グレイディーアにドレスを着せられてリターニアの社交界に参加していたドクターは、途中でパーティを抜け出してしまう。そこにやってきたのは、ドクターを陰ながらサポートしに潜り込んでいたカーネリアンだった。
ロベルタが書きたかった!!!!!!!!!!
いいよね、あのプロフィール3のドクターとの馴れ初め。
リターニアのパーティ会場から、ドクターはひっそりと抜け出した。
エーベンホルツとグレイディーアの目も盗み、独りで城のベランダに立つ。
酒の影響で火照った頬や肩を、涼やかな夜の風が癒していく。冴え冴えとした空気に持て余した熱が溶けだしていく心地よさに、ようやく一呼吸落ち着けることができた。
結論から言えば、当初の目的は大方上手く行ったと思っていいだろう。リターニアの貴族の何人かから、鉱石病のリスクと治療を盾に、投資の契約を取り付けたのだから。
鉱石病はボディタッチ程度でさえ、感染することはないということを何度も念押ししつつ、それでも知らないうちに発症している場合や、最悪他人の悪意によって感染者に仕立て上げられることもある。そこへ、効果の保証されているロドスの治療薬や予防薬のプレゼンを行う。
陰謀と計略に自信のある若い貴族はともかく、老いて臆病になった老人には効いた。これで、決して良いとは言えないロドス・アイランド製薬リターニア事務所の設備も、それなり以上に整えられるはずだ。
しかしそれでも、ドクターの表情は浮かなかった。
むき出しになった背中に集まる下卑た気配、スーツのボタンがはち切れそうな横柄な貴族の値踏み、下心が尻尾を出した美辞麗句。“女”として見られることへの、強烈な忌避感。
―――勘弁してくれ。
内心で、何度そう思ったことか。グレイディーアやエーベンホルツが時折割って入り、牽制してくれてはいたが、ドクターに注がれる視線はまったく減らなかった。
エーベンホルツに注意されなければ、ビジネススマイルも保てなかっただろう。それほどまでに不快だった。
そんな目で見られるのが嫌で、護衛役ふたりに対する不平が胸の裡に浮上するのがもっと嫌で、気付けば視線の隙間に立った瞬間に、逃げ出していた。
―――ケルシーに見られたら、怒られるんだろうな。
―――せめていつもの服を着ていたら、こうはならなかったはずだけど。
今日ほど、マスクとフードで顔を隠していたいと思う日も無い。
ぼんやりとベランダからリターニアの街並みを見下ろし、点々と灯る橙色の街燈の火を意味もなく数えていると、隣に来た誰かが、ドクターと同じようにベランダの柵に身を預けた。
「ワルツはもう始まっているよ。踊らなくて良いのかい、お嬢さん?」
「……カーネリアン」
少し重くなった目を向けると、褐色の肌と紅玉の瞳を持つキャプリニーの女性が、ドクターと同じように街並みを見下ろしている。
ロドスでも、ドクターが頻繁に会うことのない……それでいて、特殊な立ち位置にいるオペレーターのひとり。どちらかと言えば、ケルシーの方が多く顔を合わせているであろう彼女は、白い礼服を着て、片手ではシャンパンの入ったグラスを揺らしながら言った。
「全く、ケルシーに頼まれて、パーティに入って見れば……まさかまさかの光景だ。自分の目に自信を持てないなんて、初めての経験だよ、ドクター」
「この姿を受け入れてないでくれ。正直、私もそろそろうんざりしている」
「その割には、ドレスがよく似合っているよ?」
「グレイディーアに着せられたんだ」
「ふはっ」
カーネリアンは、シャンパンを飲みかけた口で笑ってしまった。グラスを離すのがあと一秒遅れていたら、派手に噴き出していただろう。
クックと喉を鳴らす彼女に、ドクターは少し不機嫌になって、意趣返しも兼ねて告げる。
「そういう君も、いい服装をしているじゃないか。てっきり、貴族からは嫌われていると思っていたけれど」
「おやおや、気を悪くしてしまったようだね。ああ、相変わらず厄介者扱いだとも。けれど、これでも伯爵のお守りをする身だ、余計な敵を作らないためにも、ドレスコードを守って社交の場に出ることも、大切なんだよ」
そう言うと、体を反転させて、パーティ会場に目を向ける。
男女でワルツが踊られている。宴もたけなわと言ったところか。あのふたりはどうしているのか。
流れ出してくる音色を聞きながら、ドクターは背を向けたまま、じっとしていた。
カーネリアンはそれっきり、無言になった。女になった理由も聞いてこない。その沈黙が有難い。
やおら、カーネリアンがグラスを掲げる。すると、ベランダにエーベンホルツが入ってきた。
「こんなところにいたのか、ドクター。闇夜に紛れて姿が見えない。壁の花も超えて、屋敷の影にでもなるつもりだったのか? ただでさえ黒いのだから、せめて光の当たる場所にいてもらいたいものだ」
「君にそんなことを言われるとはね、
「ふん……
エーベンホルツはある種の傲慢さをはらんだ、“貴族らしい”笑みを浮かべた。
ドクターは、彼に対して背を向けたままだ。
「グレイディーアは?」
「貴殿を探しながら
「そうか。なら、彼女に任せよう。私は今、千鳥足でね」
「抱き上げをご所望か?」
「君に支えきれるとは思えないが」
「明察だ。私はチェロよりも重いものは持てない」
エーベンホルツが隣までやってくる。カーネリアンは、ふたりのやり取りを肴に舌先でシャンパンの滴を転がした。
柵の手すりに肘を置いたまま、ドクターは街並みの灯のひとつを凝視する。オレンジ色の、なんてことはない光の点は、フレアを纏って輪郭をぼやけさせていた。
「発つ前から思っていたんだが、エーベンホルツ、私で遊んでいないか?」
「ほう、リターニア貴族との付き合い方が理解できてきたようだ。貴女はどう思う」
「概ね正しいが、疑心暗鬼が必要な相手は見極めるべきだね。例えば、風信子伯爵には必要ない」
話題を振られたカーネリアンが事もなげに応えたところで、曲が徐々に静まっていく。
ワルツは終わり、宴はお開き。手を取り合って踊っていた貴族の男女が名残惜しさもなく離れ始めた。
ドクターは柵を離れ、パーティ会場へと足を向ける。よろめく足取りは、飛び疲れた蝶のように頼りない。
エーベンホルツが後に続き、カーネリアンはシャンパンを飲み干してから追いかける。
大層不服そうなグレイディーアと合流した後、ドクターはろくに話もしないで飛行ユニットへと戻っていった。
執務室の扉を開くと、来客があった。
テーブルに突っ伏して眠りかけていた茶髪のアナティは、戻ってきたドクターの姿を見て身を起こす。
眠たげな表情が、華やぎながらも心配そうなものになった。
「お帰り、ドクター。なんだか、大変だったみたいだね」
「……ロベルタ」
ドクターは霞んだ目をこすり、ぼんやりと呼ぶ。
ランクウッドのトップスタイリストは、ドクターのベッドへ移ると、自分の膝を叩く。
「ほら、こっち来て。マッサージしてあげるから! あ、ドレスは脱いでよ。皺になっちゃう」
「ん……」
疲弊しきったドクターは、その場でするするとドレスを脱ぐと、椅子の背もたれに引っかけてベッドに横たわった。
ロベルタは半裸になった体に毛布をかけてやり、膝枕に置かれたドクターの頭に指で触れる。
強張った頭皮、首筋、肩をゆっくりと揉み解してやると、ドクターはすぐに寝息を立て始めた。
―――随分お疲れだなぁ。無理もないか。もう夜遅いし。
手ずから整えた髪をほどき、マッサージを継続する。
昼間、グレイディーアに“連行”されて来た時から、なんとなくこうなるだろうとは予想していた。
ドレスを着せられたドクターは、普段なら絶対しないような仏頂面で、気の進まないながら、ロベルタにメイクアップを頼んできた。自分に気を遣ってくれているのだと、ロベルタは理解した。
元より望んでシラクーザを飛び出し、ランクウッドでこき使われながらスタイリストとなったロベルタにとって、ロドスでのメイク作業は何より楽しいものだ。特に、ドクターに施している時は。
けれど今朝の作業は、あまり面白くはなかった。
ロベルタはマッサージの傍ら、ドクターの顎骨をなぞる。
―――やっぱり、ちょっと骨格変わっちゃってる。
―――それが悪いなんて思わない。むしろ、気取った大女優なんかより、よっぽど美人だけど……。
―――けど、なんか違う……。
疲れ切ったドクターの顔を覗き込む。元より、マスクとフードを外せば中性的だった印象は、今やしなやかさのある女性のそれだ。
表情にもどんどん濁りが溜まっていって、階段室で初めて出会った時のものから、かけ離れていっているように感じるのだ。
ロベルタは、元に戻ってほしいと思っている。同じように考えるオペレーターは、多いとは言えない。
「君も大変だね、ドクター」
頭をそっと撫でてやり、ロベルタは凝りをほぐす作業を再開した。
空が白み始めるまで、彼女の丁寧な慰労は続く。