歴史ある秘社の、社殿を後に前庭に降りる。
玉砂利の上、中村翔意は、肌寒い富士の空気に、天を仰いでほうと息を吐きだした。
快晴の空、白く薄曇る呼気――自分と場違いな幹部連の居なくなったその先で、吐いた空気と同じハッキリしない表情で、先の会議の結論を思い返す。
今後彼は、今までの通常業務は継続、交渉時には同行する事になるが、調査や監査と言った業務からは今後外れる事になるらしい。
結果として、仕事量は大分減る事になるが、代わりに、自身の知覚力を引き出す為の占術、交渉人員の護衛を熟す為の戦力増強と言った修行を行わなければならなくなった。
いや、ならなくなったというのは間違いだろう。
GLZYTとの遭遇から暫くの間、“俺ら”全員に関わる事態の替えの効かない能力者であった彼は、半強制的に立場に着かされていたが、翔意の重要性はショタおじ他が“彼ら”の解析を進める度に減少し、今では少しレア程度に落ち着いている。
また、仮面の捕獲と言う功績もあり、その間に渡された装備や援助に対する弁済は、考えなくてよいとも言われていた。
だからその継続を選んだのは、彼自身の意志だ。
すでに、彼が
……そう言いだすよう操作されている可能性は無くはないが、“俺ら”全体に対する裏切り行為を除けば、全体的に極めて甘い対応を取るのが彼らの盟主、峰津院堂満である。
忙しい所に新しい案件を幾つも持ち込み紛糾させたとか、そう言った理由で多少印象が悪いだろう自覚は自身にもあったが、埋まった針を見つけ出したからと言って個人を沼に追い込むとか、そう言った事をする小さい人間ではないと彼は思う。
いや、大小は別として、“俺ら”の中に、彼が個別の人間とし尊重して扱っているものがどれだけいるだろうか?
図抜けた彼にとって、“俺ら”の総体とわずかな例外を除けば、水槽の中のザリガニと変わらない存在なのかもしれないと彼は思う。
なお、比較対象がザリガニなのに特に意味はない。
魚だと普通に人間の脅威になり得るために、ありふれて愛玩用として価値があり、弱い生き物として、最初に思い付いただけである。
とまれそんなわけで、続ける決断をしたのは彼自身。
その為に、毎週往復直線距離で300キロ強を走る必要が産まれたが、それも投げ出すべきではない自分自身の決定なのだ。
「300Kかぁ……」
とは言え予定は一泊二日、片道百五十キロ。
空路に信号はない為、愛車を本気で飛ばせば、片道一時間かからない計算である。
ぶっちゃけその程度であれば、自転車ガチ勢は普通に走っているだろう。
今後、彼や自転車のレベルが上がれば更には短縮されるだろうし、そもそも今現在の操縦技術にもまだまだ改良の余地はある。
――トレーニングに丁度良い
連合自転車部辺りの人間はそう言うかもしれないが、自転車乗りとしては半端な彼には、正直三百と言う字面は非常に重かった。
「だがまぁ、自分で決めた事だからな」
そう言って玉砂利を踏みしめ、彼は歩いて境内を出る。
そうして山梨支部の実務関連エリアを外枠へへ抜けると、そこには趣味用に増設されたプレハブ等が立ち並ぶサークルエリアがあった。
左右道を確かめながらそこを通り抜け、翔意はその一棟の前でその足を止める。
ガイア連合自転車部――木板に中々の達筆で記された看板を確かめ、その扉を叩いた。
「おう、勝手に入っとくれや」
答える声に大きな両扉を開けると、中にはコンクリ床の整備施設と、林立し吊り下げられて周囲を埋める、パーツの山やフレームの群れが立ち並んでいた。
その整備場の中心には、車輪を外され逆さに立てられた
「おう、義腕ニキ、会議は終わったのかい?」
「はい、生松部長」
その中心、つるりと光る禿頭が振り返り、翔意はそれに片手を上げた。
――今のところ問題は無いようだが、何か見えない不具合があるかもしれない。
そんな危惧から、この山梨滞在中、翔意はWildHuntを自転車部に里帰りさせている。
その様子を見に来た彼に声を掛けた、このちょっとボヤッキーっぽい禿頭の中年が、その部長の生松氏。0.1秒でも速く走る為、全身の体毛と体毛を剃り落した元ロードレーサー、現自転車ビルダー兼ガイア連合の転生覚醒者である。
なお、メットの下の髪の毛迄剃るのは余りないが、極僅かな抵抗も惜しんで、腕毛足毛を剃るのはロードレーサーにとって割と珍しくない事だったりする。
「どうやら暫く、土日はこちらと往復する事になりそうです」
「ほぉ、義腕ニキとコイツの力を考えりゃあ、軽いウォーミングアップってとこか?」
そう予定を告げる翔意に、彼はにやりと笑って想像に近い答を返した。
「僕的には、数字を見るだけでゲンナリしますけどね」
「なに、意識する所を抑えて、一通りフォームが定まれば楽になるさ。
……おい、
「はい、先生。ただいま」
生松の言葉に、シキガミだろうか? 金髪小柄なツナギの少女がパーツの森の奥へ歩いて行くと、その背を見送り彼は、ふむん、息を吐く。そうして翔意にその頭を下げた。
「コイツの件は済まなかった。正直、自転車としての性能よりも、もっと使い手や、コイツ自身の事を考えるべきだったと反省してる」
「……はい?」
「戦場への急行にも使うのに、戦闘度外視の設計したのはこっちのミスだろって話だ。
悪目立ちも含めて、俺にゃ自転車としての性能しか見えてなかった」
何か思う所があるのか、そう言って由見と呼ばれた少女が消えた扉へ目を向ける彼に、翔意はいいえと首を横に振る。
「ちょっと目立ちますけど、飛行とリベラマのあの応用?でお釣りが来ますし、戦闘については、どんな仕様だったとしてもレベル差があり過ぎましたからね。
今となっては、コイツで良かったと思ってますよ」
「そう言って貰えるのはありがたいが、こっちも『ならいい』とは答えられねぇんでな。
事後承諾で悪いが、少しばかり悪あがきさせてもらったぜ?
……こういう時、パーツ組み換え前提の構造は楽でいいやな」
そんな少年にいやと首を横に振り、生松はそう答えた。
二人がそうしてる間に、他の部員達は手早くタイヤを組みつけ、軽くブレーキを調整する。
「修理調整ではなく、悪あがき、ですか?」
そうして降ろされ、そのままこちらに自走してきた
舵を取り前輪を繋ぐフォークはも、細すぎる感のあったタイヤも、以前の物と比べて太い。ホイールも、前の
「ま、単に出来合いのとの組み替えだし、元のパーツと引換だから気にすんな」
「そんな事言って、部長は秘蔵のパーツを放出してますけどね」
そう、鼻の下をこすりながら言う中年を、背後の仲間達が混ぜ返す。
「うっせーよ!
つうか、元のもスポンサーがいて悪魔素材奢ったから、価値を言うならトントンだ。
むしろ、シキガミへの組み込みと戦闘経験、損傷、治癒魔法での回復、レベル上昇と、資料価値を考えると、そっちの方が持ち出しかもしれねぇ。こいつはマジでな」
振り返りもせずにそれをどやしつけ、男はそう続けた。
「ディスクは、空力は良いが横風に弱いってんで、前のはスポークだったたんだが、結界の空力効果が予想以上なんで、今回、
やっぱ、単なる付与品とシキガミの管制有りとでは柔軟性がダンチになるな」
なお、耐性強めと言うのは、そう言った力を扱う悪魔のドロップには、データに現れるほどではなくとも、そう言った属性に強い素材があるという事らしい。
「フォークとタイヤも、今回からはシクロ用の、物理耐性高めの素材の奴に変えたから、重量は多少増えたが、前より乗り味も柔らかく、力は入り易くなると思う。
重量増は、明日レベリングしてカバーする算段だ。データ取りや慣らしをかねてな」
「それはありがたい話ですが、いいのですか?」
「自転車素体シキガミはまだまだ少ねぇし、低性能の製造班製が殆どだからな。
むしろ、高性能版のデータ取りにはちょうどいい。
……どいつもこいつも、嫁だのなんだのと情けねぇ話だよなぁ」
「ツンデレ発言きましたー」
「ドワーフ少女型シキガミを使ってるブーメラン使いはここですか?」
「なら由見ちゃんは俺にください」
「テメェらダァってろ!」
掲示板ノリで後ろから刺す身内を再び怒鳴りつけ、生松は手袋を外し胸ポケットから二つ折りのメモ書き取り出した。
渡された紙を開くと、そこにはURLとパスワードが記されている。
「それはウチの部のデータベースのURLとゲストパスだ。
自転車のスキル挙動データもあるから、ガチャやカード取引の参考にはなる――とは言え、空を走らせる関係で適性の幅は大分狭くなってるがな。それと……」
「……それと、なんですか?」
そう言って言葉を切ると男は困った風に額に手を置いた。
そう促されて尚、迷った風に首を振り、ややあってからこう口を開く。
「スキルカードなんだが、お前さんと取引したいって奴らがウチに仲介を頼んで来ていてな。個人的にはあんまりお勧めし難いんだが、腕は確かだし、効率のいい強化や変な勧誘を避けるのが目的なら利用価値はあるから、ちぃと困ってる」
「僕に?どんなサークルが、ですか?」
「サークルっつぅか、魔窟っつうか、製造班の有志一同で、名前はないんだがな。
なんつーか、一言でいうと」
「一言でいうと?」
「……東映特撮ファンクラブだ」
問い返す翔意に生松は、嫌そうにその禿頭を掻きながら、やっとそう口にした。
・飛行型自転車と百五十キロ
宇都宮東京間往復よりだいぶ短く、自転車ガチ勢なら普通に走る走行距離。
……直線距離だと宇都宮-富士山麓は思ってたよりかなり近い。換算すると、ワイが休日、ちょっと遠い所まで買い物に行くくらいの感覚になるなぁと思って驚いた。
そうか、自転車への適応が進めば、今の能力でもちょっとそこまで位の感覚で神社まで往復できるんか、コイツ。能力設定間違ったかなぁ。
・本気で飛ばせば片道一時間
近いレギュレーションの競技記録の大凡三倍……と書くと余り差は無いように見えるが、空気抵抗の問題は速度が上がるほど深刻になる。
ああいや、風圧緩和結界ある設定だし、競技場と違ってカーブないし、そもそも車体が一番尖ってた時期のエアロロードだし、しかもパワーアシスト付きだし? 諸々勘案すると、世界記録の倍行かない気がしてきたな(汗)。一周廻って設定は合ってたのか?
・山梨支部
これを書き始めた頃、富士山のどこら辺に入るんやろか、移動ルートはどうなるやろかと地図引っ繰り返したのだが、リアル側にはそんな隙間はないでFAした。
多分観光道路から、演習場と観光登山ルートの狭間辺りに横入りするのだと思うが、施設規模や資材搬入を考えると、幾ら結界あっても普通に気付くやろってなる。
基幹施設以外の大半は、麓の富士吉田市とかにあるのかねぇ……。
・自転車部部室
終末結界引き籠り構想とか考えても、支部施設の周辺には個人サークルの立てたプレハヴ小屋とか立ち並んでるのではと思った。
自転車部は、パーツ生産で製造班施設を借りるが、組み立てなどは基本、プレハブの部室で行う。工場でなければ組みつけられないような自転車が、終末に運用できるとはとても思えないからだ。
・生松氏
自転車競技選手、ビルダー、転生者。欧州、アメリカでも活躍していた為に、国内の“俺ら”より終末やメシアの脅威を強く肌で感じており、最初の覚醒オフにも参加した。
前世はショップチームとかやってる自転車屋だったらしい。
当初は戦闘職寄りの覚醒者だったが、ファンタジー素材目的で初シキガミにドワーフ技術者を注文したところ、縦ロールの姫を持って来られてガチギレ。
外注ではダメだと学習し、以降は製作等技術面にも力を入れている。
キャラの外見モデルは、ぼくらの、なるたる等、暗い漫画を書く事に定評がある漫画家、鬼頭莫宏氏の、珍しく暗くない自転車漫画、のりりんの登場人物である老松さん。
ただし、ハゲを気にして毛剃りを拒んでいた彼とは異なり、グラムを争う競技自転車プロだったので、全身ツンツルテンである。
なお、環境の違いか、それとも遺伝的なものか、原型と違い彼は禿げなかった。
習慣として今も剃り続けているが、いっそ禿げれば楽なのにとか思っている。
なお、名前が生松氏なのは、元型の下の名とのりりん五巻が見つからず、流れ的にもフルネームがが登場するならその辺りっぽいので、書かずに誤魔化している為……orz。
・生松由見
ドワーフのコアを持つ生松氏のシキガミ。名字は便宜上で、籍を入れたわけではない。
モデルはクイーンズブレードに登場する鋼鉄姫ユーミル。
元キャラは金属精錬及び鍛冶、錬金術?がメインのようだが、主が自転車に全てを賭した変態なので、娘兼弟子枠として自転車に適応させられている。
工房で働かせる、自転車を扱う、後はお任せで注文された技術者ドワーフ……なのだが、回転系を扱う工房に、よりによってマンガ系糞デカ縦ロールを引き渡した結果、初対面の主に『コレを工房に入れる積りか!』と(製造班が)ガチギレされた悲しい過去がある。
なので、ユーミルモチーフだが、髪の毛はショートで服装ももっぱらツナギ。
口調も『変なキャラ付けはいい』の一言で普通になった。
……三次での製造班の悪ノリ見るとこういうの在りそうだなぁと思って設定したが、自分で書いててどっちもちょっとかわいそう。
なお、自転車部製の特殊なタイヤは、ほぼ彼女の手作り。
猫の足音や岩の根、鳥の涎などからグレイプニルを織った逸話を持つドワーフベースの彼女なら、繊維向きではない素材もタイヤの芯材に加工できる為、自然そうなった。
今話の最後にちょっと出た、他称“東映特撮ファンクラブ”と生松氏に繋がりがあるのも、車やオートバイ用特殊タイヤの芯材作成を彼女が時折請け負っている為。
・WildHuntVer2
前輪後輪とフロントフォークを、対物理の一回り太いものに変え、その重量変動を吸収するため、自転車部による軽いレベリングが施されている。
ドンドン影が薄くなる初代シキガミを差し置いて、強化改造されてしまった。
あと地味に、対白マスク戦の経験で突進(葛葉ライドウ)を覚えている。
・東映特撮ファンクラブ(仮)
それぞれジャンルや方向性が違うのだが、今のところ特撮再現勢が一番目立っているので生松にそう評された“造りたいものがあるから製造班に入った俺ら”の集まり。
性能や安全性より、見栄えや再現性を気にする者が結構いる上、工房に縦ロールを持ち込もうとした馬鹿もこのメンバーだったので、生松氏はあまり彼らが好きではない。
人類悪降臨……と言うか、悪魔由来の欲望全振りとか、ストッパーの無さとか、転生者の負の面を代表する人間達ではないかと感じる事がある連中。