桑山千雪に気をつけろ。
バイトの言葉はプロデューサーも覚えていた。
彼だって自分たちの行いでいろんなアイドルの精神を揺さぶったというのは事実だ。だから精神的に安定しているアイドルにしか積極的に関わろうとしなかった。
しかし、手が足りない。事務方には社長とプロデューサーと事務員のはづきと学生バイトがいるが、到底28人のアイドルを支えるには足りない。
だから今の状況のように千雪の送迎をするために2人きりの自動車で気まずい時間を過ごす事になった。
「………その、甘奈や甜花はどうだ?」
まるで子供の様子を離婚した妻に訊く夫みたいだ。
沈黙に我慢できなかったプロデューサーの声が頼りなく響く。
「2人とも元気ですよ。甘奈ちゃんは少し落ち込んでいますが甜花ちゃんがお姉ちゃんやっているので、私は特に負担なく過ごしています」
「そうか」
バイトの報告通り、アルストの状況は良くはないけど問題はないといった感じらしい。
加えて千雪もさりげなく自分の状況を答えたので今の様子が簡単に把握できた。
「良かった。甘奈や甜花もそうだけど……千雪が落ち込んでいなくって」
「あら、心外ですね。私だってプロデューサーさんとはづきが付き合い始めたって発表された夜は悲しくて、みんなで寮に集まってお酒をたっぷり飲みましたよ?」
責めているようには聞こえなかったが、その言葉にプロデューサーは「すまない」とだけ返した。
「俺は――」
「いえいえ、お二人の関係がやましいことではありません」
プロデューサーの言葉を強引に断ち切った。
「はづきさんがあんな風に苦しく、でも真摯に真剣に私たちに恋愛感情の詳細を話したんです。認めないといけないじゃないですか」
「……」
千雪の言葉にプロデューサーは反応しない。
「それに……プロデューサーさんの好みも分かりましたしね……」
「………?」
その言葉の意味をプロデューサーは理解できなかった。
*
会議室のホワイトボードの前で何人かのアイドルとバイトが並んでいた。ボードには大量の文章。いくつかの映画のタイトルが雑多に記されており、それぞれのタイトルに良点と欠点が並ぶ。
「………正気?」
バイトの言葉にアイドルが視線を向ける。
「どうしたんですか?」
「あー……いや、すみません」
バイトの言葉に訝しげな顔を向け聞いたのは果穂だ。
小宮果穂は現在中学3年生。成長し、精神も年相応の反抗期だが流石に付き合いもそんなに無いバイトに何かを言うことはない。
しかし彼がふと漏らした言葉が気になった。
「正気……って何ですか」
「え、あー……すみません」
バイトの言葉が少し苛立たせる。そんな様子に彼も気づいたのか一応の説明をした。
「アイドルたちで様々な映画のパロディをした朗読劇を作るなんて、無茶ですよ。やるにしても外注で脚本や動画を作るべきです。事務所だけなんて……」
「――無理だというのならば私だけでもやります」
「……そうじゃなくって」
今日はやけに苛立っているな、という思いを言わずにバイトは続ける。
「プロに任せるべきだと言っています。そりゃあこれまでだって動画サイトに上げるための動画は私や郁田さんがやって来ましたが……今回は流石にタダで見れる動画ではなくハコを使った企画にするべきです」
彼の言葉に、しかし果穂は反論する。
「それだと……自由にできません」
「自由……?」
「プロの演出家や脚本家を入れるとどうしても私たちの意見が無視されることもあります。今回は、そういうのを無しにしたいんです」
「………」
バイトは視線を果穂ではなく後ろのアイドル達に向ける。彼女たちは明確に視線をそらした。
何かあった、ということだろう。考えられる理由としては今果穂が参加しているドラマの撮影で何かあった。それが演出なのか脚本なのかはバイトにはわからない。
本来そういうのを解決するのはプロデューサーやほかのユニットメンバーであり、バイトは関わりたくないというのが本音だった。
しかし現在の事務所は完全に浮足立っている。仕方がないのでバイトが説得を試みた。
「あのですね、小宮さん。私みたいに映画の批判したり声優の反転アンチを煽ったり、自由にできるのは私が匿名のアマチュアで自分のアカウントだけで行っているからです。でも皆さんはアイドルとして朗読劇をファンに見せるんですから、生半可なモノではいけないしコンプラも守らなくてはいけない。品質の担保のために自分がやりたいことを犠牲にするにはプロとして無責任です」
「え……?」
お前そんなことしてたのか、という呆れが含むであろう言葉を無視して続ける。
「自分勝手にしたいのは勝手ですし私は責任を取らなくてもいい立場ですから仕事はこなしますが、動画サイトで無料で見られるからと言って無責任な作品を作ってもいいという理由になりませんからね」
「…………分かっています」
「――なら良いです」
こりゃ何を言っても駄目だな、とバイトは諦める。
何となく原因は分かる。自分が特別なこと――アイドルとしてステージに立っていたり演技したりしているからもっと特別なことをしたいと考えているのだろう。それが大人の事情で諦めさせられたから動画サイトという場所で自由に表現したいのだろう。
バイトも経験はあるのだが、もっと言うならば今でも似たようなことを考えており自分のアカウントでは自由にやっているが上手くいった試しがない。
「――すみません、私これからレッスンがあるので」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
失礼します、と果穂が会議室から出るとバイトは大きなため息をついた。
「――………っ」
「あの、すみません。果穂が――」
「だから構いません」
早速謝りに来た樹里を宥めるというよりも黙らせるようにバイトは言った。
「負荷は高めの仕事ですが……まぁ、頑張ります。下手糞なりにアイドルの要望をいい感じにまとめて脚本を書き、演じた内容を動画にして纏めるだけの仕事ですから。プロと比べると予算も責任も軽い軽い」
これからの仕事量を考えると気が遠くなりそうだったが諦めた。あとで社長に報酬の見積書を提出しよう。
「それよりも、小宮さん荒れてましたね。ドラマ撮影です?」
「はい……。その、聞きたいですか?」
「爆笑するほど面白そうですが遠慮しておきます」
最低限の社会性はあった。良くない自分を制御することぐらい考えてある。
それよりも気になったことがあった。
「それよりも、この――企画の発起人は?」
いろいろ言いたくなる口を強引にごまかして樹里に聞いてみた。
「千雪さんです。――最近、千雪さんが企画をバイトさんとしたって聞きましたが……」
「こんな内容は聞いていません。さすがにこんな企画は弾きます」
桑山千雪に気をつけろ。
数日前にプロデューサーに言った言葉が、まさかドンピシャな予測になることを予感して嫌になったが責任が小さいことをいいことに無関係でいようとバイトは考える。
(でも、プロデューサーにはこの企画のこと言っておかないと……)
*
ダンススタジオ、休憩スペース。
自販機の前のソファでレッスン明けの疲れを癒しながら小宮果穂はスポーツドリンクを飲む。
アイドルだから演技は適当でいいし、下手だよね。
ドラマの監督の陰口を見返したくて果穂はあの企画に参加することを決めた。
アイドルだから下手だとみられるのは嫌だ。だから、千雪の企画に乗ることにしたのだ。
「あら、果穂ちゃん」
「――千雪さん」
プロデューサーの送迎で同じダンススタジオにやって来た千雪が声をかけた。
「すみません――あの、朗読劇の企画うまくいきそうに無いです」
「……あら」
果穂の言葉に千雪が意外そうな声を出した。
「へぇ……。声をかけたのはあの企画に賛同しそうな、演劇や創作に興味のある子に声をかけたのに。はるきちゃんに円香ちゃん、美琴さん、夏葉ちゃんそれに結華ちゃんは止めないはずよね……。樹里ちゃんはストッパーとして動くかもしれないけど……」
千雪は思案しながら果穂の隣に座る。
「アイドルの人たちには特に止められませんでした。樹里さんも様子見程度で……。でもアルバイトの学生さんに止められました」
「へぇ……意外。あの学生さんなら積極的に手伝うと思ってたんだけどなぁ」
普段の彼の業務は動画の制作と脚本の制作。何度か彼が作った物語とはるきが描いた絵でオリジナルのおとぎ話を作ったりと思想はさておき創作意欲に関してはかなり高いあのバイトが?
「動画サイトで無料で見られるからと言って無責任な作品を作ってもいいという理由にならない――とか言って、怒られました」
ひどいですよね、普段はあんなに283公式チャンネルで動画作ってるのに。
そんなボヤキを千雪は黙って聞く。
「ただ止められはしましたが、強制的にやめさせる気はないようです。黙認――とは違いますが渋々……」
「ふぅん……。それは、ね」
――それはあの学生バイトにいろいろ聞き出さなくてはならない。
そう千雪は思ったが口には出さない。
「それで……企画の案出しは順調そう?」
「いえ……少し難しいですね。こういった事を経験したことあるのははるきさんしかいなくって……それに私もレッスンで途中退室しちゃいましたから……」
その言葉に千雪は何の反応も見せない。
責めるでもなく、慰めるでもなく、彼女は果穂に問いかけた。
「次回の企画会議に提案するためのアイデア出しに付き合ってくれる?」
「あ、はい。構いませんよ」
*
同時刻、事務所の会議室。
「――以上です」
あの会議の後、プロデューサーのために報告するために残った結華をプロデューサーは「そうか」と事務的に返す。
同じ会議室にバイトが残っているのは結華が暴走しないために見張っているからという理由が一番大きいらしく机にパソコンを広げて無言で作業をしている。二人の話し合いに関わる気は一切ないようだ。
「……千雪がそんな風な企画を打ち出していたとはな」
彼の言葉が疲労感を見せる。
「かなりまずいよね……。作業量も多くなるし、何より――」
「いや、それは構わないんだ。こっちが忙しくなるのは………まぁ構わない。問題は……なぜこんなにも千雪が張り切っているのか」
プロデューサーは様々な思考を巡らせるが、どうにも自分はこういう腹の探り合いというものが苦手である。すぐに諦めて目の前のアイドルに助力を求めた。
「結華はどう考える? 単純に千雪がやりたいことをしているのか、それとも何らかの策を打ってこんなことをしているのか」
「――……」
三峰結華はしばし呆けた顔をした。
本当は名前で呼んで欲しくなかったのだ。最近の彼女はプロデューサーとの距離感を間違えている。プロデューサーとしてではなく、叶わなかった片思い相手として彼を見ている。
でもその胸の内を明かさないように彼女は努めて感傷的にならないように口を開いた。
「……少なくとも、千雪さんはそこまで腹黒くないと思う。――これまでは、という但し書きが必要だけど。今年はイレギュラーが多すぎる。りんりんや――私の告白、アイドルたちの積極的なアピール、そして……はづきちさんとの……。急展開する状況に千雪さんが”なりふり構わなくなった”という可能性はある」
「でも、俺はもう……はづきと恋人になってるんだぞ……? そんな相手を未だに諦めずに……」
「分からない。でも……」
結華はかつて演じた283プロのスペシャルドラマの一節を思い出しながら言う。
「恋人がいる、しかもその相手は自分の親友……ってそんな状況だからという理由で、自分以外のライバルが自分の親友だけになったというこれまでとはありえないレベルの好状況で、猛攻を緩めるなんて――そんな間抜けなこと、桑山千雪がすると思う?」
「………」
否定しようと思ったが出来なかった。
アプリコットの一件の獰猛なハングリー精神、基本的に「事務員」という体裁を崩さない七草はづきの親友になることができた懐柔力、女性が恐怖を覚えるほどの天然性……これまでのアイドルとしての活動が結華の文言を否定することができなかった。
pixivでも投稿しています。最近物騒なので、一応報告です。