Fate/赫きティルフィング   作:聖樹

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『天の楔』と『天の鎖』

 聖杯戦争の舞台となる冬木市という地方都市。その土地の管理者である『遠坂』と呼ばれる魔術師一族の邸宅の一室にて。豪華絢爛な黄金の鎧に全身を纏った英霊はただ腕を組み、静寂の中に意識を泳がせていた。

 

 五度起きた聖杯戦争。前回の聖杯戦争にも参加した王の中の王、原初の『英雄王』と渾名される男。

 召喚直後、繰り返された己の召喚に対し軽視のニュアンスを汲み取った彼は召喚されるや否や召喚した魔術師を殺害しようと考えていた。

 右手を振り上げ、宝具の銃口とも呼べる蔵の門を開門し、後は腕を振り下ろすのみ。そのような場面に差し掛かった時、歓喜に噎ぶような嘶きが冬木全土に迸り響いた。

 

 召喚者は、空を仰ぎ見ることは出来ない。自身を縛る鎖がそれを邪魔するからだ。魔術師の臓腑を抉りだし、その本性をさらけ出そうとしたサーヴァントの手が止まったとて、彼女には一切の行動が許されない。

 

 そんな状況下にも関わらず、魔術師の瞳孔は小さくなる。

 

 人生で一度聴けるかどうか分からぬ程の音色。それだけに留まらず、大地に溢れる魔力が騒ぎ立てるのを肌で感じて取れたとすれば、魔術師が無反応であれる筈が無かった。

 

 その"声"は冬木市郊外にあるアインツベルンという錬金術師達の本拠地である居城から鳴動していた。

 

 自然が伝える星の驚異、或いは歓喜、祝福。その尋常ならざる現象に、途方もなく強力な存在がサーヴァントとして召喚されたのだと理解した。

 

 魔術師が召喚した弓兵(アーチャー)のサーヴァントは、興奮を噛み潰した後に鎖を解き口を開いた。

 

 

「気が変わった。名を名乗るが良い、雑種」

「え、えっ?」

「王に二度も言わせる気か? 不敬であるぞ貴様」

「あっ、ごめんなさい。私は、遠坂桜、です」

「遠坂。やはりあの時臣めの娘であったか。貴様らも懲りんな……。良い、王への拝謁を許す。面を上げよ」

 

 

 その言葉に、畏れながらも顔を上げた遠坂家の現当主、遠坂桜は覚悟を確固とした顔でサーヴァントを見上げる。

 

 黄金という言葉が人の形を成したかのようなサーヴァントは、それまで興味の無さげな退屈な表情とは打って変わり、堂々と名乗りを上げた。

 

 

「よもや(オレ)の事を知らぬなどと巫山戯た言は口にしまいが、敢えてこの口で尋ねよう。我は原初の王の頂点たる王、英雄王ギルガメッシュである。貴様が、不遜にも王の光輝に縋らんとする魔術師か?」

 

 

 黄金の英霊からの問い掛けに、桜は力強く頷き肯定を見せた。

 

 

「喜ぶが良い、桜よ。聖杯に興味なぞ微塵もないが、状況が変わった。之より我は、全力を以てして殺し合いに興じる事とした!」

 

 

 彼の表情にはそれまで見せていた下らぬ三文劇を眺めるかのような表情とは打って変わり、豪胆な笑顔を作っていた。

 

 

「あの、英雄王。つかぬ事を聞きますが」

「良い。許す」

「ありがとうございます。あの、今のって一体、何が現界したのでしょう? 反応から知己の相手とお見受けしますが……」

「何? ……ククッ、ハッハッハッハッハッ!!」

 

 

 恐れ多くもマスターである桜は愉快そうなギルガメッシュに問いを投げかける。王はそれに空高い笑いで返した。背中を曲げ、腰に手を当て、肩を上下させながら愉しそうに笑う。

 

 

「貴様は我を触媒を用いて喚び出したのであろう? 古代バビロニアの歴史には明るくないのか?」

 

 

 問に問で返され困惑、同時に返し方を深く思考する桜。ギルガメッシュの性格は明確に苛烈、短気で受け答え1つ間違えば容易に命を奪おうとする手合いだ。だが思考により間を持たせればそれこそ王の問いを無視したと判断されるかもしれない。

 

 桜は息を飲み答える。

 

 

「触媒は父が過去用意していた物を使わせて頂きました。以前召喚したものとは別の、ギルガメッシュ王の玉座の破片を。なので、申し訳ありません。逸話についてはあまり」

「フン。良い、今回は特別に不問とする。星の巡り合わせに感謝するのだな。此度の我は平時より寛大だ、そう在る事とした」

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 忙しなく頭を下げる桜の行動など露知らず、遥かなる地平の一方向を眺めて懐かしむような口調でギルガメッシュは言葉を続けた。

 

 

「アレは、我が生涯唯一の友。心せよ桜。『英雄王』たる我と『天の鎖』たる彼奴、叙事詩の再演と呼んで差し支えない戦いになろう。壊れるなよ、我の現界に差支える」

「天の鎖? 唯一の友、ですか」

 

 

 イマイチピンと来ていない反応をする桜に若干の引っ掛かりを覚えたギルガメッシュだったが、最早そんな事に一々口出しするのも惜しいくらいに気が昂っていた。

 彼は短く告げる。それは、一秒でも早く友と再会し、己の全力を吐き出す遊興に身を委ねたいからである。

 

 

「彼奴の名はエルキドゥ。神が造りし天の鎖、大地と民の守り人たる者。行くぞ桜。我の初陣相手は、無二の友たる彼奴にこそ相応しい!!」

「は、はあ……」

「……桜よ。貴様、我が召喚に応じた事がまさか不満と言うのではあるまいな?」

「いえ! そんな事は決して! ただ……」

「憂わしげな貌は小娘に似合わぬ。無理して笑えとは申さぬが、王の前に悩ましげな表情で佇む行為は微罪に当たる。なに、退屈であれば数刻待っていろ。我がこれから成す事、目を離すことは許さん。我の臣下としてその双眸に焼き付けるが良い」

 

 

 自分を召喚したマスターとの歯車の掛け違いを察したギルガメッシュはそれ以上問答する気は起こらず、一歩前に踏み出すと霊体化しその姿を霧散させた。

 ここでは無い何処か。魔力を辿って見てみれば"声"の本拠地であった郊外の方へと移動したのを認識した桜も移動を始める。

 

 これから成す事、ギルガメッシュはそう言った。彼が行うのは間違いなく宣戦布告だ。只人の域を出ない魔術師であれば、接近しようなどと考える筈もない程の魔力を持つサーヴァントに対しての宣戦布告。

 

 マスターに選ばれた以上逃げる事も隠れる事もしたくない、そんな思考が桜の行動の原理となった。自分の力量など度外視して。

 

 尚、本来聖杯戦争はサーヴァント同士に代理戦争を行わせるという性質上、マスターが前線に出る必要も無ければ表立って行動する必要も特には無い。『魔術師たるもの、優雅たれ』遠坂家の家訓にはそうあるが、桜の考える優雅とは、逃げも隠れもせずに余裕を持って立ち向かい、十全に勝つ事にある。

 

 父から残された意志という名の遺産。それに拘る桜は本来やるべき事柄を投げ出し、ただギルガメッシュの独断の行く先をその目で見届ける為だけに遠坂邸を飛び出すのであった。

 

 


 

 

 その英霊は人の形をしてはいるものの、本質は人とは異なっていた。

 

 世界最古の英雄譚、『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する神に造られし泥人形。それこそが彼の本質にして起源(ルーツ)である。

 男性とも女性とも取れる、人間離れした美しさを持ちながら人間というモノを最大限模倣した彼の容姿は聖娼と呼ばれた女性の姿から取っている。

 

 人と寝食を共にし、人と共に営み、人と共に学び、人と共に思い。そうしているうちに人間らしさという形を自分に落とし込んだ泥人形は、自然の力そのものとも言える凄まじい神性を引き換えに"ヒト"と成った。

 

 完全ではない、不完全なヒト。そして、彼は青年期の、暴君になったばかりの頃の『英雄王』と出会う事となる。

 二人の闘いは天を渦巻かせ、地を砕き、文字通りの天地鳴動を極めた。その闘いの後、二人は互いの力を認め合い、友となった。ギルガメッシュにとって唯一の、エルキドゥにとって最も尊い友と成った。

 

 その経験は完全なる人の形を持っているだけに過ぎない泥人形に、"人間"たらしめる心を吹き込んだ。

 

 友を得て、漸く彼は人に成れたのだ。故にその最期は、彼にとっても友にとっても未練がましい物となった。

 

 

 

 冬木市郊外 アインツベルン城

 

 

「サーヴァント・ランサー、エルキドゥ。君の呼び声で起動した。おや?」

 

 

 彼が顕れた瞬間、大地に満ちたマナが祝福するように騒ぎ出した。声高く唄う様な大地を鎮めるように名乗りを上げたエルキドゥは、落ち着き払った声音で目の前に立つ己がマスターに語りかけた。

 

 

「召喚されたはいいが、まだ契約状態ではない……? じゃあこれは」

「アインツベルンの召喚式は他とは異なるの。貴方との同調はこれから行うわ」

 

 

 そう答えるのは、雪のような白肌に銀髪、赤い目。美しくも魔的な魅力を持つ、俗っぽく形容するなら天使のような姿の幼子。

 エルキドゥは目の前の少女に、そして傍に控える侍女に自身と似た性質を持つのを見抜いた。自然の嬰児、即ち彼女らはホムンクルス。神造兵器として製造されたエルキドゥがシンパシーを抱くのも頷ける存在である。

 

 もっとも、そんな感想を持ったのはエルキドゥの側のみで、アインツベルンのホムンクルスにそのような歩み寄りの思考は皆無であったが。

 

 

「……同調は済んだわ」

 

 

 白い肌に赤い紋様を浮かべたイリヤスフィールがそう言う。彼女の右腕には令呪が表れ、確かにそこからエルキドゥとの経路(パス)は繋がっていた。

 痛みも苦痛もなく魔力同調を行えた事に安堵するのは、セラという名の侍女のホムンクルス。

 己が主が苦痛を感じないよう調整したのはエルキドゥ本人だが、彼はその事を伝えはしない。伝えない以上ホムンクルス達が知る由もなく、イリヤスフィールはただ冷たい瞳でエルキドゥを見据えた。

 

 

「私は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 

 ぶっきらぼうに答えるイリヤスフィールに対し、エルキドゥは手を差し出した。

 

 

「よろしく、イリヤスフィール。どうか自在に、無慈悲に僕を使ってほしい。僕は兵器だからね」

 

 

 兵器。そう容易く自称するエルキドゥに、その癖"人として"接してこようと握手を求める彼の矛盾に、無意識下で苛立ちを覚えたイリヤの目が鋭くなる。

 

 

「おや? 初めましての相手とは握手を交わす物だと思っていたんだけど、現代だと違うのかい?」

「下がりなさいランサー。貴方はサーヴァント、使い魔であり道具に過ぎません。イリヤスフィールお嬢様と対等な目線で語らうなど許されざる行為ですよ!」

 

 

 渋々エルキドゥの手を取ろうとしたイリヤスフィールを制するように、横から彼女の次女であるセラというホムンクルスが口を挟んだ。

 エルキドゥは手を引っ込める。その動きをイリヤスフィールは目で追い、エルキドゥは彼女に柔和な笑顔を向けた。

 

 イリヤスフィールも現実離れした可憐さを持っているが、エルキドゥも同様に、男女共に見えていずれにせよ人間離れした美貌と言うべき魅力を持っている。その場が西洋造りの居城内部という事もあり、第三者がその光景を目にすればさながら中世の宗教画のように映っていただろう。

 

 二人の目は交差する。

 イリヤスフィールの、幼子の無垢な姿に秘められた複雑な事情をエルキドゥは読み解いた。彼女の冷静さ、怒り、そして憧憬。それらを理解した上で、エルキドゥはたおやかなる雰囲気の奥底に獰猛な戦人の色を見せる。それは使い魔としての誠意の誇示であった。

 

 当初アインツベルンは、触媒として利用した大木の化石で『杉の森の番人』であるフワワか、『神造兵器』であるエルキドゥを狂戦士(バーサーカー)で召喚しようと画策していた。しかし、バーサーカーは理性なき狂者。現界にも使役にも膨大なる魔力を要し、そこまでしても思い通り動かせる保証はない以上召喚によるメリットよりもデメリットの方が大きい。

 

 詠唱にバーサーカーを召喚する一文を付け加えなくてよかった。そう密かにイリヤスフィールは思う。

 

 もし目の前の英霊がバーサーカーで召喚されていたとしたら、取り返しのつかない破壊を撒き散らす殺戮兵器が召喚されていたに違いない。それはあまりにもリスキーだと、彼女は若いながらも過去の聖杯戦争の歴史から学んでいた。

 

 エルキドゥはイリヤスフィールの傍に立つ二人のホムンクルスに軽い会釈を済ませ、早速己がマスターであるイリヤスフィールに今後の方針や目的諸々を話し合おうと向き直った。

 ーー刹那、エルキドゥの全身に懐かしい風が吹いた。

 

 

「これは……」

 

 

 ふと明後日の方向を向き呟くエルキドゥに、イリヤスフィール含むホムンクルス達が疑問符を浮べる。

 彼の保有するスキルの一つである『気配感知』。最高ランクのこのスキルによって遠方に懐かしき朋友の気配があると察知した彼は、喜びに口元を綻ばせた。

 

 

「……間違いない。君なんだね、ギル」

 

 

 黄金の鎧に身を包む、あらゆる宝物の原典を所有する原初の『英雄王』ギルガメッシュ。その懐かしき王気(オーラ)を噛み締める。

 

 幾星霜の時を経て、数奇な運命に巻き込まれたものだ、と。そう語りながらも、その身は無意識のうちに前のめりになりおっとりとした顔に勇猛な闘志を表した。

 

 焦燥。感動。驚嘆。歓喜。

 肌で感じる圧。何度も何度も鎬を削り合い、並び立ち困難を踏み越えた最も大事な親友がこちらに向かってくるのを察知する。

 

 彼は一方向を眺めたまま、自身の主に提案する。

 

 

「マスター。僕の性能試しに、これから軽く腕鳴らしをしようと思うんだけど、どうかな。もし良ければ、魔力を多めに都合してくれないかな?」

 

 

 エルキドゥのその提案は、並のマスターならば命懸けの提案だった。

 エルキドゥは通常の状態でもそこそこ大量の魔力供給を要する頑強な霊基を持つ。そこから更に魔力供給量を上げるというのは、通常の魔術師の数倍の魔力量を持つイリヤスフィールが己のマスターであるが故の提案だった。

 しかし、その提案にイリヤスフィールの侍女であるセラが反感の意を示した。

 

 

「ふざけた事を! 魔力を多めに都合ですって!? サーヴァントは現界状態を維持するだけでも魔力を消耗するのですよ! 身の程を弁えなさい!!」

「イリヤ、負担かけちゃ、ダメ」

 

 

 セラに続きもう一人の侍女、リーゼリットも意見をする。当のイリヤスフィールはため息を零すと強い口調で二人に「静まりなさい!」と喝を入れエルキドゥを見据えた。

 

 

「今ここに向かっているサーヴァントに貴方は勝てるの? そこをハッキリしなさい。無駄な労力を割きたくないの、見ての通りこんな身体だしね」

 

 

 イリヤスフィールは肉体の7割以上が魔術回路となっている。エルキドゥを使役するのに問題はない程の膨大な魔力量を貯蔵出来てはいる。だが、その分何度も肉体を物理的に開かれ回路の移植と調整を繰り返してきた為、急な大魔力の供給は全身に多大なる負荷を掛ける事は必至。

 

 侍女達がイリヤスフィールの身を案じているのは決して過保護なのではなく、短い寿命を維持させる為の生物としての防衛の意思に相違ない指摘であった。

 

 勿論、エルキドゥもその状況については理解していた。一目見れば分かる、イリヤスフィールの肉体は美しくも継ぎ接ぎなのだ。理解し、思考し、その上で彼は提案を続ける。

 

 

「アレに狙われた以上ここからの逃亡は現実的では無いよ。英雄王ギルガメッシュ、彼の宝物庫には高速移動する飛行機体や超ロングレンジの宝具も内蔵されているからね。そして迎え撃つにしても、生半可な出力では仕留めることはおろか、引き分ける事すら怪しいだろうね」

「そんな事を聞いてるんじゃないの。貴方はあいつに勝てるのかって聞いてるのよ」

「ああ、勝てるとも。ギルガメッシュは親友だからね、あいつとの戦い方は僕が一番理解している」

 

 

 どのみち、自身の陣地である居城からの逃走は有り得ない。魔術師にとって最も有利な地の利と、エルキドゥのステータスを読み取った上でのこの大地との相性の良さ。

 それらを熟知した上で問いかけたイリヤスフィールに対し、エルキドゥは求めていた答えをしっかりと口にした。

 

 イリヤスフィールは小さく息を吸い、魔力が全身に迸り痛みを伴う覚悟を固める。そして、自分達を喰らおうと迫り来る隕石のような存在密度の敵対者を打倒するよう、自らのサーヴァントに命じた。

 

 

「勝てる、貴方はそう断言した。ならば命じるわ。ランサー、今からここに向かっているサーヴァントを迎え討ちなさい!」

 

 

 イリヤスフィールの柔らかい髪が舞い上がる。まともな魔術師なら充てられただけで気分を悪くしそうな程の魔力をエルキドゥに流す。同時に痛みに苦悶を訴えるが、エルキドゥが肩に手を触れるとその痛みが幾分かマシになった。

 

 

「ありがとう、マスター。僕は良いマスターに恵まれたようだ。さて、それじゃあ競い合おうか」

 

 

 大広間から居城を出て、針葉樹を足場に伝いながら郊外の森の中心部に向かう。

 出来るだけ人の少ない、それでいて彼にとっても十全に実力を発揮出来るであろう土地。最愛の友を、全力で押し返す為に少しの手抜きも慢心も無い。

 

 闇に溶けた森の向こう、街の光が輝く地平から迫る圧倒的な王の気配に全機能を励起させる。

 聖杯戦争史上、最大最高戦力のサーヴァント同士が今衝突する。

 

 


 

 

 父の王権を引き継いだ小さな王は、身の丈に合わぬ玉座に座り執務に取り組んでいた。

 

 若く未熟、まだ無邪気さ真っ盛りの少年王に、心の底から讃える民など居なかった。形だけの王権に外面のみ平伏している。その時代のウルクは叙事詩に語られるような、輝かしい栄華を誇る国には程遠かった。

 

 ユーフラテス川の近郊で栄えたシュメール都市国家の内、天からの王権が降りたのはキシュという国にあり、その時点でのウルクの政権は古代メソポタミアを制してはいなかった。

 

 後に様々な武勇と神話的偉業を成し王としての泊を付ける事で『英雄王』と呼称される運命にある少年。その、来るべき未来を予見した少年王は寝る間も惜しんで如何に王たらんとするか考えあぐねていた。

 

 

「ギールーくんっ!」

「うわっ!? いきなり何するんですか!」

 

 

 少年王の金の頭髪をクシャクシャに弄りながら話しかけたのは、透き通るような真珠色の髪を持つ、蒼銀の瞳をした少女であった。

 

 少年王と幼馴染の間柄にあるその少女もまた、数奇な運命に魅入られた"選ばれし者"である。

 立場の違い、身分の違い、それらが積み重なり人前で交わる事は控えている二人であったが、少年王は対等な人間として接してくれる彼女に唯一心を開いていた。

 

 ただし、深い繋がりを持とうとは互いに思わなかった。

 当たり障りない言を交わし、深く互いに踏み込まず、誰も居ない場でのみ胸中を晒し合う。相手に歩み寄ろうとは互いにしていなかった、故に友とは呼べなかった。

 

 

「ギルくん! これ食べよ!」

「バターケーキ、ですか。好きですね〜これ。あんまり食べすぎると太っちゃいますよ?」

「普段はちゃんと運動してるし! 剣術の稽古とか、色々やってるし! だから太らないもん!」

「調和の取れた食事が健康の秘訣とよく言います。甘い物ばかりだと偏るのは事実ですよ? 太らないにしても、もう少し君は野菜とか」

「聴こえませ〜ん! 聞きませ〜ん! ギルくんが食べないなら一人で食べるからいいもんっ!」

「あはは。ちなみにこれ、何処から持ってきたんです? まさか、またシドゥリさんの目を盗んで取ってきたんですか?」

「すごい、よくわかったねギルくん!」

 

 

 一点の曇りもない驚きを見せた後、小さな手で拍手の賛辞を送る少女。そんな彼女に、少年王は額に手を充て呆れながら苦笑した。

 

 

「シドゥリさんにバレたら、また君のお父さんの方まで話行きますよ。仮にも一国の姫君、身の振り方は考えましょうよ……」

 

 

 少年王の言葉に眉を動かした少女は、少年王の前まで躍り出ると腰に手を当て、人差し指を突きつけて言う。

 

 

「ギルくん。王とは国そのものなんだよ。王が何かに倣って行動する時点でその王なんて三流以下、独善だろうが奔放だろうが、我が在り方を曲げぬ者こそ真の王なんだよ!」

「へぇ」

「つまり! 次代に王としての期待を担うわたし達は何をしようと怒られる謂れは無いんだよっ! わたしは悪くない!」

 

 

 主語の大きな自己正当化。子供ですかあなたは……と言いかけて辞める。少年王も少女も子供に違いない、多少の無理筋は問題視する事では無いと思った。

 

 

「そんな王に民は着いていきますかね?」

「着いてこさせるからこその王道だよ! そういう王様が愛されるべきなの! 自分のやりたい事をやってそれを民が正しいと思ったのなら、そんな王様が作る国はきっと何よりも善い国に違いないよ!」

「どんな理想論ですか。自己中心的な王なんてただの暗君ですよ。自分の為だけに生きてるような王がもし王の役割を放棄したら、民は一体どうしたらいいんですか」

 

 

 少年王の問いに当然のように少女は答えた。

 

 

「善き王は役割を放棄したりしないよ。誰よりも民を愛する、だから民の歩む道になる。国そのもので、民の未来を紡ぐ者が自分の思うがままに生きないのって、それこそ自己中だと思わない?」

 

 

 野に咲く花のような、可憐な笑顔を浮かべながら当然のように言い放つ少女。

 

 後の世、少年王から成長したギルガメッシュの根底に残るのは、この時の彼女の言葉に他ならなかった。

 王の中の王。その王道の標を示した少女は、皮肉な事にも善き王になる事は無かった。

 

 彼女は民に愛される事はなく、彼女の王朝は終わりを告げた。


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