もしも小説版にRoseliaがあったなら。 作:星乃宮 未玖
「湊さん、また無理しましたね?」
「…………」
病院の白い壁の中、その一室。学校を終えた友希那は医師の話を小さく俯きながら聴いていた。友希那の父の古くからの友人であった彼は、彼女のそんな様子を見て小さく溜息を吐いてそのまま話を続ける。
「別に怒っているわけではないんですよ? ただ、彼から貴女を託された身としては、貴女の状態をしっかり把握しておかなければならないんです。……それは、分かりますね?」
「……はい。ごめんなさい、瀬名先生」
そんな男のことが、友希那は少し苦手だった。
それが遠い昔に散った初恋の残り香なのか、今も自分に付き合わさせている心苦しさなのかは分からないけれど、とにかく友希那は自分の担当医であるこの男にどう言えばいいのか分からなくて、消え入るくらいの小さな声で答えた。
(やはり、変わりましたね。幼馴染みのあの子のおかげでしょうか)
その様子を見て、医師──瀬名は目を細める。かつて父を喪った頃の友希那を知り、自分ではなにも出来なかった頃と比べると、今の彼女は随分と感情というものが戻って来たように瀬名は思う。その脳裏には友希那の幼馴染みの少女の姿が浮かび、幼馴染みの少女に内心で礼を送る。
(ですが、申し訳ありません。私は彼女に辛い現実を伝えなくてはいけないし、きっと応じない彼女を説得する術を持っていません。そのことを、許してください……先輩)
それと同時に少女と友希那の父に謝罪をして、瀬名は改めて友希那に向き直る。友希那の知人としてではなく、患者と向き合う医師として。
「それが分かっているのならいいんですよ。……ところで、今日呼んだ理由についてはお分かりですね?」
そして瀬名は友希那の答えに頷いて、続いて友希那に問いを投げ掛ける。
その問いに友希那は唇を噛みながら、静かに目を閉じる。気付けば微かに手が震えるていて、友希那は自分がこの先の言葉に恐れていることを自覚する。
(いいえ、何も恐れることでもない。この時が来るのは分かっていたことじゃない。──私はもう、歌うしかないのに)
だがそれを、心の弱さからくる震えを、湊友希那は握り潰す。そうして握り締めた拳を開けば、いつの間にか震えも消えていて、それを確認した友希那は目を開いて瀬名の問いに答えを返す。
「大丈夫、瀬名さん。教えて、今の私の喉の状態を。……私があと、どれだけ歌えるのかを」
夕暮れに染まる病院からの帰り道。友希那は一人俯きながら歩いていた。引きずるようにアスファルトを進むその足取りはとても重く、友希那の心もまた、鉛のように重かった。
(『よくてあと一年。その間に手術をしないと歌手は諦めた方がいい』……したとしてもまた歌える保証なんてないのに)
その重い心の原因、先程告げられた瀬名の言葉。歌に命を賭ける少女にとっての死刑宣告であるそれを友希那は思い返しながらそっと喉に手を当てて、ゆっくりと息を吸い喉を震わせる。
「La…LaLa…La…」
そして紡ぐのは友希那の父が遺した彼の憧れのバンドの最後の曲のワンコーラス。歌詞も失われたそれを懐かしむように、あるいは憎むようにして友希那は茜空に歌声を溶かす。
「La……っ」
けれどそれは不意に上擦った声と咳き込む音で終わりを迎え、友希那は壁に寄りかかる。それは幼馴染の家の塀の壁で、頭上に見える二階の窓に気づけば友希那の視線は向かっていた。
「もし、私の喉が普通の人と同じだったなら……今頃はリサと楽しく音楽をしてお父さんの曲を歌えていたのかしら。……こんな喉さえなかったのなら」
不意に友希那の口から出た言葉。それと共に微かに滲み始める視界、湧き上がる自分の喉の障碍への恨み、空想の中のあり得たかもしれない風景。それらが友希那の心の中に渦巻いて爪を立てて傷をつけて、瀬名に告げた筈の決意も揺らいでいく。
(駄目ね……分かってたことなのに、いざ本当に言われると弱音が出る。……ごめんなさい、お父さん、リサ。やっぱり私、強くなんてなれないよ)
亡き父と救ってくれた幼馴染に心の内で謝罪を述べながら、ますます滲む友希那の視界。そうして溢れ出る
「ゆーきな? どうしたの、こんなとこでさ?」
「リ……サ」
その声に溢れかけた涙を咄嗟に袖で拭い、ゆっくりと横を向けばそこには今友希那が最も会いたくて。けれど最も今見られたくない相手、今井リサがそこにいた。
(やっぱり、これまずいやつだ)
どうして嫌な予感ばかり当たってしまうのかと、友希那の顔を見た瞬間、リサはそう思った。リサの方を向く友希那の顔は酷く青ざめていて、涙を乱暴に拭ってしまったのか目元は赤くなり、塀に身体を預ける姿は今にも砕けそうな硝子のような印象をリサに与える。その姿に胸の奥が締め付けられるような痛みを感じながらそれを堪えてリサは呆然と自分を見つめる友希那に声をかける。
「どうしたの、友希那? 春とはいえまだ寒いし、家に戻ったら? ……もしかして、家の鍵忘れちゃった?」
アハハと笑いながらリサは心の内で思案する。果たして自分今ちゃんと笑えているのだろうか。出した声は上擦ってなかっただろうか。ちゃんと友希那の心の安らぎになれているのかを。
だけど、本当は聞きたかった。先ほど涙のこと、行ったであろう病院の結果、これからのこと。でも、それを聞くことを今の友希那は望んでないと思い、リサはいつもの自分を演じる。友希那が救われることを願って。
「……いいえ、それは大丈夫。ありがとう、リサ」
そして、アハハといつものように笑いかけてくれる幼馴染みを見て友希那はほんの少し安堵する。先ほどまで堪えてた涙について聞かれていたら、もう休もうなんて言われたら、歌わないでと止められたら。全てを投げ出してしまいそうで。
だからこそ、あえてそれを聞かないでくれるいつものリサの姿に友希那は救われたような気がした。これでまた、頑張れると。
「ごめんなさい、リサ。私戻るわね、今日の練習もしないといけないし」
「え、あっちょっと……待って!」
そうして直ぐに踵を返し自宅に入ろうとした友希那を、気づけばリサは大声で呼び止めていた。その急な声に驚いた友希那にも目もくれずに、それはまるでいつかの繰り返しのようにリサの口から言葉が紡がれ始めた。
「ねぇ友希那……その、病院で何かあったのかは分からないけどさ。アタシに出来ることなら何でも手伝うから! だから……一人で背負わないでよ。あの時言った事は、アタシの夢でもあるんだから」
それは、友希那のことを聞かないと決めたリサなりの妥協でもあり、今の関係からその先へと進むための決意の言葉。
その言葉に、ドアノブに伸ばした友希那の手が止まる。瞳から先ほど堪えた筈の涙が溢れて、大地を濡らす。
「いいの……?」
「え?」
「だって、私はこんな喉だし、まだメンバーも集まってないし、集まっても目標の場所に行くために強く言うこともあるだろうし……そんなのにリサを巻き込みたくなかった。けど……リサは、本当にいいの?」
気づけば、友希那の口から言葉が溢れていた。涙と嗚咽が混ざったその言葉が言い終わると同時に感じたのは衝撃と温かな抱擁だった。
「バカじゃないの!? アタシはそんなのでそんなので友希那から離れるわけないじゃん! そんなの、もうとっくにアタシは理解も覚悟もしてるから……思う存分友希那の夢に振り回させてよ」
「……ごめんなさいリサ。本当に、ありがとう……」
泣きながらそう言うリサの震える身体をそっと抱き返し、友希那も再び涙を流す。先ほどまでと意味の変わった涙を感じ合う二人の影を沈む夕日が長く伸ばしていた。
だいたいプロローグの終わりみたいなもの。