落伍者たちのロードムービー 作:野生の虚妄クトゥム
天井照明の褪せた白い光がまぶた越しに網膜にちらつく。小さく呻きながら上半身を起こしたアネゴは額に手を当て、視界の回復を待って佇んだ。
「……あ、アネゴおはよ。もう大丈夫?」
「あァ、ちょっとふらつくけどな」
ノッポの声に答えながら、光に慣れ始めた目でアネゴは周囲を見渡す。建物内だが地下室ではない。ロッカーや業務机、パイプ椅子などが雑多に置かれた物置のような場所だった。
「ここはバイト先コンビニのスタッフルーム。店長には許可もらってるからアネゴがいても大丈夫」
「悪ィな、またアタシが一番にネンネか」
「いつもの事だし、もう慣れた。それに一番身体張ってるのもアネゴでしょ」
「さて、な」
ひとつ伸びをして、アネゴは立ち上がる。彼女が寝ていたのは3つ並べられたパイプ椅子の即席ベッドだった。
「で、喧嘩はどうなったんだ」
「うん、アネゴが気絶した後──」
「ノッポちゃん手伝ってぇー! あ! アネゴ起きたんだね! 良かったー!」
部屋の扉が勢いよく開けられてチビが入ってくる。泣き顔で入ってきた彼女だったが、アネゴの姿を見るや否や喜色満面になり、笑顔で駆け寄ってきた。
「おう、さっきな」
「じゃあじゃあ、アネゴも来て! 見せたいものがあるんだ!」
「ほーう? なんだそりゃ、喧嘩の結果より大事なことかァ?」
「わぷ、えへ……結果よりというか、結果が作った光景かな?」
がっしと頭を掴んだアネゴは、チビの髪をワシワシと乱暴に撫で回す。ふやけた笑顔でとろけながら、それを全面的に受け入れてチビはご満悦な表情で堪能していた。
「ヘェ?」
「はぁ……まあ、あの後色々あって、結局あの大人は倒されて、今はその後始末っていうか」
ため息をついて、ノッポはアネゴに肩を貸す。チビもひと通りナデナデを堪能したのち、アネゴの手を取ってそのまま肩に回した。ふたりがかりでアネゴを支えながら、3人はスタッフルームを出て、コンビニも抜けて外に出る。
「その、アネゴがぶっ飛ばした奴の影響が残ってるままなの、嫌だから」
「みんなでチョーカーを外してたんだよ!」
夕暮れ時のコンビニ前駐車場には、敷地いっぱいまでブルーシートが広げられていた。そこにはかつて首領の配下だった生徒たちや不良、そしてセーラー服とブレザー服の不良たちにコンビニを襲ったチンピラたちまでが勢ぞろいし、チョーカー外しを全員でやっていたのであった。
「もっと首捻れって、髪切っちまうぞ!」
「うう、跡になってる~! なんとか誤魔化せない?」
「自由だー! 学校に帰れるー! やったー!」
彼女たちは生徒も不良も関係なく、ハサミやカッターで首元の電撃チョーカーを切ったりちぎったりして取り外している。外されたチョーカーは山積みにされ、その側でコンビニの店長がゴミの山を眺めながら途方に暮れていた。
「店長、戻ったよ」
「え? ああっノッポちゃん! いやー困るよ急にこんなことされたらさあ!?」
「荒事じゃないからいいでしょ。それに多分、治安も良くなってバイトも増えるんじゃない?」
「えー、そうかい? それならまあ、うーん……」
顎に手を当てて考え始めた店長を通り過ぎた一行は、まだまだチョーカーに苦しめられている生徒たちの前まで移動した。
「みんなお待たせ! うまく外せない人はどこかな?」
「あ、チビちゃん帰ってきた! 私の妙に固くて切れないのー!」
「おい、あたしのも外してくれ。ハサミの方が刃こぼれしちまった」
「はいはい、今行くからねー」
アネゴをゆっくりと座らせた後、チビはバッグから巨大ニッパーを取り出して生徒たちの方へ向かっていく。アネゴは脚を組み、腕も組んで、走っていったチビを見送った。
「ノッポはいいのか」
「もちろん、私もやるよ。でも……」
周囲とアネゴを交互に見比べ、ノッポは迷いを見せる。それに気付いたアネゴはバシッとノッポの膝裏を強く叩き、ニッと笑った。
「連れ出しといてンな顔すんな! お前も不良なら、一度決めたことから目を離すんじゃねェ!」
「アネゴ……うん、そうだよね。ありがとう、行ってくる」
スカートポケットからハサミを取り出し、ノッポもチョーカー外しの戦列に加わる。それを眺めたアネゴは満足気な表情で仰向けに倒れ、空を仰いだ。
(……今日の喧嘩は負けか。まだまだ、気合が足りねェな……)
まぶたを閉じ、深呼吸する。鉄の匂いが肺いっぱいに広がり、それがアネゴの思考を鈍化させる。
(……)
「……あ、あのっ!」
まぶたを開く。ひとりの生徒がアネゴを覗き込んでいた。アネゴを監視し、そして首領に最初に反抗した生徒である。
「えっと、アネゴさん……ですよね? さっき、声が聞こえて」
「あァ、お前は……」
体を起こし、アネゴは生徒を見上げる。
「あの、ありがとうございました……! あなたがあの大人に立ち向かわなかったら、私たちは……」
「お前、ナイスガッツだったぜ」
「……へ?」
「よっ、と」
痛む腕に力を入れ、立ち上がったアネゴは生徒と向き合う。彼女は不敵な笑みを浮かべ、生徒の肩に手を置いた。
「今日の喧嘩は、お前らの勝ちだ」
力の抜けた手が生徒の肩から落ち、ぷらんと垂れ下がる。突然の行動に気を取られた生徒は力なく垂れ下がるアネゴの腕に目を見開き、顔を伏せた。
「……どうしたら」
「ん?」
「その、どうしたらあなたみたいに強くなれますか? 嫌な大人に嫌って言えるくらい、強くなれますか……?」
震える体は、首領が与えた様々な罰をトラウマとして思い出していた。そんな生徒にアネゴは近づき、顔を片手で上げさせる。
「え?」
「大人も子供も関係ねェ、アタシはただ誰にも譲れねェ意地を張ってるだけさ」
涙に濡れる生徒の瞳をまっすぐ見据え、アネゴは叫ぶ。
「誰が相手だろうが嫌なモンは嫌って言えッ! テメェの意地を張って張って、張りまくって! 押し退けたならお前の勝ちだッ!」
「……!」
生徒の目がきらめいた。それは一瞬で、小さな輝きだったが……アネゴの熱が確かに点けた、小さな火種だった。
「はい……はいっ! ありがとうございます……! 私、強くなります! 自分の青春を守れるくらい、強くなりますっ!」
「そうか、頑張れよ」
「はいっ!」
アネゴから離れ、深くお辞儀をした後、生徒はチョーカー外しの群れに紛れに行った。それを見送るアネゴの表情は、少し柔らかいものになっていた。
(……なんてな。アタシは強くなんかねェ)
彼女の浮かべる笑みはいつもの不敵なものではなく、少し自嘲気味なものになりつつあった。
(アタシが『アネゴ』でいられるのは、あの時胸に誓った覚悟と……
ブルーシートに腰を落とし、チョーカーのゴミ山を見上げながら、アネゴは胸に手を当てて強く握りしめる。
(アタシの意地がどこまで張れるか、いつまで張れるのかわからねェが……まだ、終われねェよな)
「アネゴー!」
「やっと終わった……」
大きく手を振ってアネゴを呼ぶチビと、手を腰に当ててため息をつくノッポが近づいてくる。それに気付いたアネゴは手を上げてひらひらと動かし、いつもの不敵な笑みを浮かべて彼女たちを出迎えた。
「もう終わったのか?」
「うん、もう誰もあの悪趣味なチョーカーを着けてない」
「後で分別しないとねー」
立ち上がったアネゴはふたりの背中を叩き、そのままチョーカーを外し終えた生徒や不良たちと相対する。
「助かりました! ありがとうございます!」
「セーラー至上主義ともあろうものが流れの不良に手を借りてしまうとはね」
「ブレザー原理主義ともあろう私たちが流れのセーラー服に借りを作っちまうとはな」
「ヘッ、借りなんてどうでもいいぜ。それよりも」
動く片腕の拳を握ってアネゴは不良たちを睨みつける。その目は楽しそうに笑っていた。
「気に入らねェ奴はぶっ飛ばしたが……まだアタシたちの喧嘩は決着ついてねェよな?」
「──ハッ! 腕も動かねぇ奴が何を言いやがる!」
「そっちも片目が開いてないみたいだけど……」
「忘れちゃいねぇさ、そうだよなぁデカ女ぁ!」
「しつこい……」
セーラー服の不良が、ブレザー服の不良が、コンビニを襲ったチンピラたちが、獰猛な笑みを浮かべて己の武器を取り出す。誰も彼もが傷だらけで、満身創痍だった。だがそれは、喧嘩を止める理由にはならなかった。
「な、なんで!? 一緒に悪い大人をやっつけた仲ですよね!?」
「不良じゃねェのは引っ込んでなァッ! やるぞ、チビ! ノッポ!」
「ま、最初はウチたちの喧嘩だったからねぇ」
「……はぁ。まあ、やらないって選択肢は無いけども」
チビたちも自分の銃を取り出し、臨戦態勢に入る。それを確認したアネゴは口角を釣り上げ、拳を空に掲げた。
「テメェら全員アネゴ団がぶっ飛ばしてやらァッ!」
「──っていうことがあったんだ。やっと助かったのにこの世が終わるかと思ったんだけど、案外あっさり終わっちゃって」
「……」
コンビニの制服から着替えながら、この近辺の学校に通う生徒はバイトの後輩に語りかける。
「考えてみたらみんな疲れてただろうから、当然なんだろうけどね。よし、それじゃ次のシフトよろしくね、サオリちゃん!」
「……ああ」
「教えられるところは教えたと思うけど、分からないところがあったらいつでも連絡くれていいからね?」
学生服に着替え終わった生徒はバッグの紐を肩にかけ、靴のかかとを軽く整えてバイトの後輩──コンビニ制服姿の錠前サオリに振り返った。
「まあ、授業中だからすぐ出れるかはわかんないけど……初コンビニバイト、頑張って!」
サオリが頷いたのを確認し、生徒はスタッフルームから退出していった。残されたサオリは手元の分厚い業務マニュアルに目を落とし、それから天を仰いだ。
(……世界は意外と狭いな。それに、団を作っていたのか、あいつ)
「失礼するよ、サオリちゃん大丈夫そう? いやー不良の子にも真面目な子はいるもんだね。平日この時間に入ってもらえるのは助かるよ。あ、ここに置いてあるBDは休憩中なら好きに使っていいからね」
「店長か。ああ、仕事は必ず完遂してみせるつもりだ」
「良い返事だね、頼りにしてるよ。じゃ、私はここで仕事してるから荒事とゴミ回収以外のトラブルが起きたら呼んでね」
「承知した。……ゴミ回収?」
頭にはてなを浮かべながらも、サオリはスタッフルームを抜けてレジカウンターへと向かった。
……その頃、話題に出されていたアネゴ団はというと。
「全財産……2円になっちまった……」
「アネゴ、駄菓子買ったでしょ」
「バイトも何もなくなっちゃったもんねー。ノッポちゃんが稼いでくれた日当のおかげで、弾薬だけはなんとか補充できたけども」
ボロボロの状態で路地裏をさまよっていた。黒のセーラー服は全体的に破れかけており、その隙間から見える肌には擦り傷や青あざがいくつも出来ていた。
「……だーッ! 次だ次、こんなところで立ち止まってられッかァ!」
「そう言うと思って、もう目星はつけて──」
「あ、今度はもっとこういう──」
だが、傷だらけでも彼女たちは活き活きと、騒がしく進んでいく。それがアネゴ団という不良の生き様であり、生き方だった。
これは彼女たちがキヴォトスで歩む軌跡の物語、そしてごくありふれた小さな日常。どんなに傷つき苦境に立たされたとしても、アネゴ団の歩みは彼女たちが望む限り、続いていく──。