葛の恋   作:勉強サボ浪

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大学4年生夏、いまだ内定なし。
夏バテ、エアコン症……夏は嫌だ。


回り道の恋の結果

 運命を感じた。

 曖昧で詩的かつ抽象的、普遍的な文言は基本的に自分の感覚とどうしてもズレが生まれる。慣用句やことわざなど、人類が生み出した一節は自分の体験と100%一致することはない。

 それでも、彼との出会いは陳腐な文言を100%肯定できる。

 己の人生を、価値観を、自分のすべてを代えても彼の人生に関与したいという欲。生殖本能に似た、自己被認識欲とも言うべき彼の人生を私に関与したい、私の人生を彼に奪い取ってほしい――。

 あの時、ただすれ違いがけにボタンのほつれが気になっただけの長身の男に私は人生を変えられてしまったのだ。

 恋愛感情、と一括りにされるのは違う。自分のアイデンティティが崩壊し、これまでの自分が大きく変わる感覚を感じたのだ。

 自分の趣味と同時に行っていた手芸の道を活かす方向で、店員時代の経験で得た優しさを利用して、しかし創作という場所にいるが故の貪欲さ、何より彼に関わるという飢えで私はアイドルという道を選択しその道を突き進んでいった。

 しかし問題があった。アイドルでなければ彼と関われないが、アイドルとしてだと彼のプライベートに関われない。彼には自分の一生に関わって欲しいのに、その関係性は現状では不可能。一番私が望む関係に近いのは恋人という関係だったが、アイドルとプロデューサーという関係がその道をふさぐ。

 変化を望みつつも、変えることができない現状に私はやきもきしていた。

 そして彼と出会って3年の月日がたった。

 彼は私の親友と恋人となった。

 好機だった。

 彼は女性に興味がないのかとも思っていた時期だったため、彼が人間として真っ当な感情を持っていることに安心した。

 彼に恋愛感情を抱く者は多くいたが、そのほとんどが失恋をすることになった。これによりライバルは両手で数えられないほどの数から私の親友だけになった。

 あとは奪い取るだけである。

 親友とは打算がない関係だったが……先に抜け駆けをしたのはあちらだ。今回ばかりは仁義から外れる決意をした。

 

 

 事務所は案外、平和だった。

 はづきとプロデューサーが恋人になり、それを発表してから1ヶ月が過ぎようとしていたが特段問題が起きていない。まぁただの社内恋愛に口を出すこと自体が異常なのだが。

事務所では2人が並んで各々の事務作業をしている光景が多々見られるが、仕事を放っていちゃついていないのが功を奏した。

 ……いや、少し気が気でない。

 

「プロデューサーとはづきさんってあんまり恋人っぽくないよね」

 

 共有スペースでシーズとコメティックがたむろっていると美琴がそんな事を言った。やっかみや嫉妬ともとれるその言葉にコメティックが色めき立つ。

 

「美琴さん、あんまりそういう事を言っちゃぁ……!」

 

 はるきは視線をスマホから事務机を伺う。しかしプロデューサーは会議室で朗読劇の詰めを、はづきはストレイの引率でいない。しかし陰口とも捉えられかねない言葉を何の臆面もなく言った美琴に非難の視線が集中する。

 

「……美琴、さすがにそれは良くないだろ……。――色々思っているのかもしれないけど、あの2人に失礼だ。本人がいないとはいえ」

「あー……うん、そうだよね。ごめん」

 

 自分の思いが伝わりもしなかったことに未だ後悔しているのだろうか。ふと漏れた言葉に美琴は謝罪した。

 でもきっかけが出来たのだからそこから火は燃え上がる。

 

「――でもあんまりそういう話聞かないよねー。何でなんだろ」

 

 おずおずといった様子で、でも興味津々を隠さずに羽那が言う。

 

「羽那――」

「えー、でもこういうオフィスラブものだったらさ、みんなに隠れて資料室でいかがわしいことをする――って王道展開じゃない? でもあまりそういう話聞かないなーって」

「いかがわしい……?」

 

 性知識に若干疎い美琴が「いかがわしいこと」が一体どのような行為なのか想像しているとにちかが言った。

 

「そんな事ないですよ」

「あっ、はづきさんの妹さん」

 

 羽那がおどけたような口調で言ったがにちかはそれを無視。

 

「お姉ちゃ――いや、七草さんはすでに7月あたりからは2週間に1度は帰ってこない日があって、今は5日に1度しか帰ってきませんから」

「えっ」

 

 その情報、特に前半の部分に全員が注目をする。

 

「そんな前から……!?」

「ですですー……。私には千雪さんと飲みに~とか言ってたけど……まぁ、そういう意味なんでしょうね……」

「……それ、言ってよかったのか?」

「かまいませんよあの色ボケ姉の尊厳なんか。それにあくまで推測ですからー」

 

 どちらかというとにちかを心配したルカの言葉に不貞腐れた子供のようににちかは返す。

 

「ほんっと、同棲するのならずっとプロデューサーさんの家に居ればいいのに……」

「……お姉ちゃんを取られて、ちょっと妬いてる?」

「――はぁっ!?」

 

 はるきの指摘ににちかは頬を赤らめながらも、体で心外を表すようにわざわざ立ち上がって反論した。

 

「べ、別にあんな色ボケに――いろんな人たちの純情を弄んでいたプロデューサーさんもそうですけど、でもそれを横から搔っ攫ったあの姉なんてどうでも……! ただ、家に帰ると全部の家事私がやらなくちゃいけなくって、面倒だなーって、それだけですから!」

 

 彼女はひとしきりガーっと喋ると不満を隠しもせずに乱暴にソファにぼすんと座った。

 不貞腐れたようにそっぽを向くにちかに隣にいた美琴が愛おしそうに頭を撫でた。「ふぃっ!?」とにちかがびくりと体を震わせて、そしておずおずと美琴の顔をを伺い見る。

 

「あの、美琴さん……?」

「いや、かわいいなって」

「かわいい……!?」

 

 ドキマギするにちか、互いに手を繋いで「おぉ……!」と色めき立つ羽那とはるき。

ルカにとっては1ヶ月前のあのイベントから割かし見るようになってだいぶ慣れてしまっている。アイドルの百合営業も本物もルカは見慣れていたが、今の状態がどちらなのかは彼女には判断できない。

 

「にちかちゃん、明日私の家に泊まりに来ない?」

「え、あ、は、はい……」

 

 呆然としたまま「不束者ですが、よろしくお願いします……」と続けるにちかと本人たちを目の前に噂話をし始める羽那とはるきが対照的だった。

 

 

 会議室のホワイトボードには雑多な文言が金釘流に打ち込まれている。

 

「それじゃあ朗読会の方針は決まったということで良いですか」

「……あぁ」

 

 果穂が憮然とした表情でプロデューサーに訊き、回答を聞くと「じゃあ失礼します」と出てってしまった。

 

「――それじゃあアタシたちも帰るよ」

 

 おずおずと状況を窺ったのちの樹里の言葉によって会議に参加していたアイドルたちが会議室から退出していく。

 プロデューサーは小さくため息を一つ。

 

「お疲れさまでした、プロデューサーさん」

「うぉっ、おつかれ……」

 

 気が抜けていたせいか、彼はまだ千雪が部屋から出ていなかったことに驚いた。その様子に千雪がくすくすと笑う。

 

「どうですか。上手くいきそうですか?」

「あぁ、きっと上手くいくよ」

 

 今回の朗読劇はさすがに難しかった。プロの脚本家ではなくアイドル達に一任するシナリオ、それがゆえに会場は用意できない。今を時めくアイドルたちが作ったとはいえ素人が作った脚本の朗読劇に大金を払わせるのは気が引ける。無論それを言い始めると少女を人柱にして金稼ぎをしているアイドル商業が成立しないというのはプロデューサーもアイドルも理解している。

 だからプロデューサーが考案したのは双方向会議システムを利用した配信だ。いつぞやの放クラの「死神」の朗読を想起させる。

無論、双方向会議システムと銘打ったものを使うが基本的にアイドルからの一方向であり、内容も冒険しない内容にする。「死神」のときは元が完成しきったパブリックドメインを少しだけ――しかしオチを盛善的に改変したから問題が起きなかった。

 しかし今回は違う。内容はいくつかの有名な映画のパロディだが完全なオリジナルだ。金を取るべきか、取るにしてもいくらにするかかなり問題だったが社長や他プロダクションと相談し500円という子供のおやつ代程度の値で妥協した。

 

「しかしいろんな映画をみんな見ているものなんだな……」

 

 ホワイトボードに記された映画のタイトルの一覧を見てプロデューサーが息を漏らす。透に助力を求めたのは正解だった。意外にも彼女はここで記されている7割の映画の内容を知っていた。

 

「見たことがあるものもあるが……知らないものが殆どだ。――お客さんにパロディだと理解してもらえるのか……?」

「それは………――そうですね、公開の1ヶ月前からキャストが各々の動画で紹介するとかどうでしょう!」

 

 千雪が少し考え込んでその場で考えたであろうプランは一見すると良案だが、この量の映画をすべて見るのは難しいだろう。加えて一般人ならともかく名の知れた有名人が映画のレビューを行うと市場に大なり小なりの影響が起きる可能性がある。

しかしそれ以外の方法を考えるのは……まぁ後々でいいだろう。

 

「しかし千雪は特にいろんなものを見ているんだな」

「――! はい、もとから映画は好きだったんですけどアイドルになってからいろんな人の演技を見たいと思って映画館に足を運ぶようになったら――好きになっちゃって」

 

 さり気なく自分の好きを主張する千雪に「へぇ」と感嘆の声を挙げるプロデューサー。

 

「これだけの量を把握するのは難しそうだ」

「ですよね。………――じゃあ」

 

 あくまで彼女は提案という形を崩さずに問いかけた。

 

「どうです? 今夜あたりに映画のことを話すために……」

 

 

 やったやった、やった。

 

 他のアイドル達が帰宅した夜。事務所のテレビをネットにつなげてプロデューサーさんと一緒に映画観賞会。千雪はメジャーではないものの好きな映画の1つを彼と並んで鑑賞する。何度もその映画を見ている千雪を気遣ってか彼は謙遜していたが、良い映画は何度見ても面白いものだと伝えると彼ははにかみながらも一緒に見ることを決めてくれた。

 映画の内容は共通の知人の結婚式に参加した赤の他人がいがみ合いながらも徐々に惹かれあうという洋画のラブコメディだ。

野外でピューマに襲われそうになり逃げ出した2人が吊り橋効果だの言いながらおっぱじめ始めるシーンは正直この作品が好きな千雪にも未だに理解できていない。横目でチラ見すると彼も性的興奮や気恥ずかしさというよりも困惑の表情を見せていた。

 このシーンがあったのにどうして彼とこんな映画を見せたのかというと、当てつけである。

 はづきと彼の情事はあの発表で何となく察しがついていた。にちかが把握していたはづきの飲みのスケジュールと千雪が実際にはづきと一緒に飲みに行った頻度を比べると齟齬がある。はづきとの会話からおそらく4月あたりには体だけの関係があったのではないか?

 他人の情事を考えるのはあまりにも不躾だが――

 

(はづきは私の恋愛感情を裏切った。あの日、私を応援するという言葉は嘘だった)

 

 だからある程度のマナー違反も許されるだろう。

 そしてこれから起こる事も――

 

「終わりましたね」

 

 エンドロールが流れ始める。この作品はアニメでいうところのCパート、エンドロール後の映像が無い。

 

「プロデューサーさんはエンドロール全部見ますか?」

「いや……見ないかな」

 

 洋画のエンドロールはとても長い。彼が断わったのもそういった理由だろう。

 

「どうします? これから」

「どうって――」

「映画、2つ目見ますか?」

 

 疑問の声を上げそうになった彼の言葉を強引に打ち切って聞く。「あぁ……」と安心したような声を上げる彼に千雪は微笑んだ。

 だって彼に罪悪感を抱かせたら絶対に逃げる。きっと今夜が最後のチャンスだ。

 

 ここで堕とさないと。

 

「――見たいのはやまやまだけど、晩御飯食べていないから」

「事務所にあるものを簡単になら作れますよ」

「それは……悪いよ」

「いえ、プロデューサーさんには今回の朗読会で真似る映画のことを少しでも知って頂かないといけないので……ね?」

 

 小首をかしげて同意を促す。アイドルの要望と仕事という建前にプロデューサーは断り切れないのはこれまでの経験で分かっている。

 

「じゃあ――甘えようかな」

「はぁい。楽しみに待っていてくださいね?」

 

 この時の千雪の思考はこれから作る料理の内容ではなく、どうやって彼を堕とすかという打算と自身の公算通りに巧くいっていること歓喜だった。

 

 

 映画2つを見終わったときは時刻はすでに9時を超え10時になろうとしていた。

 

「ん、んー……。ふぅ」

 

 千雪は同じ姿勢であった体をほぐす――という体面でわざと体を反らしで胸を強調し色っぽい声を出した。

 効果が少ないということは重々承知しているが、今は少しでも堕としたい。

 

「疲れたか」

 

 実際に彼の千雪を気遣う言葉は淀みのない、プロデューサーとしての声だ。

 

「えぇ、少し」

 

 隠せ、隠せ。自分の本心を隠せ。

 あともう少しで、私の悲願は叶うのだ。

 

「俺も少し疲れたよ。やっぱり2本の映画を一気に見るのは無茶だったのかなぁ……」

 

 彼も立ち上がって伸びをする。

 

 ――今だ。

 

「……でもこんなに夜遅くまで引き留めてしまうなんて……彼女さんに怒られてしまいそうですね」

「――きちんとはづきには遅くなるって連絡しておいたから大丈夫だよ」

「でも、新婚さんなのに?」

「からかわないでくれ。それに、まだ結婚してない」

「――ふぅん」

 

 結婚していない。ならば――奪い返しても構わないだろう。

 

「じゃあ……どうです? 休憩ついでにどこかに――」

 

 どうする? 一度バーか何かでワンクッション置くか? それとも、もうそのままホテルへ突っ込むか?

 そんな思案を舌の上に乗せようとしたとき――

 事務所の共有スペースのドアが開いた。

 

「――………あぁ、いた」

「――……!」

 

 入ってきた人物は千雪の親友で、彼女から片思い相手を奪った女――七草はづき。

 彼女はあえて千雪のことを無視して彼に近づいてきた。

 

「もう~、恋人をほっぽいて他の女の人と一緒に映画観賞会なんていけないんだ~」

「ご、ごめん――」

「いいえ~、あなたがプロデューサーさんとしての仕事をしているだけですからね~。……嫉妬はしますけど~……」

「……ごめん」

「いえいえ~。そのぶん、家では思いっきり甘えますけど……。事務所ではみんなのプロデューサーさんですけど、家では私のものですからね~」

 

 「私のもの」。それは彼を奪い返そうとして来た自分への牽制だろうか。

 千雪は、何も言えない。

 何も、言えない。

 はづきがやってきた時点で千雪の企みは崩壊したのだ。

 

「あ、千雪のスパゲッティ。おいしかったでしょ?」

「あ……えと……――彼氏さんに餌付けしてすみません……」

 

 かつて親友だった関係はいざ知らず、千雪は他人行儀にはづきに言う。

 

「いや? そんなことはないよ、千雪。――でーも~」

 

 はづきは、笑顔で、何の感情も載っていない笑顔で千雪に近づいてきた。

 ダメ。

 ダメ……。

 ――来ないで。

 

「――千雪」

「……な、なに……」

 

 はづきは千雪の耳元に顔を近づけ、囁く。

 

「ごめんね。でも先に好きだったからって、友達の恋人を略奪なんてしないでね?」

「――っ!」

 

 千雪は思わずバックステップしながら、はづきを突き飛ばしながら――

 

「――どうして……」

 

 千雪は涙を流しながら、目の前にいた女を睨もうとして、できない。

 彼が一瞬手を伸ばして仲裁しようとしたが、すぐに気まずそうに眼をそらして手を下した。

 

「どうして、私から、プロデューサーさんを、好きな人を奪ったの……!? どうして、どうして……」

 

 ガタリ、と千雪は足から崩れ落ちた。何も力が出ないと言うように。

 もう、目の前の最愛だった2人の顔を見たくなかった。

 

「――出てってください。後片付けは、私がやるので」

 

 そう言うのが、精一杯だった。

 

 

 2時間経った。あの言葉を素直に頷いて2人は事務所から帰っていた。

 

―――

「早くしないと、他のアイドルに盗られるんじゃな~い?」

 

「私、プロデューサーさんのこと奪っちゃってもいいのかな~?」

―――

 

 いつだったか、そんな会話をはづきとしたことを思い出した。

 文字通りだった。早く行動しなかった結果が「自分の思いも伝えられずに親友に想い人を盗られる」だ。

 そして親友との関係ももはや修復不可能に思える。

 回り道をした恋の先には、ただ後悔しか残っていなかった。

 煌々と光るテレビの画面には映画のサムネイルと説明文が記載されていた。いつも彼女を没入させる大人たちの不器用な恋を描いた作品は、今の千雪の心にはなにも響かなかった。

 

 

 

 




元ネタは「大人の恋は回り道」というキアヌ・リーブス主演の映画です。
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