「というわけで、だ」
いつも通りに偽装されている283プロで社長自らが学生バイトと会話していた。
「うちで正社員として働いてみないか?」
その言葉に学生バイトは明らかに嫌そうな顔をした。
この学生バイトは283プロで動画の編集や学生アイドルの面倒を見たりしている。数ヶ月前から283プロで働いており、密告やスクープが蔓延る芸能事務所では珍しく口が堅い――と言うより、人とかかわりが少ない。ある程度アイドル達との交流も以前と比べて良くなっているから社長もスカウトしたのだが……。
「………私は大学3年生ですよ。しかもまだ10月。そりゃあ文系の人は既に就活始めてますけど、うちの学部じゃまだ実験の実習が――」
と、言ってバイトは頭を振る。このままだと学部の文句を延々と続くだろうと予測できたためである。
「というよりも、焦りすぎですよ。いくらプロデューサーとアイドルとの関係が上手くいっていないからって現職の稼ぎ頭を辞めさせてバイトをいきなりスカウトします?」
「――そうだな」
その言葉に肯定をしなくてはならなかった。
プロデューサーとアイドルの関係が上手くいっていない――そもそもマイナスにすらなっていない。これまでが異常なほど高かったのだ――からといって、就活に悩んでいるわけでもないバイトをスカウトするなんて噴飯ものであろう。
「だから今回の話は――まぁ、聞かなかったということで」
「……まぁ、そうだな。忘れてくれ」
社長の言葉にバイトは大きくため息をついて全身の力を抜く。特別なことを何もやっていない学生がいきなりヘッドハンティングを持ちかけられたらどんな能天気でもまずは焦る。
「……コーヒー、飲まないのか?」
「――いただきます」
バイトは用意されたコーヒーを飲む。来客用のコーヒーは給湯室においてあるものと比べて上等のはずだがバイトは不味そうに飲む。
「にっが……」
「しかし、もうアイドル達はプロデューサーとの交流が少なくなっていることに悩んでいたのか」
「――まぁそうですね」
誰からそんな言葉を聞いたのかまでは言わなかった。
*
283プロ女子寮。
283プロ所属のアイドルの殆どがどうしてオフラインまたはオンラインで集まっていたのはとある密告があったからだ。
「まずどうして皆さんに集まっていたのか。それは私――三峰結華がとある密告を受けたからです」
結華が思わせぶりな言い方でこの場のすべての人間にいう。
「――プロデューサーが退職するそうです」
戦慄、驚愕。女子寮の一室からスマホの会議システムまで。参加していたアイドルたちは各々の感情を出す。
《質問》
手を挙げる、という会議システムの機能とともに有栖川夏葉が質問をする。
《情報の提供元と詳しい解説を。このままじゃ悪戯に混乱を呼び起こすだけよ》
夏葉の言葉の通りだ。実際同じ部屋にいる凛世の表情は滂沱一歩手前、という感じだ。
「情報の提供元はバイト君。今日社長室に呼ばれていたからそこで私が聞き出した」
ひゅ、と鋭い息が聞こえる。
「それは……大分信頼性の高い情報だね」
咲耶が発した言葉がこの会議に参加している者たちの言葉を代弁していた。
「詳細は――そうだね、そんなすぐに退職するつもりはないらしいよ。社長さんが『プロデューサーは現在所属しているアイドルがトップアイドルになるまで退職しない』と言ったらしい」
「それは――」
「あとバイト君曰く『はづきさんにも伝えられていない』『口止めはされなかった』らしい」
千雪の言葉を無視するように結華は畳みかけた。別に意地悪ではなく、詳細を伏せたまま質問されると面倒なことになるからである。
《口止めされなかった……?》
「正確に『情報を流してもいい』と言われたらしい」
三峰が聞いた情報はここまで、と彼女は両手を閉じて席を立ち千雪を強引に座らせる。
「ちょっと結華ちゃん……!?」
「じゃ、三峰はもうPたんに対する恋愛感情は自分で対処するから。じゃあね~」
と、結華は逃げるように部屋から出て行った。
「――どう思うとね?」
《………『下手に自分が関わるとプロデューサーの心情に寄り添えない自己中な願望ばかり言いそうだから、冷静になれないだろうから』――って思って、三峰は逃げ出したんだと思いまーす》
「だろうね……」
この場に参加しているアンティーカの三人が一斉にため息をついた。
《まぁ結華のアフターケアに関しては後でアンティーカで行うとしてー……どうするー?》
「……プロデューサーの事よね?」
千雪は顎に手を当て悩む。
「――なぜ……プロデューサー様が……お辞めになると決意されたのか……」
ここでアイドルたちがプロデューサーの辞職の原因を悩んでも仕方がない。
社長はバイトに「将来的にプロデューサーを辞めさせる」ということを伝えておらず、バイトも結華にどうしてプロデューサーが辞めるのか言ってもいない。
だからこの場で考察するのは在りもしない憶測を呼ぶ。
「もしかして……私たちのことが嫌いになったのだろうか?」
今の咲耶の言葉のように。
「それは………!」
《そうだよね……凛世ちゃんや結華ちゃんは既に告白したけど、甘奈や他のプロデューサーさんが好きな人も2人の告白以降恋愛感情を隠さなかったから……。恋愛対象として見ていない人から好意をぶつけられたら普通は怖いよね……》
合っているような、合っていないような。
プロデューサーが恋愛恐怖症でありアイドルからの恋愛感情に恐怖を抱いているのは事実だ。しかし強引に辞めさせようとしているのは社長であり、その恐怖から逃げようとはしていない。
でも結局は「恋愛感情」が原因となっているのは事実。
《……じゃあプロデューサーのこと諦めるー?》
摩美々からの質問による回答は無言だった。
*
にちかは会議の様子をスマホで観察しながら見る。
(好きでもない人からの好意に恐怖、か)
汚い言葉だが……ネットスラングで聞く「ぬいぺに」とは現在の彼の状態を言うのだろう。性別が反転しているが、いわゆるハーレム状態で非現実的な状態を味わっている彼にはぴったりの言葉だ。
「別に私はどうでも良いんだけどなー……」
にちかがこの会議に参加している理由は相方の美琴が恋愛感情を持っており、腐れ縁のルカがそんな美琴の様子を心配して強引に参加させたのだ。
美琴のプロデューサーへの恋愛感情は、確かににちかにとっても関係はあるのだが……それよりも彼女の脳内には――
「お姉ちゃん……」
他のアイドルたちは知っているのだろうか。あまり自分を出さない事務員の七草はづきがプロデューサーに恋愛感情を抱いていることを。
あんなに楽しそうな姉は久しぶりに見た。
それなのに――プロデューサーは辞めるらしい。
《プロデューサーはどうするのかな。社長は既に知っていて――》
美琴が何かを言っているらしい。現状、この会議はいつもの如く踊って進まない。それでも空回りは続く。その状態を打破しようと彼女は何か発言していた。
(美琴さんか、それともお姉ちゃんか――)
*
翌日、早朝。
プロデューサーが訪れた時に事務所には誰もいなかった。
少し安心した。
社長はプロデューサーを辞めさせる方針だということをバイトに伝えたことを彼に教えていた。バイトがアイドルに情報を流すことを見越して、社長はプロデューサーに警告したのだろう。
彼の知る由もなかったが、あの緊急会議で出た結論は「とりあえず、刺激しない」という3時間の会議で出たとは思えないほど簡素で消極的な言葉だった。
プロデューサーを解任させられることは、不満ではあるが仕方がないことだ。過半数のアイドルがプロデューサーに恋愛感情を抱いていることが発覚した状況で、恋愛恐怖症の彼にはもはや事務所は安心できる場所ではない。
恋愛恐怖症を治そうと何度も試した。尤も恋愛恐怖症に対しての治療法なぞ確立されておらず、結局は根本的な解決のためPTSDの克服を目指したのだが解決しなかった。
これでもマシになったのだ。しかし――恋愛のことを深く意識するとかつて自殺した彼女から送られてきた手紙が頭のなかによぎる。
彼女は彼を偶像として扱っていたようだった。決して裏切らない、自分だけの神様と。そんな彼女に危うさを感じ、彼は逃げるために別れた。無責任だったと彼は後悔しているが、高校生だった彼にそんなことを求めるのが酷である。
彼女が自殺する前日に送ってきた手紙には「あなたが私の神様にならないのなら、先に神様に会ってくる」と。
彼女の短く切り揃えられた髪と眼鏡を思い出す。
彼女は天国でその神様とやらに会えたのだろうか。
(……コーヒーでも淹れようかな)
朝から嫌なことを思い出した。これではアイドル達に顔向けできない
キッチンでインスタントコーヒーを飲んでいると、がちゃんと玄関が開く音が聞こえた。
社長だろうか。はづきさんは今日は早朝から来ないだろう。
ドアを開けて入ってきたのは――
「――にちか」
肩で息をする彼女の様子に少し驚く。
「どうしたんだ、にちか。今日は――」
「プロデューサーさんっ」
特に早い仕事はなかったはず、と言葉を連ねようとしたときに彼女が強引に言葉を重ねた。
「ど、どうした……?」
「その……」
にちかは言いよどんだ。何か言いたいことがあって、でも整理できていない。
「私はっ……!」
それでも。
彼女は強引に言葉を連ねる。
「ぷ――プロデューサーさんが、辞めるって聞きました」
「う、うん……」
プロデューサーは狼狽えている様だった。
まぁいきなり辞める話を広げられたら驚くだろう。
「あ……アイドルの皆さんからの好意が嫌になって辞めると」
「いや……まぁ、そうなんだけど」
その言葉を聞いてさらにプロデューサーは更に狼狽える。合っているようで合っていない気がする。
それでも強引に彼は言葉を連ねる。
「でも、もうアイドルのみんながトップアイドルになるまでは辞めないから」
*
彼の言葉に、にちかは怒りを覚えた。
彼女は自分の姉とプロデューサーをくっつけようと画策するために突撃したのだが、開口一番聞かされた言葉がそれだ。
まただ。まだ彼はアイドルというしがらみに、他人の夢のために自分が人柱になることを望んでいる。
アイドル達に好意をぶつけられて疲弊しているのに、まだ頑張ろうとしている。
にちかは呟くように聞いた。
「……トップアイドルって何ですか」
「え……?」
にちかの言葉に彼は目を見開く。
トップアイドル。麻薬の様に繰り返された言葉だったが、たしかにその言葉に意味はない。
ただ繰り返された意味のない、定義されない言葉だった。
「私は――私たちは! アイドルの皆さんは! 色んなことをさせてもらっています! そりゃ嫌な仕事もあるし関わりたくもない人もいるけど、それでもプロデューサーさんのおかげで色んなことをしました」
「……うん」
「ライブに出ました。美琴さんと一緒にバラエティにも出たし、大きなステージで歌いました。グッズも出して――ポスターも、CDのデザインも色んなグッズに口出ししました」
「うん……」
だから、だから……。
「――だから、もう良いです! 私は、私たちは……もう十分にトップアイドルです! 私たちは……あなたのおかげで、プロデューサーさんのおかげで十分アイドルとしての成功を収めました! だから、もう充分です! これ以上、プロデューサーさんの幸せを捨ててまで私たちに
言った。言ってしまった。
私たちの最大の貢献者である彼に、突き放すような言葉を言ってしまった。
「な……何か、言ってください」
自分の気持ちをすべて吐き出したにちかは気まずく、それでも果敢に立ち向かう。
――さすがに怒られるかもしれない。
しかし彼の言葉は違った。
「そうか……俺が……」
彼はうわごとの様につぶやく。
「俺は……みんなにとっての、神様だったんだな……」
「神様……?」
いきなりルカのキャッチコピーみたいなことを言い出した彼に戸惑う。
しかし合っているのかもしれない。あらゆるアイドルが信奉するように恋をするのが彼なのだ。
「そうか……俺は……また……」
「プロデューサーさん?」
相対するにちかは知らない。彼にはかつて彼を信奉していた女がいたことを。
彼のプロデューサーとしての行動すべてが自身を信奉するきっかけとなっていたことを。
彼はただ……プロデューサーとしてアイドルと向き合っていただけなのに。
「ぷ、プロデューサーさん!?」
静かに、静かに涙を流す彼に驚く。そりゃ何度かアイドルが何らかのコンペで勝ち上がって泣くという状況に立ち会ったことはあったのだが――
「すみません、私、ちょっと言いすぎて――」
「いや……いいんだ。にちかは間違っていない……間違っていないんだ……」
にちかは間違っていない。
ただ、彼はアイドルとの――対人距離を見誤っただけなのだ。
基本的に私は月1投稿をしていたのですが、来年度は忙しくなることを予見しているのと他に書きたい二次創作が見つかったので投稿を早めました。
ぬいぺにという単語はバキ童チャンネルで知りました。にちかがあのチャンネルを見てるかどうかの判断は読者に委ねますが、私は見てると思います。