現在プロデューサーに恋愛感情を持っているアイドルは数多い。しかし、彼女たちの中にはその恋愛感情をあきらめた人物が幾人いる。三峰結華はすでに同ユニットの月岡恋鐘を応援する方向で、黛冬優子は事務所の様子を静観、風野灯織は未だ自身の感情を恋愛感情だと気づいていない。
そして、プロデューサーは全員の恋愛感情を把握しているわけではない。
必然的に「爪痕すら残らない」恋愛が出るのだ。
*
七草にちかは悩んでいた。
といっても、将来の問題ではないし自身の恋愛の話でもない。最近はようやく事務所のメンバーと上手くいっている。
では何なのか。
「にちかちゃん、プロデューサーの話なんだけど」
「あー、はい」
事務所のキッチン。移籍から3年が経つ緋田美琴は、最初は「レッスンマシーン」と渾名されても仕方がないほどのストイックさだったが日々の生活によってようやく文明人らしい生活を得てお菓子が作れるような趣味を獲得した。
にちかは蒸し器からもち米を取り出すと美琴と一緒に練り始める。
「最近、プロデューサーいろんな人からおすそ分けしてもらっているみたいだから私からは控えたほうがいいのかな」
「いえいえ! というか、美琴さんはいつも以上に頑張ったほうがいいと思います」
「そうかな?」
「そうです! だって事務所の人、たっくさんプロデューサーさんのこと狙ってるんですよ!頑張らないと、盗られちゃいますよ!」
断っておくとにちかはプロデューサーに恋愛感情は抱いていない。だから純粋に美琴のプロデューサーへの恋愛感情を応援しているのだ。
「月岡さんや千雪さんなんかはむっちゃプロデューサーに餌付けしてるんですよ! ここで逃げは絶対に悪手です!」
「うん……でも、私は他のアイドルなんかよりも料理の腕が低いから……。だからご飯とかじゃなくってお菓子を差し入れにしてるけど……そんなことをしたらプロデューサーが太っちゃうんじゃないかなって」
「大丈夫ですよ! あの人、ぽっよーんですから」
そう言いながらも、にちかは美琴を見て(所帯じみてきたなぁ……)と軽く感動していた。
共有スペースのドアが開かれる音が聞こえる。作業の手を止めずに見ると斑鳩ルカがいた。
「おっ、美琴――と、にちか」
にちかの名前を呼ぶときだけ苦々しくするルカににちかは特段なんの反応も返さない。
「――って、またお菓子作ってんのか。あのプロデューサーのために」
「なに? ルカには関係ないでしょ」
「確かに美琴がプロデューサーに惚れていることは私には関係ないけどさぁ」
ルカは辺りのにおいをかぐ。
「もち米……?」
「今日は柏餅だよ。いろんな人がプロデューサーに差し入れするから、カロリーが低めの和菓子にしてみたんだ。そろそろ子どもの日だしね」
「ふーん……」
変わったな、とルカは思いながら雑談を続ける。
「……そういえば、あのプロデューサー。誰とも付き合わないって言ってるらしいけど」
「ちょっ……」
にちかが思わず作業の手を止めてルカに抗議するように見る。
「なんだよ」
「何って……そりゃ、美琴さんが一生懸命あの人を振り向かせようとしている最中なんですよ?そんな時に水を差すなんて……いやー、ないですねー」
その声にルカはうなり声をあげる。
「なんだよ!私は美琴のことを思って――」
「ルカ」
美琴はルカの発言を遮るように呼び掛けた。
「いいの。これがたとえ報われない恋だったとしても……私はあの人のことが好きだから。だから……がんばるの」
「…………でもなぁ」
「それよりも、暇なら手伝ってほしいな。ルカが私に恋を諦めさせたいのは何となく察しているけど、私は諦めないから」
「………はぁ……」
ルカはため息をつくと嫌々ながら手を洗い始めた。
「私、何すればいいんだ? 自炊経験はあるが、お菓子はないぞ」
「もち米を練って、丸めて。あんこは市販のものを使うから」
「あんこ売ってるやつ使うのか!?」
「時間なかったんですよー……」
ルカの実家はそういうのはきちんと拘る家庭なのかもしれない。 にちかの言葉に苦い顔をしながらルカはもち米をこね始める。
「しかし、こんな量……事務所のみんなにも配るつもりか?」
「うん。にちかちゃんや恋鐘ちゃんには色々世話になったから、そのついでにね。2人にはお菓子作りを教えてもらったから」
「いつのまに恋鐘とそんな関係に……」
「というか、ルカさんもいつの間にか事務所に馴染んでましたよねー。なにかきっかけがあったんです?加入当初は誰にもつるまないって感じだったのに」
「あー……それは灯織がいろいろ便宜を図ってくれてな……」
キッチンで3人の談笑が始まる。彼女たちにはかつて様々な問題があったが、ある人の手助けによりある程度は解決していた。残りどれだけ歩めるかは本人たちの双肩にかかっているだろう。
*
さて彼女たちのわだかまりを解決した男はというと――
「さて、今回お前たちに来てもらったのは他でもない……アイドル達との付き合いについてだ」
社長の言葉にバイトが目だけを動かしてプロデューサーを盗み見る。彼の言わんとしていることは何となく察した。
「プロデューサーは――こう、はっきり言うのは憚れるが、アイドルからの好意をどうするべきか考えてほしい」
「すみません……」
と、言ったものの彼はすでに凛世を振っているのだが。
「――予め言っておくが、私はお前がアイドルと結ばれるとしても……まぁ色々な手続きを踏んでくれるのならば構わんと思っているぞ」
「え――」
その言葉にプロデューサーは驚いたような声を漏らした。
「アイドルと結ばれるにせよ、他の一般人と付き合うにせよ……私は構わん。だが早く事態を収拾してくれないか。……このままだと事務所が内部で崩壊してしまいそうで怖くてな……」
「はぁ……」
社長の気苦労を感じ取ったが、プロデューサーはあまり乗り気ではない。
生半可な返事をしたプロデューサーにバイトが忍び笑いをする。きっとプロデューサーの恋愛下手に嗤ってしまったのだろう。
「バイト、自分は無関係な顔をするな。お前は逆にアイドルとのコミュニケーションがとれていない。彼女たちは確かに自分から輝くものだが、輝かせ方も考えないとその魅力は半減するぞ」
「…………善処します」
まさか自分は叱られるとは思っていなかったのだろう。バイトは気まずそうに視線をそらした。
「じゃあ、バイトは今日の業務に戻れ。プロデューサーは面談の続きだ」
「はい。――失礼します」
バイトが社長室から出ていくと、社長は深く椅子にもたれた。
「それで――あのバイトを雇って良かったか?」
「はい。今まで配信オンリーだった事務所のチャンネルに動画という選択肢が増えましたから」
プロデューサーもはづきも、他のアイドルもわざわざ動画を製作する余力も技術もない。簡単なものではあったがバイトが作る動画がアイドルの仕事につながったこともあり、かなり重要な立ち位置になっていた。
社長は軽くうなずくと、大きなため息をつく。
「それで、お前は――」
「…………」
「……わかっている。お前の昔のことは把握している」
「……はい」
「でも……だからこそ、はやく立ち直ってほしい。でないと――七草にも」
「――すみません」
様々な感情を巡らせて彼は謝罪の言葉を述べた。
必修単位、落としました。