとしても、分割した端末とやらは、私の目には見えていないのだが。
「うー……! だって仕方無いじゃん……! 《
雑な擁護もあったものだ。イソジンだかイースジンだか知らんが、つまりお前らの言う所の先生と同じように、他者の命をゲーム扱いして取り憑いて操り、生涯を滅茶苦茶にしている奴らがいるという事か。
そして私がお前ら曰くの先生の道具として消費されるのは、そのナイアルなんとかに対抗する為には仕方のない事だと。
「ち、違うんですモトエちゃん! 先生は決して、イースの種族みたいに誰かを翫ぶ為に行動している訳ではないんです! 嘘を吐いていたのも全て理由があっての事! 貴女の命も、道具としてなんて扱っていません! それだけは信じて下さい!」
……俄には信じ難い。イースの種族とやらも知らないし、これまでの私の苦悩やら何やらは一体何だったのだろうとも思ってしまう……が、お姉ちゃんの御言葉ならば、信じるしかあるまい。先生は決して悪意で以て、私の自由を奪っていた訳ではないと。
……口にした途端、緑髪と橙髪のみならず、離れた所でごちゃごちゃぐだぐだとやりあっていた紫髪達までもが、なんともいえない面でこちらを見てきた。
なんだ、今の私の言葉に何か文句でもあるのか。お姉ちゃんの御言葉なのだから、信じるのは当たり前だろう。先生本人に対しては……まあ……弁明の内容次第だが。
「キッッッッショい……やっぱ邪神って頭おかしいわ」
「おい、こいつに本当に俺らの運命任せて大丈夫なのか」
「わぁすごーい、アロナ教の狂信者だぁ」
「本質たる盲目白痴ここに極まれり、ですね」
「アロナさあ……流石に引くんだけど」
「ち、違っ、私、モトエちゃんをこんな風にするつもりなんて」
……哀れまれているのか、蔑まれているのか判らん。ただ、お姉ちゃんにまで何か異常なものであるかのように言われてしまったのが一番心にくるのは確かだ。
もしかしてだが、お姉ちゃんに、信頼している相手の言葉であれば何でも信じるような間抜けであるとでも思われてしまっているのだろうか?
それは彼女の忠実な臣下としてあってはならない事なので、弁明しようとしたのだが。
「修復完了」
「ぎゃあああああ! 痛い痛い痛い痛い!」
直後、空間に孔が空き、得体の知れない記号に満ちた薄暗い世界から2つの人影が吐き出されてきた事でそちらへ注目せざるを得なくなった。
奇妙な闖入者共……赤い髪の私と、青い髪の……藍色よりも若干褪めた色合いの私。
特に青い髪の私は、全身傷だらけで、更にべとついた生臭い青々とした粘液で包まれ、その汚らしさで注目を集めていた。
「わあ! きったない! T.R.A.P.E.Z.O.H.E.D.R.O.Nが酵素汁でぐっちゃぐちゃになってる!」
「あー、やっと帰ってきた。P.R.ā.ṇ.AもT.R.A.P.E.Z.O.H.E.D.R.O.Nも遅いよ。無駄に時間稼ぎしなくちゃならなくなった上に、アザーティがヤバい変態だって事まで聞く羽目になったじゃん。あれ、何だった?」
「ん゛お゛……ぜ……C.E.L.A.E.N.O、あ、あんた、ねぇ……! 私を盾にしたの、見えてなかったとでも……」
得体の知れない青い粘液……酵素汁とやらを滴らせ、同時に身体の各所に開いた小さな穴から異様な記号や文字を血液代わりに漏れさせている青髪女……トラペゾへドロンは恨めしげに黄色髪、セラエノを睨むが、どこ吹く風と言わんばかりに薄笑いしたそいつは平然と肩を竦めてみせる。
「仕方ないじゃん、僕らは喰われたら損壊したテクストの補填が出来ないもの。そんで先生は僕らのどれかが欠ける事を考慮に入れてない。だったらタンク役は幾らでも補填が出来る奴が引き受けるべきじゃない?」
「ああ、もう、恨むわよ先生……!」
ぐったりしたまま、しかし声だけは威勢良く吠える青髪女は大きく溜息を吐くと。
「M.H'I.T.H.R.H.Aだった。水鏡越しだったのに思いっ切り食い千切られた……あのクソロリ、容赦なくガリガリ噛み砕いてくれちゃって……い゛っだぁ……」
「《
「かなりテクストを持っていかれたようですね。向こうはそこそこ強化されてしまったでしょう。もう少し抵抗すべきだったのでは?」
「黙んなさい! 全身グチャグチャにされてんのよこっちは! 無茶言うな! あとなんでアザーティとウルタラトテプがいんの!? 状況がわかんないんだけど!?」
トラペゾへドロンとやらが喚くのに合わせ、赤い髪の私がこちらを見やる。聞き間違いでなければ、彼女がプラナ。あの珍妙な姿をした偽アリスや偽錠前が私と間違えた、プレナパテスと化した先生のシッテムの箱の管理者であるはずのA.R.O.N.A。
だが、ソウシャ……いや、私の中にいたらしい先生の話が正しければ……その髪は白色だったはずではないのか。名前が同じで顔も似ているだけの別人……別AI? いや、そうすると、具現化したアトラ・ハシース内部のナラム・シンの玉座でもあるまいに、私とAIが直接対面しているのがおかしな事になる。では別人と思うべきだろうか。
「ぷ、ぷらなちゃ」
存在を知っているらしいお姉ちゃんの呼びかけに、プラナは僅かな間視線をそちらへ向けたが、続けて口を開いた黄色髪の声についと顔を逸らす。やはり別人か。
「アリス《歪曲》にビビった先生が咄嗟にリセットしようとして、カウンターでM.H'I.T.H.R.H.Aにキミが喰われた後。送られてきたエーリッヒ・ツァンにキチレコ食らって先生にまで干渉されて、普通に負けかけた」
「はあ!?」
「で、死んだら元も子もないし、仕方ないからM.O.O.N.L.E.N.Sの誘いに乗って色彩因子暴走させて、アザーティを試しつつ時間稼ぎして今に至る、と」
セラエノと呼ばれた黄色髪が指を鳴らす。すると空中にホログラムモニターのようなものが現われ……なんだ、あの間抜けな面をした……巨大な戯画的顔面は? それに向けて陸上で寄せては返している大水は一体?
そして目に見えぬ力で反発し合っていると思しきそれらの上に浮いているのは……戒野か? なんで浮いている? 足が半ばから紫色の炎と煙の塊になっているのは何故か?
それだけでも驚嘆すべき事柄だが、それ以外にも注視すべき箇所がある。彼女の右腕に巻き付きながら伸びている凄まじい長さの鎖が、十数メートルはあろうかという巨大な腕のようなものを形成し、内側からモニター越しでも強烈な熱量を感じさせる光を放っている。左手の指先からは謎めく糸が伸び、こちらも同様の腕らしきものを形成しているが……右手側とは逆に、糸の腕から漏れ出る光は、万物を永久に停止させそうなほどの冷気を想像させる。
更に戒野の近くには、アリスとキイの傍に浮いている奇妙な霊体ドローンを等身大にしたようなものが浮いていた。なんだあの珍妙な生き物……生き物? らしきものは?
疑問に答えて下さったのは、私の腕の中からの御声だった。
「先生……」
……正直、耳を疑った。更に言えば、私自身の正気を疑った。
先生? アロナお姉ちゃんは今、あの妙な白い微笑みハゲを見て……先生とおっしゃったのか?
お聞きしていた話と……随分……違う……ような……気が……するの……だが……?
あれが……いや……あの方が……先生……? お姉ちゃんの最も信頼する大人で……このカラー印刷私もどき達の行動指針となっている存在……?
え……えぇ……? イメージ像と……何もかもが違うのだが……? レイムとマリサがクッキーだのチョコレートだのと言っている謎の劇を、他人の頭の中に垂れ流すのがお似合いの姿といえばそうなのだが。
もっと、こう……あの……お姉ちゃんと並ぶと様になるというか……キヴォトス一の美男美女として祝福され、万人が憧れるカップルになれるというか……そういう方だとばかり思っていたんだが……?
勝手な期待の押し付けは極めて無礼で烏滸がましい行いである。そして相手の容姿にとらわれるべきではない。そう理解していても……正直納得が出来ない。
私自身の立場からすれば、あの方にこれまでの私の罪穢れた生の全てを裁いて頂き、あの世から平穏無事なこの世界を見守る事さえ出来ればそれ以上は望むべくもないと思わなければならないのだが。
実はお姉ちゃんは単に騙され誑かされているだけで、この妙な輩が全部悪いとかそんな感じだったりしないだろうか。
「た……大変だあっ! 【
「ちょっと!? 状況わかんない!? なんであの子邪神制御出来てんの!? 意味わかんない!?」
「いや、先生、容赦なさ過ぎねえか。中に俺らいるんだぞ」
「手段がアレしか無いんでしょ。アザーティ消す以外に色彩因子の暴走止める方法無しでやらかした僕らが文句言える立場でもないよ」
「あああああああ! 先生! 先生が私に攻撃してる!? 嫌われた!? なんでっ!?」
「完全に先生の制御から外れたと思われたからですよ。この程度覚悟しておいて下さいよ」
巨大顔面へ熱を満たした巨腕が振り下ろされるのを、おたおたしたり平然としたりしながら見ている私もどき達を見回していたプラナが呆れたように溜息を吐くのと同時に、大気が振動し、世界が強烈な光に包まれていった。