ラテラーノ公国での外勤任務を終えて戻ってきたドクター。時刻は夕食時を回っていて、終業時間はとっくに過ぎている。執務室には誰もいないと思っていたのだが……。
アレーン君の昇進ボイスがいちいち卑しい。ショタが卑しい硬派なゲーム、アークナイツ。
夜、ラテラーノ公証人役場との会談を終えてロドス本艦に戻ってきたドクターは、膨れた腹をさすっていた。
ふたりで食べるにも多いボリュームのパフェだったが、案の定である。ちょうど夕食時だというのに、満腹感でいっぱいだ。
―――これは、明日の朝食も食べられそうにないな。
―――今度は誰にどやされるやら。
苦笑いしながら執務室の扉を開く。既に終業時間なので、事務を手伝ってくれるオペレーターもいない。
はずだったのだが。
「ん……? アレーン?」
「おかえり、センセー。やっと帰ってきた」
執務室のソファベッドに座ったアレーンが、不満そうな顔を向けてくる。
手には横向きの携帯端末。隣に座って画面を覗くと、以前ドクターが指揮を執った外勤任務の映像記録が映っていた。
ドクターの帰りを待つ暇を、これで潰していたらしい。
「今日はどうしたんだ?」
「センセーこそ。なんか、色んな人に作戦立案を教えてるんでしょ。僕も授業してほしいって思っただけ」
「授業、というほどのものでもないさ。夕食は?」
「とっくに食べてきたよ。それより、どこに行ってたの?」
ドクターは、本当のことを言うべきか少し迷った。
今日ラテラーノに同行したエンフォーサーやアンブリエルがそうであるように、アレーンもまた、ラテラーノで生まれたサンクタ人である。それも前者ふたりとは違って、鉱石病の感染によってラテラーノを追われた身。
アレーンには数日前から今日に渡って外勤任務を任せていたので、誘うことは出来なかった。そもそも、ラテラーノ公証人役場との協議自体、アレーンのいない間に舞い込んだ話だ。伝える暇が無かったのは仕方のないことだが、それでも罪悪感はある。
なにせ今回は、感染者がラテラーノの地を踏める、またとない機会だったのだから。
逡巡するドクターの横顔を見て、アレーンはますます不満そうに半眼を作る。
「僕に言えない所に行ってたの?」
「人聞きの悪いことを言うな。外勤だよ」
「じゃあ、どこに行ってたのか教えてよ。怒らないから」
「まるで母親のようなことを……。ラテラーノ公国だ。公証人役場から、国内で出た感染者の保障について話し合ってきた」
「……へえ」
アレーンの反応は淡泊だった。
興味がないわけではないが、行きたかったわけでもない。そんな具合。
心配しすぎだっただろうか。そもそもアレーンは、幼少の頃にラテラーノを離れている身だ。彼にとって故郷の名前は、何か強い感情を呼び起こすものではないのかもしれない。
アレーンは自身を眺めるドクターを見返す。
「何? 怒らないよ」
「そのようだ。私は君を侮っていたかもしれないな」
「怒らないけどさ、センセー。その代わりに何を話してきたのか教えてよ。あの頭の固い執行人たちがなんて言って来たのか、とかさ」
「国内で感染したラテラーノ公民についてだ。国を出た後の保障とその管理、引き渡しと生活について」
「感染者が戻れるかとか、話さなかった?」
「話した。これについては鉱石病の治療が出来るならば、とのことだ」
「なにそれ。つまり戻す気ないってことじゃん」
「ラテラーノ国内にロドスの事務所を置いて、そこで治療を行うことを条件に食い下がってはみたのだが」
つまらなそうに足をぶらぶらさせるアレーンの隣で、ドクターはやんわりと尋ねてみる。
「戻りたいか?」
「んー……今はいいや。銃声でうるさそうだし」
「否定はしないが」
イーサンと街中を歩いている間、遠くから聞こえてきた銃声や、喜び勇んで走っていくサンクタ人たちの姿を思い出しながら苦笑する。
ロドスにいるサンクタ人たちが特別大人しいだけで、大多数はエクシアのように騒がしいようだ。
エクシアの、三年間で礼拝堂を十七回爆破した実績を思い返しつつ、ドクターは語った。
「だが、少なくともティータイムが出来る程度には落ち着いていたようにも思う。私たちの運が良かっただけかもしれないが」
「ふーん、優雅にお茶なんてしてたんだ。いい身分だね、センセー」
「そう拗ねないでくれ。帰りが遅かったのは、別に遊び歩いていたからじゃない。予定より早く会議が終わったから、自由行動をしていただけさ」
「あっそ。で?」
目の粗いスポンジのように刺々しい視線が向けられた。
夜まで待ちぼうけを食らわされたことに、だいぶお冠のようだ。
身を寄せて問い詰めてくるアレーンへ、からかうように問い返す。
「で、とは?」
「誰とお茶したの? っていうか、誰とラテラーノに行ったの?」
「イーサンとだ。それにエンフォーサーとアンブリエルの、計四人」
アレーンは、きょとんと目を丸くした。
「……イーサン? なんであいつが?」
「どこかでスイーツを奢る、と言ってきてね」
「感染者でしょ。忍びこんだの?」
「いいや、今回の会談にあたって、特別に感染者のオペレーターも正式に入国できたんだ。……アレーン?」
「ふーん。……ふーん……」
アレーンは腕を組み、ソファベッドの背もたれに背中を押し付ける。
急激に機嫌が悪くなっている。ドクターが不思議に感じていると、ぼそっとした呟きが聞こえてきた。
独り言か会話か、判断に悩む声量で。
「つまり、デートしてきたんだ?」
「………………え?」
彼らしからぬ台詞に、思考が止まった。
―――デート? イーサンと?
疑問に思ってラテラーノでの一幕を思い返すと、わけもなく顔から血の気が引いていった。
ドクターは額に手を当て、待て待て待て、と自分に言い聞かせる。
単に女性化した自分をダシにして、普段ひとりでは食べられないメニューを食べたかっただけではないのだろうか。どういうわけか、その考えに確信が持てない。
肘を膝に押し付けていると、ピリッとスパイスにも似た匂いが鼻の奥を突いた。
アレーンが普段纏っている淡い香りが変質したものだと気付くのに、少し時間を要する。ドクターが顔をあげるのとほぼ同時に、アレーンがずい、と顔を近づけてきた。
「あ、アレーン?」
「ねえセンセー。ラテラーノ、また行くの?」
「そうなるだろうな。公証人役場も事務所の設立には前向きだったし、遠からず打ち合わせをすることにはなるはずだ」
「じゃあ、今度は僕を連れて行ってよ」
「構わないが……」
鼻孔がピリピリする。
恐らく、アレーンは自身のアーツが漏出していることに気付いていない。スカイフレアやゴールデングローが時折そうなるように、感情によって抑制が利かなくなっているのだ。
だが、なぜそうなったのか。デートの話が原因か?
―――まさか。私もイーサンもアレーンも男だぞ。
内心で自分の考えを否定している間に、アレーンは体をぴったりとくっつけてきた。
「決めた。センセー、前に僕が言ったこと、覚えてる? “ひとつの秘密を共有し合うより……”」
「“……お互いの秘密を交換し合う方がいい”、だろう。それがどうかしたか?」
「覚えてるんなら、話は早いや」
アレーンの顔が、さらにドクターの顔に近づいてくる。マスクのフィルターをすり抜ける香りが、さらに強くなった。
「僕の秘密をひとつ教えてあげる。だからセンセーの秘密もひとつ教えてよ」
「何を聞くつもりだ?」
「決まってるでしょ」
柳眉を吊り上げたアレーンの口から出た問いに、ドクターは頭がくらくらするのを抑えられなかった。
恐らく、アレーンが無意識のうちにアーツで作り上げた毒素に幻覚作用でもあったのだろう。そう思いたかった。