クリフハートのやらかしを確かめるべく、ロドスを訪れたシルバーアッシュ。本当に女性化していたドクターに驚きながらも、クリフハートの保護者として、カランド貿易の長として、示談を提案するが…。
シルバーアッシュを出すのに随分時間がかかってしまった…!大してイチャイチャはさせられなかったけどシラユキに切腹の覚悟をさせたかったので大目に見て。
実のところ、エンシオディスはまだ揺れていた。
ノーシスが冗談など言うはずもないが、一方で
本当は何事もなく、ノーシスは悪戯好きなオペレーターの誰かに担がれていた、というオチが理想だったのだが、現実はそうはならなかった。
「…………愚妹が申し訳ないことをしたな、ドクター」
「ああ、うん……」
執務室で対面したエンシオディスとドクターは、互いに気まずそうな言葉を交わす。
会うのは久方ぶりとはいえ、防護服を下から押し上げる膨らみや、ほっそりとした頬から顎のラインを見逃すほど、エンシオディスは鈍くはない。
内心、彼は頭を抱える。ドクターはこうしたトラブルについて、しつこく追及したり、癇癪を起こすような人物ではないが、それはそれとしてケジメをつける必要はある。
何せ、実行犯はエンシオディスの妹なのだ。保護者としても、ロドスの提携先としても、シルバーアッシュ家の長としても、相応の対処がいる。
しかしこの場合、どうすれば良いのか。流石のエンシオディスでも、すぐには判断できなかった。
ドクターはドクターで、自分が何をしに来たのかなど、とうにわかっているだろう。ただ、どういった形で示談を行えばいいのか、被害者本人にすらわかっていない。
気まずい沈黙が流れる。執務室の空気がどんよりと濁り、業務を手伝いに来ていたオペレーターたちが居心地悪そうな顔をした。
このままでは良くないことを悟ったドクターは、なんとか空気を換えようと当たり障りのない話題を切り出す。
「クリフハートには会ったか?」
「まだだ。あの子は今どうしている?」
「宿舎で謹慎中のはずだ。声をかけていくといい」
「ヤーカとヴァイスの調子はどうだ」
「ふたりとも、変わらない働きぶりを見せてくれているよ」
「そうか」
「…………」
「…………」
さほど会話もしていないのに、沈黙が取って返してきた。
だが、これは好機でもあるとエンシオディスは直感する。お互い、無為に時間を費やせる立場ではないのだから、今のうちに本題に入るべきだろう。
緊張するなど、いつ以来のことだろうか。短く息を吸って、今度はエンシオディスから話し始めた。
「今回、エンシアがお前に薬を盛った件に関して、シルバーアッシュ家の当主として、正式に謝罪と示談を申し入れたい。何か要求はあるか」
「要求か」
難しい質問だ、とドクターは思う。
ロドスはエンシオディス率いるカランド貿易に対して、充分に不平等な―――それもロドスにかなり有利な条約を締結させている。
ヴィクトリアやクルビア、カジミエーシュに数多ある悪徳企業であったなら、さらに吹っ掛けるぐらいのことはするだろう。下手をすれば、カランド貿易を潰しかねないような要求でも。
しかし、ロドスはそうではない。かといって、ケルシーやドーベルマンの言葉を借りるなら、“提携先の企業の重役に薬を盛るなど言語道断、厳しく追求し責任を問うべき”事案であることも理解している。
どこかで示談は成立させなくてはいけない。それはロドスだけではなく、カランド貿易のためでもある。
ドクターはしばし考えた末、要求を口にした。
「……ブラウンテイル家かペイルロッシュ家の領地に、ロドスの事務所を設置したい。当主への説明と契約の仲立ち、及び建設費用の負担を頼めるか。プラマニクス……いや、巫女様への橋渡しも必要になるな」
「いいだろう。事務所に設置する機材も、こちらで購入できるが」
「機材はロドスから持ち込む。搬入の手伝いを。そちらには、オフィス用の設備を」
「承知した。では、詳しい話はまた次の機会に。こちらで候補地の選定と、関係各所への説明を済ませて書面で送る」
「任せる」
すんなりと話をまとめることが出来て、ドクターは安堵した。
エンシオディス本人から、イェラグの出入りは自由にしていいとお墨付きをもらってから、そのうち事務所の設置しようとは思っていたのだ。そうすれば、スチュワードやオーロラなど、
今後、イェラグの発展において源石機械の使用や開発も不可避となることも考えれば、事前に対策しやすくなることは良いことでもあった。無論、雪境外出身のオペレーターもおいて、イェラグ内の生の情報も仕入れなければならないが。
ともかく、これで示談は終了だ。ある種儀式のような商談を終え、具体的な契約の書面を作ろうと事務机に腰かけたところで、エンシオディスの視線が自分の横顔に注がれていることに気が付いた。
「シルバーアッシュ?」
傍らに立つ彼を見上げると、不意にエンシオディスが手を伸ばし、ドクターの頬に触れる。
親指で目元についた隈をなぞられ、ドクターは思わず片目を閉じた。
突然の、風を斬る音。その場の誰もが気付いた時には、どこからか現れたシラユキがエンシオディスの喉笛に短刀を押し当てていた。
「手を引くべし。さもなくば首を落とす」
「シラユキ、大丈夫だ。収めてくれ」
「出来ぬ」
シラユキの口調は淡々としたものだが、その奥に拭い難い感情があることに気付いた。
ドクターは彼女の肩を叩き、少し強めの口調で言う。
「シラユキ?」
「御身は無防備に過ぎる。この者は、御身に薬物を盛った者の血縁。なれば、近づかせぬが吉」
「反論のしようもない」
そう言って、エンシオディスは、あっさりとドクターから手を引く。
それでもシラユキは刃を収めようとはしなかった。
「シラユキ、そのあたりにしてくれ。シルバーアッシュもまた、ロドスのオペレーターだ」
シラユキが肩越しに視線をくれる。じっとりとした半眼は、普段の彼女に似つかわしくないものだ。
彼女の性格と、ドクターが女性化した直後のことを思えば、無理からぬことではあるが。
「御身に薬物を盛ったは、ロドスのオペレーター。薬物の調合を行いし者も、ロドスのオペレーター。シラユキ、もはや油断はならぬ。二度、同じことがあらば、次こそ腹を切る」
「あんなことが何度もあってたまるか。それ以前に、君が死んだら、私はフミヅキ夫人になんて説明すればいい?」
「遺書ならば此処に。シラユキ、姫の任を果たせず、責を負い自決したと」
「やめてくれ……」
ドクターは目頭をつまんで首を振った。
龍門とロドスは上下関係にある。龍門が上で、ロドスが下だ。シラユキは龍門総督ウェイの妻・フミヅキが最も信頼するボディガードで、ドクターの護衛も彼女の指示である。
そんなシラユキに何かあれば、それは即ち龍門とロドスの問題に発展しかねない。そうなったとき、示談を申し込むのはロドスの方になるだろう。たびたび甘いと苦言を呈されるドクターと、ウェイは違う。何を吹っ掛けられるか、わかったものではない。
懐から取り出した遺書を押し返されたシラユキは、不満そうに封筒をしまい直す。ついでに短刀を鞘に収めたのは、普段は出てこないファントムがドクターの背後に立ち、夜の森が抱える闇にも似た視線を投げかけてきたからだった。
エンシオディスはその光景を、微妙な表情で眺めていたが、やがて言葉を差し込む。
「今回の件については、謹んで詫びさせてもらう。愚妹にも、強く言って聞かせよう。今後、このようなことは起こりえないと約束する」
「そうしてもらえると助かる。簡易だが、示談書だ。確認とサインを頼む」
「ああ。余計な苦労を背負わせたな、ドクター」
エンシオディスが書類を確認している間、シラユキとファントムは一触即発の気配を漂わせている。
本人たち以外には知る由もないが、ふたりはドクターが女性化してからというもの、たびたび衝突を起こしていた。彼にちょっかいをかけようとするオペレーターに、殺害も辞さぬとばかりに向かっていくシラユキを、ファントムが制止する形だ。
なお、現在はミヅキの介入もあり、シラユキも多少大人しくはなった。それでも今回こうなったのは、エンシオディスが
うっすらとそのことを察したエンシオディスは、半ば呆れながら示談所にサインを終えた。