【完結】サクラチルミライコイガサネ   作:食卓塩少佐

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❸MATCH

 

「くわあああああん! 聞いてくれよ2人ともー!!」

 

 お昼休みの食堂で、沓掛は友人2人に愚痴をこぼしていた。

 

「はいはい、今日は何だ?」

「追試には付き合わないぞ。俺も試合が近いからな」

 

 環と踏鞴庭は軽くあしらいつつ、お昼ご飯を食べている。

 

「追試じゃねえよ! 今回は珍しく赤点回避したんだから」

 

 自分で言うのもどうなのかと言う話だが、毎回赤点をたたき出しては補習を食らって、進級すら危うい沓掛が赤点回避というのは、確かに珍しい。

 

「ほわぁ~、明日は雪かな?」

「勘弁願いたいところだ。防具と竹刀持ちながら雪の上歩くのは大変なんだぞ」

 

 本気で感心する環と、それに便乗して沓掛をからかう踏鞴庭。

 

「降らねえよ雪なんて! そうじゃなくて、フラれたんだよ!」

「どっちだよ」

「雪じゃねえって! 女子に!」

「はっはっは、怒るな怒るな」

 

 顔を真っ赤にして憤慨する沓掛を笑顔で環揶揄いつつも、環の背中には嫌な汗が垂れていた。

 

 正直な話、今はフッたフラれたの話をするのに抵抗があった。

 環自身つい昨日、紅梨主を手酷くフッたばかりなのだから。

 しかしそんな彼の事情など、他の2人が知るはずも無い。

 

「沓掛。お前はまた性懲りも無く……だから、衝動的に告白するのはよせと言っただろう」

「今回は衝動的じゃねえよ! 前からマジで関わりのある子だったんだから!」

「前からとはいつからだ? 言っておくが、1週間前は最近だし、1ヶ月前でも到底深い付き合いとは言えないぞ」

「幼稚園の時からの幼馴染! 小さい時からの!」

「ウヴホァッ!」

 

 踏鞴庭に任せて聴き専に回っていた環が、盛大に咽せ散らかした。

 ただでさえ今は避けたい話題なのに、よりによって内容が内容だ、ノーリアクションで居られるわけが無い。

 

「え……枯園、どうした?」

「ゲホッゴホッ……いや、ちょっと誤嚥した、気にしないでくれ」

「そ、そうか。気をつけて飲めよ? 誤嚥性肺炎は怖いからな」

 

 目に涙を浮かべながら話す環に困惑しつつも、2人は気を取り直して話を再開した。

 

「それで? その幼馴染とはどんな流れでフラれたんだ」

「フラれたのを結末に置いて質問しないでくれよ……まぁ、委員会活動が同じでさぁ、昨日2人だけで教室回ってたんだわ」

「そこで良い雰囲気になったから告白した、そうだな?」

「え? なんでわかったん? エスパーかお前」

「毎回同じパターンだからだ……」

 

 呆れて肩をすくめる踏鞴庭。

 沓掛は“そんな事無いだろ”と心外そうに言った後、大きくため息をついた。

 

「向こうは何つったと思う? “告白するのが遅かった”だと」

「む? ん? 遅いとはつまりなんだ、向こうは既に彼氏持ちだったか」

「そゆこと。しかも……しかもな……」

 

 そこで一度言葉を止めてから、拳を握り締めて言葉を続けた。

 

「ちょっと前まで俺が告白するのを待ってたんだと! あんまりにも俺が他の女の子に告ってばかりだったから、前から良くしてくれた先輩を選んだって言うんだよ!」

「それは……お前……そうか」

 

 ある意味では自業自得だが、重度のトラウマを生み出しかねない内容に、流石の踏鞴庭も同情の念を感じてしまった。

 この場に喜屋武が居れば間違いなく“脳が壊れる”と苦悶の声を上げていただろう。

 

「辛いな……それは流石に辛い」

「だろぉ!? ていうかさぁ、俺が告白してくれるのを待ってたって何だよそれ! 俺の事好きなら自分から告白してこいよって話じゃねえか! 何でしてもらう前提で生きてんだよアイツ!」

「……ん?」

「あー話してたらなんかムカついてきた、ムカつくついでにトイレ行ってくるわ! 先教室帰ってて!」

「あ、おい……!?」

 

 踏鞴庭が止めようとするのも構わず、自分の食べた食器を乗せたトレーを手に、スタスタとその場を離れていく。

 

「大した奴だ……まるで響いてない」

 

 どうやら、普通の男子なら脳破壊レベルの出来事であっても、沓掛にとっては単純に“上から目線な理由でフラれた”程度の認識らしい。

 何度も告白してはフラれてを繰り返してると、もはや付き合えなかったと言う結果のみが残り、理由は二の次三の次。

 好きと思ったら即行動の沓掛にとっては、“告白してくれるのを待ってた”なんて考え自体が、もはや意味不明なのだろう。

 

「逞しさと太々しさに感心するべきか、あるいはそんなだから本来掴めたはずの幸せを取りこぼすのだと諌めるべきか……」

 

 足早に去っていく沓掛の背中を遠目に見つつ、踏鞴庭はポツリとぼやいてから、ふと自分の隣にいる男が全く喋ってない事に気づいた。

 

「どうした枯園、ヤケに静かだが、調子悪いのか」

「ん? あー……ちょっとな。うん」

 

 歯切れの悪い返事を返す環を見て、何か昨日のうちに起きたのだと、付き合いの長い踏鞴庭は察する。

 

「なぁ、タタラ」

 

 どう話を切り出せば良いか考えてると、環の方から先に口を開いた。

 

「女の子が自分から告白するのって、そんなに勇気がいることなのか?」

「……なんだと?」

「いや、ほら……さっき沓掛は“好きなら自分から言え”て怒ってたろ」

「そうだな」

「で、タタラはそれこそ、女子から告白されて付き合ってるじゃんか」

「ん……まぁな」

「でも実際問題、女子から男子ってあんま聞かないじゃん。それってつまり、女子にとって自分から告白するのが、凄い勇気居るからなのかなって思って」

「……難しいことを言ってくれるな」

 

 思ったよりも真面目な──真面目かは分からないが、普段の環の口からは出てこない質問と雰囲気を前に、一度踏鞴庭は腕を組んで考える。

 

「……これはあくまで、俺個人の見解とさせて貰うが、良いか」

 

 事前にそう断りを入れるのは、踏鞴庭の生真面目さからくる物だろうか。

 

「告白は男が女にするもの。という概念が日本には根強くあるように思う。俺は日本の古典文学には明るくないが」

「……うん、それで?」

「だからと言うつもりはないが、男性側の覚悟が求められるのと同時に、女性側から告白するハードルも、高いような気はするな」

「じゃあ、女子から告る場合は男子よりも勇気がいるって事か?」

「少なくとも俺はそう思う。あと……さっきも言ったが告白は男からという風潮がある以上、女子も告られたい気持ちが強いんじゃないか」

「……そっか、うん、そっかぁ」

「それでもなお、自分の気持ちを伝えたいと女子が思って行動したのなら、それは即ち、“そうでもしなきゃ自分の気持ちが伝わらない”と覚悟したからだと思う。……事実、俺は彼女と以前から部活動で関わりこそあったが、好意を抱かれてる事には気づかなかった」

 

 丁寧に言葉を選びながら話す踏鞴庭に頷きながら、環は昨日の紅梨主の事を考える。

 あの時、紅梨主はどんな気持ちで環に想いを明かしたのだろうか。

 紅梨主からの好意にあの瞬間まで気づけなかった朴念仁だが、それでも分かる事が2つある。

 

 1つは、彼女自身あのタイミングでの告白は望んだ行為じゃない、ということ。

 きっと理由もわからず自分から離れていこうとする環を、繋ぎ留めたい一心で口にしたのだろう。

 

 もう1つは、そんな紅梨主の想いを容赦なく踏みにじってしまったのだということ。

 

「トラウマになったりするのかな、フラれたら」

「どうだろうな。酷いフラれ方をしたら男女関係なく、トラウマになる可能性はあると思うぞ」

「──だよなぁ……」

 

 紅梨主ほどの良い子を傷つけてしまった。

 他にもっと紅梨主が傷つかない言い方や態度があったのではないか、今後の彼女の人生に深いトラウマを植え付けてしまっていたらと思うと、それだけで環の気は滅入っていく。

 

「あぁぁぁもう……やんなっちゃうなぁ」

 

 環は踏鞴庭の目の前だということも忘れて、声を出しながら頭を抱えてしまう。

 どうしようも無かったのだと昨夜から何度も自分に言い聞かせてきた。

 たとえ紅梨主に罪はなくとも、彼女が璃梨主の妹であり、璃梨主の想い人である限りは、紅梨主と一緒にいる事なんて不可能なんだと。

 紅梨主の想いを拒絶するのは環の置かれた環境では必然であり、むしろこの位徹底的に関係を断絶する方が、中途半端に関係性を保つより正しい。

 

 しかし、そうやって一瞬でも自分の気持ちを楽にした直後、最後に紅梨主が声を絞り出して自分に掛けた言葉が繰り返し再生される。

 何よりも、長年一緒に過ごしてきた女の子相手にすら、あんな言動をしてしまう自分のみっともなさが、環には受け入れがたかった。

 

「枯園、お前本当にどうした? 昨日何があったんだ……もしかして桜ノ宮絡みでか?」

 

 昨日の放課後に僅かだが事情を知っていた踏鞴庭は、すぐに答えに行き着いた。

 頭を抱える環は返事をしないが、雰囲気からそれが正解だとわかり、次に踏鞴庭が考えたのは先ほどの環から出た問い掛けとの関連性。

 詳しくは分からないが璃梨主が好きだった環が失恋した後、あんな事を聞いてきて、その上ここまで勝手に苦しんでいるという事はつまり──。

 

「妹さんの方に告られたりしたのか、枯園」

「──っ!?」

 

 言った直後、環はばっと顔を上げて、目を大きく開かせながら言った。

 

「お前、エスパーか何かか……?」

「……」

 

 類は友を呼ぶというものだが。

 驚いた後の発言が酷似しているのも、どうかと思う踏鞴庭だった。

 


 

 食堂を出て教室までの廊下を歩きながら、環は詳細をかいつまんで踏鞴庭に昨日の出来事を話した。

 静かに聞いていた踏鞴庭だったが、環が手酷い対応で紅梨主を家から追い出した部分では、流石に眉をひそめていた。

 それでも最後まで口を挟まず、環が全部言い終わってからようやく、ゆっくりと言う。

 

「最低だな、お前」

「うっ……」

「──と、言った所でだ。どうせ今の枯園はむしろ安心するだろうから、責める事はせん」

「ゔっ……」

 

 人はあんまりにも自責の念に駆られていると、かえって他人に非難された方が心は楽になりがちである。

 そんな状況に陥ってる環の心理状態を察して、敢えて踏鞴庭は言いたいことを心のうちに抑えた。

 

「枯園にも事情はあるのは分かるし、かといってやりすぎた事も自覚してるなら、あとは時間に委ねるんだな。俺は心理とかメンタリティーには浅いが、今はそうやって後悔に苦しむこと自体がお前に必要なのだろう」

「……ん、そうだな。たぶん、そうだ」

 

 踏鞴庭の言う事に納得する要素しか無い環は、下手に楽になる事を放棄することに決めた。

 そもそも、こうして他人に話した時点で気が軽くなっている。

 これ以上楽になる事は、それこそ“無し”だろう。

 

 そんな風に環が現状を受け止めて、気持ちを切り替えて行こうとしたのを許さないかのように。

 二人の背後から、それは聞こえた。

 

「やっと──見つけた」

 

 静かな声だった。

 ただしその短い言葉に込められた情念は、穏やかとは程遠い。

 

「……やっば」

 

 顔を見るまでもなく。

 それが誰の発した声なのか、即座に理解できた。

 登校時間を避けた、移動教室の際も近くに行かない様にした、人が多いところに身を隠すためにお昼休みも食堂に来た。

 今まではそれで通用しただろうが、彼女にとって“最愛の妹”に異変が起きた後では、それも気休め程度でしかなかった。

 

 即ち──。

 

「──タマキィ!!」

「ちょ、待っ──!」

 

 振り返ったのが不味かった。

 直後に声の主──桜ノ宮璃梨主の手が、まっすぐ環の喉輪を掴む。

 急所を完璧に抑えられた状況では、男女間にある力の差も機能しない。

 そのまま、璃梨主は環を廊下の壁まで押し出した。

 

 その間も当然のように璃梨主の手は環の首を掴んだまま、それどころか絞め殺さんとする勢いで握りしめる。

 

「り、璃梨主……苦しい」

「五月蝿い! 慣れ慣れしく名前を呼ぶな!」

 

 どうにか発した環の言葉を一蹴する様に、璃梨主は普段学園では見せない剣幕で環に詰め寄る。

 本気だ、璃梨主は本気(マジ)に環を殺しても構わないと思っている。

 恐怖を感じる余裕すらなく、意識が遠退きそうになったが、

 

「待て待て待て! 桜ノ宮お前、前科者になりたいのか!」

 

 こめかみに汗を垂らしながら、すぐさま踏鞴庭が二人の間に立って、璃梨主の手を振りほどく。

 さしもの璃梨主も、現役の剣道部主将、しかも環以上に体格差がある相手の力には抗えず、鋭い目で二人を睨みつつ、半歩下がる。

 

「──カハッ! ゲホッ、ゲホッ……!」

 

 膝から崩れ落ちた環は、唾液と涙をこぼしながら大きく咽る。

 そんな友人の身を案じつつ、尋常じゃない事情がある事だけは確信した踏鞴庭が、壁のように環の前に立って言った。

 

「桜ノ宮、枯園に言いたい事があるのは察するが、加減を間違えるな。殺したら終わりだぞ」

「アンタ、環(そいつ)の取り巻きの……踏鞴庭だっけ? 邪魔しないでくれる、アタシはそいつに用があるの」

「今にも食い殺しそうな目をしてる相手に、みすみす友人を渡せるわけないだろう……とにかく、会話する気があるなら手より口を優先してくれ」

 

 そう言って、踏鞴庭はチラと振り返り、まだ後ろで咳き込んでる環に視線を向けた後、璃梨主に向き直し、

 

「どんな理由があろうと、制裁としては今ので充分すぎだ。もう一回言うが、前科者になって妹さんに迷惑を掛けたくないなら、まずは落ち着け」

「……っ、分かったわよ」

 

 接点の薄い相手から分かった様に、紅梨主を引き合いに出される事への苛つきはあるものの、言ってる事自体は全う過ぎたため、璃梨主は舌打ちの代わりに深いため息を吐きつつ、燃え盛っていた自分の心の火を消化させる。

 

 本来、璃梨主自身ここまで直接暴力的に事を運ぶ気など無かったのだ。

 周りの目もあるから、環を女子ゴルフ部の部室に呼びつけて、誰の目も入らない場所でし(・)っ(・)か(・)り(・)と話をするつもりだった。

 それなのに、いざ環を──ここ暫く意図的に自分や紅梨主を避け続けていた男の顔を目にした瞬間、自分でも抑えきれない感情の迸りが、自分でも抗えないほどの勢いで身体を動かしていた。

 

 もしこの場に踏鞴庭がいなければ、それこそ本当に璃梨主は衝動的に環を殺していたかもしれない。

 

「ほら枯園、お前の因果がさっそく応報しに来たぞ、立て」

 

 背中を摩りつつも、決して優しいとは言えない言葉を掛けて、踏鞴庭が環を起き上がらせる。

 環も何度か頷くと、余程苦しかったのか右手で喉元を撫でながら立ち上がった。

 

「……流石にここじゃ人目に付きすぎるな。二人とも言いたい事はあるだろうが、とりあえずこっちだ」

 

 既に先ほどまでのひと悶着で、璃梨主と環に好機の目を向ける生徒が遠巻きに居るのを見て、踏鞴庭は早足に先導する。

 

 

 

「アンタの友人にしては、気が回るじゃない」

「部長してるからな」

 

 踏鞴庭が連れてきたのは、普段剣道部が活動している道場と校舎を繋ぐ、連絡通路だ。

 常用されてる通路では無く、普段は入口のドアが施錠されている。

 剣道部の部員が重い防具や竹刀などを運ぶ際に使われる事が多く、部長の踏鞴庭は特例で普段から鍵を預かっていた。

 基本的には誰も足を運ぶ事の無い静かな場所であり、秘密の会話をするにはうってつけの場所だと言える。

 

「……それで、何の用だよ。もう少しで5限始まるし、早く教室戻りたいんだけど?」

 

 もちろん璃梨主がこのタイミングで自分の前に来た理由を、環は分かり切っている。

 本音を言えばこの状況から真っ先に逃げ去りたい位だ。

 最初から自分と璃梨主だけなら、その手段も選べただろう。

 だが不運な事に……と言いたくは無いが、現状自身の友人である踏鞴庭が関わっている以上、彼の面子を潰さないためにも、璃梨主と向き合う他に道は無い。

 

 そんな通りなんて関係なく自分の為だけに動けるなら、どれだけ気が楽だろう。

 望みつつもありえない事を環が夢想していると、璃梨主がおもむろに口を開いた。

 

「今日、紅梨主が休んだの」

 

 やはり、紅璃主についてだった。

 

「…………そうか、早く治ると良いな」

 

 白々しい、自分でもそう思ってしまうくらい、環の口から出た言葉は軽く、底冷えするように冷たい。

 仮に無関係を装うつもりなら、どんなにへたくそな演技でも心配する振りをするべき。

 環はそれが分からないほどの馬鹿ではない。ないのだが、何故か分からないが取り繕う心の余裕が、璃梨主の前にいるだけでガリガリと削られていく。

 

「話はそれだけか? なら帰るけど」

 

 しまいには、こんな逆に相手を煽る様な言葉まで口走ってしまう始末。

 当然、それを言われた璃梨主が黙って帰すワケもない。

 

「待ちなさいよ!」

 

 出入り口のドアへ向かおうとした環を遮るように、璃梨主が環の前に立つ。

 

「紅璃主は体調が悪くなったからって言ったの。でもあの子はまだその時期じゃない。それに、昨日学園から帰ってきたときまでは元気だったの」

「…………」

 

 詰め将棋のようにジワジワと環の言い逃れる余地を削っていきながら、璃梨主は言葉を続ける。

 

「昨日の夜、あの子は買い物袋を持って出かけたの。あたしにバレないようにこっそり出かけたつもりだけど、見かけたメイドが教えてくれたわ」

「だったら何だって? そんな話、俺とはなんの関係も」

「無いわけ無いでしょ? あの子がそんな時間に出かける先なんて、アンタの家以外に無いんだから」

「──っ」

 

 胸がキューッと締め付けられる様な圧迫感。校則違反をして生徒指導の教師に怒られたときですら、幾らか楽だったに違いない。

 

「もうここまで言えば、あたしの聞きたいことは分かるわよね? アンタ、あの子に何をしたの?」

「…………紅璃主が昨日、うちに来たのはその通りだよ」

「ふん、やっぱりね」

 

 そこまで否定しては逆効果だ。璃梨主の言うとおり、紅梨主がわざわざ夜に出向く先なんてのは、環の家以外には無いのだから。

 だが、その後に起きた出来事に関しても正直に話すワケにはいかない。

 

「俺がちゃんと夕飯食べてるか心配して、作りに来たんだ。断ろうとしたけど押し切られて、作ってもらった。それだけだよ」

「はぁ? それだけなワケが無いでしょう? ならどうしてあの子が今日学園を休む様なことになるのよ」

「知らねえよ、帰りになんかあったんじゃねえの? そうやって何でもかんでも俺がやったと決めつけるなや」

 

 そう言って璃梨主を押し退けて今度こそ出て行こうと、璃梨主の右肩に触れそうになった直前、璃梨主の左手が環の手首を掴んだ。

 

「馬鹿にするのも大概にしなさい」

 

 “嘘ついてることくらいお見通し”だと言わんばかりの璃梨主に、環の頬が自然と引き攣る。

 

「随分と、俺に詳しいじゃんか」

「当たり前でしょ、何年アンタと一緒に居ると思ってんのよ」

 

 きっと、何も知らない時の環だったら後で小躍りしたくなるくらいの言葉だったに違いない。

 璃梨主に好意を懐く有象無象の他者には無い、自分と彼女の間だけにしか無い繋がりだと。

 

 だがしかし、彼女の秘密を知っている今となってはもう。

 その言葉は、彼にとって忌々しい呪言と変わらなかった。

 

「……に」

「──は?」

 

 何かをポツリと呟く環に、璃梨主は首を傾げる。

 “何か言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ”そう声に出そうとした矢先に、環は璃梨主の手を振り払って再度同じ事を口にした。

 

「俺の時は全く心配すらしなかった癖に、親しいフリなんてするなよ!」

「……何の話よ?」

「俺が2人と会わない様にしても気にも止めなくて、紅梨主がたった1日学園休んだだけですっ飛んで来やがって!」

「ハァ? アンタが勝手に距離取ったんでしょ!? どうせこの前アタシの練習に付き合う約束してたのを忘れて、気まずいから顔見せられなかったとかそんな理由じゃない。それと紅梨主の事を一緒にしないで」

「──っ、あぁそうだよな。そうだろうな、お前に取っちゃ俺なんてその程度だったもんな……!」

 

 環がここまで璃梨主に声を荒げるのは初めてだし、初めての出来事に対して、抑えたり制御する術も持ち合わせていない。まるで吹き溢れる鍋の様に、感情はどんどん溢れていく。

 

 またその様に昂っていく脳の片隅で、彼は自分を動かしている衝動の正体を自覚した。

 

 その名は“嫉妬”。

 もしくは、それに非常に良く似た、幼さから来る甘え。

 

 璃梨主の秘め事を見た日から、環が桜ノ宮姉妹を避けたのは、失恋相手に対する嫌悪感や拒否感からでは無かった。

 

 いや、一方的な失恋とは言え、もちろんそれらの感情だってゼロでは無い。

 

 しかし何よりも、彼は長年共に過ごし、想いを寄せていた女子が、自分の事を何とも想ってない可能性から、無意識のうちに逃げていたのだ。

 

 あくまでも妹の紅梨主が慕ってるから相手していただけで、璃梨主の中で枯園環という男が、その辺の無関係な男子と等しい存在かもしれないと、考える事に耐えられなかった。

 

 だからワザと、そして唐突に距離を取り、露骨に避ける仕草をする事で、璃梨主から声を掛けてもらう──璃梨主に心配されるくらい、他の人間より特別な相手だと確認したかったのだ。

 

 だが、璃梨主は環が会いに来なくなっても特別なアクションを起こす事も無く。

 代わりに来たのは、よりによって紅梨主の方だった。

 その顔も声も温もりも、今の彼にとっては“璃梨主に相手にされない自分”をより際立たせるモノであり、ましてやそんな紅梨主からの告白なんて、到底受け入れられるはずもない。

 

 そう、言ってしまえば紅梨主は、環の逆恨みで振られた様な物だった。

 

 璃梨主に対しても、紅梨主に対しても、なんと幼く稚拙な動機か。

 母親に構って欲しくて、ワザと悪態をつく児童と変わらない。

 

 そんな事実の方が。

 そんな感情を持っていた自分自身の方が。

 実妹を想って慰める璃梨主より、はるかに嫌悪すべき対象だろう。

 

 だが、今環を突き動かしている衝動はまさしく、そんなドブ色の熱情。

 

 故に、環は自分が間違った事だと頭の片隅では理解しつつも、今から行う一挙手一投足を、全て本意で、かつ一種の爽快感すら覚えつつ全うした。

 

「そりゃ大事だよな! 何せ……この前だって俺と会う約束してたのに、俺が来る事なんてすっかり忘れて、部屋で紅梨主を思ってオナニーするくらい大好きだもんなぁー?」

「は? ……何言ってんのよ!?」

 

 言葉から、表情から、璃梨主が激しく動揺しているのが見てとれた。

 そんな彼女の顔を見た事の無い環は、興奮すら覚えて言葉を続ける。

 

「練習の約束忘れたから会えない? んなわけねえじゃん、普通に考えて約束の5分前まで実の妹相手にオナニー三昧してる姿なんて見たら、そりゃあ会いたくも無くなるだろうが!」

「う、嘘……見てたの……!?」

「最低なんて言うなよ? むしろこっちの方があの日からずっと最低な気分なんだから。自分の好きな相手にこんな形で失恋する奴なんてまず居ないだろ」

 

 隠し続けてきた秘密がバレていたという最悪の状況。

 そのキッカケが自分の軽率な行動だという最低な事実。

 あまりにもさり気無く明かされる環が自分を好きだったと言う情報。

 

 もはや環に対して、紅梨主に何をしたのか問い詰める段階では無く。

 もしかすれば、璃梨主がナニをした事が全ての発端かもしれない。

 

 みるみる顔から血の気が引いていく璃梨主は、それでも混乱する頭の中から冷静な部分をかき集めて、口を開いた。

 

「こ、この事……あの子には……」

「言ってないよ。……言えるわけないだろ、言えば俺がどこまでも無様になるだけだ」

 

 もっとも、現状の時点でこの上なく無様なのだが。

 璃梨主をもっと無様な気持ちにさせる方法なら、まだ残っている。

 

「もうすっかりそれどころじゃないって感じだが、昨日何があったか教えてやるよ。紅梨主に告白されたんだ」

「──っ!」

「だから断った、それだけだよ」

「ど、どうして!? あの子がアンタのこと好きなのはずっと分かってたじゃない!?」

 

 それは環にとって、かなり意外な反応だった。

 ここで紅梨主から告白された事を言えば、璃梨主に更なるショックを与えられると踏んだのに、紅梨主が環に対して恋心を懐いてる事は、分かっていたらしい。

 

 それが、どうにも環にとっては不愉快だった。

 

「分からなかったよ、あの子の気持ちなんて」

「嘘よ、いつもあんなにアンタのことばっかり──」

「お前だって普段から誰が自分の事好きかなんて把握してないだろ? 俺が好きだった事すら分かって無かったんだから」

「それは……そうかもしれないけど」

 

 ──あぁ、本当に璃梨主(こいつ)は俺の事なんて意に介して無かったんだ。

 

「それに分かってたとして、想いに応える義務があんのか? ずっと想われてたら応えなきゃダメなルールでもあんのかよ?」

 

 ──だったら、もう終わらせちゃっても良いかぁ。

 

「むしろ、お前にとって都合が良いじゃないか。長年好きだった妹の側から、邪魔でしかない男が消えるんだ。これからは独り占め出来るぞ? オナニーで発散しなくても好き放題レズセックスでも何でもすりゃ良い──」

 

 バチンッ、と空間に響く音が、環の言葉を物理的に遮った。

 右の頬から走る痛みを感じつつ、環は肩で息をしながら涙目で自分を睨む璃梨主の顔を見る。

 

「この……最低野郎、なんでアンタなんかを紅梨主は……っ!」

 

 その言葉すら、今の環にとっては愉悦だった。

 

「さぁな。女じゃ無かったからじゃないか?」

「ふざけんなっ!!」

「おっと!」

 

 更にビンタ──ではなく握り拳を当てようとした璃梨主の手を咄嗟に掴む。

 

「安心してくれ、お前の事は誰にも言わないし、言いたくもない」

「……っ!」

「俺はお前が好きだった。お前は紅梨主が好きで、紅梨主は俺なんかを好きだった。全員叶いっこない恋をしてたけど、それも全部お終いだ」

 

 そう言って、手を離すのと一緒に璃梨主をドアの方へと押し飛ばした。

 璃梨主は多少よろけつつもドアの前で止まり、掴まれた手首をもう片方の手で押さえながら、環を鋭く睨みつける。

 

「行ってくれ。それで俺達の関係は完全に終わりだ。俺は引き続き2人には合わないし、2度と関わりを持たない」

「……そうさせて貰うわ」

「今まで悪かったな。紅梨主の周りで邪魔ばっかしてさ」

「環、アンタ本当に──」

 

 皮肉を込めた環に璃梨主は何かを言おうとしたが、環の目がもはや自分をまるで映していない──一切の関心が消え失せている事を察して閉口した。

 

 そのまま、環の促す通りに踵を返して、出口のドアノブに手を掛け、くるりと回そうとした直前。

 璃梨主の後ろ姿に、環は最後になるだろう言葉を掛ける。

 

「あぁ、悪いけど最後に一つだけ頼みがあるんだ」

 

 璃梨主は何も反応を返さずに、言葉を待つ。

 

「紅梨主に、酷い言葉を言ってごめんって伝えてくれると嬉しい。もし俺の言葉なんか伝えたくないと思うなら、それでも良い」

「……あっそ」

 

 短い返答と共に、璃梨主は勢いよくドアを開けて、小走りで去っていった。

 

 後に残ったのは当然、環1人だけ。

 

「──はぁ」

 

 璃梨主の返答の倍くらい長いため息を吐いて、環も開きっぱなしのドアを通ると、少し離れた壁際に踏鞴庭が待っていた。

 

「今桜ノ宮が走って出て行ったが、話は終わったのか」

「ん、つつがなく、滞りなくな」

「……その頬を見たら到底そうは思えないけどな」

 

 この後放課後になるまで気づかなかったが、環の頬は璃梨主に叩かれた時の跡がこれでもかとハッキリ残っていた。

 

「桜ノ宮とはどんな話を……いや、聞かない方が良さげか」

「別に良いよ、オフレコな部分は言わないし」

「ほとんどオフレコな気がしてならん」

「まぁ……確かにそうかも」

 

 午後の授業まで残り5分程度。

 教室までの道を、やや早足で歩きつつ、2人の会話は続く。

 

「端的に言えば、さ」

「言えば、なんだ」

「俺は人間関係を終わらせるプロだって話」

「……あまり歓迎出来る内容では無いな」

 

 尋常では無い事が、二人の間で起きたのだと察する他ない。

 踏鞴庭は若干苦笑いしつつも、それ以上の事はもう絶対触れない事に決めた。

 そんな友人の気配りには全く気付かない環は、聞く者の耳を疑うような発言をする。

 

「なあ踏鞴庭」

「ん、今度は何だ」

「学生向けのマッチングアプリとか、あったりしねえかな」

「……おい、何を言っている」

 

 急に話の方向性が良からぬ方に傾き始め、踏鞴庭が眉を顰める。

 そんな事などまるでお構い無しに、環はぼんやりと進行方向を見ながら、淡々と言う。

 

「もうなんかさ、色々滅茶苦茶な気分なんだよね。取り合えず手っ取り早く彼女作って……いや、この際セフレでも良いからスッキリしたいわ」

「いや、待て。待て待て待て。何がどうしてそんな思考に行き着くんだお前は」

「んー? まぁ良いじゃん、なんだって」

「良いワケが無いだろう」

 

 傾くどころではない。

 この友人は今、ガッツリと最低かつ破滅的な方向に向かおうとしている。

 枯園環は普段、他校に居る喜屋武も含めた男子4人組ではマトモな部類だ。

 踏鞴庭が持ち得ている情報では、彼がここまで極端に腐っているのか、憶測すら難しい。

 

「シュウ(喜屋武)ならその辺知ってるかな? 今日聞いてみるか」

「枯園、本気なのか?」

「ん? もちろん、本気だよ。俺はもうさっさと過去を忘れたいんだ」

 

 そう語る環は、カラカラと笑いつつも、その瞳は光彩が欠けているように見えた。

 

 事態は思ったより深刻で、急速に進んでいる。

 誰かが無理やりでも踏み込んで行かなければ、きっと枯園環(この男)は勝手に破滅へと向かうに違いない。

 

 それを食い止めることができるのは、きっと理解ある友だけだろう。

 

 どうすれば止られるかは、皆目見当つかないが。

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