沢山の才能を終わらせてきました。
自分には、人間の気持ちというものが、理解できないのです。
自分はさる名家の令嬢として生れましたので、フットボールの試合を見たのは、よほど大きくなってからでした。
自分はボールを、蹴って、走って、そうしてそれがゴールの中に入れる遊戯だという事には全然気づかず、ただそれは子供っぽくじゃれ合うように、勝ち負けなんて無く単純で、仲良く運動をするための遊戯だとばかり思っていました。
しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ボールの蹴ったり
というのも、自分は子供の頃、屋敷の使用人と蹴鞠をしていましたので、フットボールもやはり、競い争う遊戯ではなく、ただ高く蹴り上げるよりは、転がして追いかける方が落とした責任を追及することも無く、気楽にできる遊びだから、とばかり思っていました。
自分は子供の頃から天才で、何をやってもその道の第一人者より優れ、競争をつくづくつまらない行為だと思っていました。楽しそうに遊ぶ同年代の子供たちに羨望の眼差しを送っていましたが、彼らがしていた遊戯ですら何かを競うものだった事を、10歳近くになってわかって、人間の
また、自分は、困難という事を知りませんでした。いや、それは、自分にできないことは無いという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「困難」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。変な言い方ですが、どんな難題を前にしても、それが実際に不可能でないならば、他の可能な事と難易度の違いがわからないのです。例えば、小学校の1桁の足し算と、数学の未解決問題。自分が齢7にしてそれを解くと、周囲の人たちが、よくやった、お前は天才だ、何故こんな小娘が、どうやって、などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、難しかった、と嘘を吐いて、誉め言葉や嫉妬の視線を浴びるのですが、困難とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。
自分だって、それは勿論、大いに不可能な事がありますが、しかし、誰かに何かで負けたりした記憶は、ほとんどありません。女の子には難しいと思われたことをします。前人未踏で不可能と思われたことをします。また、大人が何十年かけてやったこと、できなかったことを、1週間もあればたいてい成し遂げます。そうして、子供の頃の自分にとって最も苦痛な時は、親が自分の家に招いた天才を、自分の鼻っ柱を折ってやろうと息巻く彼らを、逆に絶望させてしまう瞬間でした。
高校生となった自分は、たっての希望で、一般的で庶民的な高校に通わせて貰っていました。セキュリティの観点から、都内のタワーマンションの一室を買って、一人暮らしをしております。過保護な親、というより、家格を考えれば当然というか、これでも最大限の譲歩なのでしょう。自分が自分自身の価値を理解していないだけなのです。
ただ、学校の知人には家のことを隠していますので、友人と下校をすることはできません。帰り道は、いつも一人なのです。帰る方向が同じ生徒だっているものですから、帰る姿を見られるのは困ります。いえ、まさか、家の前まで着いてくる人はいないでしょう。ですが友人ともなれば、何かがきっかけでそうなる可能性を否定できません。
それでいて、私は人目を惹く容姿をしているものですから、何もせずとも友人ができます。人付き合いが苦手、というわけではないのです。人と話すのは寧ろ好きな方で、人に好かれもします。動物には嫌われますが。
親友と呼べるほど仲の良い人はつくらず過ごしておりました。けれどぐいぐいと来る子はいたもので、それこそ異性には、家まで送っていく、と申し出されたこともありました。
ですので、自分は生徒会に入りました。放課後、下校の時刻がズレれば、伴って帰ろうと声を掛ける者もいなくなるだろう、との目論見です。
果たして、この試みは思った以上に効果覿面でした。元より周囲から推薦されていたこともあり、自分はすんなりと生徒会長になりました。生徒会というものは、放課後、生徒会室に誰かが残っていなければならないのですが、本学ではこれを当番制で回しており、自分は率先して請け負いました。
その日はさして生徒会としての業務も無く、当番は他の子で、自分は早く帰っていました。普段であれば、そうした日でも一緒に居残ったりするものなのですが。二年生になり、11月、肌寒さを感じる季節を迎えた時分。虫の知らせのように、予感がありました。
家に帰ると、そこには見慣れた顔の人物が立っておりました。自分が小さい頃から、容貌がちっともかわっていない、白頭の執事。
彼は自室の前で忠犬のように、自分が来るまで背筋をピンと伸ばして待っていたようです。
この程度のセキュリティ、哀神の関係者であれば紙より容易く破れます。鍵であれ、指紋認証や暗証番号などの電子ロックであれ、警備員であれ。
事実、1階の警備員は素通りしてきたようなので、彼が自分の気が付かない内に頻繁にこのマンションに出入りし、顔を覚えられていない限りは、正規ではない手段で突破してきたことは明らかであります。
けれど、この扉の先に入ることはしなかった。使用人とはいえ、あるいはだからこそ、勝手に家の中に入ることは憚られたのでしょう。
「お帰りなさいませ、お嬢様。お懐かしゅうございます」
その声を聞いて郷愁にかられながら、彼を自宅の中へ招き入れます。
さて、この者、哀神家の召使いがわざわざ自分の家を訪ねてくるのには、相応の訳があるに違いありません。
何せ、屋敷を出てから1年半が過ぎております。その間、実家とは一度たりとも連絡を取り合わなかったものですから、何事かと身構えるのも無理ありません。
「旦那様より申し付かっております」
そう言って、彼は一枚の便箋を差し出します。自分は、思わず首を傾げました。口頭ではなく書面で伝えるのであれば、彼がここにくる必要はなかった筈です。電話でもメールでも、それこそ本当に手紙でも、手段は色々と。
受け取って中身を確認した限り、それはどうやら、かつての日常と同じように、自分に対する
ブルーロック
それは何ともまあ、
ただ、問題は、何故自分にそんなことを教えたのかということです。自分は、当然ながら、サッカー部に所属しているわけではありませんし、マネージャーもやっておりません。それ以前に、自分は女子です。
女子サッカーという競技もあることは知っていますが、それでも「サッカーW杯」というと、注釈を入れるまでもなく、男子サッカーを指すのが普通です。そのブルーロックとやらも、書き記すまでもなく、男子サッカーの選手を育成するための計画、ないし施設でありましょう。
白状すると、そんなことを考えながらも、既にその時点で、自分は書き手の、父の意図がわかっていました。
「また、父の道楽ですか」
「ええ、ええ。その通りでございます」
彼も、父の自分への扱いに呆れた様子でした。立場上、彼は父に逆らえませんが、気持ちの上では自分の味方をしてくれることに、感謝の念を覚えるよりも、滑稽や可笑しさを覚えてしまいます。
またぞろ、父は「才能」を試そうとしているのでしょう。誰の才能かは、聞いたこともありませんので、わかりません。自分か、天才と呼ばれる者達か。どちらでもいいことです。自分にとって、それが忌むべき競争であることに変わりはありません。
かつて、自分にその全てを終わらさせてきた愚行を、父は再び繰り返そうというのです。親バカなのか、親より優れた娘への嫉妬なのか、理由はわかりません。
自分は、人間の気持ちが理解できないのですから。
エゴイストとは、他人のエゴイズムのことを、少しも考慮しない人のことである。
――――アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』