2023/12/05
誤字修正しました。報告、ありがとうございました
初夏の事務所はクーラーをつける程ではないが少し汗ばむ。
「プロデューサー、少し暑いですよねー。やってあげますよー」
「え、なにを――うわっ!?」
タイピング音しか響いていなかった事務所の静寂がぶしゅーと打ち破られた。不意に冷却スプレーを吹き付けられたプロデューサーが椅子から飛び上がる。たむろっていたアイドルたちがこちらを見る。
「摩美々―っ!」
「ふふー。摩美々が後ろにいるのにー無防備にしていたプロデューサーが悪いんですよー」
摩美々がニマニマといたずらに成功した猫のように笑う。
その様子を見てプロデューサーのことを愛しているアイドルは一体なにを思うのか。
(田中摩美々……!恋愛感情を持っているアイドルをからかいに来た……私たちじゃあいつにちょっかいをかけることはできない……)
使い捨てマスクと猫かぶりの下で黛冬優子は分析した。
摩美々に恋愛感情があるかどうかは冬優子には分からない。
摩美々は恋鐘のように分かりやすいわけではないし咲耶の様に自分の感情を素直に出力しない。結華は完璧に誤魔化しているが故に同じ穴のムジナの冬優子にとっては逆にわかりやすい。霧子は……そもそも彼女は恋愛に限らず俗世的な感情を持っているのだろうか?
恋鐘のように明け透けでなく咲耶みたいに素直でなく、しかし結華のように鉄壁というわけではない田中摩美々という女は何もかもが中途半端で冬優子からすればその真意を測ることができない。
田中摩美々がプロデューサーの後ろから抱き着く。その様子は構って欲しそうに主にいたずらをする猫のようだ。
「摩美々……抱きつかないでくれ……!」
「――ふふー、照れてるんですかぁ?照れてるんですねぇー。学生に言い寄られて、恥ずかしいんですねー」
「摩美々……からかうな……!」
プロデューサーに惚れたアイドルの刺すような視線の前に摩美々はあえて見せびらかすように彼の首元に顔をうずめた。
*
その様子を七草はづきは冷めたような視線で見ていた。
田中摩美々の行いは自分のと似ている。
要は構ってもらいたいのだ。友人が、自分が好きな男を愛している。だから己の感情を素直に吐露できずに不器用な劣情をぶつけてしまう。
友人を傷つけたくないがために自分も友人も傷つくような消極的な行動をとるしかできない。
(つくづく碌でも無い……1人の男を争ってアイドルたちが――事務所が崩壊するんじゃ……)
もっとも一番崩壊する要因をバラまいているのは定期的に夜の誘惑をするはづきなのだが。
はづきもアイドルたちがどのような応酬を繰り広げているか全てを把握しているわけではない。千雪経由で様々な情報を得ているが、それも完全ではない。
とりあえず今はアイドルたちの不和は起きていないようだが時間の問題だろう。
……むしろ起きてほしい。このまま誰も幸せにならないまま消極的な攻めがズルズルと続くのならば、関係が面倒なことになることは明白だった。
誰かが悪役になってこのぐずついた空気を変えなければならなかった。
*
三峰結華は長考する。
(事務所の中で考えると――まののん、ひおりん、こがたん、まみみん、なーちゃんに千雪姉さん、りんりんになっちゃん、ふゆゆ、とおるん、美琴さんは確実に黒だなぁ……。さくやんも大分本心隠せてないけど身を引くそぶりはあるし……。問題はめぐるんとひななん。どちらかといえば親愛が強めだけど多分恋愛感情は生えて……うーん)
樋口円香のことが頭にかすめたが、あれは一旦考えないことにする。あれを信頼とするか恋愛とするかは本人たちが決定することのように思えたからだ。
問題は、自分もプロデューサーに対して恋愛感情を持っているということである。
(この均衡を破るには誰かが行動しなくちゃいけない。……でもりんりんが告白失敗したから殆どの人があと一歩のところで尻込みしちゃってるんだよなぁ)
結華ははづきと同じことを考えていた。このままアイドル同士がけん制しあっている状況は誰にとっても良くならない。
凛世が最初に告白したものの逆に事務所のアイドル全員を竦ませてしまった。他のアイドルは差し入れ程度で、あとは摩美々が行う「構ってポーズ」ぐらいだろう。それ以上は事務所内のアイドルは行っていない――はずだ。
結華は七草はづきがプロデューサーに恋愛感情を持っていることはおろか肉体関係を持っていることすら知らない。はづきが事務所の中とホテルの中で態度を大きく変えていることとアイドルのように照れたりしないため誰も気づかなかったのである。
このままじゃいけない。このぐずついた空気をどうにかするために――
「――いやいや……それはだめでしょ……!」
脳裏に浮かんだ「自分が告白するという」アイデア。自分が犠牲になることでアイドルたちの積極性を高めるという自爆覚悟の火付け――そしてもしかして自分が彼の恋人になるかもしれないという淡い願望。
抜け駆け――いや、凛世が既に告白したのだから抜け駆けとは言えない。
こがたん以下アンティーカの他のアイドルに申し訳が――
「いや、これじゃ他のアイドルたちと同じでビビってるだけじゃん……!」
いろいろ考えると逃げてしまうことは自分のこれまでの言動を基に考えると容易に判断できることだった。
だから考えるべきことは一つ。
(――私はあの人と今の関係のままで我慢できるか)
考えること数秒。結華は自分の選択を採った後行動に移した。
*
翌日。283プロにて。
「プロデューサーっ」
結華の呼びかけにプロデューサーはパソコンの画面から顔を上げた。
結華の表情は笑顔だが、彼は知っている。笑顔が少しひきつっている。それに二人称がPたんではなく「プロデューサー」だ。何かをごまかしている時の表情だ。
「……どうした?」
少し緊張して応えると結華は少し恥ずかしそうに眼をそらして、絞り出すように指を弄って話す。
「プロデューサーは、さ………」
紅潮した頬に焦点の定まらない、しかし覚悟を決めた眼。この感じは知っている。凛世に告白された時と同じ――
「あー……ごめんね。――このままいくといろいろ考えちゃって、尻込みしちゃいそうだから……さ」
そのときドダドタと慌てたような音が玄関から聞こえてきた。適当に話を打ち切ってしまおうとプロデューサーはデスクから立ち上がって――
「だ、誰だろう――ちょっと行って」
「――ダメ。行かないで」
結華がプロデューサーの左腕に抱きしめるように引き留めた。振り放されないためにかぎゅっと抱きかかえられて動けなくなる。
「ゆい――」
「プロデューサー、私は……三峰は、あなたのことが、好き、です……」
「え――」
結華の間髪入れず行われた告白にプロデューサーは目を白黒させる。
彼女の表情は冗談を言っているように見えない。あの、凛世が告白した時と同じ動悸によって酩酊した表情――
「プロデューサー!結華みと――ふぇっ!?」
恋鐘が焦ったように扉を開けて押し入って、驚愕の表情を浮かべる。
「――遅かったかな」
続いて入ってきた咲耶がこちらを見て予想が当たったという感じでため息をついた。
2人が入って結華は体をびくりと震わせたが抱き着いた腕を離すことはしない。
焦りながらもわたわたと体を振って結華を引きはがそうとするプロデューサーを見て咲耶は苦笑した。
「結華、2人もいることだし離れて――」
「あぁ――いいんだ」
未だ離れまいと彼の腕にしがみつく結華を見て微笑みながら咲耶は手を上げて制した。
「結華は宣言通り告白した。……それだけのようだね?」
「宣言通りって……」
と、困惑の声を上げたプロデューサーに咲耶はスマホの画面を見せる。そこには昨日のチェインが一つ。
三峰「誰もプロデューサーに行動しないのなら」
三峰「あした、私はプロデューサーに告白します」
これを見てプロデューサーは腕にしがみつく結華を凝視する。
「――結華」
「まったくたい」
恋鐘が疲れたような声を出す。
「こいのおかげで寮のみんなば、右往左往。でもほとんどの人が仕事やらレッスンやらで誰も結華の告白になんも出来んくて」
恋鐘は疲れたような、やりきれないような表情でなおも腕にしがみつく結華を見る。彼女の顔は肩に隠されてて見えない。
「な、なぁ――」
とりあえず声をかけようと考えたとき、結華はさっきまでの必死さを振り払って名残惜しそうに腕を離した。
「ゆい――」
「返事はいいよ。どうせ振られるって分かってるし」
「――」
彼女の言葉にプロデューサーは黙ってしまう。実際彼女の告白を振るつもりではあったからだ。
「だけど、これだけは覚えていてほしい」
涙をいっぱいたくわえた結華がこちらを見ながら言った。
「私はりんりん――杜野さんみたいに大人しくプロデューサーの意思を変えるつもりはないから。改めて惚れてもらおうだなんて思っていないから」
結華はここでようやく息を整えた。目をつぶって深呼吸。
「後で後悔しても知らないから。Pたんが見向きもしなかったアイドルがいい女になっても」
半分からかいの意識をねじ込もうとして上手くいかなかったのだろう。ぎこちない笑みを浮かべながら結華は微笑むとこちらを呆然と見ている2人のアイドルをみた。
「そして、2人とも。特にこがたん。事務所内の雰囲気を重視してけん制しあっているのは良いけど、三峰みたいに暴走しちゃう子もいるから早くしないといけないよ」
「結華……」
2人は困惑したような表情で三峰を見て、そして頷いた。
*
急いで家に戻る。手洗いうがいも忘れない。
乱雑に置かれていたぬいぐるみを手に取りベッドに勢いよく転がる。
そういえば化粧を落としていない。
そんなことを思いながらも結華は動かない。
動けない。
窓は梅雨の雨天を示しており、頭痛の原因の一つを示している。
でも頭痛の主な原因はそれではない。
「これで私の恋も終わりかー……」
結華は大きくため息をつく。
この3年間、プロデューサーと出会ってアイドルを始めて。
それなのに運命を感じちゃって。
自分の恋心を隠しながら「できる女」感を演じながら。
自分の悪いところを必死に隠しながら、ときおり自己嫌悪を見せてしまい彼に甘えてしまって。
何度ベッドの上で自分とプロデューサーが結ばれる妄想をして。
「これで終わりかぁ……」
だから今日だけはただの少女のままでいさせて。
結華は眼鏡を外し袖で目を隠しながら涙を流した。