Breathtaking view with Silence. 作:今無ヅイ
『さぁいよいよ最後の直線!先頭は〝孤高の逃亡者〟エボニーアイリスです!』
─あぁ、前にも横にも、後ろにすら誰もいない、この景色─
『これは決まったか!後ろは大きく離れたぞ!およそ8バ身差!影すら踏ませない走りだ!』
─ただの一度だって、誰にも譲ってやるもんか、こんな絶景─
『さあエボニーアイリス最後の直線へ……ああっ!!!て、転倒!エボニーアイリス、転倒しました!なんということだ!夢のグランプリが一転、悪夢へと転落してしまいました!」
─ただの、一度だって─
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「私を講師に?ここの?」
ここの門をくぐるのは何年ぶりだろうか、一体今の私に何の用なんだろうか、そんなのんきな私の疑問を吹き飛ばすような提案を出してきたのは理事長だった。
「肯定ッ!私は全てのウマ娘が輝ける、そんな新しいレースを開催するッ!それには、君のような先達が不可欠だと確信したッ!」
全てのウマ娘が輝ける、ねぇ。少しばかり、自嘲気味に心の中で笑う。
「トレーナーとウマ娘は二人三脚、一心同体。それでも、ウマ娘にしかわからないことはたくさんあります」
理事長の横にいた秘書、たづなさんが話し出す。
「その視点の差異、心のギャップ。……そのせいで結果を出せず、ここを去るウマ娘たちがたくさんいることはよくご存じだと思います」
入学しトレーナーが決まり、そしてメイクデビューが果たせず、未勝利のまま学園を去っていくウマ娘たちは毎年たくさんいる。私の同期にも、たくさんいた。
「故にッ!君の力を貸してほしい。走ることを誰よりも愛していた君にとって耐え難いことかもしれない。だが、それでも!君の後に続く者たちのために、どうか力を貸してはくれないだろうか!」
理事長は純粋だ。そしてウマ娘への愛も、純粋だ。
まるで一点の曇りもない、その純粋さに少しばかりためらう。
「……私が、教える側になれると思いますか?こんな姿で」
キィキィと椅子を─車椅子を─鳴らす。
トゥインクルシリーズ、最後の宝塚記念。前日の雨のせいで出来たぬかるみに足を取られ、トップスピードのまま転倒。内埒に突っ込み、そのまま半身不随、片耳も喪った。そんな姿を、未来に希望をもつウマ娘たちが見たらどう思うだろうか。少なくとも、私だったら走るのが怖くなる。
「君だからこそ、伝えられることがあると確信している。それは、ケガの恐ろしさでも、結果を残せなかった無念でもない。……悪いお手本として、反面教師として君にいてほしいというわけでは断じてないッ!」
語気を強めた理事長が扇子をぴしゃりと閉じて告げる。
「君のレースへの情熱、覚悟、精神。その全てを伝えてほしい!君が得たものを、その魂を、未来に継承してほしいのだ!中央のトレーナーライセンスを取得したのは、心残りからではないと私は確信している!」
未来へ、継承。なんとまあ、大仰な言葉が出てきたものだ、と思う。
実に、理事長らしい言葉だ。
私を過去の反省にするのではなく、私をただ純粋に先へと駆けるウマ娘たちへの先達として、ここに存在していてくれという言葉だ。
あの事故以降、何かくすぶっていた。どうしようもうないと諦めていた。走れないウマ娘に何か価値があるのかと考えていた。立つことができない自分が何かをなせるのかと考えていた。あのぬかるみに気付いていたら、バ場状態を見ていればなんて、そんなたらればを何万回考えたことか。
心の中が久しぶりに、熱くなるのを感じる。
あぁ、私はどうしても、やっぱり、如何ともしがたい、負けず嫌いなウマ娘なのだ。
「それでは、学園の中をご案内……は、必要ないですね」
理事長秘書のたづなさんに車いすを押してもらいながら、学園の中を久しぶりに見て回る。何も変わってないなあ、なんて少し感慨にふけりながら窓から外を見ると、やけに大きな人だかりができていた。
「そういえば、今日は選抜レースの日ですね。少し覗いてみますか?後輩たちの走りを」
後輩か。そういえば先輩も後輩も、この学園にいたときは考えたことなかったなあ…。
是非お願いします、というと選抜レースが行われている競技場の、一番人だかりが多いところ、そのゴール地点まで案内してくれた。
「どうですか、アイリスさん。見えますか?」
「はい、よく見えます。……みんな、いい顔をしていますね」
改めて、こうやってレースを見るのは久しぶりだ。いや、もしかしたら初めてかもしれない。現役時代も当時のトレーナーに散々言われたのに結局他のレースの研究なんてしなかったなあ……。などとぼんやり考えていると、ばん、とゲートが開く音がした。
さてさて、一応私、現役時代はそこそこ強かったんだぞ、と思っていた、少し思い上がっていた私の心を一瞬で魅了したのは、一人のウマ娘だった。
ゲートが開くと同時。ふっと、風が吹くようにスタートしたその身体は第一コーナー、第二コーナー、第三コーナーを回ってもなお先頭にあり、第四コーナーを回った直線に入った時に二番手はいまだコーナーの途中であった。
そしてその勢いのまま、最終直線をまるで一人で走っているかのように、一着を取ったのだった。
歓声が三割、どよめきが七割の見学席。多くのトレーナーが彼女を見ている。間違い無く速い。
速いが、あんな大逃げ、トゥインクルシリーズで通用するのだろうか?という疑問符が浮かんでいるのが見て取れた。
「すごい走りでしたね……きっと将来有望な……アイリスさん?」
でも、私はそんなものどうでもよかった。タイムがどうとか、作戦がどうとか、逃げだの差しだの気性だの、そんなものはどうでもよかった。
─この時、ただただ、彼女が走る景色に魅了されてしまったのだ。
「たづなさん」
気づいた時には、すでに声を発していた。
「先ほどの理事長の話。残念ですけどお断りします。」
ええっ!と大きな声を上げるたづなさん。
それもそうだろう、たった五分前に快諾したばかりなのだから。
でも、この五分は、私の心の炎に別のものをくべてしまったのだ。
「代わりに、トレーナーをさせてください。私の景色を、あの子に継承します」
彼女が走る景色という、新しくて激しく燃えるものを。講師なんかで、とどまってたまるか。私は彼女と走りたい。走りたいんだ。どこまでも走っていけるような、あの走りを一番近くで見ていたいのだ。
それが、私のエゴだとしても。いや、エゴだからこそ、一位にこだわるウマ娘だからこそ、私は彼女と一緒にいたいと、強く思った。
理事長に掛け合ったところ、一瞬で快諾された。
というより、まるであらかじめ知っていたかのような口ぶりだった。もしかしてわざとか?初めからトレーナーとして雇う気だったのでは?などと考えながら、レース後の彼女の元へ向かう。
予想通り、そこにはトレーナーと取材陣が集まっており是非自分のチームに、是非トレーナー契約を、と口々に言いあっていた。
そういえば、私は彼女の名前すら知らない。しかし、それは些細なことだ。
トレーナーたちの後ろから、車椅子に乗ったまま、思いのたけを叫ぶ。今にして思えば大仰だったかもしれないと思う。それでも、その言葉に偽りがないことは確信していた。
「私と一緒に、輝く景色を!その先の景色を!ずっとずっと先の景色を見よう!」
少し大きな声を出しすぎたか、しんと静まり返ってしまう。あ、やっべ、ちょっと大声出しすぎた。
静まり返ってから、おおよそ十秒。かつんかつんという余りにも聞き慣れた久しぶりに聞く足音が近づいてくる。
「トレーナーさん。お名前はなんというのでしょうか」
走る姿と同じく、なんて静かで、無垢な声だろう。
「私はエボニーアイリス。アイリスでいい」
私の名前を聞いてトレーナーと取材陣たちが少しばかりざわめく。なんだ、私の名前まだ少しは有名なのかな?
「では、アイリストレーナー。ずっとずっと先の景色を、とおっしゃいましたね。それは……その、どういった景色、なのでしょうか」
彼女の声を聴いて二言目、静かで無垢だが、熱が伝わる声。きっと彼女も私とおんなじなのだ。辿り着けないほどの道の先にきっとある、先の景色を見たいのだ。
「前にも横にも、後ろにも誰もいない。まるでターフを独り占めにしているような景色。私が今まで見てきた景色。誰にだって譲るもんかと思えるほどの絶景!」
彼女の目を見つめる。車椅子に座っている私と、目の前に立っている彼女の目線が交わる。彼女の目はまっすぐで、嫌味が無い。
「それを、あなたと一緒に見たい!私が今まで見てきた景色を、あなたに伝えたい!私が見続けたかった景色を、あなたと見たい!」
私がそう言うと、彼女は静かに微笑んで、そしてこう言った。
「わかりました。アイリストレーナー。一緒に、見に行きましょう。きっと、私たちはおんなじですから」
そして、どちらからではなく同時に手を差し出し、握手をする。言葉数こそ少ないが、それでも私たちは今、わかりあえたことがある。
つまり、トレーナー契約の成立だ。
「あのエボニーアイリスがサイレンススズカのトレーナーに……!」
「今年のトゥインクルシリーズは見逃せないぞ、これは……!」
その場にいたトレーナーたち、取材陣たちが息を飲んだのが伝わる。聞こえてくる。私に、私たちに驚いているのが分かる。期待、不安、衝撃、色んな感情をこめて、息を飲んでいるのだ。
「そういえば、すまない。君の名前を聞いていなかった」
握手を交わしたところで、そういえば名前すら聞いていなかったことを思い出す。
「私は」
きゅ、と右手を胸の前で握る。
そして、静かで無垢で、燃え上がるような声色で
「私の名前はサイレンススズカです。先頭の景色は、誰にも譲りません」
私にすら宣戦布告するような口ぶりで、そう言ったのだった。