────チッ...チッ...チッ...
壁にかけられた古い時計の秒針の音が静かな店内に響く。
わたし──後藤ひとりは、バーのカウンター席にガチガチになりながら、座っていた。目の前には、虹夏ちゃんの叔父さんである雄介さんが、カウンター越しにじっと見つめていた。
(な、なんでこんなことになったんだっけ...?)
そう思いながら、わたしはここまでの記憶をフル回転で遡っていく。
────時間は少し遡る。
あのオーディションから少し経ち、私たち結束バンドはバイトとライブに向けての練習に明け暮れていた。
「ぼっちちゃーん。ちょっと来てー」
「あ、はい。分かりました」
チケットノルマもきくりさんと路上ライブを見て買ってくれた二人組のお陰で達成できたため、いつもより気が楽な状態でSTARRYのバイトをしていると、虹夏ちゃんに呼ばれた。
「ど、どうしたんですか虹夏ちゃん」
「うん。頼みたいことがあってさ。これ叔父さんのところに届けてくれない?」
そう言って虹夏ちゃんはビニール袋に入った包みを取りだし、わたしに手渡す。
「これは?」
「オーディションとライブのチケット買ってくれたお礼。ほんとはわたしが行きたいんだけど、お姉ちゃんから頼みごと頼まれちゃってすぐ行かなきゃならなくて。リョウも喜多ちゃんも今日はシフト入ってないからぼっちちゃんしか頼めないんだ」
だからお願い、と言いながら虹夏ちゃんはわたしに頼み込む。
「で、でもわたし、場所を知らないんですけど...」
「大丈夫。すぐ近くだし、
「は、はい。分かりました」
そうしてわたしは虹夏ちゃんから渡された荷物を持って雄介さんのお店へ向かった。
お店自体はSTARRYから十分ほど歩いた場所にあったため、すぐに見つかったが、中に入ろうとしたときにふとわたしは気づいた。
(あ、よく考えたらわたし、あの人とほぼしゃべったこと無い)
虹夏ちゃんから紹介されて始めて会った時も、オーディションライブのときも、話をしてたのはほぼ虹夏ちゃんで、リョウさんはこのお店でたまにバイトしてよく作曲とかの話をしたりしてるし、喜多ちゃんは陽キャスキルで難なくコミュニケーションを取ってる。
(それに比べてわたしは...わたしは...)
いや待て、あの人は虹夏ちゃんの叔父さんだ。つまりは虹夏ちゃんのように優しい人だ。だから大丈夫大丈夫...
「あら、ひとりちゃんじゃねーか。どうしたんだこんなとこに突っ立って?」
「びゃッ!!」
そんな思考のループにはまった私の後ろから、雄介さんが声をかけてきた。
「すすすすみません虹夏ちゃんからお礼の品を渡してくれと頼まれて持ってきたんですが邪魔にならないようすぐ立ち去りますごめんなさい!!」
突然の声かけに驚いたわたしは一息でそう話すと、雄介さんにお礼の品を渡して即座に走り去ろうとする。
「お、おい、ちょ待てよ...」
あまりに急に立ち去ろうとするわたしを見て雄介さんがそう言ったとき...
「グエッ!?」
「あ」
わたしは盛大に足をもつらせてこけてしまった。
「お、おいおい大丈夫かひとりちゃん?」
「う、うう。大丈夫、です」
「嘘つけ。ジャージに穴空くほど盛大に膝擦りむいてるじゃねーか」
「え?」
そう言われて膝を見てみると、愛用のピンクジャージの右膝のところには大穴が空き、そこには大きな擦り傷があった。
「あ、あわわわ」
こんなに怪我したの、小学校でもなったこと無い...
「とりあえず自分で立てるか? 店のほうがすぐだから、そこで治療しよう」
「は、はい」
そう言って雄介さんはわたしを立ち上がらせ、お店の中へと引っ張っていった。
────そして、現在に至る。
膝の傷は雄介さんによって素早く消毒とガーゼが貼られ、ジャージの穴も応急処置として色の近いバンダナを巻かれた。
「あ、あの、手当てしてくれてありがとうございます」
「気にするな。酔っ払い相手にしてたら流血沙汰なんて良くあるもんでな」
「は、はあ」
「「・・・・」」
か、会話が続かない...とりあえず用事は済んだからもう戻ろう。
「あ、その、とりあえず用件は終わったんで、もう帰りま...」
『グ~~~』
「あっ...」
ば、ばか~なんでお腹が鳴るんだ...
「フフ。そういえばもう昼時だもんな。ついでに飯食って帰ったらどうだ?」
「え? そ、そんなお構いなく...」
「遠慮するな。今日は週に1回のカレーの日なんだ。是非食べてくれ」
「カ、カレー...」
た、食べたい。空腹状態だから余計食べたい。
「今ならトッピングに唐揚げもつくぞ?」
「うッ!!」
大好物との合体なんて最高すぎる...!!
『グ~~~』
「そ、それじゃあいただきます...」
「おう。それじゃあちょっと待っててくれ」
そう言って雄介さんはカウンターの右奥の調理スペースの方へ行き、カレーの準備を始めた。あ、虹夏ちゃんに連絡しておかないと。
それから暫く時間が経ち、雄介さんが出来上がったカレーの入った皿を持って戻ってきた。
「はいお待ちどう。ウッドストックカレー唐揚げのせだよ」
「お、おお...」
そう言って雄介さんはカウンターにカレーを置く。
カレー皿にはご飯とルーとともに唐揚げが乗っており、見るからに美味しそうだった。
「い、いただきます」
そうしてわたしはスプーンでカレーを掬い、一口食べる。
「...美味しい」
その美味しさに、思わずそう呟いた。あまり辛いカレーは得意ではないけど、このカレーは甘すぎでもなく辛すぎるわけでもないから、とても食べやすい。一口食べ出したらどんどん食べれるくらいに美味しいカレーだ。
そうして食べてるうちに、あっという間にお皿が空になってしまった。
「あ、あの、おかわりって大丈夫ですか?」
「ああ。どれくらい欲しいんだ?」
「さっきと、同じくらいでお願いします」
「はいよ。並盛ね」
そのまま雄介さんは空になったお皿を持って新たにカレーを注いでいく。そういえば虹夏ちゃんが、叔父さんのカレーはどうやっても勝てないって言ってたけど、確かに家のカレーよりも美味しいかもしれないな。
そうして2皿目もきれいに食べ終わったわたしは、雄介さんから出された食後のコーヒーを飲みながら、ゆっくりと時間を過ごしていた。
(なんか、思ってたバーとは違う感じだなあ...)
コーヒーを飲みながらふとそんなことを考える。コーヒーはインスタントのものだったが、ミルクと砂糖まで用意してくれていたので、まさに至れり尽くせりだった。
「いやー嬉しいね。おかわりするほどカレーを気に入ってくれて」
「い、いえ。ほんとに美味しかったです」
そう言ってわたしは雄介さんに素直な感想を言う。
「まあウチの店の名物だからな。不味いなんて言われたらショックで店閉めちまうぜ」
「で、でも。こんなに良くして貰って良いんですか?」
「良いよ良いよ。俺もちょうどひとりちゃんと話したかったからな。ある意味良いタイミングだったよ」
「え? わたし、ですか?」
え、わたし何かしたっけ?
「ああ。この間のオーディションライブのことでちょっと気になったことがあってな」
「気になったこと、ですか?」
「ひとりちゃんさあ...ほんとはもっと上手いだろ?」
「え? ど、どうしてそう...」
「あのオーディションのとき、ほんの少しの間だが、今までの演奏とは違ってた。おそらくだが、ソロのときは上手いけど、合わせようとするとダメになるタイプだろ?」
あ、当たってる。1回か2回しか聞いてないはずなのに、わたしのことをそこまで把握してるなんて。
「そ、その通りです。わたし、今までずっと家で1人で練習し続けて、1人のときはそれなりなんですけど、合わせたりお客さんの前だとあんまり弾けなくて...」
「ふむ、なるほど...」
そう言いながら雄介さんはコーヒーを飲みながらわたしの話を聞く。
「ひとりちゃん」
「は、はい」
「練習はいつもどれくらいしてる?」
「ろ、6時間です」
「お、おお...思ってた以上だな。それを何年やってる?」
「3年、ちょっとです」
「なるほど」
そう言って雄介さんは持っていたコーヒーカップを置く。
「ひとりちゃん。君はすごい」
「え?」
き、急に誉められた。何で?
「プロのギタリストでもギターを6時間も弾いたら腕がおかしくなる。ましてやそれを3年もやれなんて言われたら普通は嫌になって辞めるだろう」
「そ、そうですか?」
「普通はそうだ。でも、ひとりちゃんはそれをやり続けた。そして今のひとりちゃんがいる。その努力は純粋に誇れることだ」
「エ、エヘヘ...ありがとうございます」
「だがそれを自信の無さが帳消しにしてしまっている」
「うぐッ!!」
突然の指摘にわたしはダメージを受ける。
「すみません。ミジンコみたいな人間が調子乗って...」
「そこだよ。何が理由か分からないが、その自信の無さがギターの腕を鈍らせてる。だからもっと自分に自信を持て」
「は、はい」
そ、そうは言われても、そんな簡単に自信なんて...
「ひとりちゃん。お客さんはなぜライブに来ると思う?」
「え、それは音楽を聞くためじゃ?」
「聞くだけなら今どきライブに行かなくても配信なんかでいくらでも聞ける。それでも来てくれるのはその場でしか聞けないものを見に来てるからだ」
「そこでしか、聞けないもの...」
「ライブは生物だ。その時その時のアドリブやハプニングも、その全てが魅力になる。そしてひとりちゃんのリードギターは、バンドを引っ張っていく花形だ。そんな花形が自信無かったら、どんなに良いバンドでも輝けないぜ」
「バンドを引っ張る、花形...」
「ああ。ブライアン・メイやジョージ・ハリスンみたいにな」
そう言って雄介さんは笑いながら話す。
「あの...どうして、雄介さんはここまで応援してくれるんですか?」
ふとわたしはそんなことを尋ねる。いくら親戚の子のバンドのメンバーだからって、ここまで言ってくれるのはどうしてなのだろうか?
「...俺が昔、バンドやってたってのは星歌や虹夏ちゃんから聞いてるだろ?」
「あ、はい。少しだけ」
雄介さんの言葉にわたしはそう答える。そのバンドで何かあったのかな?
「俺がひとりちゃんくらいの時にバンドを結成してな。結構良いところまで行って、20歳くらいの時にはメジャーデビューも決まりかけたんだ」
「す、すごいですね」
「ああ。けど、その時のボーカルが俳優志望でな。運が良いのか悪いのか、そいつも同じタイミングでヒーローもののオーディションに受かったんだ」
「そ、それでどうなったんですか?」
「そいつは『これは最初で最後のチャンスかもしれないから行かせて欲しい』って言った。けど、俺はみんなでデビューしたかったから、そいつと大喧嘩になってな。最終的にはとんでもない殴り合いにまでなってそのまま空中分解しちまった」
「そう、だったんですね...」
そんな過去があったなんて、知らなかった...
「その時の俺は、音楽しかないと思ってたから、心の中が空っぽどころか風穴空いたみたいになってな。そんなときに拾ってくれたのが、ここの先代のマスターだったんだ」
そう言って雄介さんは店の棚にある小さな写真立てに目をやる。そこには頑固そうな顔つきながら、人の良さが滲み出ているおじいさんの写真があった。
「俺は一度夢を失くした。けど、こうして夢を応援することは出来る。だから、俺はこの先君たちが違う道を行くとしても、後悔が無いように努力して欲しいんだ」
「雄介さん...」
「だからひとりちゃん。もし虹夏ちゃんに何かあったとき、友達として、バンドマンとしてしっかり支えて欲しい。あの子はああ見えて、寂しがり屋だからな」
そう言って雄介さんはわたしに向かって頭を下げる。わたしはその姿を見て、大きくうなずいた。
「わ、分かりました。わたし、雄介さんの分まで虹夏ちゃんを支えます。そして、虹夏ちゃんがピンチになったときは、わたしが助けます。ヒ、ヒーローとして」
「フフッ。ああ、頼んだぜひとりちゃん。いや、ぼっちちゃん」
そう宣言したわたしに対し、雄介さんはニッカリと笑いながらそう言った。その笑顔は、虹夏ちゃんの笑顔に良く似ていた。
その後、雄介さんのお店を出たわたしは、その足でSTARRYへと戻っていった。
「あ、お帰り~ぼっちちゃん。結構長くいたね」
「あ、はい。ご飯頂いたり、色々話してたらこんなに遅くなってしまって...」
「大丈夫大丈夫。あたしもその間お姉ちゃんの手伝いとかいろいろやってたからさ。全然問題ないよ」
そう言いながら虹夏ちゃんは帰ってきたわたしに笑顔でそう言う。
「あ、あの虹夏ちゃん...」
「ん? どうしたのぼっちちゃん?」
「わ、わたし、頑張りますので。初ライブ、絶対成功させましょう!!」
「...うん!! 頑張ろうねぼっちちゃん!!」
突然の宣言に少し驚いた様子の虹夏ちゃんだったが、すぐに気を取り直してそう言ってくれた。
「それじゃ早くスタジオ行こっか。リョウと喜多ちゃんも待ってるから」
「あ、はい」
そう言って私たちはスタジオへと向かう。初ライブまであと一ヶ月、頑張っていかないと。
ご意見、ご感想、誤字報告お待ちしています。特に感想はモチベーション向上に繋がりますのでよろしくお願いいたします。